五章 獅子令嬢と町の花娘(4)下
こちらの良心をピンポイントで抉って来るルイの視線から逃れたティーゼは、困惑しつつも、唐突に現れた中年騎士の前に一歩進み出た。
すると、男が若干怯えるように肩を強張らせて、不自然なぐらい急に静かになった。
「あの、失礼ですが、どちら様で……?」
「え。ぁ、俺、いえ私はッ、国境騎士団第三師団長のクラバート・サガリと申しますッ」
「はぁ。それで、クラバートさんは一体どんなご用――」
「ひぃぃいいい!? 頼みますから名前で呼ばないで下さいッ、せめて『団長』でお願いします! オーブリーと同じ消し炭になるのは勘弁願いたいのです!」
……この人、さっきから何を言っているんだろうか。というか、オーブリーって、誰……?
何故名前で呼んではいけないのだろうかと疑問を覚えたが、今にも死にそうな顔で勢い良く懇願されしまい、ティーゼは「分かりました」と答えた。クラバートの顔に安堵の笑顔が広がった。目尻の薄い小皺が柔和な形を刻み、愛想の良さが窺えた。
「いやぁ、間近で拝見するのは初めてですが、男の恰好をされていても可愛らしいとは」
「何言ってんの? というか『英雄』ってクリス――クリストファーの事ですよね? ちゃんと話はして、さっき帰って行きましたよ?」
とりあえずそう教えると、途端にクラバートが「嘘だろッ」と目を剥いた。
「英雄が来てたの!? 彼、王宮騎士団の第一師団の騎士で、こっちには一度も来た事ないのに!?」
「なんか、剣で飛んで来た、とか…………?」
よくは分からないけれど、とティーゼが続けると、クラバートの顔に悟ったような乾いた笑みが浮かんだ。どこか心当たりのあるようなその表情を見て、ティーゼは彼が、クリストファーについては第三者以上には知っているらしいと察した。
恐らくクラバートは、王宮務めだった頃があるのかもしれない。クリストファーと同じ勤め先だという騎士を、ティーゼは、店先やギルドでかなり見掛けていたから、そう推測する事が出来た。
とはいえ、ティーゼとしては、クラバートの低姿勢な言葉遣いには違和感を覚えていた。
「あの、団長さん? 私はただの平民ですし、もう少し楽な口調でもいいですよ?」
「……すみません、古傷が疼くので出来ません」
クラバートはそう言い、ぎこちなく視線をそらし腹のあたりに手をやった。
彼の過去に一体何があったのか、ティーゼは猛烈に気になったが、その時、しばらく様子を見ていたルチアーノが前に割り込んで来て、クラバートと向き合った。
「団長さんが直接いらっしゃるとは、珍しいですね。何か急ぎの用事でも?」
「あぁ、宰相様ですか。いえね、うちの部下が気になる事をしれっと言い残してくれたものですから、こうして慌てて駆け付けた次第ですが……うん。平和が保たれているようで何よりです」
危うく崩れかけましたがね、とルチアーノは誰にも聞こえないよう口の中で呟くと、クラバートを見据えたまま、後ろに押しやったティーゼを指した。
「コレが言ったように、英雄なら急ぎ王都に戻られましたよ。私にとって面白そうな話であれば、あなたの過去に何があったのか是非とも聞いてみたいものですが」
「ははは、勘弁して下さい、宰相様。あなたの好奇心を楽しませるような不幸ネタは、王都を出る時に封印して来たんですよ」
困ったように眉尻を下げ、クラバートは、ティーゼの時よりも緊張を解いた様子で答えた。
ティーゼは、後方にいたルイを肩越しに見やり「知り合いなんですか?」とこっそり尋ねた。ルイが「そうだよ」と答えながら、笑顔で肯いた。
「町の治安を守ってくれているから自然と付き合いも増えるし、顔を会わせれば話すくらいには交流もあるよ。人間にしては、魔族並みにお酒も強くてね。数日に一回は、近くの居酒屋で一緒に飲んだりするよ」
「……それ、すごく仲が良いって言いませんか?」
ルイ達とは、一日と少しの付き合いしかないティーゼと比べると、クラバートは、圧倒的に友人の名に相応しい立場にあるような気がする。友達なのではないですか、と尋ねたい気もしたが、本人を前に「友人とは違うよ」と大人の付き合いを主張されたら困るので、黙っていた。
不安事がなくなったらしいクラバートが、ルチアーノに親しみのある苦笑を見せたところで、彼がふと疑問を覚えたような顔をティーゼへ向けた。
「ところで、なぜ魔王様達と一緒にいらっしゃるのですか?」
「えぇと、ルイさん達とは友達になりまして、マーガリーさんの件に協力していると言いますか……」
「ああ、魔王様は、うちのマーガリーにぞっこんですからね。俺も、酒のたびに相談を持ちかけられます」
露骨に知られているんだなぁ、とティーゼは心の中でぼやいた。
クラバートが、どこか真面目な顔で少し思案するように視線を彷徨わせた。彼は数秒ほど宙を見つめていたが、「……まぁマーガリーは女性だし、相手は魔王様と『氷の宰相』様だし……あいつも殺すような事はないだろう」と自身を納得させるような声色でそう呟いた。
え、誰か死んじゃうの?
それは凄く物騒だ。そうティーゼの顔色が変化した事に気付いて、クラバートが慌てて「違うんですよッ」と取り繕った。
「別に怖い事なんて何もありませんから、どうか落ち着いて下さい。可愛い子に青い顔されるのは苦手ですし、不安にさせたとあったら俺が殺され――ごほっ。とにかく、怖い事なんてなぁんにもありませんから!」
「私は可愛くもなんともないんですけど……物騒な事でも起こるのかと、びっくりしちゃって」
「そ、そんな訳ないじゃないですか。いやだなぁ、あははははは…………」
なんだ、ただの取り越し不安だったらしいと、ティーゼは安堵の息を吐いた。
クラバートの様子から事情を察したルチアーノが、呆れたような眼差しをティーゼの横顔に向けた。それから、彼は諦めたように吐息をこぼすと、クラバートへ視線を戻した。
「陛下がマーガリー嬢を舞踏会に誘い、先程承諾を頂けました」
「ようやくですか。うちは常に暇ですから、空きが出ても全然問題ないですよ。彼女には、俺みたいに婚期を逃されても困りますから、うまい事やっちゃって下さい」
その時、向こうの通りから「団長~!」と緊急を知らせるような声が上がった。クラバートが声のする方へ顔を向けて「なんだろう」と不思議そうに首を捻った。
こちらに駆けて向かって来るのは、二十歳そこそこといった若い風貌の騎士だった。その青年は、ルイとルチアーノを見ると緊張したように顔を強張らせたが、ティーゼに気付くと目を見開いて「まさかの絵姿と同じ顔!?」と驚愕の叫びを上げた。
待って、絵姿って何。そんなものを描かれた覚えはないんだが。
ティーゼが訝しげに首を傾げると、若い騎士は「ッ人違いでしたすみません!」と慌てたように取り繕い、クラバートへ向き直った。
「ベルドレイク総隊長から緊急の魔法通信が入りまして、至急、団長からの連絡が欲しいと申しておりますッ」
「珍しいな? ベルドレイクのおっさん、何の用なんだろうな。もしかしてマーガリーの件か? 確か、すごく可愛がっていたもんな」
「それはこれから伝えるから、別件じゃないかな」
ルイが、のんびりと間延びするように口を挟んだ。
魔法通信というのは、魔力機器に映像と音声を繋げ、遠くの距離にいる人間と会話を可能とする装置だ。設置するには国の認可が必要となっており、通信を可能とする魔力構築には手間がかかるので、国家が指定する施設以外にはない。
しばし考えていたクラバートが、「ひとまず戻るか」と呟き、肩越しにルイを振り返った。
「魔王様、祝いの舞踏会は今週いっぱいなので、早々に予定を入れた方が良いですよ」
クラバートが、協力が必要ならおっしゃって下さい、と伝えるように笑った。ルイが「ありがとう。明日か明後日に予定を入れてもらおうとは思っているよ」と微笑を返した。
部下と共に踵を返したクラバートが、「そう言えば」と足を止めて、再びティーゼを見やった。
「あなた様は、いつお帰りに?」
「まぁ少し観光でもして、明日の列車では帰ろうかと思っています」
また急にクリストファーに来られても困るし、終わったら帰って来るんだよねと念も押されたので、早々に戻ろうとは考えいた。トラウマ的な心配症になっている幼馴染からの自立計画については、一旦戻ってから仕切り直す予定でいる。
旅に出る下準備として、ひとまず先に、店を締めている今週を使って、ギルドのパーティーを作る予定は立てていた。
混雑していない今のうちにギルドで募集広告を探し、なければ作る予定だが、パーティーメンバーはどれぐらいで固まってくれるのだろうか、とティーゼは唐突に疑問を覚えた。出来れば早いうちにパーティーを作って、少しずつ遠征の距離を伸ばして行きたいとは思う。
町の騎士は情報通が多いので、ティーゼは、クラバートにちらりと相談してみた。
すると、途端にクラバートとその部下の表情が凍りついた。数秒ほど硬直したクラバートが、「え。……ギルド・パーティーの『相方』を募るんですか?」と震える声で言い、恐る恐る口に手をやる。
「ずっとソロで回っていたんですけど、長距離の旅だと一人は寂しそうだし、パーティーを組んだ方が楽しいそうだと思ったんです。長く一緒にいられる、気の合うメンバーと出会えればいいなとは思いますけど」
相性の問題もあるだろうし、長距離の旅に関しては、圧倒的に女性が少ない傾向にあるとは聞いていた。女性というだけで戦力外と考える男も多く、十六歳で、これといって目立つ実績も残していないティーゼが募集したとしても、人が集まってくれる保証はないだろう。
稼ぐよりも旅事態を楽しむ者もいると聞くので、ティーゼは、そういったメンバーを期待していた。
「出来るだけ早くパーティーを組みたいんですけど、アドバイスはありますか?」
すると、クラバートが「おぅ……」と、よく分からない声をもらした。彼は若干後ずさりし、ゴクリ、と喉仏を上下させた。
「い、急がない方が良いと思いますよ、うん。おじさんも元は流れ者だったのでギルド経験はありますけど、その、女の子の方は大抵、永久就職になっちゃうと言いますか……」
「ずっとギルド務めの人っていないと聞きましたけど、永久就職なんてあるんですか?」
「簡単に申しますと手篭にされ――おっほんッ。とにかく、幼馴染様が心配されますから、決して、決して先走らないようお願いします! 世界とギルドの平和のためにも!」
ティーゼは「大袈裟だなぁ」と笑っておいたが、クラバートは「とにかく幼馴染様に一度、相談されてから動くようにお願いしますッ」と再三念を押して、部下と共に来た道を戻っていった。
※※※
クラバートを見送ってすぐ、ルイが、ティーゼを見降ろしこう言った。
「僕はこれから、舞踏会の参加について連絡は取っておこうと思うけど――ティーゼ、本当にもう行っちゃうの?」
「はい。これから宿を探して、少し散策して、夜は居酒屋でたっぷり飲みます!」
「食べる事しか頭にないのですか。そもそも、あなたがお酒を飲めるとは意外です」
すぐにルチアーノが嫌味を口にしたが、ティーゼは、ふっと余裕な吐息をこぼした。
「見た目で判断しないで頂きたいですね。私、こう見えても飲み比べでは近所のおじさんを上回るんですよ。時間と胃が許す限り、食べて飲みます!」
しばし思案したルチアーノが、「少々お待ちいただけますか」と言い、ルイと共に屋敷に戻ってすぐ、一枚の紙切れを持って戻って来た。そこには町に唯一ある食堂と、宿泊施設、そして夜に一軒だけ開いている大衆向けの居酒屋の名と場所が書き記されてあった。
なんだかんだで、面倒見が良いところもあるらしい。
ティーゼは、少しばかりルチアーノを見直した。解放された喜びの方が勝ってもいた事もあり、素直に礼を告げて、軽い足取りでようやく魔王の別荘を後にしたのだった。




