三章 若き魔王の初恋(3)
「ルイさんはすごく美形で、良い声をしていて、笑顔も気配りも素晴らしい男性だと思います」
再び魔王の別荘のテラス席で、テーブルの上のクッキーを全種類口に放り込んだ後、ティーゼは紅茶を飲んで一息吐いてから、そう切り出した。
初対面の時、ルイの声を聞いた時の衝撃は忘れられそうにもない。ティーゼは、耳に直接くる色気というのを初めて知った事を思い出しながら、そう力説した。
ティーゼの唐突な切り出しにも、ルイは素直に「ありがとう」と言って微笑んだ。しかし、ルチアーノが訝しむように赤い目を細めていた。
「陛下を口説いてどうするんですか」
「別に口説いてません、事実を口にしたまでです」
冷やかな魔界の宰相の指摘に対し、ティーゼは自信たっぷりに反論した。
「ですが、完璧すぎてマーガリー嬢に警戒されている気がしました。ちなみに、好きだと伝わるようなアプローチは、ドレスを贈る他に何をされているんですか? 口説き文句とか、あったりします?」
「花を贈ったり、ネックレスやブローチはプレゼントしたけれど、……言葉ではアピールしていなかったかもしれない」
「え、言葉にしていないんですか? つまり、告白も何もしていない?」
ティーゼはてっきり、褒め言葉もすらすらと口に出来るルイが、必要以上に愛を語ってマーガリー嬢に警戒されている、と推測していただけに意外に思った。
「だって、緊張してしまうんだよ」
「緊張、ですか……」
一番程遠い位置にいそうだが、恥じらうルイを見る限り恋愛には初心そうだ。
ティーゼは、モテる幼馴染を思い起こし、比較して考えてみる事で、彼に何かアドバイス出来ないかと思案してみた。
「うーん、こんな良い声をしているのですから、女性なら、ストレートに愛情を伝えられればぐっと来るかと思われます。そうですよ、マーガリー嬢も恋愛には疎そうなので、ガンガン攻めていかないと伝わらないと思います!」
「え、僕の声が?」
「はい、恐ろしいぐらい良い声です。マーガリー嬢は、ルイさんの気持ちに気付いていないから不審がっているだけで、嫌いな男性のタイプではないと感じました」
ルイが「そうなの?」とルチアーノへ視線を向けると、彼も「一理ありますね」と淡々と述べた。
「陛下は、何においても完璧です。美貌もお声も魔界一ですので、ご安心ください。私としては、コレが陛下の声を聞き続けて平気なのが不思議でなりません。女児ですら陛下に傾倒するというのに」
そこで、ルチアーノが露骨に残念そうな吐息をこぼした。
「ちょっと、ルチアーノさん。聞き捨てなりませんよ。大人な私を、子供と一緒にしないで下さいませんか」
「子供と一緒にしているのではなく、女性であるという性別を疑っているのです」
「だから尚悪い!」
畜生この嫌味宰相めッ、さらさらの銀髪なんて禿げてしまえ!
悔しがるティーゼの向かいで、しばらく呆けていたルイが「すごいなぁ」と口にした。
「ティーゼの事、恋の師匠と呼びたいぐらいだよ。すごく頼りになる」
「やめて下さい。高い確率で、あなたのファンと部下に殺されてしま――げふんげふん、一般論ですよ。身近に女性を次々に虜にするような美男子がいるので、それをモデルに考えました」
英雄となった彼は、そう考えると良い見本だった。貴族として女性を疎かにしない対応は完璧であり、町で聞いた噂によると、やはり優しいところが人気を集めているらしい。
しかし、ティーゼとしては理解し難い事がある。
彼と実際に関わった事がなく、遠目で見ただけの女性からの人気も圧倒的だった。例えば、マーガリー嬢のように疑って掛かったり、彼に対して警戒するような女性を、ティーゼは一人として見た事がなかった。
「彼のすごいところは、全ての女性が一目で惚れていく感じ、ですかね。噂なので確証はありませんが、結婚したいという女性のみならず、愛人の一人になりたいと望む女性も後を絶たないとか」
「すごい人だねぇ」
「陛下、感心している場合ではありませんよ。あなたも同じ立場にいる事をお忘れなく」
素早く指摘したルチアーノが、クッキーを食べるティーゼを見やって「ふむ」と顎に手をやった。
「全ての女性に、という評価に値する人間といえば、噂の『英雄』が思い浮かびますが」
「まさに彼です。その……幼馴染の友人なんですよ」
ティーゼは一瞬、幼馴染と断言して良いのか躊躇した。事件のせいで続いている縁じゃないと断言出来ない部分もあるが、気軽に幼馴染であると口にして、あまり近い距離間でいない方がいいと、最近は周りから助言されていた。
異性が二人きりというのは、どうやら醜聞になる事が多いらしい。貴族である年頃の彼が、自分の家を訪ねている事に関して、彼に悪い噂が立たないかも心配している。
もしかしたら例の事件のせいで、ティーゼを気にかけているかもしれない人だ。
それでも、気軽に話せる知人、と口にするのを想像するだけで悲しい気持ちがして出来ない。
男の子だと勘違いされていた時代から懐いてくれて、両親を亡くしたティーゼを励まして、一人の寂しさを紛らわせるように出来るだけ家に通ってそばにいてくれた。離れるのが寂しいと感じるぐらい、彼はティーゼにとって大事な友人だった。
「ティーゼはすごいね、僕なんてまだ会えてもいないのに」
ルイの声が聞こえて、ティーゼは思案を打ち切って目を瞬かせた。
一瞬、誰に会えていないという事なのだろうか、とすぐに理解する事が出来なかった。
「あの……、お会い出来てないんですか?」
「今回の討伐に関して、魔族は参加していないからね。ほら、魔力を解放した僕らを見ても、人間側には敵か味方かの違いが難しいじゃない? もしもの場合は、僕達も力を貸すつもりでいたんだけど、人間だけであっさり勝っちゃったみたいだから喜ばしいよ」
あれ、妙だぞ、とティーゼは首を捻った。
「えぇと、ルイさんは、祝典の時は城にいらっしゃったんですよね? 確か、魔王と国王と英雄と姫様が揃っていたから、すごく盛り上がったと聞きましたが……」
ティーゼは、パレードで幼馴染の無事は確認したものの、城の方までは行かなかった。英雄が城に到着し、国達の挨拶が始まった時は、既に酒屋のどんちゃん騒ぎに加わっていたためスピーチも全部は聞けていない。
城では王族と英雄、そして今回の働きに携わった魔法使いや剣士などが揃い、そこには勿論、魔王の姿もあったと噂で聞いている。昼食会も開かれたというぐらいだから、魔王と英雄は、しばらく同じ空間にいたはずなのだ。
「祝典には参加したんだけど、英雄がどこにいるのか分からなくて」
ルイは残念そうに微笑んだが、ティーゼは、思わず片頬を引き攣らせていた。
国民の前で、国王が英雄を紹介する場面は、絶対にあったと思われる。しかし、そのタイミングでルイ本人が、他の何かに気を取られていた可能性が脳裏を過ぎった。
ティーゼは会ってまで少ししか経っていなかったが、目の前にいる呑気な魔王が、英雄の姿に気付かなかった場面が容易に想像出来て、上手い返し言葉がすぐに思いつかなかった。
「えぇと、あのですね、ルイさん。例の英雄ですが、多分、すごく近くに居合わせてはいると思うんですよ」
「そうなの? ルチアーノは、英雄を見た事はある?」
「……何度か、お顔は拝見した事があります」
魔王の優秀な部下は、うまく言葉を濁した。
やはり祝典で言葉は交わさなかったものの、同じ場所に居合わせていたのだろう。真面目に考えると疲労感が込み上げて、ティーゼは淑女らしかぬ頬杖をつくと、クッキーを口に放り込んで無心で咀嚼した。
「なるほど。陛下に対して免疫があるのは、英雄を近くで見ていたせいですか」
しばらく思案していたルチアーノが、相変わらず私情の読めない冷ややかな目をティーゼへと向けた。
「そういえば、あなたのファミリーネームは『エルマ』ですか?」
「そうだけど。え、何それ気持ち悪――」
「甚だしい勘違いです。リーバス侯爵家の英雄クリストファーには、平民の幼馴染があると聞いていたものですから」
「噂になっているんですか!?」
ティーゼが慌てて問い掛けると、ルチアーノは僅かに眉を寄せた。
「何か都合の悪い事実でも?」
「いや、その、悪い噂じゃなければいいなぁと思っただけでして……。ん? もしかしてあれか。交友関係が広いから、それで私の名前もチラリと上がっていたとか、そういう感じですか?」
「そのようなものです」
「なぁんだ」
ティーゼは、思わず胸を撫で下ろした。年頃の貴族男性にとって、不利になるような噂でも立っていたら早急に手を考えなければならないところだ。
英雄である幼馴染の名前は、クリストファーといった。
彼は、平民であるティーゼの友人達にも、愛称の『クリス』を呼ばせるほど心の広い男だ。
他の少年達は大人になるに従って、早々にクリストファーと呼ぶようになった。ティーゼも、愛称呼びが親しい間柄だけだと教えられてからは、『クリス』とは呼ばないよう気を付けている。
「クリストファーは、昔、遊んでいた私達の中に飛び入り参加して来た男の子だったんです。女性に対する礼儀意識が強すぎるせいで、今もよく家に来ていると言いますか……」
「貴族でなくとも、傷跡一つで嫁のもらい手がなくなる事も少なからずありますから」
「庶民は半々だと思いますけどね。そんなには大きくなかったんですけど、結構ざっくり切れちゃいましたから、それでびっくりしていた感じではありました」
自然と声を掛けられたティーゼは、流されるまま答えた直後、ふと我に返った。
こいつ、今なんて言った?
ぎこちなくルチアーノを見れば、彼は涼しい顔で紅茶カップを持ち上げていた。そばで話しを聞いていたルイが、少し驚いたようにこちらを見つめている。
「ティーゼ、怪我したの?」
「いやいやいやッ、昔の話しですよ。今は寒くなっても痛みませんし、痕だって目立たないんです」
ティーゼは慌ててそう答えたが、優しい魔王が、ますます心配そうに目を細めた。
「人間の女性で髪が短いのも珍しいよね。男の子みたいな恰好をしているのも、怪我と関係があったりするの?」
「しないですッ、全然ないです! 私は昔からこんな感じでした!」
「綺麗な髪なのに勿体ないよ。まるで精霊が舞っているみたいに柔らかそうで、つい触ってみたくなるよ。ねぇ、ルチアーノ?」
「陛下、その無自覚な色気をマーガリー嬢に向けて下さい」
ルチアーノがまともな指摘したが、ルイは、実際にティーゼの髪を触って感触を確かめ始めてしまい、聞いていなかった。
ティーゼの髪が想像通りの柔かさであると満足した後、ルイは、マーガリー嬢への想いがどれほどのものなのか語り始めた。それは口を挟むタイミングが見付けられない饒舌さで続き、ティーゼは、堪らずルチアーノへ助けを求めた。
それから数十分ほどの時間が過ぎるまで、ルチアーノは、当然のようにティーゼの視線を無視した。
「陛下。想いを手紙にしたためてみるという手もあります」
ルイが同じ話題を繰り返し語り始めた頃、ルチアーノがそう提案した。
口で言えないのなら、紙に文字を起こすのは名案だと思えた。ティーゼは問題解決を察し、相談役は撤退の頃合いだろうと考えて、「じゃあ、私はそろそろ帰りますね」と言い掛けたのだが、ルイが台詞をかぶせるようにこう告げた。
「それは良いね。女性の意見も聞けるし、早速書いてみようか。ね、ティーゼ」
魔界一と謳われる魔王ルイの、麗しい美貌に微笑まれて、ティーゼは断るタイミングを完全に失ってしまった。