悪役令嬢は鉄壁のアリバイを用意しているようです
「いきなり有無をいわさずお召し出しになるとはどのような御用でしょうか? いくら婚約した間柄とはいえ急すぎるわ。実家に不幸があって私が忙しいのはご存知でしょうに」
贅を凝らした小部屋に黒一色の装束をまとった少女――アデラが入室する。
金色に輝く縦ロールを揺らし優雅に一礼すると、すぐに招待主たる王子に毒舌を繰り出すのはいくら婚約者でもいかがなものだろうか。その不躾な行動に対し王子は渋面を作る。
もちろん王家の一員として教育されている彼が表情に出すのはそれ自体が一種のメッセージだ。臣下であればそれを読みとって彼が言葉に出さずとも望むように事態を進ませなければならない。
この場合であれば王子が発信しているメッセージは「アデラの無礼に機嫌を損ねているが、追求は後にしてさっさと話を済まそう」といった所か。
だがアデラはあからさまな王子の態度に気にも留めていないのか、棘のある口調で抗議を続けようとする。しかし彼女が文句を言うために開いた口は、王子に隠れるようにして可憐な少女が寄り添っているのを発見して引きつった。
「そ、それに付き添いも連れてきては駄目な内密の話をするには、いささか身分が釣り合わない方がいらっしゃるようですが」
王子と少女――バーサだけでなく書記官も同じ部屋いるのだが、どうやらアデラの目には入っていないようだ。
「黙れ! アデラ。今この場でお前との婚約は破棄する! この後はバーサが新たな婚約者として俺のことを支えてくれるから、憂いなく王家の婚約者としての責務から解き放たれるがいい」
吐き捨てるような王子の宣言にアデラはさっきより大きく頬を引きつらせた。
王子がやれやれと言いたげに彼女の歪んだ顔からそっと視線を背けると、そこではさっきまで緊張した面持ちだったバーサの唇がつり上がりかけていた。明らかに勝利の笑みを押し殺そうとしている表情だ。
庶民出身のバーサが王子の前で猫を被っているのは調査結果から彼も承知していた。だが、やはり素人でありまだ表情の取り繕い方が甘い。
もう少しポーカーフェイスを教育せねば上流社会では通用しないと、新たな婚約者への課題を見つけた王子はプライドが世界中のどの山よりも高い元婚約者の反応を待つ。
案の定アデラは、
「そ、そんな! どうして!?」
と語気荒く王子に問いただす。
「ふー、アデラがこれまでにバーサを影でイジメていたのは全部知っていた。だが、それだけならまだ王家と公爵家が関係を調整しながら話し合いを繰り返して、互いに笑顔でさよならができるような穏やかな別れ方になっただろう。だが、今度君がやった事は人間として許せない。階段から突き落とすなど一つ間違えればバーサは命を失っていたぞ! いくら身分差があるとはいえ人命を粗末にする者を王妃にはできるわけがない。公式に告発せず、我らだけしかいないこの場で話しを終わらせてやるのが最後の情けだ」
王子の判断には情だけではなく、公の場でアデラを糾弾し彼女の実家を完全に敵にするのはまずいという打算も含まれている。だからこそ王子は自分とアデラとバーサに書記官という公式の書類に残せる最少人数のこの場でさっさと婚約破棄を終わらせたいのだ。
もちろんアデラの実家である公爵家から抗議されるだろうが、ここでアデラに暴行――殺人未遂だとは彼女に精神的負担をかけて責める材料にするための大袈裟な誇張だ――の事実を彼女自身の口から認めさせてしまえば、それを交渉材料に公爵家からの圧力を跳ね返せる。
傀儡にされかねない公爵家の力を削ごうと信頼のおける密偵に極秘で調査を始めさせていたが、その必要もこれでなくなった。
この事件だけではない。
アデラが黒一色の喪服を着ていることから分かるように公爵家は先代の公爵がつい先日亡くなったばかりなのだ。当主を譲ったとはいえ国内外に辣腕を振るっていた妖怪爺がいなければ公爵家の政治力はぐっと下がる。
当然利用価値もそれに応じて下がるのだから切るにはいい機会だ。
身内の死のショックだけでなく葬儀の準備や引継ぎで忙しいのだから勝気なアデラも精神的に消耗していいるはず。婚約を秘密裏に破棄するという難しい交渉するにはいいタイミングだ。
「さあ、バーサへ階段から突き落とした謝罪をして婚約破棄をおとなしく受け入れろ。そうでなければ公爵家そのものが処罰の対象となる」
アデラの眉がひそめられた。彼女は気位が高いだけではなく、意外に身内への情が厚いと評判である。だからこそ情熱が空回りして今回の事件を引き起こしたのだろうと王子は推測していた。
だとしたら家族や領民をも自分の罪に巻き込むことは許容できないだろう。
アデラの実家は確かに力を持っている――いや王子の立場からすれば持ちすぎていた。これまで王子である自分が立場を固めるのと王位継承の敵となる者を排除するにはずいぶんと役に立ってもらった。だが、はっきりと王太子に叙せられてからはもうあまり意味がない。
ここからはミスさえなければ王位を彼が継ぐのは確定しているからだ。
ならば後ろ盾となる公爵家だが王子が腕を振るうのにむしろ邪魔になる。
ここまで力を貸してくれたのだからむげに扱おうとは思わないが、少しばかり表舞台から引っ込んでもらいたい。
その機会を伺っていたら先代公爵が亡くなったのだ。
これはもう王子にとっては神が「公爵家を排除して実権を手にしろ」と勧めているとしか思えなかった。
公爵家の人脈はもう利用し絞りきった、これからはその代わりとして最近台頭してきた「庶民派」を用いる予定だ。
既存の貴族と庶民派を両輪として王子の権威を固める。
既得権益層は公爵家のツテでもう王太子派へと引き込み済みだ。
庶民派はただ血筋が尊いというだけでむやみに反発するが、それだけに公爵家の娘を振って庶民層に絶大な人気を持つ少女バーサを王妃にすると発表するのはインパクトが大きい。貴族の位ではなく人物本位で評価する王子と思われるはずだ。
王子としてはバーサに好意を持ってはいるが、それより彼女と結婚することで民衆へアピールできるその利用価値にはもっと好意を抱いていた。
「……突き落とされたとおっしゃいますが、私はその日は学院を休んでいましたよ? 体調が悪く亡くなった祖父の離宮へ滞在してましたの。……そのかいもなく亡くなってしまいましたが、あそこからはどうしても学院まで一日かかります。彼女を突き落とすだなんて不可能ですわ」
ついにアデラが受けに回った。だがそれは王子の予想内の言い逃れである。
これまでアデラは身分を盾に高飛車に相手を責めれば良い場面ばかりだっただけに自分の失敗を誤魔化すのは不得手だ。ここからは一気呵成に攻めて落とす。
「おや、彼女が突き落とされたのがいつなのかよくご存じのようだ。いつ事件が起こったか私は口にしていないが」
「あ……そう! 噂で聞いたのです!」
ちっ、このぐらいの揺さぶりじゃ吐かないか。まあまだ攻撃材料はある。冷たい追求者の仮面を被った王子は表面に出さず舌なめずりをする。
「ほう、厳重に情報を封鎖していたはずだが誰が君に洩らしたのか興味深いな。だが、君の証言はアリバイになり得ない。なにしろ被害者であるバーサが落とされたときにお前の顔を見たと言っているのだからね」
「あら王子は下々の言葉に耳を傾けても、公爵家の娘たる私の意見には一顧だにしないと。これは見識を疑ってしまいますわ」
そう、アデラとバーサで相反する証言があれば身分の差でどちらが正しいのかが決まってしまう。この場合は間違いなくアデラが言ったことが事実となるのだ。だが――
「それはおかしいな、バーサは階段から突き落とされた際に、とっさに体を支えようとして手を振り回すと加害者からこんな物を引きちぎってしまったようなのだがな」
それは証拠がなかった場合の話だ。
「そ、それは……」
アデラの瞳が驚愕に見開かれた。こんな大事な物を奪われてすぐに手を打たないなんて、所詮は深窓の令嬢だ。階段から恋敵を突き落としたことと、その直後に公爵家で不幸があったことで頭が一杯になっていたのだろう。
「あなたの実家である公爵家の紋章入りの学院バッチ。身分証でもあるこれを所持できるのはあなただけのはずだ。そして襲撃者がこれを身につけていたのだから、あなた以外に犯人はありえない。それともアデラは今手元にあるのか」
「そ、それは前になくした物で……」
「紋章入りの学院バッチは一人一個しか配給されない。しかもなくした場合は即日学院に届け出て再配給してもらわねばならないため皆が手元に置いておかねばならない。四日前の学院の授業ではアデラはそれを付けて出席していたのは確認済みだ。それ以降は先代公爵の喪に服して欠席しているが。そして君は事件の起こった三日前はすでに学院にはいなかったと主張している。ならばその日に学園に落とせたはずがない。さあ、これはいつ失くしたのだろうな」
「あ、そ、そうだわ! 思い出しました! 二日前に物取りに盗まれたのでしたわ!」
顔を青ざめさせて必死に抗弁するアデラに容赦なく詰めをする。
「バーサは三日前、突き落とされた直後に俺へこのバッチを渡したんだ。たとえその物取りが実在してもアデラの嘘の中にしかいなくても事件とは無関係だな」
アデラの喉から「ひゅう」と悲鳴になる前の空気が抜ける音がした。
「三日前の八月一日、アデラは学院にいてバーサを突き落とした。これは間違いない。俺が証人として公式に書類へ残させてもらうよ」
がっくりとうなだれたアデラ。その高慢だが美しかった容貌からはすっかり覇気が消えてしまっていた。
かくして王太子と後にその妻となるバーサという豪華な二人が証人となって公文書が異例の早さで発行された。それは八月一日にアデラが学院内で起こした事件への関与を認め謝罪するという全体未聞の公爵令嬢による謝罪文だった。
◇ ◇ ◇
婚約破棄の話し合いを終えた翌日もアデラに休息は許されていなかった。
「……そういった訳で、アデラ嬢の八月一日の行動をお聞きしたいのですが」
言葉遣いは丁寧だが、王国一級捜査官であるカイルの視線は鷹のように鋭くアデラの挙動を窺っていた。
――もう私を犯人と確信しているのかしら、さすがに王室捜査科のエースと言われるだけあって有能ね。
彼の隣りでのんきに「うわぁ、さすが公爵家。出てくる茶も高級品ですね」と目を丸くしている貴族位だけが捜査の助けとなる彼の部下とは大違いだ。
目の前で出された紅茶には触れようともしないカイルに「用心深さも合格ね」と内心感嘆する。もし私が手を打つのが一日遅れていたら大変なことになっていたわ、と。
こういった手駒がいればアデラは自分が矢面に立たなくてすむのだが。
「ええと、八月一日のことですね……ちょっと今すぐには……」
すぐには答えず言葉を濁すアデラにカイルはたたみかける。
「すいませんこちらも仕事でして。なにしろ親族――しかも極めて近い血族のみしか入れない結界内での前公爵殺害事件。これだけでも大事なのに、被害者の前公爵には諸外国との黒い噂が絶えなかった。しかもあなた以外の結界内に入れる方を疑おうにも犯行があった時間の居場所――いわゆるアリバイが確定しています。しかも召使いの一人がはっきりと犯行時間にアデラ嬢の姿を前公爵の離宮で見たとまで言われれば、真偽を確かめなくてはこちらも上司に怒鳴られてしまいます」
あら、召使いの誰かに見られたのかしら、保険があるからと油断したつもりはないのだけど。いずれにせよさっさと軽すぎるその口を封じる必要があるわね。
それにあの爺はだんだん耄碌が進んでいたようね、外国との繋がりが噂になるなんて権力者の端くれとしては致命的じゃないの。王子から探られてるんだから、やはりこのタイミングでトカゲの尻尾切りをしてよかった。
アデラは黒い思考を紅茶とともに飲み干して、可憐な令嬢の仮面をかぶり直す。
「ああ、そういえば……その日は学園にいましたわ」
「それを証言する方はいらっしゃいますか? 授業は全て欠席していたそうですが」
「まあ、もう学園の方までお訪ねに?」
「公爵家の令嬢をお調べするのですから下調べは欠かせません」
やっぱり有能ね、この人は。アデラは再び紅茶に口を付けて微笑みを隠した。
「その八月一日の放課後に私が学園にいたことは王子――私の元婚約者とその新たな婚約者が証言してくれますわ。そう、きちんとした公文書で神に誓ってまで」
「……どういう意味です?」
さすがに私と王子が婚約を破棄したことまでは知らないようね。
澄まし顔のままアデラは裏でこっそり笑みを深める。
王太子の婚約破棄という政治的衝撃を弱めるために、発表するのは次の祝い事に時期を合わせてである。それまでは極秘の政治情報だ。
つまりはこの話をカイルたちは聞いた時点で半分詰んでいる。
「ああ、ちょうどその日に私が新たな王子の婚約者にちょっとしたイタズラをしてしまったのよ。彼らを御立腹させてしまったから間違いなく覚えているでしょう」
「ははあ‥…」
「信用できないなら、書記官の作った彼らと私の宣誓付きの公文書が保管されているはずですよ。閲覧申請をしてみては?」
「そうですか、……当日学院にいたのなら時間と距離的に犯行は不可能です。とんだ誤解で貴重なお時間を頂いて申し訳ありませんでした」
「え、ちょっと待ってください。これで終わりなんですか」
慌てたようにカイルの部下が紅茶のカップを置いた。おそらくは彼女が犯人だと気を引き締めてやって来たのが、こんなにあっさりと諦めることになるなんて納得がいかないのだろう。
――でもそんなんじゃ出世は不可能ですわね。
カイルが部下にくたびれた様子で肩をすくめる。
「お前、首を縛られて高く吊るされるのは好きか?」
「は?」
「まあ、ギロチンで一刀両断という可能性もあるが、どっちもやられる方にしては同じようなもんだろう」
「何を言ってるんですか?」
目を白黒させている部下に彼は小さく告げる。
「このままだと、お前だけじゃなく俺までそうなる。そうなる可能性があるんじゃなくて確定で、だ」
「そ、そんな俺たちは何も悪いことしてないじゃないですか!」
物分かりが悪い部下に噛んで含めるように説得する。
――たぶんこれって私に対してのアピールもあるんでしょうね。
「いや、アデラ嬢を疑い続けるという王国にとって都合の悪いことをし続けるとそうなる。王子とその婚約者が証言した時点ででアデル嬢が犯人という線はなくなったんだ」
「どうしてです? 一番怪しいのは彼女でしょう? 動機だって利益だって彼女にはある!」
「口を慎め! 王子とその婚約者が公文書に宣誓までしての証言だぞ。これをもし覆そうなんてしたら俺たちの方が反逆罪で吊されちまう。このまま事件を未解決にするか適当なスケープゴートを捕まえて拷問で自白をひきだすかの二つの道しかない。
もう司法の領域ではなくではなく政治的な判断でアデラ嬢は絶対に無実ということになったんだ。そうでなければ神に嘘を誓った王太子が次代の王ということになる。もし噂にでもそんなことが広まれば国の信頼の根幹が揺らぐ。それを防ぐために国は総力を挙げてもみ消しをはかるだろうな」
部下だけでなくアデラにも聞こえる程度の声でちゃんとカイルは彼女の言葉を理解していると伝えてきた。
――政治的に決着がついているというメッセージは受け取った、だが事件だけでなく俺達ごと葬ろうとするなら相応の覚悟をしろという所かしら。本当に切れる人との会話は楽しいわね。
離宮へ出かける前にバーサと婚約破棄の手続きを話し合って紋章入りのバッヂを渡したときはこうはいかなかった。まるで犬に芸を教えるように王子を籠絡する方法とアデラへの追求の仕方を説明せねばならなかったのだ。
まあその分の成果は充分に手にした。
女を見下していた祖父は亡くなり、王家に嫁入りするはずだった彼女は自由だ。
社交界での評判は犠牲にしたが、未来の王妃であるバーサとの婚約破棄のお芝居を話し合ったのは魔法具で録音してある。これは貴重な脅迫――いえ、交渉材料になるはず。
「だから、アデラ嬢は事件とは無関係だとこの場ではっきり宣言して今後捜査対象から外さねばなければならんのだ。分かったな?」
「はあ……」
まだ不心得顔な部下を無視し、カイルはアデラに頭を下げる。
「アデラ嬢が事件にかかわり合いがないとはっきり書類に記しておきます」
「ありがとうございます。……でも、私が事件とは関係ないと書類に記しても、犯人でないと信じるとはおっしゃってくださらないのね」
「……残念ながら、そうとは信じられませんので」
「ふふっ残念ね」
祖父の死と王子との婚約が白紙になったことで、自分の幼い頃からの夢であったこの王国初の女性公爵になることがほぼ確定しているアデラは見る者に鳥肌を立てるほど恐ろしく艶やかな笑みを浮かべた。
「でも私のアリバイは鉄壁よ。なにしろ王太子とその婚約者――つまりは次代のこの国そのものが保証してくれるもの」