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アパートから徒歩十分くらいで葦原さんの職場の幼稚園に着いた。そして、ようやく葦原さんが保育士なのだという実感がわいてくる。
「花柳幼稚園……。まんまですね」
「いいじゃない。わかりやすいのが一番よ」
花柳市にあるから花柳幼稚園。こういうのって、一番乗りが勝手に名乗れるものなのだろうか。次からは、ここより南方にあれば花柳南幼稚園、北方にあれば花柳北幼稚園とかにせざるを得ないのだろうか。
あえて奇をてらって花柳エンジェル幼稚園とかにすることも考慮し、地域住民に受け入れられる名前を探し出さなければならないのだとしたら大変なことだろう……。
まぁ、どうでもいいんだけど。
「こっちよ。せっかくだからお茶でも飲んできなさい」
「どうも」
葦原さんに連れられて職員室らしき部屋に通される。
通園時間はまだなのか、園児の影は見えない。職員室には先生方らしき人が数人。やはりというか、若い男の姿はない。
「荷物はここに置いて。あそこで待ってて」
「はい」
「あら、悠理ちゃん。その人は?」
書類整理をしていた年配の女性と目が会う。
とりあえず軽く会釈をして葦原さんからの紹介を待つことにする。
「あぁ、これはアパートの前で捕まえたカモです。例の欠員の補充にと」
「は?」
葦原さんが何を言いだしたのか全くわからないが、薄々と嵌められたのだと感じる。
なんだかピュアな心を弄ばれたような気がして、急に全身の力が抜け、ソファーに崩れるように座り込んだ。
まぁ、のこのこついてきた俺が悪いんですけどね。
「はいお茶。煎餅もいる?」
「いや、それよりカモってなんですか?」
「あぁ……君、大学生よね? 来週の土曜日って暇?」
「……まぁ、暇ですが」
「じゃあ決まりね。来週の土曜日に先生たちで劇をやるんだけど、園長先生が怪我で入院しちゃって人が足りないのよ。だから君が代わりにこの猿の着ぐるみ着て出てね」
むちゃくちゃ勝手な理由だった。既に葦原さんの中では決定事項になっている。
こちらの返事を待たずに、持ってきた紙袋から着ぐるみを出して俺に合わせてくるのは、聞く耳持たないという意思表示だろうか。
それでも俺は拒否権を発動させてみる。
「嫌です」
「今度キンピラゴボウ作ってあげるから」
「やります」
……あれ? また了承の返事をしてしまった。
結局、男は目の前に広がるロマンには勝てないのかもしれない。
「思った通り、ぴったりサイズ。園長先生と背丈が似ててよかったわ」
「ださいなぁ……。この着ぐるみ、葦原さんが作ったんですか?」
「そんなわけないでしょ。ほつれてたところを直しただけよ」
よかった。これで葦原さんの手作りだとしたらセンスを疑うところだった。
もっとふんわりとしていて、かぶり物付きの着ぐるみならよかったのに、コイツは全身タイツ並にボディラインにフィットしそうで本当に格好悪い。
特に顔が出るタイプだというのがやる気を急速に奪っていく。
「で、葦原さんはなんの役?」
「亀」
「……おしいっ」
「なにがよ」
「イメージ的にはワニ……」
「失礼よ。ビックリするくらい失礼」
葦原さんは着ぐるみの腕を掴むと、それでポカポカと叩いてくる。
ちょっと可愛い。
「楽しそうね、悠理ちゃん。まさか、悠理ちゃんの恋人?」
「違いますよ木野(きの)さん。そんなわけないじゃないですか」
「………」
笑顔で否定されてしまった。
とても悲しい。
まぁ、完全に事実である以上どうしようもないのだが、せめてもう少しくらい照れたり焦ったりしてもらいたかった。
「えー……こちら、隣に住んでる五代遥君。この度は来週の劇の猿役を快く引き受けてくれましたので、皆さんよろしくお願いします」
「おー」
改めて葦原さんが紹介すると、他の職員たちが拍手で歓迎してくれた。
さすが幼稚園の先生だけあって、皆優しそうでホッとする。……というか、葦原さん一人が美人すぎて怖い。
「はい、これ台本ね。今日中に読んでおいて」
「急にそんなこと、俺に出来ますかね?」
「大丈夫。こんなものは子供だましよ。なんとかなるわ」
もう色々とアレだなこの人。
きっと、なんだかんだで行き遅れるタイプだろう。職場的にも早期決着を望んだ方がいいかもしれない。まぁ、そんなこと言ったらまた失礼だのなんだのと言われるので黙っておくが。
「……さてと。そろそろ園児が来て忙しくなるけど、のんびりしてていいわよ」
「あ、いや……帰ります。眠くなってきましたし」
「そういえば徹夜とか言ってたわね。じゃあ、またね。……あ、月曜に拉致しに行くから覚悟しときなさい」
とても嫌な言葉なのに、ちょっとドキドキワクワクしている自分が憎い。これは葦原さんに甘い期待をしていいのだろうか。
……いや、期待するだけ後が悲しくなるだけか。