第一話:我が職場の日常
「ちょっと出張してきてくれ。」
「軽いノリで異世界飛ばそうとすんなクソ上司。」
勢いでどうにかしようとする目の前の女を睨みつけながら、ノータイムで返してやった。
「そんな事言わないで頼むよぅ。」
長い黒髪についた寝癖をぷるぷるさせ、半泣きで懇願してくる。
「行かないとは言っていない。行く気を無くすようなその緩いキャラ作りをやめろと言ってるんだ。」
「本当に申し訳ない。」
どこぞの無責任博士みたいな口調で言ってきやがる。帰ろうかな。
この上司、ジュゼはいつもこんな感じだ。真面目に大人しくしていれば『出来る上司』に見える端正な顔立ちなのに、どうもそういうのは苦手らしい。初対面の者からは情緒不安定かと思われる事も多いが、慣れればこんなやり取りは日常茶飯事だ。
「じゃ、概要を説明するからスルガちゃん呼んできて。」
「あいよ。」
奴は…いつもの所かな。
廊下に出て、エントランスへ向かう。白を基調とした小奇麗な事務所。だだっ広い空間が、パーティションで小間切れにされている。俯瞰で見ると、頭の良い奴がやるパズルのようだ。殺風景にも程がある。
ここを初めて訪れる者は皆、口を揃えて言う。
「思ってたのと違う。」と。
死んだ直後にこれを見せられたら、そりゃそうなるだろう。俺も初めて来た時は何処かの市役所かと思った。まあ、やってる事はさして変わらんか。
『死後の世界』とか、『あの世』とか、『冥土』とか。
生きてた時にそう呼んでいた場所がまさかこんな所とは。
大昔はこんなんじゃなかった、らしい。
何度も裁判やったりして亡者の行き先を決めたりしていた、らしい。
ところがどっこい、あの世もこの世も深刻な人手不足。効率良く亡者どもを捌くため、システムの見直しが行われた。
その結果、ポイント制になった。
生前の行いが全て加点・減点され、死亡時に残ったポイントを使って次の行き先を亡者自身が決める。余程多くのポイントがない限り、転生先を決めてリアル『また来世』となる。日本のコメディアンの書いた小話を基に作られたと噂されるこのシステムのおかげで、複数回に及ぶ裁判とやらは無くなり、ここが出来た。
俺はここの【転生部】のスタッフだ。
そして、同じく転生部のスタッフであり、これから俺と出張する羽目になる奴を探しにエントランスまでやってきた…のだが。
「痛゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛よ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!!!」
「暴れんな。ホントに斬るぞ。」
亡者を刀の峰でボコっているこいつがスルガ。
基本的に物臭で常時テンション低めだが、怒らすと怖い。このように。
「これこれスルガさんや、何があったのじゃ。」
とりあえず、経緯を聞こうじゃないか。
「ああ、先輩。こいつマイナス野郎なんスけどね。」
残りポイントがマイナスの亡者はもれなく【地獄部】へご案内だ。大概の者が嫌がって抵抗しようとするのだが、このエントランスには番人がいる。
「そういう時は、グリとエラに任せなさい。」
【案内係】グリとエラ。見た目はただの双子の幼女だが、その気になればこの程度の亡者など一瞬で灰に出来る力を持っている。温厚な性格のため、そんな大技を使う事はほぼ無いが、ちょっと懲らしめて大人しくさせるなど造作もないし、普段からやっている事だ。スルガの出る幕ではない。
ところが当のグリとエラは、珍しく何やらおむずかり。
「こいつ、グリっちとエラりんに『ネズミみたいな名前だな!』とかほざいて泣かしたんスよ。」
「それじゃ仕方ないねー。禁句言っちゃったこいつが悪いねー。」
ここのマスコット的存在である二人を敵に回す事の意味を教えてあげねばなるまい。
「もうちょっとボコったら地獄部に連行して。ただし斬るなよ。掃除が面倒。」
「うぃーかんぷらーい。」
では教育が終わるまで、涙目でぷるぷるしているグリとエラを慰めているとしよう。
数分後、一仕事終えたスルガと共にジュゼの待つ転生部に戻る。
「ところで先輩、なんか用スか?」
「仕事だよ仕事。出張だとさ。」
「やっス。めんどくさい。」
「働け。」
そんな緩いやり取りをしながら、歩く。歩き続ける。目的地まで地味に遠い。エントランスから左右に延びる廊下を右に行くと地獄部、左に行くとすぐ転生部、なのだが…。
転生部はデカい。廊下の終わりが見えないくらいデカい。慣れのせいでちょっと長めの散歩感覚になってしまっているが、少なくともキロ単位に届くくらいはある筈だ。亡者の殆どが転生するのだから受付の数が多いのは当然といえば当然なのだが、転生の手続きをするだけならこんな東京ドーム何個分かも分からないような広さは要らない。
では何故こんなに広いのか?
廊下の向かって右側が【転生部 通常転生課】。
そして左側が【転生部 異世界課】。
異世界転生ブームの波は、あの世にも影響を与えていた。生前にその手の作品に触れ、楽しんできた世代の亡者が増加する時期になると、「転生するなら異世界がいい。」という無茶振りが急増した。その需要の多さにやむなく【異世界課】を創設。異世界を探す【開拓班】と、異世界を創る【創造班】に分かれて活動を始めた。転生可能な異世界を手配するまで数年、そこから転生システムを構築するのに数年。実動に至るまでを十年そこそこでやってのけた。それから数十年。異世界の数は把握するのが困難な程増え、種類も大抵の要望には対応できる程豊富になった。
この【異世界課】こそが広さの主犯であり、長々と歩かされる要因なのだ。
ようやくジュゼの姿が見えてきた。廊下の終わりも見えてきた。
ここが俺らの所属する【転生部 異世界課 特殊調査室】。
通称―――いや呼び名は特に無い。
名前だけ見ればかっこいいかもしれないが、こんな僻地にある事からお察しの通り『困った時の便利屋』程度の扱いの部署だ。今回はどんな世界に出張させられるやら。どうせまた厄介事に決まっている。
ジュゼに話を聞くとしよう。