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書斎にて

 昼下がり。暖かな陽光が窓から差し込む書斎。

 壁の一面に設置された本棚には、所狭しと蔵書が並べられている。全体として、木材本来の落ち着いた茶色で構成された、良くも悪くも飾り気のない部屋だった。見栄っ張りの貴族が好むようなやたらと派手な調度品は一切置かれておらず、部屋の主が虚飾を嫌う性質であることが見て取れる。

 窓際に立ち、メリルは外に広がる景色に目を向けていた。


「そろそろ到着する頃です。やはり、気に掛かりますか?」


 その声は、部屋の一角に佇んでいた老年の執事のものだ。

 「ああ」と返事をして、メリルは小さく息を吐く。

 

「きっと、狂犬殿は怒るだろうな」


 その顔には一抹の憂鬱。それを察してか、老執事はどこか躊躇いがちに言葉を掛ける。


「お嬢様は間違っておりません。アキカゲ様にもご理解いただけることでしょう」


「だといいが……いや、そうでなくては困る」


 メリルは鋭く目を細める。そこには、ある種の覚悟が秘められていた。くるりと老執事の方へ向き直る。


「なあ、マーロンよ。あの男に賭けた私の判断は正しかったと思うか?」


 マーロンと呼ばれた老執事は「ふむ」と顎に手を当て考え込む。

 ややあって、老執事は結論を出した。


「間違ってはいないかと。お嬢様の、人を見る目は確かなものでございます故」


 その返事がお気に召さなかったのか、女主人は呆れたような目つきで老執事を見やる。


「嬉しくはあるが、それは(あるじ)を持ち上げる執事としての言葉だろう。お前自身が狂犬殿をどう思っているかを聞かせてほしい」


「……これは失礼致しました」


 あたかも失態を恥じるかのように、老執事は一礼した。


「僭越ながら申し上げますと、未だに恐ろしくて仕方がありません。私がお嬢様の立場にございましたら、あの御仁に賭けようとは決して考えますまい」


「お前程の者が、『恐ろしい』か」


「はい」


 憚ることなく、老執事は断言してみせた。

 先々代の頃から、腹心としてメイヤー伯爵家を支え続けてきた執事。それがマーロンという男だった。

 統治者としてあまりに若すぎたメリルも、彼にどれだけ助けられてきたかわからない。

 そんな老練の男をして、アキカゲは畏怖の対象であるという。


「つまらぬ男なりに、しぶとく生き永らえて参りました。ですが、あれほど暗く濁った眼を見たのは少し……覚えがありません」


 そこで、老執事がハッと慌てる様子を見せる。


「おおっと、痴呆が始まったわけでもありませんぞ。このマーロン、まだまだ現役を退くつもりは毛頭ございませぬ」


 大げさな身振り手振りを用いて主張する老人の姿には、どこか愛嬌があった。


「そんな心配はしてないさ」


 冗談ともつかぬ老執事の言動を受け、メリルは苦笑した。

 コホンと咳払いを入れ、老執事は続ける。


「この三ヶ月、私が見てきたアキカゲ様は良識ある人物でした。そこに偽りはないでしょう。それでも、あの御方の、エリーゼ様の命運を託すには不安が残るのです」


「そうか」


 肯定も否定もしない。メリルは再び窓の外へと視線をやった。


「実を言うとな、マーロン……私もお前と同じだ」


「同じ、ですか?」


「ああ。狂犬殿のことを心底怖いと思っていた」


 意外か、驚きか、老執事が眉を寄せる。


「ならば、何故彼を――」


「放っておけなかったんだ」


 微笑むメリルの言葉は、優しい響きを帯びていた。


「他の理由をいくら挙げようと、多分後付けにしかならない。この男を放っておいてはいけないと、そう思ったんだ……ある意味で、魅かれていたのかもしれないな」


 主人の告白に、老執事は困った顔をする。


「陰のある男がお好みでございましたか」


 ややあって、口に出せたのはそんな冗談。

 

「さてな。自分で自分がわからないよ。色恋沙汰には少々疎くてね」


「少々、でございますか?」


「……うるさい」


 思わぬ口撃に、メリルはばつの悪そうな顔をする。

 このマーロンという男、虫も殺さぬような穏やかな表情で毒を吐いてくる食わせ者だった。

 「そんなことはどうでもいいんだ」と、無理やり話を切り替える。


「この三ヶ月、私なりにいろいろと働きかけてみて、わかってしまった。私では、あれは救えない(・・・・)


 自嘲の笑みがメリルの顔に浮かぶ。拾われた恩を感じている故か、いつだってアキカゲは従順だった。それでも、彼女に対してアキカゲが心を開いてくれたことは決してない。この屋敷にいる全ての者に対しても同様だろう、そういう確信が彼女にはあった。


「だから、私は狂犬殿に賭けてみようと思った。幸い、影はあっても裏はない男だしな」


「前後がつながっていないようにも思えます」


 老執事が率直な言葉を投げかけるも、メリルにそれを気にする様子はない。


「私では救えないのなら、救えそうな人物に巡り会わせてやればいいという話さ……些か、口惜しいがな」


 自らの器不足を認めるようで――その言葉は、喉の奥に引っ込めた。曲がりなりにも一領主として、どうにも女々しいと思ってしまったが故に。


「とは言え、まずは目の前の危機を乗り越えてもらわないといけない」


「彼は紛れもなく強者ですが……はてさて、どうなりますことやら」


 老執事が徐に顎のひげを撫でる。


「ここで躓くようでは話にならんさ。いずれは、世界の悪意と向き合うことになるのだから」


 メリルの瞳は、どこまでも遠くの景色を見据えていた。

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