第十六話 王の力は異形な怪物――少年は失ってきた代償を引き継ぐ
「だけど、人間が仙人に勝てないのかどうかは――自分で確かめてやるよ」
少年の宣言を、クジャはまともにとらえなかった。
彼が行う不可思議な攻撃はなかなかに厄介だが、それとて仙人に敵うものではない。ただ意外だったのは、この期に及んでも少年が自分たちに対抗できると思っていることを――ほんの少しだけ、落胆していたということ。
いくら武装を増やそうと、脅威にならないのは明白。一体何がしたいのかと考えてしまう。
だがそれも、彼の意志をとどめるほどではなかった。
「ラユ、この愚者を潰せ」
疲れたように、しかしきっぱりと命じる。
もとより次会ったらそうすると、怪鳥は告げていた。
「…………っ!」
ラユの身体が、強張った。
必死に抵抗しようと、全身全霊に力を込めた。
これほど少女が抵抗するのは、数百年ぶりのことかもしれなかった。
それでも。
<五封勅璽>は悲しいほどに強く、少女を縛りつけた。少女の意思を捩じ伏せ、身体の支配権を奪って、彼女の手に新たな仙儀を生んだ。
今にも泣き出しそうな顔で、ラユは金属の手甲を天に持ち上げた。
それは数日前少年の命を救った仙儀。だが、たった今少年の命を奪うために発動する。
「古き五氏族の血を使いては、汝の兵器、始解天仙に与えたもうた芭蕉扇の三番目の娘に乞い願う」
口訣が、世界を圧する。
少女の瞳は、再び火眼金睛の真紅と黄金を宿す。
大地を巡る気が搾り取られ、その仙儀へと集中する。起動の瞬間を待って、金属の手甲の周囲を業炎が取り巻いた。
それに少年は加速する。すでに握っていた鞘から刀を抜く。この気の略奪が起きている環境で、刀を抜くのは難しいはずだが、しかし、彼はもう、それに慣れていた。
どんな場所でも、どんな状況でも、刀剣を使いこなす訓練を子供のころから父親である、灰崎吏斗に教えられていた。
すると怪鳥は、少年の動きに反応する。いや、まるで予測していたかのようだった。腹部から何かを取り出す。それが樹木だというのが、自分の刀が触れた瞬間にわかった。
「少し武装を整えた程度で、人間が勝てうると思ったかッ!」
そう怪鳥が、少年に現実を教えるように言い放つ。同時に少女は、最後の口訣を終える。
「――火生三昧、烈風、振るいて叫べ、五火炎道手!」
渦巻く、激しい焔。
アスファルトを溶かし、爛れた火竜のごとき螺旋を描く炎が、一気に暁斗へと殺到する。
極度の熱で空気中の水分が蒸発し、爆発した。その爆発で舞い上がった粉塵が、少年ばかりか夜空まで覆い尽くす。
「ああ……ラユに巻き込まれなければ生きていられたのにな」
怪鳥は、小さく呟いた。
つい漏れた本音だったろう。彼にしてみれば、すべての元凶はラユの存在にある。彼女がいなければ、自分がこうなることも、少年が無様な焼死体になることもなかったはずだ。
しかし、粉塵が落ち着いたときその両眼は瞬きという行為を忘れてしまった。
少年の近くを、おかしな霧のようなものがわだかまっていた。それが少女の炎を和らげたのだろうと推測しても、何をしたのかまでは分からなかった。
「貴様ッ、ふざけたイカサマを――」
歯を軋らせた怪鳥に、
「……違う」
と、少年は憤りを滲ませながら囁いた。
「俺を巻き込んだのは、ラユじゃない!」
「……は?」
「ラユを巻き込んだのが……俺なんだ!」
「な、に……!?」
怪鳥には、少年の言う意味がまるで分からない。
ついにおかしくなったかと、そのような感想しか抱かなかった。しかし、例えそうだとしても、ラユの一撃を防げた事実だけは揺るがないものだった。
どうやって対処できたのか怪鳥が一考しているとき、
相手に威圧感を与えるように、少年が顔を上げ問う。
「先に訊くぞ。ラユの仙儀は、防御能力にも長けてるんだよな?」
「何?」
顔をしかめた怪鳥へ、念をおすように暁斗が訊く。
「ラユの仙儀には、防御能力があるのかって訊いてんだよ!」
「当たり前だろうが。最高レベルの防御能力なくして、仙人の戦争を勝利できるか! 人間ごときが場面を変えれると思い上がるなッ!」
「……そうか。だったら安心した」
その指が、虚空に何かを描いた。
紋様のようにも見えたが、そもそも魔術師でもないこの少年がそんな動作をして、一体何の意味があるだろうか。
「……何だ? 仏にでもお祈りをすませたのか?」
「電子サインだよ。契約には必要だろ」
「電子サイン?」
その意味が、僵屍仙には分からない。
笑って、十秒ほどを少年は数えた。ちょうど数え終わった頃に、ソレ(・・)は襲来してきた。
「こういうことだ! ラユ、お前を絶対に守ってやるから、死ぬんじゃねぇぞ!」
音はないが、巨大な存在感をクジャは感じた。
巨大な塊から光の残像の尾が伸びるのを、誰が見たか。垂直に落下してくる鋼鉄と爆薬の破壊体を、誰が現実の光景と思えるか。
ましてや音速の七倍に到達するミサイルが降ってきたなどと、誰が認識できようか。
全長六百五十センチ、翼幅三百二十五センチ。重量は優に数百キロを越える、獰猛なる鋼鉄と爆薬の破壊体。
次世代の超電磁砲式を採用したタクティカル・トマホーク。
この街にいた一部の人間と仙人以外には、そのミサイルの軌跡でさえ捉えられない。
仙人でさえ分かっているのに、回避する! なんてことができるはずない。言うならば黒雲に手が触れられる距離で、光の速さで落ちる雷を目視した後に行動しろと言うのと同じだ。
それでも。
喉をひきつらせるようにして、クジャは叫んだ。
「ラユ!」
「古き五氏族の血を使いては、汝の兵器、始解天仙に与えたもうた天子の一番目の双子に乞い願う」
「其は真場なり四象なり、八卦を連ね巡り結びて阻みたまえ、陰陽剣!」
少女の叫びは、新たな仙儀を起動した。
くるくると回る剣が、少女の身体の前面へと飛び出す。その軌跡に重なって、ひとりでにもう一対の剣も飛び出して、現代科学の暴力から主人を守らんと、半球形の光の結界を形成した。
陰陽剣――天嵐槍と対をなす、守護の劍
それでも、吹き飛ばされた。
仙儀による結界は、確かにミサイルの直撃を受け止めた。しかし、続けて炸裂する爆発によって結界ごと弾き飛ばされるのは、食い止められなかったのだ。さすがにラユは仙人であり、またクジャはアスファルトの破片を飛び移ることで、実質的な被害は回避したものの、すぐさま反撃に移れる体勢ではなかった。
着弾後からすぐに、雷と同じように一瞬遅れて轟音が鳴り響いた。目の前で起こる空気をつんざく衝撃波に、暁斗は僅かばかりバランス感覚が崩れた。最速の防御を展開した仙人に対して、真上から破壊の限りを尽くしたオレンジの残光は、終わってもなお空気摩擦が発生し、小さな火花が複数燃え上がった後、消えていった。
「……な……に……!」
「ああ、良かった。本当に仙儀ってのはすげぇな。正直ちょっとびびっていた」
ミサイルから生じた空気振動の影響で、バキ! ビシ! とあちこちでコンクリートやアスファルトを材料とした市街が簡単にヒビ割れる音が鳴り響く。
そこに動転したクジャへと、少年が嘯く。
「貴様は……何を……した……?」
「大したことじゃないよ」
ひらひらと手を振って、少年が苦笑した。
「愛知に停泊してある國易と海上自衛隊が共同開発した、戦艦一隻を借りただけ。来栖さんが言うには、ちょっと半日借りるだけなのに、丸一隻つくれる額を要求されたとさ。あんまし聞いてないけど、千億か二千億のどちらからしい。あと、二重帳簿の作成料込みで、ミサイルが一発五億だと。笑えるくらいの値段だけど、こんな至近距離で俺を吹き飛ばさないんだから、最新技術って凄いよな。GPS計測と組み合わせて、爆風を数十センチ単位で調整することが可能なんだってさ。でも目の前で見て、やっぱり死ぬんかも、とか思っちゃったけど」
笑って、トンデモナイ言葉を続ける。
ゆっくりと手を広げて、余波で崩壊した周囲の土地を示してみせた。
「それに、このへんの土地とそこの給油所も買い占めて、国道の回避案を提出させてる。一部事後承諾になる分、上乗せして五百億ぐらいだったかな。報道やら防空網やらの圧力や口封じにもいろいろ出費があるらしいけど、比べればそっちはおつりみたいなもんらしい」
淡々と語る少年は、まるで別人のようだった。
ラユの変貌とは、違う。
少女のそれが仮面をつけるような変化なら、少年のそれは仮面を剥がされたような変化。本来こうだったのだと言わんばかりの、ひどく自然で、板についた仕草。
「人間程度では、千年足掻いても意味がないとか言ったよな」
」
少年が、さらに言う。
「んなもん、理解してるさ。武器なしの人間なんざ飼い猫一匹にも勝てやしない。威張るんだったら、人間が作り出した武器をありったけぶちこまれてから、威張り散らしてみろ」
「……貴様は……なんだ?」
「灰崎暁斗」
と、少年が親指で胸を叩いた。
「だけどな……縁あって、先代の國易だった父さんの遺産を引き継がせてもらってんだ」
國易。
その名に、仙人が息を止めた。 彼にも心当たりがあったのだ。いいや、以前自分自身と馬鹿な小僧が会ったではないか。仙人と人間の橋渡しして、暴利を得ている人間が存在することを。
「貴様は……」
クジャの呻きに、少年はうなずく。
「今日、正式に決定した。……たった今から、俺は國易の後継者だ」
◆
それは失われた時間だ。
灰崎暁斗にとって最も重大で、最も忘れがたい時間。
――『知ってるよね、父さん? 神さまって奇跡を起こして、みんな助けてくれるんだって……』
――『奇跡も何も、こんな状態じゃ、暁斗お前以外は死ぬしか未来はない』
病院のベットで、父親は笑っていた。
今思えば、凄まじい精神力の賜物だ。それは建物の崩落で多くの内蔵を潰され、皮膚の七割方が炎で焼かれていたはずだ。手の施しようがないという医者の判断を受けて、ほんの少しの間だけ意識を取り戻した父親の吏斗は、その余命を息子である暁斗との話しにあてたのだ。
――『火災の時、父さんはお前が傷つかない事だけを考えた。お前は私が死んでも守りたいと思えるからだ』
――『親としての義務が果たせない変わりに、今まで父さんが世界中で築き上げた財産は、お前にちゃんと譲る。だから、どんなことがあっても必ず生きてくれ』
そんな言い分で、父親は財産の半分を少年に託した。
あげく、「暁斗が十歳になったら、父さんが信頼している男に國易のことを任せておくから。仲良くしてやってくれ」などと言って、爽快な笑みを見せながら息を引き取った。当時の少年にしてみれば何もかもが壊れた世界そのもので、死にゆく父親の意志を曲げることもかなわなかった。
ただ、アイツに会えるといいな、と呟いていた父親の顔が晴れやかだったことだけは覚えている。
ああ。
結局のところ、話は単純。
自分が死ぬ間際に少年へ――親としての義務を、愚直に果たそうとしたという話。
◆
(……そうか)
意識ともいえぬ意識で、ラユは思う。
かつて、ああもかたくなに暁斗が話していた理由が、やっと分かったからだ。
――『いつもいつも、自分にはどうしようもないことばかりで引っかき回されてさ。奪われるものは片端から奪われて、そのくせ、向こうから頼みもしないものばかり押しつけてきて』
――『なんか、そういうのってたまんないだろ。自分でも決められることはあるんだって、そう言い張りたくもなるじゃねえか』
少しだけ、違和感があったのだ。
ラユの知る暁斗なら、誰かに寂しい思いをさせるよりは、自分の意地を呑み込む方を選ぶのではないかと。
でも、そうなった理由は簡単だった。
押しつけられたものが、あまりにも巨大だったから。
「そこらの島々ならまとめて買い取れるレベルの資産だとか、世界中に張り巡らされたコネクションだとか、国レベルの最新技術を導入した兵器開発に関与できるテクノロジーだとか、そんなのはどうでも良かったんだ。あの父さんの遺言をみんなが諦めて、俺に引き継がせるなんて話が無くなるまで、俺はずっと放っておくつもりだったんだ」
うつむいて、少年は言う。
(……まるで、権力者だな)
と、ラユは思った。
王の力とよんでなんら差し支えないほどの、膨大なる遺産。
だからこそ、少年はあんなにケチケチとして、依頼金以外は頑なに受け取らずに生活していたのだろう。あまりにも膨大なる資産に、『これこそがお前の失ってきたものの代償だ』と、そう言われるみたいなのが、きっと気にくわなかったのだ。
(本当に……本当に意地っぱりだな……キミは)
自分の力でトラブル解決出来なくなって不満そうな顔をした少年の姿が、ラユにははっきりと想像できて、とても愛おしかった。
そして――ひどく申し訳なかった。
ずっと彼が制約をかけていたものを、自分がすべて壊してしまったのだと、そう気づいたから。
「貴様は……そこまでして……何のために、何しに来た」
かすれに嗄れた声で、クジャが訊く。
「そんなの、決まっている」
少年は、迷うことなくはっきりと言った。
「依頼金の千円を貰ったから、ラユを助けに来たんだよ」
「……千円?」
怪鳥は、茫然と呟いた。
「……千円?」
もう一度、信じられないように呟く。
地面を踏みしめた足が、ぐらりとよろけた。急に重力の存在を感じれなくなったようであった。
「……たかが千円のために何千億使った? 冗談にないにせよ、その考えは人間ではないぞ!」
「人生における全財産が千円になった奴がいるかもしれねえだろ。逆にこっちの何千億は無くなったところで問題にない。だったら、そのふたつは一緒だよ」
「…………」
クジャは、長く沈黙した。
分からなかったのだ。
この少年のことが本気で分からなかった。もとよりおかしな食餌だと思っていたし、自分とは相容れない存在だとも考えていた。だが、今回の問答はあまりにも決定的だった。
まったくの、未知の思考。
ある意味で、いかなる不死状態や仙儀よりも恐ろしい、その精神力。
確かに、國易が持ちうる資産や長年に渡るコネクションやネットワークを大いに活用すれば、問題は解決に導けるだろう。
だが。
その発想が、異常だった。
その思想が、異端だった。
たったひとりの少女――否、破壊能力しかなく、利用されることで真価を発揮する兵器を助けるためだけに、最新技術を導入した兵器を使用するまでに、下準備を整えてしまうというその感性が、怪鳥にとっては人のカタチをした異形の怪物としか思えなかった。
だからこそ――クジャは初めて恐怖した。
本能に届く根元的な恐怖が、彼をつきうごかした。
身体を震わしながら唸り、吼えた。
「ラユ! 全力をもって少年の魂ごと消し飛ばせ!」
「っ――!」
なんとか少女は、怪鳥の言葉を拒否しようとする。
しかし。
「何をしている、兵器の分際で。いつものように世界を、滅ぼし尽くせ……」
クジャのこの言葉によって、ラユの身体は、問答無用で自動的に従うしかなかった。
「古き五氏族の血を使いては、汝の兵器、始解天仙に与えたもうたの如意剛金棒の四番目の娘に乞い願う」
「尖霊もて天空断ち切り、烈日を吹き荒らせ、天嵐槍!」
続けて、
「――古き血脈を用いて、汝の兵器は、蓮華の化身足る我が身に乞い願う」
ふわりと浮いた少女の足元に、ごおごおと回転する炎の車輪が生まれる。
仙儀・螺旋輪。
左手にはさきほどの陰陽剣が、右手には天嵐槍が、右腕には五火炎道手、その反対側には坤離圏が生まれた。さらに肩口から下げられて巨大な竜を模した少女最強の仙儀たる籠・九竜王界殿が吊り下げられ、少女の姿を一変させた。
今こそ、少女は最凶にして最悪な兵器であった。
名だたる仙儀に身を包む、真なる仙人用兵器。
幾多の仙人を微塵に滅ぼし続け、引き裂いてきた絶望の仙女。
「真火もて灼き裂け、螺旋輪」
少女の変化を確認すると、怪鳥は不敵な笑みを見せ、少年に死の宣告を放った。
「さあ、少年。あの世に行くために滑稽なダンスを、盛大に披露してくれたまえ」
事態は、徐々に悪しき方向へと加速していく。




