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今週のカイアストを一通り堪能すると、思い出したように空腹感が襲ってきた。これは、つみれグラタン程度では治まりそうにない。
少し高くつくが駅前のファーストフード店でがっつり食べることにしよう。ジャンクフードの王道、牛丼で有名なあのお店。一人暮らしの学生にとっては救いの天使。
大盛りでいくか定食でいくか悩みつつ駅前へ向かう。自転車で行こうと思ったが、あの辺はかなりの頻度で撤去されるので躊躇ってしまった。
花柳駅に近づくにつれ、目に見えて人通りが多くなる。
連休中の日曜だからだろうか、いつにも増して活気がある。
それに合わせるように、キャッチセールスやティッシュ配りの人口が多いのがちょっと目障りだ。出来るだけ目を合わせないように人混みの中を歩いていく。
彼らに声をかけられたり、ティッシュを差し出されたりしないように歩くのは、ちょっとしたゲーム感覚。
縦列して進むアリの中の一匹になったように周りと同化する。
「奇跡、奇跡はいりませんか?」
「……は?」
なにやら凄い台詞を聞いてしまった。
怪しい宗教か何かだろうかと思わず周囲を見渡してみると、赤い髪の女の子が籐の編み籠を手に何かを売ろうとしている。
高校生くらいの年頃だろうか。見た目は外に跳ねたショートヘアで、ゆったりとした上着にミニスカートとニーソックスという、まさに現代ファッションといった感じだ。
そしてなによりも美少女というのが目を引く。
だが、そのあまりにも異様な光景に、誰もが彼女の側を急いで通り過ぎる。
「奇跡はいりませんか?」
まるでマッチ売りの少女みたいに、行き交う人々に奇跡を売ろうとしている。というか、奇跡って売れるのだろうか。
「奇跡は……」
「げっ」
つい足を止めてしまい、その拍子に目が合ってしまった。
その瞬間、彼女の顔に笑みが浮かび、ゆっくりとこちらに歩いてきた。とても怖い。
慌ててその場を離れ、人混みの多い方を選んで逃げる。恐ろしくて振り返れなかったが、この人混みならうまく撒けただろう。
結局あれはなんだったのか。不思議だ……。
気がつくと、目的地だった牛丼屋から遠く離れた所にいた。駅前から随分と遠ざかってしまったため、急に人通りがなくなる。
引き返してあの女の子に会うもの嫌だし、別の店を探すとするか。
空腹を誤魔化すために自動販売機で飲み物を買おうと思い、財布から小銭を取り出す。
「およっ?」
空腹のせいか、小銭が上手く入らず落としてしまった。すぐに下を見て行方を追ったが、見失ってしまう。なにやら、嫌なことが重なって気が滅入ってくるな。
「……はい。落とした」
「あ、どう……もぉわっ!」
振り向くとあの赤い彼女がいた。笑顔がとても怖い。
そして俺に小銭を渡すと、何かを思い出したように口を開く。
「奇跡……いる?」
「ひぃっ!」
走った。わけもわからず、脇目も触れず、ただただ走る。とにかく彼女から離れようと、全力で走った。
どこをどう走ったかわからない。ひたすらまっすぐ走ったような気もするし、何度か曲がり角を曲がったような気もする。
とにかく長い間走っていたことだけは間違いない。
心臓は今にも壊れそうにバクバクと音を立て、呼吸もどうかしてしまいそうなほどに荒い。
こんなに走ったのは何時以来だろう。高校の頃はここまで夢中になって走ったことなんてなかった。
「はっ……はぁっ……はっ……」
徐々に速度を落ちしながら周囲を確認すると、見慣れない場所にいた。いたるところにスナックやクラブの看板が並んだネオン街。それらに光は灯っておらず、眠ったように静かだ。
真昼のネオン街というのはこうも寂れた場所なのか。
少し休めそうな所はないかと探してみると、すぐに小さな公園を見つけることが出来た。真っ先に水飲み場へ行き、失った分以上の水分をとり、どうにか落ち着いたところでベンチへと向かう。
今まで気づかなかったがその公園には先客がいたようだ。
赤い髪の、高校生くらいの、女の子……。
よく見ると瞳まで赤い。ウサギかこいつは。
「……やぁ。また会った」
「マジか……」
「なかなか面白いリアクション。気に入った」
ベンチに座ってぱたぱたと足を揺らしている姿は、なんてことないただの女子高生のように見えるが、今のこの状況は絶対に尋常ではない。
何故、彼女がここにいる? ずっと後をつけられていたのか?
だが、彼女は全く疲れた素振りはないし、なにより俺よりはやくここにいた。
ということは俺が彼女の元に来てしまったのか?
「一体、どうなってるんだ?」
「私からは、逃げられない。なにせ私は天才魔女」
「……は?」
「とりあえず自己紹介。私の名はウラ。今日の気分は、キセキ売りの少女」
「表は? 表はいるの?」
「お姉様はいるけど、オモテじゃない。それに、お父様から頂いたのはウラという音だけ。あえて漢字で書くなら温羅」
「そうなのか。残念」
……いや、そんなことよりちょっと前にとんでもないことを言っていなかったか? 変なボケをしている場合じゃない気がするぞ?
天才魔女? 本気か?
「おまえの名は?」
「へ?」
「名前」
「五代……遥」
「遥……。いい名前」
ウラと名乗るその少女はベンチから立つと、なにやら楽しそうにクルクルと回り出す。そして回転しながら俺のすぐ側まで来て、両足を揃えてピタリと止まった。
何がしたいんだろうか、こいつ。
「奇跡……いる?」
「またそれか。なんかの宗教?」
「全然違う。これは本物の奇跡。強く願えば例えどんな低い確率だとしても引き起こすことが出来る、魔法の種」
そう言って差し出してきたのは、よく星の砂とかいってお土産で売っているような小さな瓶に入った何かの種。
大きさはサクランボの種くらいだが、どことなくきらきらと輝いているように見える。
「ちなみに一つ五百円」
「安い奇跡だなぁ」
「買う?」
「買わない」
「買え」
「えっ?」
いきなり命令形になるとは思わなかった。
しかも妙に迫力のある、こちら側に拒否権はないといったような笑顔。何故俺はこんな目に遭っているのだろうか。
「どうしてそれを俺に?」
「目があった時に直感した。おまえは面白い奇跡を起こせる……と」
「起こせないよ。俺は普通の人間だ」
「なんら問題ない。これは、誰もが思うように奇跡を起こせる魔法の種。願うままに。どんなことでも」
「じゃあ俺じゃなくてもいいだろ」
「そう。誰でもいい。今日たまたま気に入ったのが、おまえだったというだけ」
つまり俺の運が悪かったのか。
とても悲しい。
「それに、おまえは私を見て本能的に逃げた。その危機感は素晴らしい」
「だってむちゃくちゃ怖かったし。ホラーかと思った」
「その感覚はおまえを救う……かもしれない」
「どういう意味?」
「まずは買え」
「えー。そこからかよ」
どう足掻いても買わざるを得ない雰囲気なので、渋々ウラに五百円を渡す。そして引き替えに怪しい種をもらうが、使い道がさっぱりわからない。
土に埋めればいいのだろうか。
「それは『キセキの種』といって、私が創り出した魔法のアイテム」
「魔法ねぇ……」
「使い方は、キセキの種を飲み込んですぐに願いを込める。すると種の中の術式が起動してありとあらゆる確率を変化させ、望んだ通りの結果をもたらす。それはまさに奇跡」
「これを、飲むのか……。嫌だな」
「そして注意しなければならないことがある。この奇跡は二度起こる」
「……いいんじゃないの?」
「二度目はランダムで発動する。……つまり、何が起きるかわからない。一つだけ確実に言えることは、ある日、突然、奇跡が起きる」
それがどんな意味なのか全く想像出来なかった。とりあえず、使わないことに越したことはないだろう。そもそも彼女の言っていることを信じる気にはならないので、これがどんな力を持っていても関係はない。
なにより目先の目標は、この怪しい少女とさっさと別れること。
全力で聞き流して早く終わらせよう。
「どう? 素晴らしい?」
「ああ」
「……信じてない」
バレバレだった。
ウラはとても悲しそうな顔をして俯いてしまった。
でも仕方ないだろう。いきなり魔法だの魔女だの言われても困る。
「まぁいい。種は好きな時に使え」
「使わなくてもいいんだろ?」
「……そう」
最後に気味の悪い笑みを残してウラは去っていく。
見た目は年頃の女の子なのに、どこか浮世離れした雰囲気があった。それに……心のどこかで、もしかしたら本当に彼女は魔女なのではないかと思っている自分がいる。
だが、それ以上に今心の底から思うことは一つだけ。
お腹空いた……。