第十七話 ドブネズミと笑い話
ラユが放った車輪から、円形に広がった炎が少年をとらえる。
寸前、暁斗の手が呪力を帯びた。
「風呪の九・断巻烈破ッ!!」
以前、呪術というのは人為的に引き起こせない現象を発生させ、通常ではありえない結果を起こすことができ、様々な現象の優位性を「呪い」によって塗り替えれると既に述べたが、呪術には各属性ごとに得意不得意があり、状況に応じて適切な属性の術を発動するのが一般的だ。
『火』は『風』に強く、『風』は『雷』に強く、『雷』は『地』に強く、『地』は『水』に強く、『水』は『火』に強い効果がある。
だから、この場合は水の呪術を放つのが最も適切である。
しかし、暁斗の手には小さな風の槍が現れてヒューという、口笛のような音が周辺に聞こえる。
そして凄まじい量の風刃を、持っている刀に纏い、炎に飛び込むようにして突進した。
暁斗はおもに、呪術と剣技をあわせて遣うことによって発展させてきた霧生家の生まれである宗介から、二年もの間に様々な修練を学んできた。
だから、結果として皮膚が最低限に切り裂かれた状態で、少年は仙儀の炎から抜ける。
「っつあああああ!」
肌をひきつらせる程の切り傷の痛みを感じながら、暁斗は叫んで耐えた。
五火炎道手の炎から身を守ったのも、この風によるものだった。咄嗟に練り上げた呪力だけでは不安だったため、最初に来たときから少年の足元の地面にも仕込んでおいたのは正解だったらしい。
もしも、地面に仕込んでなければ、この螺旋輪は耐えきれなかったはずだ。
「ラユ、坤離圏を!」
クジャの声に、少女の手がさらに動く。
「陰陽、万刃、一切断絶せよ、坤離圏」
先の戦闘で、亡刃の仙儀・霊彗能すら両断した金属輪。
少年はそれを見て、ただ微苦笑しただけだった。
走り来る彼の囁きを、ラユは確かに聞いた。
「俺はさ、嫌だったんだよ。父さんの遺産が」
(……だろうね)
と、胸の内でラユはうなずく。
この少年が喜んで遺産を受け取ってるところなんて、まったく想像さえできない。タイムセールのチラシでも見て、ひとりで悩みながら米や味噌を担いだり、肉を買いあさっている方がよほど似合っている。そんな少年の情けなさに惹かれていたことに、今更ながらラユは気づいた。
「だけど、来たぞ」
刀で弾き、坤離圏をかわしながら少年は言う。
弾かれた坤離圏はすぐさま反転して、執拗に少年を追った。いくら身体能力が並以上だといっても、その攻撃を防ぎ続けるのは不可能だった。さらには、乱発される仙儀によって気を吸われ続けているのも、命の危険度を跳ね上げていた。
それでも必死に防ぎ、間合いを詰めながら暁斗は叫ぶ。
「俺は来たぞ! お前は、どうしてほしいんだ!」
「…………」
「してほしいことがあるなら、黙ってないで、さっさと俺に言え!」
「…………っ」
やっと、少女の自由な唇が、震えた。
何度か拒むみたいに震えて、やがてその隙間から、小さな声があがった。
「……って、ほしいよ」
それは、ひとりで呟いていた言葉。
何百年もの間、ずっと忘れようとしてきた、儚い願い。
やっと聞いてもらえる――本音が伝えられるたった一つの言葉。
「守って、ほしいよ」
言った。
言えた。
その少年を殺すため、坤離圏を操作しつつ。
その顔は、今にも泣き出してしまいそうに、ぐちゃぐちゃに歪んで。最凶最悪の兵器というより、迷子だった女の子が親に会った時のようにしか見えなかった。
本当に少年を信頼しているようで、全ての弱さをさらけ出すように、少女は確かにこう口にしたのだ。
「私は、キミに守られたいよ。暁斗」
「……ああ」
少年は、優しくうなずく。
「大丈夫、だ。全部、俺に任せろ」
グッと奥歯を噛みしめ、さらに近づく。
そのために諦めたことに――受け入れたものに、一瞬だけ思いが流れていって。
「大丈夫だ! 俺は見習い軍人なんだから! この程度の物語なんざ、笑い話にしてやるよ!」
空に、光の残像の尾が再び飛来してきた。。
その正体に、怪鳥の喉が干上がった。
「また……ミサイルだと!」
信じられない。
今度は間違いなく暁斗も巻き込み、吹き飛ばすはずだ。
仙人であるラユとクジャはともかく、人間の暁斗が小細工をしたところで、即死どころか原形さえ残らない。だから、そんな馬鹿げた行動には打って出ないだろうと思っていた。なのに、この少年は何なのか。
何もかも、自分の想定どころか想像を超えてくる少年の思考を相手に、クジャは恐怖を通り越して、混乱していた。
「ラユ! ミサイルを破壊しろッ!」
悲鳴に近いクジャの声に、ラユの仙儀が応じた。
今にも少年の身体を断ち切らんとしていた金属輪が、寸前で反転し、空中のミサイルへ屈折する。たやすく切り裂かれた破壊体は、先ほどの半分くらいの爆発を起こして、夜空に散った。
その意外なまでの爆発規模を見て、クジャは呻いた。
「……囮!?」
呻きが、途切れるよりも早く。
少年の身体は、少女までの距離を八メートルまで縮めた。
◆
今回の作戦は、暁斗のものではない。
ラユの防御能力を予測し、ミサイルという案を提示したのは来栖さんだった。
――『さきほど聞いた戦闘報告とミスター・亡刃の情報を付き合わせると、君が助けたがってるミス・ラユの戦力(仙儀の威力・仙人としての基本性能)は最新鋭の重戦車を凌駕すると考えられる。だとすれば、現代兵器で一時的に動きを止めるには、重戦車主砲ないし音速戦闘する機体が必要だろう』
――『しかし、このどちらも目標に音で発見され、射程範囲までに近づくのは困難を極める。このため、当方は奇襲性を考慮した第三の手を提案』
――『すなわち日本で配備されている口径130㎜、発射初速マッハ7.5、射程は320㎞(最大射程は420㎞)、の超電磁砲による襲撃が最も効率的に動きが止められる』
元・日本浄鬼軍に所属していた軍人(軍曹)ならではの、人間の耐久性や安全性を無視した、人間味を忘れてしまったかのような機械じみた提案。
そんな機械じみた提案を、暁斗はすんなりと受け入れた。
来栖とかいう青年の話から少年の素性を知り、その会話を隣で黙っていた亡刃は、驚きを通り越して、本当に呆れた後、少年を見て、盛大にため息をついたものだ。
――『お前さァ、人間として馬鹿だろ』
――『せっかく死なないで済んだのに、自分から格安の自殺プランを用意するとか、頭の螺子がぶっ飛んでるのかァ?』
それも、そうだろう。
どう考えても正気の沙汰ではない。
だけど、少年は困ったように笑ったのだ。
――『だって、約束したからな』
――『あいつを守るんだって』』
◆
「お前は……一体、なんだ」
再び、戦慄とともにクジャが問う
もはや、少年は間近。陰陽剣の結界で弾き飛ばせる距離よりも短い。
「ただの、人間だよ」
ラユへと突進しながら、暁斗は叫んだ。
「ただの人間だから、無茶ができるんだよ! 仙人じゃ勝てる見込みすらないってんなら、ただの人間なら小さな希望ぐらいあんだろ!」
猛る。
吼える。
いつもの、情けない暁斗とは違う。
もちろん、これはただのハッタリだ。
さきほどから凌いではいるが、ラユの仙儀はいずれも圧倒的。風呪にしろ超電磁砲式のミサイルにしろ、単に数秒ずつ、暁斗の死を引き延ばし、回避しているに過ぎない。
だから。
これは。
少年が優勢に立つ為の、舞台作りだ
なので、その先の目的に向かって――自らが、補う。
暁斗の手に、三つほどの雷呪の四・貫雷が集まり、変化する。
新たな力に肩口から制服は破れ去り、いくつもの呪力がより効率的に発動するように安定させていく。
そして。
「己が肉を裂きて、天空を巡り、ヒトの名を支える者よ! 罪知らぬ者の血肉に雷を貫け!、雷呪の八・貫雷砲陣!!」
紫電を纏い、<五封勅璽>を身につけたクジャに向かって、巨雷が霞んだ。
その理屈は杭打ち機と同様、巨大な稲妻によって強化された一撃は、すなわち人間が持てる小型の超電磁砲であり、立ちふさがるすべてを粉砕しうる。
暁斗が使える最も得意な呪術にして、最大の切り札。
――なのに。
それだというのに。
射出する寸前で、その拳は止まっていた。
「暁……斗……」
拳の狙い澄ました射線上で、少女が囁く。
クジャと少年の間に、ラユの身体が割り込んできたのだ。
「……そいつごと殴ればよかったのにな。間違いなく、この姿のままなら、簡単に内蔵を抉り出せていたぞ?」
クジャが、笑う。
「撃てるわけ……ないだろ」
苦悶のように、暁斗の唇からこぼれる。
「守るって決めた女の子に……撃てるわけないだろ……」
踏みとどまった少年の、表情は強張って、焦っているようだった。
隙をついて、ラユは少年の胸部へ目掛け拳を突き出した。まるで遊び感覚の要領で迫ってきた
それはクジャを水切り遊びのように、何度となく叩きつけられた仙人としての剛力。もし全力でなくとも一撃でも入ったら、血飛沫を撒き散らしながら、。
たとえ暁斗が考えられる様々な判断をしても、打撃そのものを受け止めるのは「無謀」でしかない。
だが、それでも少年は全身に現在使える呪力を集約してから、正面から食らった。
暁斗の肉体にかつてない規模の暴虐が襲った。異常な圧力を伴い、小さな少女の拳が顎に激突。
その凄まじい衝撃は脳天まで突き抜け、頭蓋骨が軋み、身体が吹っ飛ぶ。意識が途切れなかったのは痛みによって無理矢理保たされたから。アスファルトを転げるように倒れ、少年は住宅の塀に叩きつけられた。
「があっ……」
開いた口からこぼれ落ちるのは、血が混じった唾液、そして砕けた奥歯と情けない悲鳴。顎に痛みが走り、脳が痺れ、視界が揺れる。
(……過小…評価してた、……今のは。手榴弾……以上だ)
身軽な動きからは想像もつかない爆発。
過去のトラブル解決時に、対物ライフルで頭を撃たれた衝撃と、かなり酷似している。
呪力を纏って、身体能力の全機能が上昇していなければ即死だったのかもしれない。
暁斗は過去のトラブル解決時に、対物ライフルで頭を撃たれたことがある。狙撃手は暴力団から雇われた元・警察の特殊部隊員。彼はライフルの違法改造で出力を上げていたが、ラユの出力はその数段上。
ただ、その時と唯一違う点は、普通に暮らして、生きていくべき少女がいて、この状況から守らなければならない、ということだ。
普通の人々――、幼なじみである明日菜や自分を頼ってくれる希望市に住んでいる人たち。――そう、かつての自分の家族のような存在は、守られるべきだ。
軍人としての道を自ら選んだんだから、この場は引けない。
いかに不利でも、引いてはいけない。
自分は未熟者で小心者で愚か者で情けないけれど、目の前の出来事から逃げる、負け犬のクズになるわけにはいかないのだ。
暁斗がそう決意を奮い立たせている間に、<五封勅璽>の影響か疾風の軽功術を使って、いとも簡単に少女は暁斗の前に立った。
そして、ラユは首から下げていた巨大な籠を掴んだ。
仙儀・九竜王界殿。
その力自体は分からないが、おそらく起動されれば、暁斗に打開する手だてはあるまい。
ひたすら仕掛けてきた反則技も、いい加減に尽きる。
ここまで追いすがっておいて、状況は簡単にひっくり返される。
下がった決意を奮い立たせたのに、新しい仙儀によって少女から殺されるしかない。
なんと負け犬のクズだろうか。
それとも、地を這うドブネズミだろうか。
死の領域に到達するまで、あと数秒まで迫ったとき。
世界が動いた。
頭上から、隕石が落ちた。
「黒曜集めて擂り潰せ、霊彗能!」
ラユの死角から、超重量の黒球が襲いかかったのだ。
これは完全なる奇襲で、さしものラユも仙儀から手を離さざるを得なかった。咄嗟に回避しながらも、黒球は二度、三度と乱舞し、巨大なクレーターを作り上げる。
ついに四度目で体勢を崩され、ラユとクジャはバラバラにアスファルトを跳ねた。
「亡刃! お前、どうしてここに……」
少年が、茫然と口にした。
そこに漆黒のスーツを着た仙人の若い男が立っていたのだ。
「いつ呼び捨てにしていいと言ったんだァ? だがまァ、なんとか事態を収拾できる可能性はあるから、今回限りほんの少しの協力と、呼び捨てはオレが上位種なんで許してやる。もっとも、テメェと同じ場所にいるだけでこっちの頭の螺子まで飛びそうになるけどなァ」
悪態をつきながら、亡刃はすぐさま霊彗能を放つ。やはり長年に及ぶ戦闘経験の差か、多数の戦術を駆使し、ラユの対応を予測して追い込んでいるようにも見えた。
しかし。
ラユの起動できる仙儀はひとつではない。――まして仙人を人間に戻すあの風を吹かさせれば、たちまち形勢は逆転する。
実際、ラユは五火炎道手の炎を浴びせながら、力を振るうだけの気を集めている。
彼女の不死状態を。
「だああ、クソ暁斗!」
苛立たしげに唸り、亡刃はこちらへ振り向く。
「早くしろ、ボケカス暁斗がァ! 笑えるくらい弱いんだからよォ、無様に死なないように尖兵としてオレの役に立て!」
「――は、上等だよ。協力者!」
その彼らしい言葉に、少年は思わず笑ってしまった。
顎は痛むが、視界はどうにか安定。体力もまだ十分。
だから、アスファルトがヒビ割れしながらも、足に力を込めて、再び走り出す。
決意を秘めて、最後の一手を打ちに向かう。
ラユではなく――今の攻防で大きく離れた、怪鳥へと!
事態はここで、変化を向かえ終幕に差し掛かった。




