5-3
結局、花柳百貨店に着く頃には十一時を回っていた。
十三時の回を見るとして、それまでの時間をどうしよう。近くにいるかもしれないウラを探してみようか。
といっても休日のデパート、人が多すぎて目立つウラといえど見つかりそうにない。ここは突然振り向いて逃げ損ねたウラを捕まえる作戦でいこう。
そうと決まれば早速振り向いてみる。
「……ちっ」
さすがに三度目はないかもしれないな。
ウラと出会ってから俺は、ずっとあいつに振り回されてきた気がする。それでも悪い気はしなかったし、ウラも楽しんでくれているならそれでいいとさえ思える。
つまりは惚れた方が負けというやつだ。
こんな命に関わる状況に追いやられてもウラのことを恨めない。
時間の流れが違うせいでウラが独りぼっちだというのなら、俺の命が尽きるまであいつの友達でいたいと願う。だから俺はこんな副作用なんかに負けるわけにはいかない。
葦原さんのおかげで立ち向かう勇気が出た。
つみれを助けたことに間違いはないと確信した。
あとは俺と世界の勝負だ。
元々、恐ろしく都合のいい奇跡さえ起こせる代物だ。世界に勝てると信じていれば、本当に勝てるような気がしてくる。もちろん、つみれの件で俺は人生の大半の運を使い果たしただろうから、運良く奇跡がいい方へ向かうとは思わない。
俺は俺の意志で奇跡をこの手に掴むしかない。
「……ってことで、まずは腹ごしらえかな」
だが、一人でデパートのレストランには入りづらい。屋上の売店で適当に買うとしよう。ヒーローショーまで、あと一時間以上あるが、早めにステージ近くで待機しているのも悪くはない。
常識だろうが、小さい子たちを差し置いて前の方の席を占拠したりはしないよ。
屋上へ出るとたくさんの家族連れで賑わっている広場がある。遊園地と言える程の豪華さはないが、コインで動く小さな遊具とヒーローショーでなんとか活気を保っている感じだ。
今日は風が少し強い。
無数の幟が風に煽られてはためいていた。
こういったデパートの屋上は、近頃本当に減ってきているようだ。それでも花柳百貨店は古き良き屋上広場を今に残している。
見た目が相当ボロ臭く見えるのもご愛敬というものだ。
よく見るとフェンスの一部がぐらついている。風があるにしても、あれはちょっと危険な揺れ方だ。近寄らない方がいい。
「……さて、飯はどれにしよう……ん?」
「あ、猿のにーちゃんだ」
「おー、ユウスケ。つーか、猿はやめてくれ。五代遥だ」
売店の近くでユウスケ一家とばったり遭遇する。
ご両親も俺のことを覚えてくれていたようで、俺が挨拶をすると笑顔で返してくれた。
「にーちゃんもカイアスト見に来たの?」
「もちろん。そうだ、今朝のカイアスト見たか?」
「見たよ。カイアスト格好よかったっ!」
「格好よかったな。久しぶりにキャストスラッシュを見た気がする。でも、それよりさ。今日の見所はなんといってもカーリーのドレスが風に揺られて太ももが露わになったとこ……すまん、ちょっと早すぎた話題だったな」
「ん?」
ユウスケがなんのことかわからずポカーンとしているのはともかく、お母さんが冷ややかな目を向けてくるのはちょっと辛い。
その後ろでお父さんがグッとサムズアップをしてくれたのが唯一の救いだ。いつの日か藤沢陽子の太ももについて語り明かしたい。
「んじゃ、またあとでな」
「うん。またね」
お母さんの機嫌が悪くならないうちに退散することにする。
それに、ヒーローショーが始まる前に昼食を済ませておきたい。
一通り売店を見て回って、結局ホットドッグとソフトドリンクという安易なところに落ち着いた。空席を見つけてもしゃもしゃとホットドッグを食べる。
一人でレストランも辛いが、これも結構辛い。
周りがほぼ家族連れということもあって、無性に寂しさが込み上げてくる。
「ウラに会いたい……」
今どこにいるのだろう。もしも俺の近くにいるのなら、姿を現してくれてもいいじゃないか。
僅かな期待を持って辺りを見回してみるがウラの姿はない。やはり副作用から生き残るしかウラに会える術はないのだろうか。
「……あれ?」
今、ユウスケが一人で歩いていたような気がする。
慌てて視線を戻してみると、やはりユウスケは一人だった。しかも、あの妙に揺れていたフェンスに興味を持っているようで、ガシャガシャとフェンスを揺すっていた。
嫌な予感がする。
背筋をぬるりとしたものが這いずり回っているような気持ちの悪さ。これから起きることが最悪の事態を招くと予感させる。
これが第六感というやつなのかはわからないが、俺は思わず立ち上がっていた。それとほぼ同時くらいにフェンスの一部が外れて大きく外側へと広がった。
「つっ!?」
ユウスケが面白がってさらにフェンスを揺らす。
慌てて俺は走り出すが、距離がある上に椅子やテーブルが邪魔して上手く進めない。そうしている間にもフェンスはどんどん外れ、もはや半分以上が屋上からはみ出していた。
広場の隅の方だからか、誰一人気づく者はいない。
両親ですらどこにいるか見当たらなかった。
「くそっ、間に合えっ!」
俺があと数メートルというところまできた瞬間、完全にフェンスが外れてユウスケごと外側へ倒れ込む。
ユウスケの体は殆どビルからはみ出しているという状況。ヤバすぎる。
「っぉぉぉぉっ!」
ユウスケが宙に放り出されるギリギリのところでなんとか体を掴み、こちら側に引き寄せることが出来た。ユウスケは何が起きたのかわかっておらず、キョトンとしている。
「……き、奇跡だ。なんとか間に合っ……て?」
一瞬の油断だった。
掴んですぐに内側に倒れ込めばよかったのに、ビルの縁で立ち尽くしてしまった。
気がついたら俺はユウスケと一緒に重心がビルの外側にあった。
時間が恐ろしくゆっくりに感じる。
同時に抗うことも出来ずに体が何もない空間に引き込まれる。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
命綱のないバンジージャンプ。ブレーキのないフリーフォール。
その先には死という言葉しか浮かんでこない。真下が生け垣でも、この高さからでは助かるはずもない。
……これが副作用の効果だろうか。
デパートの屋上から落ちるなんてこと、どう考えてもありえない。俺一人ならまだしも、ユウスケまで副作用に巻き込むなんてことは絶対に許さない。
世界よ……ふざけるな。
こんな結末、俺は認めない。
せめてユウスケだけでも助けなければ、俺は死んでも死にきれない。
キセキの種に願う。
俺をもう一度だけ英雄にしてくれ。
この命はくれてやる。だからユウスケを助けるだけの力を……奇跡をっ!
「……っ!」
風が吹いた。今日一番大きな風が。
その風は広告の垂れ幕を大きく膨らませ、俺の目の前に導く。
左腕にユウスケを抱え込み、必死で右手を伸ばす。そして俺はキセキが与えてくれた最後のチャンスを掴み取った。
落下のエネルギーを右腕で受け止めながらも、垂れ幕を離さないように握り締める。どうにか耐えきり、俺とユウスケの体は地上から十メートルもないくらいで静止した。
「たっ、助かった……。大丈夫か、ユウスケ」
「うん」
「これに懲りたらもうフェンスで遊ぶなよ」
「……うん」
しかし、こんなことが起きた以上はヒーローショーは中止だろうか。見たかったのに……。
いや、それよりこれはどうやって降りたらいいのだろうか。
「……あれ?」
またもや宙を舞っているような感覚に襲われる。
落下の衝撃と俺たちの体重に耐えきれなかったのか、再び垂れ幕ごと落ちていた。
どうしても世界は俺をデパートの屋上から落としたいらしい。
俺はユウスケを抱え込んで衝撃に備える。このまま背中から落ちればユウスケは助かるかもしれない。
半ば達観したような気持ちで天を仰ぐ。
……空が綺麗だ。
ふと、デパートの屋上を見る。
外れたフェンスの所からウラの姿が見えたような気がした。
最期にウラを見れただけで、俺の心はとても落ち着いて死を受け入れる。
これでユウスケが助かればもう言うことはない……。