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第六話 無風世界と激闘(前半)

 ……通りは、静まり返っていた。


 風はない。


 空気は澱み、嫌な臭いがこもっている。


 何の臭いか、よく分からない。ただひたすら嫌悪感だけを催させる――人間の本能を刺激する異様な感覚。


 そんな感覚を理解してから、数秒後に現状を少年は知った。

 人。

 人。

 人。

 倒れた、突っ伏した、横倒しになった、積み重なった、動いていない、人、人、人、人、人、人――人!



「……なんだ、これ」


 やっとの事で、口にした言葉は実に唖然としたもので、頭が動かないで流れで言ったに等しかった。

 暁斗の唾液は粘っこく、喉の裏にへばりついている。

薄暗い視界は酷く無惨で、主が世界を認識する事を一方的に拒絶した。

 目の前の事が、どうしても受け入れられない。どうしても分からない。


「なんなんだ、これ……な、夏希さんのドッキリにしちゃ、度が過ぎてるだろ……」


 出来の悪いテレビの画面みたいに、同じ砂嵐ばかりが、延々と頭の中でイメージされ続ける。

 だから、目を閉じた。納得できるギリギリのリアリティを持った理由を必死で模索する。

 ――きっと、皆一斉に行き倒れにあったんだ。

 先進国の日本で、起こり得るはずないだろ……。

 ――ちょっとした地震があってこうしているとか。

 地震だとしたら、消防のサイレンが聞こえるはず……。

 ――テロリストが攻めてきたに違いない。

 もうそれ、妄想の領域じゃないか……。

 ――となると、これは夢だ。意外とまだ寝てたんだな……、俺。

 ああ、なるほど、そうだよね。これが一番可能性のある真実だ。

 納得をしながら、深呼吸をひとつ。

 覚悟を決めて目を見開く。

 その直後、暁斗は絶句した。最悪ながら商店街はさっきと何一つ変わっていなかったのだ。

 だから、暁斗はある事だけが、頭に浮かび続けた。




 ――これは嘘だ(何も起きてない)。

 ――これは嘘だ(何も起きてない)。

 ――これは嘘だ(何も起きてない)。




 そんな叫びなど、どこにも届かない。どこにも響かない。

 だから、

 体をこれ以上前に動かすなんて事が、出来なかった。

 いつもの通りの何の変哲もない商店街の裏道で、まるで閉じ込められたように倒れ伏した多くの人々の数に、灰崎暁斗は硬直する事しか出来なかった。

 しかし頭の隅で、かすかにだが確実に否定する声が上がった。


(……いや、死んで……ない?)


 それが分かったのは、これで二度目だったからだ。

 同じ状況を、つい一週間前にも目撃をしていたからだ。あの少女と初めて出会った時、これほどではないにしろ、似た現状を体験していたからだ。何人も何人も積み木のように折り重なって倒れ、どういうわけか救急車の到着さえ大幅に遅れた不可解じみた事件を、彼はごく最近に味わったばかりだったからだ。

 だが、それでもまだ暁斗は気づいていなかった。否、気づくのが圧倒的に遅れた。

 自分の踏み込んだ場所の危険度を、何ひとつ考えてすらいなかった。



「……ほぉ〜、お前、おかしな(チー)が体から臭うぞ」


 声が、した。

 低い男の声がした。

 ギクリ、と少年は全身を強ばらせる。

 それまで何の気配もなかった、すぐ斜め前の地点からだった。

 この狭い路地に隠れる場所なんてない。だとすれば、その相手は最初からそこにいたはずで、なのに暁斗にはまったく認識出来なかったのだ。

 肌が粟立ちながら、必死で振り返った少年の視界に、やっとそれは入った。

 すでに日は傾き、鮮やかな夕映えだけをこの路地へと投げかけている。

 その夕陽が異様なほど、不快なほど似合わない。

 漆黒のスーツを纏った、どこにでも居そうな若い男。

 年は暁斗とより少し上になるだろうか。まるで狼のように、やや威圧的な瞳に、どこか楽しげな口元。がっちりとした手首には、シャラシャラと音の鳴る金属のリングをはめているが、より印象的なのは左耳につけた黒い色をした丸いイヤリングの方だった。

 しかし、それ以上に忘れられない特徴は、まだ別にある。

 その男が片手で持った――馬鹿げた大きさの『箱』のことだ。

 パッと見ても長辺は一・五メートル、奥行きと短辺も九十センチはあるだろう。

材質はあまり見慣れない木材のようで、その蓋を錆びた鎖で縛り付けていた。


(これって、まるで……)


 茫然と、感覚が麻痺した暁斗は思ったままの単語を口にしてしまう。


「棺……桶……?」

「おいおい、少年。思考せずに話すのは良くないなァ……。ほら、これを棺桶だというよりは、ちょっと大げさな旅行用のペット入れに見えないかねェ?」


 実に気安い口調で、黒いスーツの若い男は棺桶を持ち上げて見せる。

 すると、別の声が聞こえた。

 声というより雄叫びのようなものとしか例えられないが、


「グギャルルルッ!!」

「うるせぇな! ちょっと黙ってろ!」


 思いっきり、若い男は棺桶を振り回す。

 ギャウ、と呻きが聞こえた気もしたが、暁斗の意識には届かなかった。

 だが、


(あの棺桶……生き物がはいっているのか……?)


 それが非常識だとか、ふざけているとか、そんな感想は考えず愕然とした。

 だって、そうだ。

 いくら木製だって、この大きさの棺桶だ。一部には金属も使われており、中に猛獣と呼ぶべき生き物が入っているとなると、総重量は簡単に三百キロは超えるのではないか。

 その重量を、若い男は平然と片手で持っているのだ。

 まるで、手の平には何もないかのような気楽な様子で。

 三百キロの重量を旅行用のペット入れと言い張る異常性。いや、何よりも、この光景を前にして一切たじろぎしない異様さで、この若い男を人間とは違う存在だと見せつけている。

 そんな生き物を――存在を、暁斗は知らない。

 その時、ふと思い出す。

 灰色の髪をした幼馴染みの彼女の事を……。

 いや、彼女はこの光景を見れば、膝を折り、その場で泣いてしまうのではないか?

 そもそも彼女を、人外の生き物にするのは間違っている。

 それに自分で決めたじゃないか、彼女の身に何が起ころうとも必ず護ると……。

 だから、軍人試験を受けるまでトラブル千円のバイトで、ありとあらゆる危険な事を、絶対にやり遂げると決めたんだ。

 暁斗はそこまで思考を動かして、目の前の生き物を見る。

 もしも、自分が知っている人外だとすれば……。


「……仙、人か、……何か、かよ……」

「ほお〜?」


 と、若い男は首を傾げる。


「まあ、間違っちゃいねぇがな。いいや、むしろ半分だけ大正解だと褒めておこうかねェ……。まさか、こんな少年(ガキ)に当てられるとは考えてなかったよ」


 歪な声音に、いちいち嫌悪感を抱くことはない。

 後ずさることさえ、出来はしない。

 少年の背後に倒れ伏した人々を見ながら、若い男は言葉を続ける。


「ほら、こんだけ人が倒れてるけどさァ、先週は街頭のテレビとか雑誌でも言われても、この国はそういう事を気にしない性格だと思ったんだよねェ〜。見た感じ、少年は仙道を学んでそうにないのになァ、俺のコレを棺桶って言っただろう」


 ハハッ、と黒いスーツの若い男は笑う。

 その微笑はひどく不快であるが、目を離せなくて、この瞬間にも皮膚が削り取られてしまいそうだ。


「仙道だと、こう言うんだぜ」


 若い男が、すうと顔を近づける。何かを吸い上げるように、愉快そうに口を横に広げた。

 ガタガタ、と持っている棺桶が震えた。

 若い男の唇は、異様なほどに両端を吊り上がり、三日月みたいなカタチを戻してから、やっとその名を言った。

 すなわち。

 すなわち、それは――。


「――僵屍仙、ってよ」


 静かに、若い男が告げると同時に、太陽は落ちきって、速やかに世界を征した黒雲の気配。

 それに合わせるかのように全身に「気」を張り巡らせて、少年は飛び退った。

 人を踏まぬように細心の注意を払いながら、必死に若い男から距離を取った。

 しかし、地面についた足がバランスを崩し、無様によろけそうになる。


「え?……くッ……」

(何だよ、これ……っ)


 ガクガクと、膝が震えていた。

 いいや、それどころか、まるでフルマラソンを三周したような極度の疲労感が少年の身体をどっぶりと襲った。


「ハッ、すごいなお前。結構気(チー)を取り込んだつもりだったんだが、まだ倒れないのか。色々と訊きたくなったなァ。というか、魂の総量がコイツらと違うのかねェ?」


 勝手に納得して頷き、若い男はグルリと片手を回す。


「ま、細かい事は魂ごとバラバラに打ち砕いて考えてようか」


 軽い気持ちで、何かを振りかぶった。

 考える必要性もない。黒いスーツの若い男が実行しようとしているのは、殺そうとしているのだ。

 つまり、

 棺桶を、片手で投げつけたのだ。


「…………ッ!!!」


 かわせたのは――いや、当たらなかったのは、本当にただの幸運だろう。

 ブワッ、と少年の髪の毛を一気に後ろへと巻き上げ、ほとんど地面に平行に投擲された棺桶は、轟音とともに近くの商店街の壁に埋まった。もはや筋力のどうこうの世界は遥かに超えた所業。人間がこれをする為に、必要なベクトル量の事なんて、考えたくもない。

 若い男だけが、不満げに言う。


「チッ、投げるのが速すぎたか」

「………………」


 当たったら死ぬとか、言う気も起きない。

 あまりに非常識な現象が、暁斗からまともな思考を奪い去っていた。

 なおも、異変は続く。

 ゴッ、と音が響いたのだ。

 それに振り返る。

 たった今殺す気で投げられた、棺桶であった。

 ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、とその内側から何度となく打撃音が響いていた。九回ほど数えたところで箱が大きく形を変える。続けて、ジャラララ……と金属の擦れる音が鳴り、地面に落ちる。


「な……ッ」


 ひとりでに、棺桶の鎖がほどけたのだ。

 そして、勢いよく棺桶が弾けた。まるで中にあった爆弾が誤爆し、その衝撃で無理矢理こじ開けられたかのように。

 箱に隠された内側から、どす黒い巨大なハエトリグサの様なものが剥き出しになっていく。

 そんなハエトリグサはこれ見よがしに棺桶から伸びていき、自らを封じた箱を押しのけて、その全身が飛び出し月光に晒した。

 その大きさは小さく見積もっても、ワンボックスの自動車と同じに見える。

 月光。

 夕映えが退くとともに、すぐに世界を照らした光を、やっと少年は意識した。

 棺桶の内側から膨れたハエトリグサが、あまりにもその月光と似つかわしく気味が悪かったからだ。

 人間どころかどの動物とも丸っきり違う声帯を振るわせる。


「グギャルルル……」

「さァ、食事のお時間だ! そこに突っ立ってる少年(ガキ)の骨ごと貪っていいぜ……」

「ギャアアアグルルルッ!!!」


 若い男の合図に、そのハエトリグサは嬉しそうに雄叫びを響かして、花弁を開かせるように形を大きく変えた。

 若い男が黒スーツなら、ハエトリグサの方は鶴より何倍もある。

 若い男が黒なら、ハエトリグサは病的なまでに黒い体毛。

 右翼の半分を左翼で包み込んだ仕草は、拱手と呼ばれる中国の礼法を真似していた。もっともその礼の意味を知らないであろうことは、狂った灯火の瞳を見れば明らかだ。

 先ほど若い男に投擲された際、棺桶がビルの半ばまで埋まっているだけに、それはシュールな戯画を思わせる光景だった。


(……こ、こいつは?)


少年が思ったところで、暁斗へと若い男は視線を据えた。


「そいつは(スン)っう怪鳥だァ。ペットとしては中々でかいだろ? この国に持ってくるのに苦労したもんだよ……。まあ、てめぇのような少年(ガキ)に愚痴っても仕方ないか……。そうそう、俺の名は教えていなかったなァ、亡刃(ワンレイ)だ。ああ、ゴミの臭いしかしない唇から名を呼ばれるのは不快だから、そのまま閉じてていいぞ」

「ッ……」


 その呼びかけに、何か言い返そうとしたが、暁斗は口ごもった。

 力が、入らない。

 先ほどの疲労感は、最初よりも増して少年を苛んでいた。もはや立っているだけでよろめいてしまい、舌の根さえずっと痺れている有り様だ。

 ただ、よろめいた結果として、別のものに蹴躓いた。


(――――!)


 蹴躓いたものを、見る。

 それが、少年の心を燃え立たせ、あるひとつの意思を決めた。


「……じゃあ……お前の、せい、か」

「おいおい、何言ってんだァ? 少年(ガキ)ィ、口閉じてろよ」


 若い男――亡刃(ワンレイ)が、片眉を下げる。

 少年は、顔を俯けていた。

 どこにでもない路地であった。

 男も女も、老いも若きも関係なく、人々が倒れ伏した路地を見つめていた。その誰もが商店街の夕べを楽しんでいたはずだったのだ。店での買い食いやちょっとした装飾品の比べあい、他愛のない世間話。いずれもかけがえのない時間のはずだった。

 よくフィクションの作品では平穏な日常を“退屈”なんて言葉を使うが、それがどれだけ間違った感情か……。考えるだけで嫌になる。


「お前が……俺にやったように……この人たちを衰弱させてんの……か?」


 瞳を、持ち上げ若い男へと視線だけを向けた。

 下らないと言わんばかりに、若い男が進み出た。


「――恥児未父子礼(ちじはいいまだふしのれいをしらず)叫怒索飯啼門東(きょうどしてはんをもとめもんとうになく)

「……は? 何を言ってんだ?」

「『百優集行』にまとめられた杜甫の詩だよ。下界の民ではあっても、その下界の汲々とした暮らしゆえ、私どもには想像できぬ詩情を持つ者が稀に存在するのは否めない。ああ、詩の意味も分からない下品で情けない脳髄をしたテメェの為に説明するとだ――礼儀も知らぬ愚か者が叫ぶのは、見ているだけで哀しい。そう言ってるんだよ」

 そう言い終わるや否や、何やら這い出た音を鳴らしながら、棺桶から下りた怪鳥が少年の前に立った。


「グギャル……」


 その怪鳥が短く告げると、翼の一部が、霞んだ。

 数メートルあった間合いを詰めるべく、翼を広げ暁斗の元へと迫った。その移動は飛行というよりただの跳躍。

 ただし、足へと伝わった力だけで、建物を半壊させるほど。

 そして数メートルあった間合いを、自動車並みの速度で詰めていく。

 しかし、それに対して少年は驚いた様子はない。

 ただただ両拳に「気」を集中させ練り上げていく。しかしそれは平均的な武闘家が行う範疇とも言える。

 少年の一連の動きをいうならば、暴れている像に素手で立ち向かうようなものだった。

 それを理解しているから若い男――亡刃(ワンレイ)は笑った。単なる安堵の笑みではない。勝利を確信しきっての笑みだった。だが、彼はほんの少しだけ恐れてもいた。突然自分の目の前に現れ、一般的に意識を失う量の、(チー)を吸っても倒れない正体不明の少年を――

 そんな若い男の驕りともとれる笑みは、一瞬にして警戒へと塗り替えられる。


「な……!?」


 左手で怪鳥のくちばし部分を力ずくで閉じさせ、地面に落ちないように、右手を使い全身を支えていたのだから。

 刹那、少年を中心とした力の旋風が吹き荒れた。

 亡刃(ワンレイ)の飼うペット(スン)は鋼鉄並みの強度が付与されている。自ら怪鳥と言った分類(カテゴリー)より上位で、その力は成り果てた「僵屍仙」では破れない。たとえ■■をもっていたところで、破れるのは初撃をかわせる者だけ。下界の人間がどう足掻こいたところで、ただ(チー)を無駄に消費するだけだと、彼は確信していた。侮りではなく客観的な事実だと、絶大な自信を持っていた。

 なのに。

 なのに。

 なのに。

 その力は、たちまち(スン)の外皮をズタズタに引き裂いた。

 咄嗟に後方へと怪鳥は跳ぼうとするが、片足一本持って行かれる。だがそんな事よりも、自らがわざわざ連れてきたペットが、想定した性能を発揮しない事が信じられず、今の感情を解放する。

 すなわち怒りを滲ませながら、一言。


少年(ガキ)! お前の首を引き千切ってやる!」


 冷静だった表情は消えさり、暁斗に対して顔を歪ませた。

 それに怪鳥を持ったまま、亡刃(ワンレイ)の言葉に暁斗が吼える。

「……そうしたきゃ、そうしろ――ここから先は俺とアンタの戦い(ケンカ)なるんだからな!」



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