2-2
一度ウラを部屋から追い出し、一通りの身支度を調えてから部屋を出る。
玄関前で待っていたウラは酷く不機嫌で、俺を思いっきり睨んでくる。どうやら追い出されたことが気に食わないようだが、勝手に侵入している時点で文句を言われる筋合いはない。
「たかがシャワー程度で追い出すなんて不愉快。お風呂くらい一緒に入ってあげるのに」
「マジか。じゃあ、次回はよろしく」
「予想外の反応。ギリギリズムが信念じゃないの?」
「おまえはギリギリズムについて、なにも理解してないな。いいか、こういう諺がある。〝隠す必要のないお風呂場では無効!〟ってな」
「案外、奥が深い」
「そうだ。奥が深いんだよ、ロマンってものは」
……なんだろう。ちょっと楽しい。
自分でもありえないくらいキモイことを言っているのに、平然と返してくれるのはかなり新鮮だ。普通はこんなことを言っていたらドン引きされるのにな。
やはりこいつ自体が普通ではないので、なんでもアリなのだろう。
「でも、やりすぎは注意。この話題はもうやめよう」
「結構楽しいのに」
「……で、その男ってのはどこにいるの?」
「知らない」
「また怪しげな術ってやつか」
「そう。キセキを使えばすぐに見つかる」
キセキっていうのか。意外と安直なネーミングなんだな。
あ、だからこいつはキセキの種って名前なのか。
何故かあれから肌身離さず持っているのだが、こうして持っていると使いたくなくても思わず使ってしまいそうだ。それでも……どうしても捨てることが出来ないのは、奇跡が起こせるという言葉の魔力だろうか。
「とりあえず街中に行ってみる」
「わかった」
そんなわけで街中にやってきた。
花柳市は地方都市の中でも結構な賑わいを見せているので、この人混みの中から一人の人間を捜そうと思ってもそう見つかるものではない。ましてや、キセキの種を渡した男が花柳市に住んでいるかどうかすら知らないらしく、まさに砂場で米粒を捜し出すようなものだ。
だが、それを既にやられているわけで、俺はキセキの力を信じずにはいられなかった。
「あ……いた」
「はっや。つーか、なんかした? 意味わかんないんだけど」
「キセキを使った」
平然と言ってのけるが、こいつは今まで俺と雑談していただけだ。俺の身体が動かなくなったこともそうだが、そう手軽に奇跡的事象が起きてはなんのありがたみもない。
一体なんなのだろうか、キセキというのは……。
「ほら、あの痩せ気味のサラリーマン」
「どれ……」
ウラの視線の先を追っていくと、交差点で信号待ちをしているクタクタのスーツに身を包んだ痩身のさえない男がいた。歳は三十代半ばといったところか。どうしたことか全く生気が感じられず、濁った瞳で虚空を見つめている。
こんな男にキセキの種を与えて、ウラは何を望んでいるのだろう。
「なんであんな元気ないの?」
「リストラされたって言ってた」
「……あー。切ねぇ」
「キセキの種で一発逆転?」
「いや、アレは逆転を狙ってるような顔つきじゃないぞ」
きっと信じていないのだろう。
俺だって海堂のことがなければ信じれる気はしない。
だって、渡してきた人間が街角の占い師より怪しい赤髪赤眼の不思議美少女だからな。それがマッチ売りの少女の真似をして、奇跡はいりませんか、なんて危険度が高すぎる。
「信号変わっちったぞ。で、話しかけるのか?」
「尾行」
そう言って小走りで店先の看板に身を潜め、男との距離が開くとササッと移動して今度は街路樹の影に隠れる。
むちゃくちゃ怪しかった。
止めようかと思ったが、面白いので他人の振りをして二人を追いかける。結構人通りの多い場所なので、俺の尾行がばれることはないだろう。
尾行を始めてしばらくして、ようやく男が立ち止まった。ファミレスの前で立ち尽くし、時折中の様子を窺っている。そして大きくうなだれると、諦めたようにトボトボと歩き始めた。
次に立ち止まったのはコンビニの前だった。同じようにキョロキョロと中を窺い、また諦めたように歩き出す。その次は本屋。今度は立ち止まったものの、すぐにその場を離れた。
次は銀行だ。そして今までで一番長く考え込んでいる。財布の中を覗いたり、大きくため息をついたりと色々怪しい行動を取っているが、その側にもっと怪しい人間がいるので誰も男を気にしてはいなかった。
どうやら、どれだけターゲットに近づけるかに挑戦しているようで、時には人陰に隠れ、時には店先のマネキンと並び、ジリジリと距離を詰めていた。
最初からとも言えるが、完全に尾行者として失格だ。
ターゲットが自分のことで精一杯で周りが見えていないおかげで、ウラの尾行もどきは続いている。ウラがあと三メートルくらいまで近づいたところで、男は再び歩き出した。
慌ててウラは近くの恰幅のいいおっさんの陰に隠れる。アレで見つからないのは、きっとキセキを使っているからだと考えてしまう。
その後、男は一度も足を止めず街外れの寂れた公園のベンチに腰を下ろした。
まさにリストラされたサラリーマンの昼といった風で、俺まで悲しい気持ちになる。というか、今日が祝日だということにも気づいていなさそうだ。
「ふぅ……。なかなか大変なミッションだった」
「そんな大変でもなかったよ、俺は」
「まさか、尾行の天才?」
「おまえが壊滅的に下手なだけな」
「私は天才魔女なのに」
「意味がわからん」
男が公園に入った後、少し離れた場所でウラと合流した。
ここから男の姿は見えないので、こちらに気づかれることもないだろう。
「でさ、なんであの人にキセキの種を渡したの?」
「偶然街で見かけて気に入った」
「あのマッチ売りの少女の真似してか。よく受け取ったな」
「それは昨日だけ。昨日はそんな気分だった」
気分でやるには恥ずかしすぎるが、こいつに人並みの羞恥心があるとは思えない。
平気で男の部屋に入ってくるし、一緒に風呂に入ってくれると言うし。もう少し乙女の恥じらいってものがあった方がいいのに……。
「今日は名探偵な気分」
「……アレは尾行とは言わない」
「じゃあ、さっきまでの行動を推理してみる。ファミレスで食事をしようとしたけどお金がもったいなく、コンビニで済ませようとしたもののやはりもったいない。本なんて娯楽は以ての外で、銀行でお金を下ろそうとしたけど今後のことを考えるとそう簡単に下ろせない。……どう、素晴らしい名推理?」
「まぁ、他に考えようがないわな」
「驚きが足りない」
「そんなこと言われても驚きようがない」
ウラは拗ねたような表情で俺を見る。それがとても可愛らしくて、膨らんだ頬を両側から指で押したい衝動に駆られた。
やっても怒られはしないのだろうが、出会って二日目だということを考えると、俺のキャラクター的にあまりにもアクティブな行為なので気が引ける。
「なんか……思ったより退屈。もっと都合のいい希望を抱いてほしかった」
「本当に性格悪いよな、おまえ。なんでそんな捻くれちゃったの?」
「二百年も生きてれば自然とそうなる」
「友達とかいないのか?」
「……今、おまえを殺したいと思った。それ以上言葉を紡いだら殺す」
その瞬間、俺は全身が痺れるような恐怖を感じた。
これが殺気というやつなのだろうか。生まれて初めて感じる殺意にどう対処していいかわからず、ただ立ち尽くすしかなかった。
なにより殺意とは別にウラの瞳がとても悲しそうで、俺は後悔の念に駆られる。
「帰る」
「あっ……おいっ」
「死を恐れて黙るか不用意な発言をして死ぬか……選べ」
「……俺は、おまえが好きだ」
「で?」
「いや……それだけ」
決死の覚悟で言ったのにアッサリと返されてしまった。
とても悲しい。
「………」
しかもそのまま去られてしまった。
これは殺されなかったことを喜ぶべきか、軽く振られてしまったことを嘆くべきか……。
俺にはウラの悲しみも苦しみも何一つわからないから、せめて彼女の側にいたいと思ったのだが、独りよがりの余計なお世話なのだろうか。わからん……。