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「……で、俺のこと許してくれたの?」
「いまさらその質問? さっきまでの話の流れで、おまえを嫌ってないってわかるのに」
「じゃあなんであんな別れ方して、その後ずっと会ってくれなかったんだよ。むちゃくちゃ不安だったんだぞ」
「おまえがどこまで本気なのか見たかった」
「判定は?」
「面白い馬鹿」
散々な評価だった。ここは見所があるやつというニュアンス込みで納得すべきだろうか。
男として見られていないような気もするが、今後の展開に期待してみよう。
「しばらくはおまえで遊んであげる。光栄に思え」
「でってなんだ。嫌な予感しかしないぞ」
「私の人生の中にあまりギブアンドテイクという言葉はない。だから、私がおまえを一方的に弄ぶ」
嬉嬉としてそんなことを言ってくるウラに、俺は逃げ出したい気持ちで一杯になる。
やはり惚れる相手を間違えてしまったのは間違いないようだ。
というか、こいつの存在自体が卑怯すぎる。反則なまでに可愛いくせに、中身は小悪魔で先祖は鬼。
人に超常の力を渡して自分は高みの見物。タチが悪いにも程がある。
「……なんか、おまえカーリーみたいだな」
「あの黒い人?」
「そう。要をカイアストとして目覚めさせたくせに、彼女が何者なのか目的がなんなのか、サッパリわかんないんだよ。そんなところがおまえそっくり」
「とても心外。私の目的は非常に明確」
「なによ」
「私が楽しい人生を送ること」
一瞬、意識がどこか銀河の彼方まで飛ばされてしまったような感覚に襲われた。あまりにも単純で最悪な理由に、もはや批判の言葉も出てこない。
世界のどこかにこいつを叱ってくれる人がいることを切に願う。
「そういえば、姉がいるとか言ってたよね。どんな人?」
「お姉様は私より自由奔放な人。気に入った人を自分の奴隷にするのが趣味」
「……鬼だな。まさに鬼。姉妹揃って鬼か」
「えへへへ。そんなに褒めてもなにも出ない」
「褒めてないよ。その感覚はおかしいよ」
屈託のない笑顔を見せるウラ。
あぁ……くっそ。むっちゃ可愛い。
普通ならこの笑顔を守れるような男になろうとか誓う場面だろうが、この状況で俺が考えるべきことは、この笑顔からどうやって自分の身を守るかということ。
これは間違いなく悪魔の笑み。魅入られたら最後、お婿に行けなくなるくらいの辱めを……。
……あれ、ちょっといいかも?
「ん? なんかイヤらしい顔。変なこと考えてる?」
「え、そんな顔に出てる?」
「妄想垂れ流しって感じ」
「……むっちゃ恥ずかしいな」
「また太もも?」
「いや、今回は首輪をつけられた状態でパンストとハイヒール装備で踏まれるというシチュエーションを想像してみたが、ちょっとおまえのキャラには合わないな」
「踏まれたいの?」
「あくまで想像の話な。実際にはマジで勘弁な」
「……ちぇ。せっかくギブアンドテイクな関係になると思ったのに」
「踏みたいの?」
「ペットにするって普通はそういう意味でしょ?」
「まぁ、一部の間ではそんな感じだな。……え、それ……マジなの?」
「私はいつでも本気」
変態だっ。変態がおる。
俺はちょろっとジョークで言ったのに、こいつはマジで言っている。
本当に俺を首輪でつないでハイヒールで踏む気だ。そういうのは想像するだけでお腹一杯だというに、俺に開けてはいけない扉を開けさせようとしている。
これは過去最高にヤバイ状況な気がするぞ。
「慣れればきっと楽しい」
「ひぃっ!」
逃げた。脇目も振らず全力でウラから遠ざかる。
ウラから逃げ切れないことなど端から承知だが、それでも逃げなければ自らアブノーマルな底なし沼に足を踏み入れそうだった。
さすがにそこまで未知の世界を体験する勇気はない。
一瞬、ボンデージ姿のウラを想像してしまったことはもう忘れよう。
せっかく会えたウラから逃げてしまったことを少し後悔しつつ、劇の練習の時間が迫っていたので花柳幼稚園と足を運ぶ。本番はもう明日に迫ってきているが、周りの人たちがのほほんとしているために、どうにも緊張しようがない。
園児が帰って閑散とした幼稚園。寂しげな遊具たちを眺めながら職員室へと向かう。
「ちわっす」
「あ、五代君。ほら、五代君にお客さん」
「え?」
葦原さんに促されるまま応接用のソファーへと目を向けると、赤い髪の少女が何食わぬ顔でお茶を啜っていた。
「……やぁ」
「ぎゃあぁあぁあぁ」
「ちょっと、五代君?」
職員室の入り口で頭を抱えて固まる俺を葦原さんは珍妙な動物を見るような目で見ていた。
もはや俺に安らぎはないのかと神様に文句を言いたくなる。行く先々に現れる奇天烈少女に人生を引っかき回されるビジョンしか浮かんでこない。
俺がウラに惚れてしまった瞬間に、平穏な生活というものとさよならしてしまったのかもしれない。
とても悲しい。
「一体どうしたのよ。会いたがってたんじゃないの?」
「それはもう過去の話です。今はアレから逃げていたところで……」
「はぁ?」
説明するのも面倒だ。というか、実はウラは変態でしたなんて説明したくない。
さすがに葦原さんもドン引きしちゃうだろうし。
「なかなか面白い反応。今日のところはこれで満足」
「あら、帰っちゃうの?」
「お茶美味しかった」
「そうだ、明日の十時からここで劇をやるから見に来たら? 五代君も出るし」
「……そうする」
そう言ってウラは楽しげな笑みを残して去っていく。
あれ、そういえばウラはこの近くに住んでいるのだろうか。こちらの行動は全て筒抜けなのに、俺はウラのこと全然知らないな。
反攻作戦の一環として、尾行でもしてみようか。
「改めて見ると恐ろしく可愛いわね、あの子。君みたいのがよく見つけたわ」
「いや、俺が見つかってしまった方で」
「……え?」
うっわ。なにそれありえない、みたいな顔された。
素の表情がクールなだけに懐疑の色がありありと伝わってくる。
とても悲しい。
「一体どこが琴線に触れたのかしら」
「俺、そんなダメですか?」
「うーん、私の好みとはちょっと違うわね」
「葦原さんの好みって、例えばどんな人ですか?」
「君がわかりそうなところで言うと……あ、水城慧が近いかな」
カイアストの円恭一郎役の水城慧か。
主役の不知火伊月と対照的な目つきの鋭いクールな二枚目系で、比較的高い年齢層から人気の俳優だ。葦原さん、好みが渋いな。
「……でも俺、ちょっと水城慧に似てません?」
「はぁ?」
「すみません」
むっちゃ睨まれた。やはり葦原さんの背後にワニが見える。
草食筆頭株のシマウマ系な俺は、水辺に近づいた瞬間にそのままパックリ食べられてしまいそうだ。確かワニは、自らの体を回転させて獲物を食いちぎるとか。怖すぎる……。
「……でも、まぁ……そうね。あえて水城慧に似てる所を挙げるとすれば、染色体の本数くらいかしら」
「いや、それは同じじゃないと人としてまずいですよね」
「ならそれ以上の接点はないわ」
「酷い」
葦原さんのこぼれる笑顔から冗談だとわかっているが、それでもちょっと切ない。
だが、よく考えてみれば美人のお姉さんにからかわれているというのは、かなり美味しい状況だと思えてくる。これは総合的に見てアリだということにしよう。
「悠理ちゃん、五代君。始めましょう」
「あ、はーい」
木野さんに呼ばれて劇の練習があったことを思い出す。
ウラが来るとなった以上、恥を掻かないようにしなければ……。
「彼女に格好いいとこ見せられるように頑張りましょ」
「あの着ぐるみの時点で格好いいとこは無理だと思います」
「……それもそうね」
否定されないというのは結構キツイものがあるな。