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三章 若き魔王の初恋(4)

 図書室の窓沿いの席で、午後の柔らかな暖かさを覚えながら、ティーゼはテーブルに突っ伏していた。


 魔王の屋敷にあった図書室は、高価そうな本の帯が壁一面の棚にずらりと並んでいた。完全にプライベートな別荘として機能しているせいか、滑らかな手触りをした長くて白いテーブルが部屋の中央に鎮座している他は、すべて膨大な本で埋め尽くされている。


 書籍の一部は、前国王夫妻からの贈り物らしい。



 それは、やけに恋愛をメインとした書物が多かったのだが、ティーゼは「何故だ」と納得がいかない。



 本人が無自覚だろうと、ティーゼから見れば、ルイは女性を褒める事に優れている。しかし、恋がそうさせるのか、いざ手紙として書こうとすると言葉選びに悩みだしたのだ。


 愛しのマーガリー嬢を言葉で表すなんて、とルイは惚気のような事を言い始めた。ティーゼは、ルイに協力すべく、マーガリー嬢に送るに相応しい愛の言葉を探そうと、ルチアーノと手分けして多くの詩集本を見繕い開いていったのだが……



 図書室に来て一時間以上が経過したが、数十枚の便箋を駄目にしたが、ルイの手紙はまだ完成していない。



 さぞモテるらしいルチアーノに関しては、確かに言葉選びは素晴らしかった。しかし、彼は「とはいえ、陛下はご自身が贈るに相応しいお言葉をお探しでしょう」と、もっともらしい言葉で、助言を早々に諦めていた。


 悩む上司を脇目に、ルチアーノの、愛の詩集に目を通す姿も様になるのが悔しい。暇を覚えると、冷ややかな嫌味を口にするのも忘れない腹黒宰相と、女性を褒める賛美の言葉を一生分聞き終えてしまったような疲労感に、ティーゼは打ちのめされた。


 この一時間の苦労を思い返すと腹が立って来て、ティーゼは、テーブルに顎を乗せたまま、ルチアーノの涼しげな横顔を憎らしげに睨みつけた。


「……ルチアーノさんは、ロマンの欠片もないですよね」

「ロマンがなくとも跪く雌は多々います」

「あ~、冷たくあしらわれて喜ぶ系のお姉さんですか」


 魔族の女性は、気丈なタイプが多い。ギルドのマリーが良い例で、ティーゼは容易に想像がついてしまう自分を悲しくも思った。


 ルチアーノが「やれやれ」と眉を潜め、手に持っていた詩集本を閉じた。


「あなたは免疫がなさ過ぎますね。もう少し勉強なさった方がよろしいのでは?」

「愛を囁かれることに慣れろと? その言葉の裏で考えている腹黒さを、先程ルチアーノさんに聞かされたせいで、ロマンチックの真意が余計に分からなくなったばかりなんですが」


 これでも私だって、乙女としてそういう事に理想は少なからず持っているんです、とティーゼは心の中で呟いて、深々と溜息を吐いた。


              ※※※


 ティーゼが机に突っ伏し、ルチアーノが愛には関係のない本を引っ張り出して読み始め、しばらくが経った頃、何百枚もの便箋を駄目にしたルイが、唐突にこう呟いた。


「出来た」


 待っていたその言葉を聞いて、ティーゼは、ガバリと顔を起した。


 目を向けた先には、自分一人で完成させた手紙を、念入りにチェックしているルイの姿があった。先にルチアーノが「手紙は文章が多ければいいものではありません」と説明してくれた甲斐もあって、手紙は二枚の便箋に収められている。


「うーん、もうちょっと字がきれいに書けるかもしれない」


 仕上がりに少々不満をこぼし、ルイが新しい便箋を引っ張り出して書き写し始めた。


 ティーゼは、向かいから彼の手紙を覗きこんだ。便箋には、丁寧で読みやすい字が並んでいた。


「ルイさん? あの、完璧なラブレターだと思うのですが……」

「中央のココとか、僅かにずれているだろう?」


 たった一つのラブレターに、そこまで求めるのか。


 ルイの意気込みには絶句しかけたが、真剣な顔で手紙を模写する様子を見ると、「マーガリー嬢はそこまではチェックしないと思う」とは言ってやれず、ティーゼは頬杖をつき、ルイの作業を見守るしかなかった。



 太陽はすっかり傾いてしまっており、結局、町の観光すら出来ていなかった現実を、ティーゼはぼんやりと考えた。



 この町に物珍しいものはないにしても、唯一にある食堂で夕飯は食べたい。そして、シャワー付きの宿でぐっすり眠りたい。


 本当は「もう帰っていいですかね」と声を掛けたかったが、ルイが集中して便箋に向き合っている間は無理だとも悟っていた。声を掛けた拍子に字がずれたらと思うと、怖くて実行に移せない。


 彼が書き終えたら、すぐに声を掛けよう。


 ティーゼはそう考えて、片頬をテーブルにあてるように突っ伏し、向かいにいるルイが便箋にペンを走らせる音を聞いて過ごした。



 それにしても、彼は本当に、マーガリー嬢が好きなのだろう。初対面で見知らぬ人間を巻き込むほど、どうにかして彼女との距離感を縮めようと頑張っているのだと思うと、今日一日が無駄になってしまった事も、心からは怒れないような気もしていた。



「ルイさんは、本当に一生懸命ですよねぇ……それに比べると、ルチアーノさんは、もう少し努力しないと独身のままだと思います」

「はて、身に覚えがありませんが。どんな努力が必要だというのです?」


 当然のように言い返され、ティーゼは顔を上げて、ルチアーノに半眼を向けた。


「その無駄な腹黒さと自尊心に目を瞑って、相手に優しくしてやれって事ですよ」

「そんな価値がある相手であれば申し分ないのですが、今までそういった女性は目にしたことがありません」


 ルチアーノは本を閉じると、口角を薄く引き上げてこう言った。


「私や陛下より美しい女性が、この世に存在するとお思いですか?」

「…………うん、そういう風に考えちゃうんですね。だから、そういうところが頂けないんですってば」


 こいつは駄目な方の残念な美形だ。


 いや、美形だという自覚があるのも問題だが、ルチアーノの自信は一体どこから来るのだろうか。やはり、種族間の違いのせいか?


「くそッ、性質の悪い美形め……。ハッ、まさかとは思いますが、全女性にそんな態度で挑む訳ではないですよね?」

「前半の愚痴、しっかり聞こえていますよ。私も相手はきちんと選んで対応していますし、勿論、場もわきまえています」

「……あれ、おかしいな。むしろ私だから遠慮がなくて当然だ、っていう風に聞こえるんですけど」


 何この温度差、おかしくない?


 ティーゼが真剣に悩み出した時、手紙の清書を終えたルイが、顔を上げてにっこりと微笑んだ。


「ルチアーノは女性に人気があるよ。気配りも出来るし、こう見えて複数愛を持たない上級魔族種だから、たくさんの求婚希望書が城に届くんだ。だから、マーガリー嬢に関しては色々と助言をもらっているんだよ」


 ルイは疑わない目でそう言ったが、ティーゼとしては、ルイが相談相手を間違えているとしか思えなかった。恋の台詞一つで十の嫌味を語れるルチアーノほど、女性の敵はいないと思うのだ。


 とはいえ、ティーゼは言葉を胸の内に留めて「そうですか」とだけ相槌を打った。ルイもようやく手紙を完成させた事だし、退出してもいい頃合いだろう、と前向きに考える事にする。



「無事に手紙は仕上がったことですし、私はこれで――」

「うん、次はどうやって手渡せばいいのかを一緒に考えようか」



 ルイが、満面の笑顔で言い放った。手渡す事を想像すると緊張で心臓がどうにかなってしまいそうで、どうしたら一番自然な流れで渡せるだろうか、と爽やかな微笑みで悩みを語る。


 ティーゼは、しばし愛想笑いのまま硬直していた。


 空気を読まずにマーガリー嬢に話し掛ける度胸がありながら、手紙一つ渡せないというのは、おかしくないだろうか。


「ルイさん、手紙なんて普通に手渡せばいいんです。挨拶して、去り際にちょろっと渡すだけですッ」

「そうですよ陛下、プレゼントや花束を贈る時と同じで問題ありません」

「うーん、プレゼントと手紙は全然違うじゃないか」

「いやいやいや、プレゼントの方が緊張すると思います!」


 思わず立ち上がってしまったティーゼは、ふと、問題の早期解決のため提案してみる事にした。


「プレゼントに手紙を挟んで渡せばいいんですよ、ほらすごく簡単でしょ! これで解決、もうばっちり本番に臨めますね!」

「ラブレターは、個別でちゃんと手渡しした方がいいと、本に書いてあったよ?」

「くそッ、ロマン小説か!」


 ティーゼは、前国王夫妻が贈ったというロマン小説コーナーを睨みつけた。確かに、そのような内容が書かれていた小説を見掛けたような気もするが、現実世界でそんなルールは聞いたことがない。


 若干の空腹も覚えてもいたので、ティーゼとしては早々の退散を希望していた。

 この町に到着してから、クッキーしか口にしていない。


「ルイさん、大丈夫です。まずは普通に声を掛けて、ちょっと談笑した後に、それとなく手紙を渡せばいいんですよ。ルチアーノさんの言う通り、プレゼントと同じ要領です、ちっとも怖くありませんッ」

「でも、突然手渡されたら困らないかな?」

「同じ女性として言わせてもらいますが、世間話のついでに『どうぞ』と優しい笑顔で渡されて、嫌に感じる人はいないと思います。ルイさんの笑顔ならいけます!」


 マーガリー嬢も本心からルイを嫌っているわけではなさそうなので、恐らく、警戒はされても、受け取るぐらいはしてくれるだろう。


 ティーゼが自身たっぷりに頷いてみせると、ルイもようやく自信が戻って来たのか、笑顔を浮かべて大事そうに手紙を整え、封をした。宛て名に「愛しい人へ」と書き記し、後ろには「魔王より」とペンで記す。



「不安がおありなら、プレゼントの時と同様に、練習してみては如何でしょうか? 時間と場所を事前に想定しておけば、陛下に限って失敗という事はあり得ないでしょうし」



 二人の様子を傍観していたルチアーノが、ふと、そう言った。


 ティーゼは、聞き間違いだろうかと数秒考え、聞き間違いであって欲しいと思いながら彼に視線を向けた。


「……もしかして、プレゼントの時も、渡す練習とかしていたんですか?」

「光栄ながら、大きさの違う箱を、陛下から手渡される練習台を務めさせていただきました」


 ルチアーノが淡白な声で答え、含むような目をティーゼに返した。


 出会い頭から続いている巻き込まれる感じを思い起こし、ティーゼは嫌な予感がして、早々に退出しようと勢い良く立ち上がった。



「では私はこれで失礼しますねッ。お腹もすいたことだし、それじゃあさようならマーガリー嬢にうまく手紙が渡せるよう祈ってます!」



 最後は一呼吸で言い切り、図書室の出入り口まで駆けて扉に触れた瞬間、ひんやりとした大きな手に、肩をガシリと掴まれた。


 数時間前とは違い、その手にはまるで優しさがなかった。掴まれた肩が、ぎりぎりと痛むほどの強い怨念を感じて、ティーゼは、捕獲される小動物の心境で硬直した。


「うわぁ、デジャブ……」

「いくらなんでも、男同士で手紙を渡す練習はしないでしょう? 陛下の相手を務められるのですよ、光栄に思いなさい」


 ティーゼは、ぎぎぎ、と首だけをぎこちなく動かして、ルチアーノを振り返った。


「か、勘弁して下さい。他に使用人さんとかいるんでしょう? 私の事は通りすがり――じゃなかったか。えぇと、ギルドの依頼を済ませただけの人って事でスルーして下さいよッ」

「現在この館に女型の使用人はおりませんし、陛下があなたの世話になったのは事実ですので、こちらで夕食と寝室を無償で提供させて頂く考えでもあります。ちなみに、部屋にはコンパクトながら手作りの温泉もありますので、ご希望があれば――」

「手紙の件、協力させて頂きます」


 温泉なんて滅多に利用できるものじゃない。


 ティーゼは、素早くルチアーノの手を握った。魔族としての体質なのか、真っ白な彼の手は、ひんやりとして冷たかった。


「食後には温泉に浸かってもいいですか」

「欲望に正直な方は嫌いではありませんよ」


 薄ら暗いやりとりが成立したところで、ルチアーノが早速、ティーゼの泊まりの件について許可を取るべくルイに伝えると、彼は嬉しそうに微笑んだ。


「いいね、友達を別荘に招いて食事して泊まらせるなんて初めてで嬉しいよ。あ、夜は枕投げでもする? 人間はそれが好きなんでしょう?」

「ルイさん、私は一応女性なので、それはちょっと頂けないかと」

「そうですね、仮にもコレは女であるらしいという残念な事実がありますので」

「ルチアーノさんは一言多いです」


 屋敷の主人の許可が出たところで、ティーゼの一泊が決定したのだった。

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