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〈暁影〉と〈宵闇〉

 五十を優に超える屍により埋め尽くされた荒野を風が吹き抜ける。

 巻き上げられた赤茶色の砂塵の中、陰気な男が鬱陶(うっとう)し気に目を細めた。

 群青色の装束の上に腰鎧、手足にそれぞれ手甲と脚絆(きゃはん)を帯びただけの簡素な出で立ち。握る太刀の先からは鮮血が滴り落ち、その刀身は陽光の下、さらなる血を欲しているかのように妖しく鈍い輝きを放っていた。

 返り血でしなだれた黒髪をくしゃりと()き、男が濁った眼で虚空を見据える。


「無意味な死だ。辻斬りに()って死ぬ方が幾分か救いがある」


 呆れを含んだ声で男が独り言つと、男の視線の先にある空間が暗く歪んでいく。

 (ひず)みの中から人影が現れる。その正体は、死臭漂う荒地には全くそぐわない、黒の盛装に身を包んだ美女だった。


「異郷の者か」


 輝きすぎるほどに輝く金の長髪に薄褐色の肌は、東方の扶桑(ふそう)国ではまずお目に掛かれない代物。燃えるような紅玉の瞳が男の姿を捉えていた。艶めかしい唇が開かれる。


「無意味ではなかった。少なくとも、我にとってはそれなりに退屈せぬ一幕であったよ」


 女が残忍な笑みを浮かべる。その視線がぐるりと荒地を見渡した後、再び男へと向けられた。


「しかし、雇った破落戸(ごろつき)風情では手傷一つ負わせることすら叶わぬか。流石――」


 何か言い終える寸前、女の胸元に太刀の切っ先が触れた。男が瞬時に彼我(ひが)の距離を詰めてみせたことに女は感嘆の息を漏らす。


「御託はいい。目的を話した後、俺の目が届かぬところへ消えてくれ」


「でりかしぃのない男よな」


 刃を突きつけられても尚、女の笑みが消えることはない。それが気に食わず、男は小さく舌打ちをした。

 

戯事(たわごと)は程々にしてくれると助かる。あまり気の長い方ではなくてな」

 

「くふっ、くふふ……くはははは!」


 笑いを抑えるように女は口元に手を当てる。しかし(こら)えきれず、やがて哄笑(こうしょう)するに至った。

 女の奇行に、男は心底不快そうに眉を顰めた。


「いったい何がそんなに可笑しい?」


「何を我慢しておる? 何を躊躇しておる? さっさと殺してしまえばよいではないか。今更屍が一つ増えたところで何も変わりはせぬ。何故そうしない?」


 男の顔色にわずかな動揺が表れたのを女は見逃さなかった。悪魔染みた半月の笑みを口元にたたえる。


「貴様に」


 振り絞るような声。


「貴様に何がわかる」


 悄然(しょうぜん)とした様子で男は呟いた。


「これはまた、だいぶ摩耗してしまったものよな」


 女の(すべ)らかな手がゆっくりと太刀へ伸びていき、紅く染まった刀身を握り締める。凝固を始めた血の上に、真新しい血が上塗りされていく。


「何がわかると聞いたな? ……それなりに理解しているつもりだよ。紅蓮の二つ名で称されるお主のことは」


「どこぞの阿呆(あほう)が呼んだか知らぬが、そう呼ばれているらしい」


 どうでもいいとばかりに男は吐き捨てた。

 〈紅蓮〉のアキカゲ。一度戦場に現れれば、超絶的な剣技で仇名す者たちを斬り捨て、血の雨を降らす剣鬼。

 血塗られた大地、積み立てられた屍。その上で、血の紅に染まる武士に対する畏怖。〈紅蓮〉の二つ名はそこに由来していた。


「義に厚く情の深い善良な武人、その奥底には修羅が宿っていた」


 息を呑む音。アキカゲの目は驚きに見開かれていた。

 女の紅き瞳が爛々と燃え盛り、血塗られた武人の濁った眼を覗き込む。


「善き人間で在りたいのに、その身に流れる修羅の血がそれを否定する」


 女の独白が続く。


「修羅は闘争の中でしか生きられぬ。刃で肉を抉る感触が、流れる血の美しさが嫌いになれないのだろう?」


 蠱惑(こわく)的なまでに熱を帯びた女の弁が響く。そのまま掴んだ刃を自らの胸へと突き立てた。刃が肉の奥へ奥へと侵入するに従い、新鮮な血が止めどなく流れ出す。

 アキカゲは呆気に取られ、ただその様を眺めていた。


「そんな自分を嫌悪し、ならばせめてと、()き人間に仕え、その刃になろうとしたのだろう? 暴れ狂う修羅に免罪符を与えるために」


 アキカゲは心臓を掴まれたような感覚を覚える。

 これ以上女の言葉を聞いてはいけない。そんな直感があるのに、動けずにいた。


「なんとも哀れで健気なことよな。とても、先ほど笑みを浮かべながら人を斬っていた男の発想とは思えぬ」


「……っ!」


 我に返ったアキカゲは太刀の柄を握る手を思い切り引いた。大した抵抗もなく、刃が女の身体から引き抜かれる。(せき)を切ったように血が溢れ出すが、すぐに傷口が塞がっていき、やがて血が止まった。

 女の表情に哀れみが宿る。


「だが、最早それも叶わぬ。お主の敬愛していた主君は――」


「止めろ、化生(けしょう)


 低く硬質な声が女の言葉を遮る。濁った眼の奥で静かに憤怒の炎が燃えていた。


「それ以上を口にされては、貴様を殺さずにはいられん」


 自身に言い聞かせるように呟くと、微笑ましいものを見るような目をして女は苦笑してみせた。


「お主の(さが)ほど、ままならぬものもない。だからこそ面白くあるのだが」


 嬉々とした女を前に呆れ返ったアキカゲは、刀を鞘に納め、(きびす)を返す。これ以上、この(かん)に障る女と関わって自らの内を掻き回されたくはなかった。


「大陸へ行くがよい」


 背後からの女の言葉にアキカゲは足を止めた。振り返ることはせず、次の言葉を待つ。


「その西方に位置するアレス公国。そこでお主の望みはきっと叶うであろうよ」


 予言めいた言葉を不可解に思いつつも、それを世迷言と切り捨てられなかった。

 女の言葉には訳のわからぬ魔力が宿っているように感じられたのだ。

 

「貴様は何者だ」


 思考もまとまらぬ故、単純な疑問をぶつけた。


「〈宵闇(よいやみ)の魔女〉リリス。人間観察が趣味のれでぃよ」


「良い趣味をしている。脳みそが腐っているのだろうな」


「よく言われるのう。耳にたこができてしまうわ」


 アキカゲの皮肉を飄々(ひょうひょう)と受け流して、魔女は呵呵(かか)と笑い、自分の耳を指で軽く弾いてみせる。

 次いで、はっと何かを思い出したように手を打った。

 

「最初の問いに答えておらなんだな」


 魔女が自身の目的について話を切り出す。


「この世には人智を越えた存在がおる。万物を灰に還す炎龍、神をも喰い殺すとされる狼、死と再生を繰り返し悠久の刻を生きる不死鳥……挙げていけばきりがない。この国にもかつて八つ首の大蛇なんぞがおったかの」


 アキカゲにも思い当たる節はいくつでもある。魔女が言及した八つ首の大蛇は、伝説的な存在として語り継がれている怪物。実在したかどうかについて確定的な論はないが、魔女の語りは明らかにその実在を想定しているものだった。


「そこまで強大な存在でなくとも、人間の手に余るような怪物などそれこそいくらでもおる」


「要領を得ぬ。結局、何が言いたい?」


「幼子でもあるまいし。我が全て話し終えた後、お主自身で考えるがよい」


 アキカゲの苛立ちには取り合わず、魔女の話が続く。


「それでも、この世界の盟主として振る舞っているのは人間に他ならぬ。世界から見ればあまりに矮小(わいしょう)に過ぎる存在であるにも関わらず、あらゆる生物を押しのけ繁栄するに至った」


 その話はアキカゲの興味を引いた。

 確かに人間という生物は単位として見た場合、あまりに脆弱な存在だった。単独で怪物と渡り合ってみせる英傑も少なくはないが、平均してみれば魔女の言う通りあまりに矮小な存在であることは疑いようもない。


「無論、人間という生物が、この地上で最も個体数の多い知覚種であること。それが最大の要因であるのは確か。だが、それだけではない」


 魔女の口調には、確信めいたものがあった。


「人間は勇者にも悪魔にもなれる。人の勇気が、狂気が導く境地があるのじゃ。その大いなる可能性に我は期待しておる」


「……やはり、わからん」


 素っ気なく答える。魔女の真意をアキカゲは掴みかねていた。


「お主は強い。豪傑どもが覇を競い合う扶桑国においても指折りの猛者であろうよ」


「それは光栄だ」


 この上ない賛辞に対して、アキカゲはどこか冷めた反応を見せる。そこには傲慢の色も謙遜の姿勢もない。

 幾多の戦場を駆け抜けた経験から、ただ純然たる事実として、己の強さが人並み外れているという自覚があったが(ゆえ)に。


「だが、まだだ、まだまだ足りぬ。お主は更なる高みへ至ることができる」


「知った風な口を利くのだな」


「くふふ、女の勘というのもなかなか莫迦(ばか)にできぬものよ」


 魔女が笑いを噛み殺す。


「舞台は整えてやる。その先に何を見出すかはお主次第……願わくば、我の命に届く刃と為らんことを」


「何?」


 不審な呟きに思わず振り返るも、魔女の姿はすでに消えてしまっていた。

 そこに残るのは、小さな(ひず)み。その真下に小袋が落ちていた。


餞別(せんべつ)にくれてやる。先立つものは必要だからの』


 姿の見えない魔女の声だけが世界に響く。


『ああ、そうそう。大陸にてお主の望みが叶うとは言ったが』


「待て、まだ話は――」


 呼び止めるアキカゲに構わず魔女は続きを言い放った。


『それでお主が救われるかは、また別の問題であるぞ』


 その言葉を最後に、歪みは完全に消失した。

 アキカゲは残された小袋を拾い上げ、袋の口を縛る紐を緩めて中身を見る。入っていたのは、金銀銅貨。そして手の中に丁度収まるほどの宝珠(ほうじゅ)。内部では深い蒼が海の波のように揺らめいている。玲瓏(れいろう)たる宝珠に一瞬目を奪われるも、小さく息を吐き、袋の口を閉じた。


「望みは叶う、か」


 荒野に独り佇み、北西の空を見上げる。そちらはアレス公国が存在する大陸がある方角。

 諦観(ていかん)を帯びた笑みを浮かべながら、自然とアキカゲは歩みを進めていた。


「最早、この国に(とど)まる未練もなし。魔性のものに化かされてみるも一興か」


 何かに期待しているわけではない。だが、目的と呼べるものができるのならば悪くはない。少なくとも、このまま祖国で腐り果てていくよりかは遥かにましだろう。

 ふと、足元に転がる屍に視線が移る。破落戸と呼ばれていたこと、粗末に過ぎる装備から、山賊あたりだろうかと襲撃者たちの素性を推測。

 アキカゲにしてみれば、降りかかる火の粉を払ったに過ぎない。それでも胸中に去来する虚しさを振り払うことはできなかった。


「俺にだけは関わるべきではなかった」


 自嘲めいた愚痴が口を()いて出る。それも詮無きことか、と思い至り、首を振って頭を切り替える。

 歩み去って行くアキカゲの顔に寂寥(せきりょう)の風が冷たく吹き付けた。

 

 

 荒地の一幕はこれにて終わり、屍臭に釣られてやってきた獣どもによる屍の後始末が始まる。

 

 運命の歯車は誰も気づかぬほど(かす)かに、それでも確かに回り始めた。

 そしてこの数ヶ月後、歯車は加速する。

 運命の行方は誰にも……少なくとも、アキカゲにはわからない。

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