4-1
日曜の朝の静寂は不躾なチャイムによって破られた。
今週のカイアストを三度見て、もう一眠りしようかというタイミングでの来客。許すまじ。
ウラはチャイムなんて押さないだろうし、例え葦原さんだったとしても一言文句を言ってやりたい。そう思って覗き穴で確認もせずにドアを開ける。
「おはようです、先輩」
「……新聞も宗教も間に合ってます。じゃ」
とりあえずそのままドアを閉めてみる。
途端にチャイムが嵐のように鳴り響いた。近所迷惑すぎるので仕方なくもう一度ドアを開ける。
「ちょっと酷すぎじゃないですか?」
「だって変な人が部屋の前にいたら閉めるだろう、普通」
「変な人って……鏡でも置いてありました?」
「ぐっ……。やるな、お主」
「よし、勝った」
敗因は自分を変な人だと認めてしまったことだ。つみれが変な子であるというのは紛れもない事実だが、俺もまた変な人にカテゴライズされてしまうだろう。そこを逆手にとられてしまった。
悔しいので後でやり返してやろう。
「……で、なんでいるの?」
「また来るって言ったじゃないですか。忘れちゃったんですか?」
「いや、普通は事前に連絡してくるよね。この前もそうだったけど、俺がいない可能性とか考えないの?」
「現にいるじゃないですか。そもそも先輩が休日にどっか行くとは思えませんし」
「ぬおぉぉぉ。凄まじく馬鹿にされてる感じがするっ」
まぁ、どこかに行こうなんてこれっぽっちも考えなかったけどさ。
それでも後輩に行動パターンが筒抜けって悲しいよな。それがつみれだと尚更腹立たしい感じがする。
「そういえば、ちゃんとグラタン食べました?」
「おお、食べたよ。……いやぁ、美味かった。本当に美味かった。つみれがやれば出来る子だと見直したよ」
「え、なんですかそれ。この前は微妙とか言ってたくせに」
「あれから俺の手料理に対する基準が変わったんだよ。下には下がいるというか、おまえが意外とまともだったというか……」
「なんか凄く不本意な褒められ方なんですが」
おまえにも葦原さんの料理を食べさせてあげたい。
間違いなく自分に自信が持てるだろう。もっとも、アレを食べて自分の味覚を見失わなければの話だが。
「それはそうと、先輩。今から出られます?」
「無理だな。今から寝るし」
「出られますよね?」
「嫌です」
「……後輩に対する優しさとか思い遣りとか愛はないんですか?」
「そんなのは卒業した時に母校へ置いてきたよ」
「じゃあ、私に対する優しさとか思い遣りとか愛は?」
「あったかどうかすら思い出せないな」
「むー……ってことは、私の一方通行な想いだったんですね」
「え?」
途端につみれが今にも涙を浮かべそうな顔になった。
今の言葉で傷つけてしまったのだろうか。こんな冗談を言い合える仲だと思っていたのに、何かよくわからないものが崩れていくような錯覚に囚われる。
一方通行な想いって……つみれが、俺を……?
「……ドキッとしました?」
「は?」
「その顔はドキッとしましたね。こんな手に引っ掛かるなんて、先輩もまだまだ若いですね」
いつの間にか泣きそうだったつみれの表情が、ニヤニヤしたイヤらしい感じの笑みへと変わっていた。思考が追いつかず、その笑みが自分を馬鹿にしたものだと気づくのに数秒かかる。
「なにこれ、嵌められたの?」
「純情ですね、先輩っ」
「ぎゃあぁぁぁぁ。恥ずかしすぎるっ!」
なんて青臭いことをしてしまったんだ俺は。思春期まっただ中の中学生か。
つみれに対する悔しさよりも、自分への恥ずかしさが圧倒的に脳内を支配する。夜な夜な枕に顔を埋めてジタバタしてしまう恥ずかしさだ。こういうことに限ってなかなか忘れられないというのに……。
「これで二連勝ですので、罰として言うこと聞いてくださいよ」
「……はい」
「じゃあ、出掛けましょう。さっさと準備してください」
「出掛けてなにすんの?」
「デートですよ、デート。若い男女なら当然の行為です」
もう騙されないよ、俺は。今後は全てスルーすると心に決めたからな。
そんなわけで、つみれに連行されて花柳市の中心に近いショッピングモールにやって来た。
休日ということもあって、家族連れやカップルの姿が目立つ。
どいつもこいつも揃って日曜日に外出しやがって。大人しくカイアストを見て過ごすのが正しい日曜の在り方だろうが。
「先輩は買いたいものとかあります?」
「いや、来週発売するアイゼルネスフォームのソフビ人形までは買い物の予定はない」
「……また特撮ですか。どんだけ好きなんですか」
「幼稚園児のカイアストごっこにベルト持って乱入するくらいかな」
「キモすぎですね」
酷い。そんなはっきりと言わなくてもいいじゃないか。
これでも傷つきやすい心を持ったピュアッピュ……じゃなくて、純粋無垢な少年……じゃなくて、青年なのだから。
「……先輩、変な人がいます」
「それは大変だな。目を合わせると後悔することになるぞ」
「経験からの言葉ですか?」
「ああ。変なものを売りつけられた」
「ストーカーっぽい人ではなく?」
「それもあったな」
「髪の色は赤ですか?」
「よくわかったな。エスパーか」
「……じゃあ、その人は知り合いですか」
「え?」
つみれが俺の後ろの方を指さす。
まさかと思い、勢いよく振り返ってみるとサッと身を引く赤い陰が見える。
「きゃうっ」
「うわっ」
勢い余って通行人にぶつかっていた。迷惑すぎる。
「……おまえはろくな登場の仕方しないな、ウラ」
「痛い。頭ぶつけた」
「自業自得だ」
「先輩、こんな綺麗な人と知り合いだったんですか?」
「見ればわかると思うが、中身は変人だぞ」
「おまえの方がよっぽど変。おまえといると私が普通になる」
「いや、さすがにそれはないだろ」
鬼の末裔たるウラより変だと言われたら、俺は人の域を超えた変人だということになってしまう。俺は自身をそこまで変だという認識はない。
「その子はおまえの恋人?」
「ちっげーうよ。つみれはただの後輩さね」
「美味しそうな名前」
「すみれです。日高すみれ」
「私はウラ。今は遥のご主人様」
「そんな設定は初めて聞いたぞ。あれか? まだペットの話を引きずってるのか?」
「いずれそうなる」
なりたくない。絶対になりたくない。
今この瞬間にも色々とヤバイ妄想が脳内を駆け巡っているが、それを現実のものにするには人としての大切な何かを全て捨て去ることになる。
そして二度と戻ってこれなくなるだろう。誰か助けて。
「っていうか先輩、一体どうしたんですか?」
「なにが?」
「やたら先輩の側に綺麗な人がいるんですけど」
「え、それっておまえも入ってるの?」
「つっ……!?」
やった。先程の仕返しをしてやったぞ。
つみれの悔しそうな顔を見ていると、なんだか清々しい気分になってくる。復讐というのも案外悪くない気がするな。
「まぁあれだ。人生に三度あるというモテ期というやつが到来したんだろうな」
「え、それって私も入ってるんですか?」
「ぬおぉぉぉ。やられたっ」
こんなすぐにカウンターを返されるとは。
今日のつみれは恐ろしいほど冴えているな。復讐をすると結局自分に痛みが返ってくるということなのだろうか。
「なぁ、遥」
「ん?」
「それって、私も入ってるのか?」
「……あれ?」
「うわ、だっさ」
つみれも違ってウラも違う。葦原さんにもうざいと言われた記憶がある。もしかして、モテ期はこれっぽっちも来ていなかったりするのか?
人生に三度あるというモテ期というやつは、自分の勘違いや都合のいい妄想が重なり合ったもので、結局モテないやつは一生モテ期など存在しないということなのか?
……いや、そんなことは信じない。
モテ期は来る。絶対に来る。そう思わなければ生きていけないことだってあるのだ。
ロマンが諦めたらただの空想になってしまうように、希望は自ら捨てた時に絶望へと変わるのだから。