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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

花が散るまで

作者: 沙槻

 綾小路吉乃、幽体離脱の上に魂欠損中。味方は裸コートの変態しかいないようです。


「貴女は、幽霊になったのです」


 庭で呆然とする吉乃よしのに、突然現れた美貌の青年(変態)はそう告げた。


 え、幽霊?……私が!?


 よく状況も理解しない内に、現れたのは軍服の青年とマッチョ軍団!

 しかも、私を捕らえるって、どういうこと?


 裸コートの変態に連れられ、吉乃は失った魂の欠片を探しに、想い出の旅に出る。


『必ず、行くわ』

『──待っている』


 舞い散る花びらの中、約束をしたのは、ただ一人の愛しい貴方だった。


※エブリスタからの転載です

※某雑誌の短編公募、挑戦作品




 ひらり、ひらりと、花びらが空に舞う。

 ひっそりとした空き地で、見事な大輪の花を咲かせた一本桜の下。舞い散る花びらの中で、青年は泣き続ける少女に囁いた。


「俺が、さらってやろうか」

「……え」


 弾かれるように顔を上げた少女の涙を、青年は指で乱暴に拭う。


「本当のお前を見ようともしない、道具にしか思っていない。そんな家、捨てちまえばいい」

「いいの? 私の家を敵に回したら、貴方は」


 大丈夫だと言うように肩を叩いた青年に、少女は嗚咽をもらして、何度も頷いた。


「夏まで、この桜の花が散るまで待っている。決心したら、ここに来い。俺が、お前をさらってやるよ」


 差し出された小指に指を絡めて、少女は約束した。


「必ず、行くわ」


 それに青年は僅かに口元を上げ、目を細めて笑う。



◆―――――――――――――――――◆



 青い空に、白い雲。屋敷の庭では、春の陽気に花が咲く。そして、足元には――頭から血を流した自分。


「…………」


 綾小路吉乃あやのこうじ よしのは思わず、二度見した。

 通った鼻筋に、薔薇色の唇はやや厚めで、艶やかな長い黒髪。白い肌には、赤い血が生々しく散っている。


「これ、私よね」


 そう。何度見ても、これは自分だ。真紅にレースのワンピース、白いハイヒールという格好も同じで、つまり、自分だ。

 吉乃は額を押さえて、ため息をついた。記憶が不明瞭で、よく覚えていないが、よほど疲れていたのだろう。


「こんな夢を見るなんて、重症だわ」

「夢じゃありませんよ、お嬢様」


 突如、響いた声に、吉乃は振り返る。そこには、黒いトレンチコートを着た青年が立っていた。彼は、中性的な美貌で微笑み、吉乃を指差す。


「貴女は、幽霊になったのです」

「は?」


 更に、頭が痛くなってきたわ。確か、大富豪である綾小路家には、警備も番犬もいたはずだが。

 困惑する吉乃に、青年は何故か得意げに胸をはる。


「僕が誰か、訊きたいでしょう」

「えぇ、名前と住所を教えて下さる? 不法侵入で警察にお話するので」


 薄く笑うと、彼は勢いよくコートの前を開いた。同時に、吉乃はフリーズする。



 全裸、だった。



「僕は魂の案な──」

「きゃぁぁあああ! 変態!」


 振り上げた手が、良い音を立てて、青年の顔面に直撃した。



◆―――――――――――――――――◆



「失礼。僕は魂を導く、いわば案内人です」


 コートのボタンを閉め、頬に赤い手形をつけた青年に、吉乃は嘆息する。


「案内は結構よ。私が、警察まで案内してあげるわ」

「いえいえ。僕は裸を見られて興奮したい、ただの一般人ですので」


 それのどこが一般人だ。

 眉を寄せた吉乃に、変態は倒れている方の吉乃へ視線を向けた。


「どうやら、貴女は」

「おい、そこのお前」


 遮るように響いた声に振り返る。すると、長髪に軍服の青年が、芝生を踏みしめて庭へ入ってきていた。

その背後には、ボディービルのようなマッチョ集団が控えている。

 一体、何事なの?!

 唖然とする吉乃に、青年は形の良い眉を寄せた。


「ここで、何をしている」

「いや、何をって……ここ私の庭なんですけど」

「麗しき令嬢に、裸を堪能させていました」

「ちょっと! 誤解を招くようなこと言わないでよ。違うんです、この人が」


 パァンっと乾いた音と共に、吉乃と変態の間の地面が抉れた。見れば、青年が拳銃を構えている。


「……銃刀法違反ですわよ」


 とりあえず、それしか言えない吉乃に、青年はこちらを睨んで背後のマッチョに告げた。


「多少の怪我は構わない。捕らえろ」

「は? 捕らえ……」

「そうはさせません」


 変態が、コートのポケットから丸い物を取り出し、口でピンを引き抜く。


「ちょっと待って。それ手榴だ」


 ぽいっと投げたそれは、次の瞬間、大爆発した。



◆―――――――――――――――――◆



「ここまでくれば、いいでしょう」


 息を切らせて路地裏にしゃがんだ吉乃に対し、変態は涼しい顔だ。さすがは変態。潜在能力が違う。じゃなくて!


「一体、何がどうなっているのよ! というか、私の庭、爆発したんですけど!」

「あぁ……貴女の体には姿すら隠す、超強力な結界を貼ったので。ご心配なく」

「ご心配なくって……庭はどうなったのよ?」

「とりあえず、名前からいきましょう。貴女と被るので、僕はサクとでも呼んで下さい」


 さらっと流した、この変態。

 爆発に関しては、すべて無かったことにするらしく、サクは話をサクサクと進める。


「貴女は、家の窓から足を滑らせて転落したようですね。それで、幽霊となってしまった」


 諦めて、吉乃も庭のことは一旦忘れる。そうでもしないと、話も進まない。


「さっきも言っていたけど、幽霊なんて冗談でしょう」


 言いながら立ち上がった吉乃は、近くの家の壁に手をついた、が。


「っ!」


 その手はするりと通り抜け、危うく転びそうになる。信じられない気持ちで、吉乃はサクを見た。まさか、本当に。


「私、死んだの……?」

「いえ、体から魂が抜けただけです。ただ、その魂が欠けている」


 魂が、欠ける?

 眉を寄せた吉乃に、サクはコートのボタンを開けながら説明する。


「魂は脆い。落下の衝撃で身体からポーンと抜けて、欠けちゃったみたいですねぇ」


 そんな、落とし物みたいに言わないで欲しい。

 というか!


「前開けないでよ! 見えるでしょう!」


 何故か、当たり前のように全裸の前面を見せている。その下のイチモツが目に入って、吉乃は思わず目を逸らした。


「あ、いいですね。その反応、そそります」


 無言で拳を握った吉乃に、何かを察したらしい。サクは咳払いをして、説明を続けた。


「魂が欠けたまま身体に戻ることは可能ですが、寿命が縮んでしまいます。欠片を見つけて、遅くとも日が暮れるまでにくっつけて戻さないと」

「でも探すって、どうすればいいのよ」

「魂が欠けた場合、大抵はその人にとって想いの強い場所に飛びます」


 つまり、吉乃にとって思い出の場所を巡ればいいということか。


「しかし、あのマッチョ集団と鉢合わせしないようにしなければ」


 苦々しい顔で、サクはため息をついた。


「奴らは、この世に留まる霊を、強制的にあの世に連行する。捕まれば、問答無用であの世ですよ」


 なるほど。それは、つまり……信じ難いが、味方が裸コートしかいないということではないか。

 吉乃は目眩がした。


「ほら、強い記憶を思い出せばいいんですよ。なんか思い出して下さい」

「今の状況より衝撃的な記憶なんて、ないわよ。そんなこと急に言われても……」


 そもそも、記憶が酷く曖昧だった。魂が欠けたからなのか、霧がかかったようにハッキリしない。

 それでも、覚えているのは──あの人。


「あの人って、誰です?」


 当てもなく歩きながら、割りきったのかコートの前を開けて、サクは堂々としている。どうやら、周囲の人には、自分たちの姿は見えないらしい。吉乃も、割りきった。


「彼はワイルドでかっこよくて、優しくて、運動も出来て、力持ちで、すごく喧嘩も強かった」

「そんな人間いませんよ。妄想の産物じゃ……痛!」


 サクの脛を踵で蹴った吉乃は、あの人との出会いに思いを馳せる。


「そう、あれはいつものように、学校の帰りに本を読んでいる時だったわ」


 家から離れた空き地の木の下。窮屈な家から逃げて、吉乃は本を読み、周りの音に耳を傾けていた。そんな吉乃の目の前に、ある日突然飛び込んで来たのが、彼だ。


『っ!』


 吉乃は彼に目を奪われた。

 全身、黒ずくめの恰好をした青年は、頭から真っ赤な血をだらだらと流している。どきりと、心臓が跳ねた吉乃に向かい、彼は躊躇なく銃口を突きつけた。


『騒ぐな。黙って匿え』


 仏頂面で目付きの悪い男に睨まれ、吉乃は更に心臓が跳ねた。



 もしかして、これが──恋?



「ちょっと。ちょっと、待って」


 サクから、ストップがかかった。


「いやいや、可笑しいでしょ。銃突きつけて匿えとか、明らか犯罪者だよ。そのときめきは恋じゃなくて、警鐘です」

「とても、野性味溢れる殿方だったわ。血も滴るいい男よ」

「それ本当に大丈夫? 指名手配犯とかじゃないよね」

「私は、ハンカチを差し出したわ」

「あれ、無視?」


『てめぇ、何のつもり……っ』


 青年は息を詰めて、その場に倒れ込んだ。吉乃は膝を付き、傷口にハンカチを押し当てる。


『血を流し過ぎているわ。止血しないと』

『放っとけよ』

『放っておけません』


 真っ直ぐに目を見て言った吉乃に、青年は瞠目した。そうして、ぽつりとつぶやく。


『……汚れるぞ』


 それがハンカチの心配だと気づき、吉乃は思わず笑ってしまった。


『大丈夫。これは汚れるために在るのですもの』


 くすくすと笑いながら止血する吉乃に、青年は戸惑うように目を泳がせる。

 吉乃は柔らかく微笑んだ。


『治療のアテがないなら、私が手当てしますわ』


 それから、吉乃は木の下で彼の怪我の手当てをするようになった。


「えらい衝撃的な出会いなんですけど」

「彼は、依頼された仕事はなんでもやる仕事人だそうよ」

「それは仕事人の前に必殺とか、付きませんよね。清々しく嘘ですって。というか、会ったのはどこです?」


 ぴたりと、吉乃は足を止めた。

 そういえば。


「私、どこで出会ったのかしら」

「覚えてないんかい!」

「し、仕方ないでしょ。記憶が曖昧なのよ。肩つかまないで!」


 手を払って振り向き、吉乃は絶句した。

 サクではなく、先ほどのマッチョが、こちらを見つめている。


「ご、ご機嫌よう」

「挨拶してる場合ですか! こっちです!」


 手首をつかまれ、引っ張られるがままに走り出す。ちらりと背後を振り返り、吉乃は戦慄した。


「きゃああ! 速い速い! マッチョなのに速い!」

「奴らは最高、時速60キロで走れます」

「車並みじゃないのよ!」


 迫り来るマッチョをかわし、サクは路地を曲がって走る。しかし、その足は急に止まった。

 危うく転びそうになった吉乃は文句を言いかけ、口をつぐむ。サクの前には、先回りをした長髪に軍服の青年が、銃口を向けていた。


「綾小路吉乃。逃亡は諦めて、こちらに来い」

「ち、ちょっと、話し合いましょう。暴力は良くないわ」


 ひきつった笑みを無理矢理浮かべる吉乃に、青年は僅かに口の端を上げた。


「ならば、希望通りに話し合ってやろう。お前は、本当はどうしたいんだ。本当にその男についていくのが、正しいと思っているのか」

「そ、れは」

「いい子ぶるなよ。お前は、考えることを放棄している……流されるだけじゃ、進めないことはある」


 鋭く、胸を突かれた気がした。目を逸らし、吉乃はたまたま、ソレを目撃する。

 自分達を捕獲せんと、マッチョが背後から飛びかかって来るのを。


「今なら、まだ」

「っいやぁぁあああ!」


 とっさだった。

 サクの手を掴んで飛び退く。そうして、その場に残った青年にマッチョがのし掛かるのは、ほぼ同時だった。


「ぐぇっ」


 潰されて呻く青年を後目に、吉乃はサクの手を引いて駆け出した。



◆―――――――――――――――――◆



 小高い丘の公園で、沈み始めた太陽を見、吉乃は静かに問う。


「欠片、ある?」

「残念ながら。ここは、彼と出会った場所ですか」

「いいえ、連れて来てもらった所よ」


 最初で、最後のデートだった。

 吉乃は自嘲気味に笑う。


「あの人の言う通り。私は流されるだけで、逆らいはしない。笑って、いい子でいる。そうじゃないと、いい子でないと、私は自分の価値が見いだせないの」


『お前は、いつも笑って人に合わせちまう。そうやって、無理やり感情を押し殺してる』


 手当ての礼だと、吉乃を夕日の綺麗な場所に連れてきた彼は、開口一番にそう言った。

 固まる吉乃に、彼は目を細める。


『言いたいことは言えばいい。やりたいことはやればいい。自分の気持ちを殺して生きるのは、苦しくねぇの?』

『そんなの、出来るわけないじゃない』


 やっと出た吉乃の声は、震えていた。


『綾小路家の一人娘である私に求められるのは、親に従う出来のいい子よ』

『だから、無理していい子してるのかよ』

『そうよ。いい子でなければ、一体誰が私のことを必要としてくれるの!』


 いつも笑って、何でも言うことを聞いて、我が儘一つ言わない。そうじゃないと、私に何の価値があるのだろう。

 後継ぎの男児に恵まれなかった父には、自分はただの政略結婚の道具でしかないのに。

 自然と、涙がこぼれていた。


『俺が、必要としている』

『え?』


 慰めるように、背中をさする彼を振り仰ぐ。彼は、いつも通りの仏頂面で、ハッキリと言った。


『お前がいなきゃ、俺はあそこで野垂れ死んでた。今も、傷が痛くて仕方ねぇ。俺はお前が、必要だ』


 真っ直ぐな言葉に、吉乃は初めて心から笑った。


『ねぇ、貴方のお名前は?』

『真壁圭一』


 真壁さん。この世で唯一、ありのままの私を必要としてくれる人。


「だから思い出の場所を探す時、家には行こうとしなかったんですね」


 家の中に思い出はない。いつも外でだけ、あの人の隣でだけ、私は生きていられたの。

 淡く微笑んで、吉乃は告げた。


「戻りましょう。私の身体に」


 もう、日が暮れる。



◆―――――――――――――――――◆



『結婚が決まっただと?』

『勝手に、結納の日まで決まっていたわ』


 満開の桜の木の下で、真壁は目に剣呑な光を帯びて、舌打ちする。

 吉乃は、その胸に飛び付いた。


『お、おまっ……ちょっ!』

『結婚なんか、したくない! 顔も知らない人と結婚なんて、嫌よ!』


 好きな人と、結婚したい。きっと、一生に一度の我が儘。

 けれど、どれだけ吉乃が声を上げても、その願いが届くことはなかった。


『夏には、私は隣町の会社の息子と結婚させられる』


 泣くしかない吉乃を、そっと引き離し、真壁は囁いた。


『俺が、さらってやろうか』


 舞い散る桜の花びらの中、約束をした。夏の結婚までの、儚い約束。

 けれど、それは父に筒抜けだった。父は私を部屋に呼び、一言告げる。


『お前を唆した男は、始末しておいた』


 何を言っているのか、理解できなかった。頭の中が真っ白になった吉乃に、父の部下が白い布の塊を差し出す。目の前で開かれた布の中には、人の指が在った。


『ッ……』


 約束した。指切りをした、小指。

 床に座り込んだ吉乃に、父は容赦なく言った。


『夏まで、外に出ることを禁じる』


「それから、私は窓から飛び降りたそうよ。今から二年前のこのころに、ね」


 横たわる自分の身体を見下ろし、吉乃は蘇る記憶に押し潰されそうだった。

 あれから、二年。精神的に追い込まれた吉乃は、外に出してもらえず、家の中に閉じこめられた。

 けれど、今は春だから。


「あの人が私を待っていた春だから。だから、あの人に会いに行こうとして、また飛び降りてしまったのね」


 よく見れば、横たわる自分の頬には、涙の跡がついている。

 あの人が、死んだなんて、信じられなくて。信じたくなくて。


「あそこに、あの場所に行けば、また会えるんじゃないかって、思っちゃうのよ」


 それで、あの人は不機嫌そうな仏頂面で言うの。『遅いじゃねぇか』って。

 必ず行くと告げた時に、初めて笑った顔を見た。

 もう一度、もう一度だけ。


「あの人の笑顔が、見たい」


 嗚咽して、座り込む吉乃の肩をサクが優しく撫でた。


「僕は、案内人ですからね。案内人らしいことを、しましょうか」


 サクが指を鳴らす。次の瞬間、飛び込んで来たのは。


「アイツが、退院したようだな」

「はい、旦那様。彼は、まだお嬢様を諦めていないかもしれません」


 父と執事の会話だ。

 驚いてサクを見上げると、彼は得意げに笑う。


「声だけ、風に乗せて運んでいます。ライブ中継、生放送ですよ」

「今の、話……生きてるって」


 本当に、生きている?

 呆然とする吉乃に、サクは手を差し伸べた。


「諦めるのも、嘆くのも、まだ早いのかもしれませんよ? 今度は、ちゃんと貴女の目で確かめて下さい」


 魂の欠片は、まだ見つかっていない。リミットは日暮れまでで、あと数十分しかない。このまま、身体に戻れば、寿命が縮む。けれど。

 もう、私がやることは、やりたいことは、決まっている。

 顔を上げて立ち上がった吉乃に、サクは微笑んだ。


「もう、僕の案内は必要ないみたいですね」

「えぇ、私を身体に戻して」


 瞬間、目の前が真っ暗になった。上も下もわからない程に、くらくらして目が回る。


「……酔いそう」


 起き上がった自分の身体は、最悪な状態だった。頭の傷は痛むし、服に血はついているし、身体の節々は痛くて仕方ない。それでも立ち上がった吉乃は、乾いた音に、ビクリと身をすくませた。

 見れば、マッチョ集団を引き連れた軍服青年が、拳銃片手に立っている。彼はサクを睨み付け、舌打ちした。


「貴様、よくも勝手なことを……!」

「本人の意思ですよ」


 うっすらと笑って、サクは吉乃の背を押す。


「ありがとう」


 吉乃はそのまま、駆け出した。



◆―――――――――――――――――◆



「待て!」


 去った吉乃を追おうとする青年の目の前に、サクは立ちはだかる。バサッとコートを翻し、高らかに言った。


「お嬢様を追いかけるのは、僕の裸を堪能してからにして下さい! 」

「貴様、ふざけるのも大概にしろ!」

「ふふふ、貴方達にこの裸体を素通りすることが、果たして出来るかな?」


 無視して、通り過ぎようとした青年は突如、突風に包まれ、桜の花びらに視界を覆いつくされる。堪らず退いて、サクを睨んだ。


「染井吉野。枯れる寸前の、老いた桜の精霊ふぜいが。案内人である俺達の邪魔をするな!」

「邪魔なんて、滅相もない。僕は、咲くのは今年が最後になりそうなので、心残りを清算したいだけですよ」


 本物の案内人である霊界の軍人集団を後目に、サクは吉乃が去った方へと目を向けた。


「いつまでも、僕を待ち合わせ場所にされちゃ、困るんでね」



◆―――――――――――――――――◆



 私は、ただ逃げていただけだったのね。


 自分に自信がなくて、嫌われることが怖くて、拒絶されて傷つきたくなくて。


 ずっと、逃げていた。


 そうして、人生で一度きりの初恋の人の死さえも、確かめることを恐れて、二年前の私は、死を選んで逃げた。


 逃げることは楽。諦めて手放すのも簡単。見たくないモノは見なくても、生きていられる。


 でも、それじゃ駄目だって、サクと記憶を辿って思い出したの。


 たとえ嫌われ、拒絶されたとしても、それでも手を伸ばし続ける。そうまでして、本当に欲しいモノをつかもうとする。


 貴方は、そういう人だったから。


 私も、もう逃げないわ。


 たとえ、欠片が戻らず、寿命が縮んだとしても、もう現実から、貴方から逃げたりしない。



◆―――――――――――――――――◆



 ひっそりとした空き地で、淡い紅色の桜が咲いている。ひらり、ひらりと舞い散る花びらに、吉乃は両手で顔を覆った。

 あぁ、春だ。

 あの人が私を待っていた季節。そして、死んだかもしれない季節。死んだなんて、信じたくなくて。どうしても、受け入れたくなくて。

 ここに来れば、また会えるような気がして、吉乃はずっと窓の外の桜を見ていた。その場所に、今、立っている。


「やっと、来れた」

「決心がつくまで、えらく時間がかかったじゃねぇか」


 聞き慣れた低い声に、吉乃は弾かれたように顔を上げて、振り返る。


「……真壁、さん?」


 鋭い目つきに不機嫌そうな顔の青年が、真っ直ぐに吉乃を見て立っている。周囲に舞い散る花びらが、あまりに幻想的で、一瞬、幻を見ているのだと思った。

 けれど、そうじゃない。


「どうして」


 あれから二回も、夏は過ぎてしまった。それに、父は真壁を。


「約束したからな。夏までにお前を、おま……お前、よく見たら血だらけじゃねぇか!」


 そういえば、窓から飛び降りた時に、頭を怪我したのだった。変態の出現と魂うんぬんで、すっかり忘れていた。


「お前、それ本当に大丈夫か」


 言いながら、真壁が出したハンカチと共に、何かが落ちる。拾い上げ、吉乃は目を見開いた。


(魂の、欠片?)


 水晶のように透き通った欠片は、淡い紅色を帯びている。掌に乗せると、それはすっと消えていった。


『魂が欠けた場合、大抵はその人にとって想いの強い場所に飛びます』


 あぁ、本当にその通りね。

 私の大切なモノは、いつも貴方が持っている。


「花が散るまでの、一時の約束だって、わかってた」


 血を拭いながら、真壁は自嘲気味に笑う。


「馬鹿みたいだろ。殺されかけて、指まで持ってかれたのに、次の春も、その次の春も、桜が咲く度にお前を思い出して……花が散るまで、病院を抜け出して、勝手に待ってた」


 もう会えないとわかりながら、また春がくると思い出す。


「明らかに怪しい俺に、ハンカチ差し出して笑ったお前の顔が、桜の花みたいでさ。頭から離れなくなった」


 あぁ、この人は、ずっと私を待ってくれていたのだ。春が終わって、花が散るまで、ずっと。

 理解すると同時に、吉乃は真壁にすがりついていた。


「……め、さい」

「あ?」


 貴方は待っていると言ったのに。


「ご、め……なさ」


 私だけ逃げようとして、ごめんなさい。

 嗚咽をもらす吉乃の頭を、真壁はぐしゃりと撫でた。


「泣くなよ」


 そう、つぶやいた声は、とても優しくて柔らかい。顔を上げると、僅かに口元を上げて、真壁が笑っている。それは、もう一度見たいと願った、貴方の笑顔。

 泣きじゃくる吉乃を、真壁は強く抱きしめた。


「俺の傍で、花みたいに笑っていてくれ」


 えぇ、約束するわ。

 

 貴方の隣で、花が咲くように笑っている。


 この命の花が散るまで、ずっと。




――END――



 ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


 初投稿、テストも兼ねて、自作品の中でも短く完結したものを投稿させて頂きました。

 未熟なものであったかもしれませんが、楽しんで頂けたなら、うれしいです。

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