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新緑の子守歌  作者: 岡田 暁生
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第一話 出発前

 第一話 出発前

  

 紅葉の頃合い、登山客でごった返す高尾駅は、八月の初旬とだけあって閑散としていた。六両編成の小淵沢行きが入線してきたのは、正午を少し過ぎた頃だった。東京へ向かう列車を待つ客はまばらにいたのに対し、下りホームに隆司以外の人影は無かった。

 隆司の旅の持ち合わせは、簡素な食事、本、鉛筆、メモ用紙、カメラだった。中でもカメラは、国産の最高級品であるため、ちょっとした自慢であった。大学合格の記念に買ってもらった物で、旅行の度に持ち歩き、既に数千の風景を記録していた。写真に興味を持ち始めたのは中学二年の頃で、漠然と父の趣味であった鉄道写真の展覧会に同行した時だった。プロから、アマチュアまで、様々な人が個展を開き、互いに批評し合っていた。

 「たかちゃんも、せっかくだから色々と見てみればいい。少しでも興味を惹いたものがあれば、それを目指して頑張りなさい」

どれほど背中を押されても、そもそも写真にあまり興味ないのだが、と思いつつ、様々な作品を鑑賞した。モチーフになっている車両のほとんどを把握していた隆司にとって、特段と感じることは無かった。

 「こんにちは。少し見て行ってください」

 鉄道写真を撮り続ける人たちの苦労は、父から散々聞かされていて、このように声を掛けられると、努力だけは称えなければという思いから、自ずと足が向かうのだが、それでも感想を聞かれると、考えた挙句、モチーフの車両、走行区間などについて説明することから初めて、

 「大変な苦労をなさったんですね。新たな表情を垣間見ることが出来て、記憶に残りそうです」

 と返した。

 十人ほどの個展ブースを後にして、新たに手招きする中年風の男性の姿を見かけた。勘弁してくれ、という思いが募っていた。

 「どうも、ありがとう。私は鉄道風景写真を専門に撮っています。最近の撮り鉄さんは、どうも車両をメインにしがちで、周りの風景を活かそうとしないんだよね。日本ほど、四季の移ろいを鮮やかに描ける国はないと思うんだ。僕は、各季節一枚ずつ選んで、展示してあるんだ」

 展示スペースに招かれた隆司の目の前には、本人の言う通り、四季の情景が綿密に織り込まれていた。

 春、微かに残る雪と、冬の終焉、新たな生き物の芽吹きを感じる頃合い。その象徴ともいえる一面の桜。東北線の気動車は、威勢の良い汽笛で散りゆく華に挨拶をする。

 夏、今日もまた海だ、とはしゃぐ子供たち。海岸線が続いているだけかと思うと、とぎれとぎれに山の情景。新緑を感じながら、踏みしめる登山道。トンネルを抜けると、再び広がる碧い世界。東海道線が駆け抜ける線路は、今日も富士山と共にある。

 秋、紅葉が見たいという娘に、ませたものだ、と呟く両親。本当は、単に旅行したいだけだった。久しぶりの家族旅行。日本人で良かった、と思える瞬間。勾配のきつい峠を駆けのぼる信越線。ほら、見て。もみじがいっぱい。

 冬、赤、緑、黄と変わっていく四季の終焉を表す色は何か。黒、それとも白。そうか、だから銀世界なんだ。漆黒に染まった日本海。ホームすら曖昧な無人駅。それでも、ほら、通学帰りの高校生が二人歩いている。一両編成の羽越線が過ぎ去った後、一面のゲレンデは静寂を取り戻す。さあ、雪合戦の始まりだ。

 帰り際、称賛の言葉を浴びせることはしなかった。ただ、一言、

 「僕もこういった写真を撮りたくなりました」と告げた。

 

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