お買い物をしましょう
気を取り直したようにギルドマスターは問いかけた。
「それで、今日はどうしたんだ?」
「一応、挨拶だけしておこうと思って。冒険者は基本的に引退だから、依頼を受ける予定はないんだけど、何かあったら、声をかけてくれる?」
「大発生の時とかか」
大発生というのは、時々起こる魔物の大量発生のことである。
日頃ダンジョンから出てくる魔物というのはさほど多くないのだが、なんらかのタイミングで一度に発生した場合、ダンジョンに一番近い人間の集落に押し寄せてくるのだ。
「大発生なんて、めったに起こらないのは知っているけれど、S級冒険者がいるのといないのとじゃ大違いでしょ」
「お前には、まだまだ引退しないでほしかったんだがな」
天井を仰いで、ギルドマスターは嘆息する。エドガーがそれに同意した。
「たしかに、S級冒険者を遊ばせておくのはもったいない――と俺も思う」
「やめてよね、ここまでくるの長かったんだから」
ここまで来るのに、本当に時間がかかった。
「それにしても、ギルドマスターも人が悪いわよね。私の農場が、エドガー殿下の領地にあるって教えてくれないんだもの。王族の領地だって知ってたら買わなかったわよ」
むぅっとむくれた顔をして、シルヴィは不意に話題を変えた。
「そ、それはだな――ああ、細かいことは気にしちゃいかん。契約書には書いてあっただろ?」
自分の農場を手に入れられることに浮かれていて、契約書の確認に抜かりがあったのは、シルヴィの落ち度だ。
気に入った建物だったし、他に買いたいと申し出ていた人もいると聞いたので大急ぎで飛びついてしまった。そこのところの失態を責められると弱い。
「本当はよくないけど、まあいいわ。他の人達には、殿下のことは、新人冒険者くらいに言っておいて」
エドガーも、聖エイディーネ学園でシルヴィアーナと同級生だった。
たしか、卒業の時に初級冒険者の免許はとっているはずだ。事実ではないが、嘘でもない。一部隠匿しているだけだ。
「おう、あんたみたいに有能な冒険者が近くにいてくれると俺も安心だ」
「元冒険者よ、元。私は行くけど、殿下はどうします?」
「一緒に行くに決まってるだろ」
さらりとギルドマスターをかわし、シルヴィは立ち上がる。
ウルディに来た第一の目的はこれで終了。次は買い物だ。
この町は、王都ヴェノックまで普通の交通手段だとひと月程度かかるということもあり、住んでいる人間の数はさほど多くない。
だからこそ、S級冒険者であるシルヴィの訪れは、街の人達に歓迎されていた。有名人が近所に住んでいる、くらいの感覚だろうが歓迎されているのはありがたい。
「うちの子が、ダンジョンに初挑戦するっていうんだけど付き添い頼める?」
歩いているシルヴィに声をかけてきたのは、ウルディの住民だ。どうやら、息子が冒険者としてのデビューを控えているらしい。
「来週ならいいけど、ちゃんとギルドに依頼出してね。勝手には受けられないから」
付き添いを頼んでくるのには笑顔で対応。
ダンジョンは危険な場所だ。そこに挑む冒険者は、怪我を負ったり時には命を落としたりすることもある。
慣れないうちは、シルヴィのような上級冒険者に付き添いを依頼するのは当然のことだ。冒険者としてのノウハウも、実戦の中で学ぶことができるから。
「面倒見がいいんだな」
「そりゃそうですよ。できる限りの手は打っておかないと」
「できる限りの手……?」
「ええ。授業で習ったから、殿下も知ってるでしょ。経験が浅いうちにきちんと先輩冒険者から学んだ冒険者とそうじゃない冒険者では五年後の生存率がまるで違うって」
「学校や研修で学ぶのと実戦では違うということだな」
エドガーの言葉には、うなずくことで返す。
冒険者としては引退だけれど、後輩の手伝いくらいは続けるつもりだ。
そんな話をしながら、次にシルヴィが目指したのは、雑貨屋だ。
「やあ、引っ越してきたのか。アクセサリーは納品してもらえるのかね?」
「ええ、そのつもり。前に持ってきた見本どうだった?」
「そこに置いておいたら、すぐに売れたよ。丁寧な仕事ぶりだって評判だ」
「雨の日しか作業できないから、数は作れないけれど、近いうちに納品に来るわね。ええと、それから……」
シルヴィは、雑貨屋に置かれていた手芸用品の中から、リボンやレースを選んで籠に入れていく。都の手芸用品店の方が品ぞろえはいいのだが、地元に還元しようという狙いもある。
「お前、アクセサリーなんか作るのか?」
「作りますよ。小さな魔石の有効な使い道でもありますからね。こういうのが置いてあると、お店が賑わうんですよね」
口コミというのは恐ろしいもので、いい品が置いてあれば隣の町からも客が買いにやってくるのだ。ウルディの近くにもいくつか小さな町があるから、シルヴィの品を気に入ってくれる人がいたら、これも地域を盛り立てるのに役立つはずだ。
「しかし、ものすごい量だな」
大量に買い込んだ手芸の材料に、エドガーがあきれたような目を向けた。
「在庫は抱えれば抱えるほど安心するものなんですよ」
それを"罪庫"と呼んだりもするのだが、今のところはまだまだ在庫を抱える余地はある。
それから食料品店を回って、ジャムやチーズ、野菜などを購入。最後に肉屋によって、今日の買い物は終了だ。
肩から斜めに下げている鞄には、収納魔法がかけられているから、大量の買い物もすっぽりと入ってしまう。
そのため、買い物を終えたあとのシルヴィの荷物は、来た時とまったく変わっていなかった。
「――本当に、お前はこの町に住むつもりなんだな。時間をかけて、準備してきたみたいだ」
「そのつもりですよ。やりたいこともたくさんありますしね。まあ、いつまで許されるかわからないですけど」
今まで、公爵家の娘として、ありとあらゆることをやらされた。
そんな中、ようやくゆっくりする時間が取れたのだ。
(たぶん、こうしていられる時間はそんなに長くないんだろうけど)
あえてエドガーの前では見せていないが、そんな風にも思う。
一応、"勘当"してもらってはいるが、それは建前でしかない。ほとぼりがさめた頃、両親はシルヴィを呼び戻すつもりだ。
「時期が来たら……公爵家に帰ると?」
「メルコリーニ家の義務まで捨てたつもりはないですよ。勘当されて、"傷ついた"心を癒すために、勘当したという名目でちょっと傷心旅行に出ているだけです。というか、世間的にはそういうことになってます」
公爵家に戻ったら、再び貴族としての行動を求められる。国に尽くし、メルコリーニ家を盛り立てる。そのために必要な行動ならば、なんでもすることになるのだろう。
「貴族の義務は忘れたわけではないと」
「忘れてませんよ。忘れてないからこそ、卒業式まで――」
はっとそこでシルヴィは口を閉ざす。
直近で、貴族の義務を忘れた相手と言えば――今、目の前にいるエドガーの兄だ。しかもうっかり、卒業式のことまで口に仕掛けた。
感心した様子のエドガーの方も、はっとしたように気を取り直す。ぴしりと、こちらに指を突き付け、彼は正々堂々と宣言した。
「と、とにかく! お前には怪しいところがいっぱいある! お前の潔白が証明されるまで、俺はお前の監視に通うからな!」
「えー……王子様って暇なんですね」
「暇って言うな! あと、俺だって転送陣くらいは使えるからな!」
何も、そんな大声を出さなくても。
「殿下にそれだけの魔力があるのは、わかってるので大声出さないでください。王族がこのあたりうろうろしてたら、面倒なことになるでしょ」
「よく言うわ。俺のこと、ずっと"殿下"と呼んでるじゃないか。気づいたやつはいないと思うけどな」
「……だって、殿下じゃないですか。どう呼べと?」
そう真正面から返されて、エドガーの方も返答に困ったようだ。たしかに、彼にどう呼びかければいいのかかなり問題だ。
「……エドガーでいい。俺もシルヴィと呼ぶから」
「えーっ」
「だめか」
「だめじゃないですけど、なぜ?」
「――今は上手に説明できる気がしない。少し時間をくれ」
「まあいいですけど」
何をどう説明するつもりなのか、シルヴィにはまったくわからなかった。





