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第十三話 食い荒らされる大地

今回は後書きがあります

「――いや、すまないが、その話は後にしてくれ」


 そう言った少女の瞳は、商店街の奥まった奥地へと向いたのだ。


「ラユ?」


 何事かと訊きかけた少年だが、それはすぐに取り消すことになった。なぜなら爆発的に膨れ上がる殺気を感知したからに他ならない。


「――――っ!」


 瞬時に警戒体勢へと切り替わった暁斗を隣に、ラユは帽子を引き下げ、驚きを感じながらすっと目を細めた。

 もともと人通りは少なかったが、今や広場には自分たち以外に誰もいなくなっていた。物音が聞こえない街は異常以外のなにものでもなかった。


「……結界の一種だな」

「結界?」

「正確には人払いだけどな。術式で指定した、特定範囲の認識に働きかけてるんだ。……お前の風にやられた以上、今日明日は来ないんじゃないかと思っていたが、どうやら早速食いついてきたぞ」


 警戒しながらも不敵に、少年は笑う。


「ラユ、準備はいいか?」

「……もちろんだとも」


 うなずくと先にラユが歩を進めた。

 彼らが歩いていったのは商店街のはずれにあたる倉庫だった。

 かすかに胸いっぱいに吸い込みたくなるような清々しい香りがする。川が近いのだ。もともと希望市に商店街が出来たのは、自然保護より利益目的とした製鉄工場をかまえてしまおうとした前市長に対するものだった。最初のうちは障害だらけではあったが、今となっては海外観光のスポットへとなるほどに成長した街と言えるだろう。

 ――たとえ、その民が人外の領域であったとしても。

 やがて空の雲が割れてひとつの影を露にした。

 月下、その生物の姿は夜さえ塗りつぶすような黒さだった。


「お前は……」

「我が主から(スン)と呼ばれたが、別に記憶されなくてもかまわん。貴様らのようなおぼこい風情に覚えられても、汚れていくばかりだからの」


 あの仙人に従う怪鳥は、そう言って妖しく笑った。


「驚いたな、ちゃんと言葉が話せるんだな、お前。……にしても、すいぶんと辺鄙(へんぴ)な場所に現れたもんだな」

「社会的被害にスポンサーがうるさいからの。こちらなら遠慮せず力を問題なく行使できるとのことだろう」

(スポンサーねぇ……)


 ラユがかすかに眉をひそめた。

 彼らに後ろ盾になりえる人間がこの国にいるのなら、暁斗の調査が当たっていたことになる。

 ラユは二人(?)の話しを遮断して訊く。


「あの、亡刃(ワンレイ)とかいう男はどうしたのだ?」

「悲しきことに主人は気分屋なものでの〜。今宵は私だけで戦場(いくさば)を歩ませていこうと思ってな」

「…………っ」


 まずい、と暁斗は感じた。

 先に言った通り、この戦いは切り札を通したものの勝ちだ。

しかし、今目の前にいる(スン)ばかりに一考していたら、姿を現さない亡刃(ワンレイ)に対してこちら側が優勢の時に切り札を使えない。

 先日のように自分が足止めになればいいが、残念なことに相手はまだ底を見せてないし、人並みの知性を有している。

 安直にラユが最初から全力を振るい、この怪鳥が<五封勅璽>を持っていなかった場合、あの仙人の男――亡刃(ワンレイ)にやられる可能性が上昇してしまう。

 硬直した暁斗をおいて、(スン)は倉庫近くに植わった樹へと寄り添った。

 乙女の柔肌を撫でるように怪鳥は優しく樹木に触れ、そっとくちばしを近づけると――樹皮を咀嚼(そしゃく)した。


「っ!?」

「まずまず……と言ったところだ。この街の樹は貧弱ですが、どこも丁寧に管理されている。私の為にそうした仕事をした奴隷には賞賛をしてあげよう」


 嬉しそうに怪鳥の顔が歪む。黄色のくちばしの端から異様な量の樹液がドロリとこぼれて、すぐにその意味を知れた。

 突然、アスファルトが割れたのだ。

 そこから抜け出した樹がラユと暁斗へと怒涛のように襲いかかった。


「くっ……!!」


 不利な状況に対して、口から焦りの声が出る。

 同時、暁斗は全身の筋肉を使って人体構造の限界ギリギリの危険極まりない動作で、暁斗が飛び跳ねた。

 一本一本が長い槍のごとく研ぎ澄まされた根を、気を張り巡らし空中を駆ける暁斗の身体はかろうじて躱していく。

 そして少年が思っていた疑問も一緒に解けていく。亡刃(ワンレイ)が使ったあの植物を操る力は、元々こいつが持っていたものだったことに。

 しかし、大方な疑問は解消されてもまだ気になる点があるのは明らかではあった。

 けれど、一撃躱すことに神経を集中しなければ、少年の体勢は大きく崩れてしまう。なので、それをカバーするべく四肢が上体を前方へと動かす。

 それによって少年の現状が、回避から攻勢へと移行。

 すぐさま暁斗は呪術にとって必要な文節を唱えた。


「我の呪いに従い、敵を討て! 輝きの長たる金剛夜叉明王よ! 浄化の炎を下し、大罪ありし外道を死の塵に。その力を! その名を! 民に指し示せ! 炎呪の三十三・白墜火(はくついか)!!!」


 たった三秒で術の発動に必要な詠唱を暁斗は言い終わった。

 炎呪の三十三・白墜火とは正面の空間内に超高温の炎を発生させる前方向焚焼(ふんしょう)殲滅呪術の一つ。

 もっとも下級呪の中で上位に分類されているせいで、文節詠唱という手順を挟まなければ、少年は火の玉さえ出来ていない。

 分かりやすく言えば詠唱しないで使える呪術は、本人が完全に自分のものにした証明だということだ。

 燃え上がる、灼熱の爆炎。

 亡刃(ワンレイ)の蔦を断ち切ったあの雷呪の数倍になる威力を持つ術が大地を焼き――今度は樹槍の表面で、高い音をたてて弾かれていく。


「な――!?」

「ええ。前にお会いしたときは、その奇妙な術にやられたからの。今度は、改良を加えながら丈夫に伸ばしていたのだ」


 楽しそうに怪鳥が微笑する。

 その間にも少年の頬や首元に樹槍は掠め、驚きと一緒に痛みを刻んでいく。デタラメに伸びてるのではなく、こちらの急所を狙っていることは間違いなかった。


「ッ――ラユ!?」


 安否を(おもんばか)って少年の瞳が横に流れた。

 刹那、暁斗は瞠目(どうもく)した。

 いや。

 暁斗だけではない。

 (スン)もまた、息を止めた。


「うん、筋は悪くない」


 そう言って、白いワンピースの少女はただゆるやかに手を動かしたのだ。

 ひどく当たり前に踊り子のように優雅に身を翻し、その手刀は――暁斗の白墜火さえ焼き切れなかった樹槍を、いともたやすく両断した。

 ちょうどニメートルほどの長さに切れた枝を、ラユの手がすとんと受け取る。


「暁斗からは亡刃(ワンレイ)が植物を使ってきたと訊いたが、ひょっとすると本来はキミが使っていたのを譲り渡したのかな? だとすると、キミは蟠桃(ばんとう)でも育てて不死状態になったクチかな? でも、あの戦争のことを知っていればこんな方法はとらなかったと思うよ。キミがあの<動く庭>と呼ばれているのなら――」


 少女もまた、話しながら微笑する。

 いつもとは違う性質の笑みだった。

 不敵で、獰猛で、目の離せなくなるような表情。人というより、美しい獣に似た微笑のまま少女は言い放つ。


「――あの戦争でつけられた、あまり友好的とは言い難い呼び名のひとつだけどね。私は<白美断槍(はくびだんそう)>なんて呼ばれていたんだよ」


 ぎゅるん、と枝――即席の(こん)がしなった。

 すると少女に襲いかかった樹槍が大きく撥ね飛ばされたのだ。最初に跳ね返された樹槍は、たちまち他の根も連鎖的に巻き込んで、あたかもビリヤードの盤面のごとく一気に十数本をまとめて大地に突き落とす。

 鮮烈なる槍術の名は、すなわち『六合大槍』。わずか一動作でおびただしい数の樹槍を弾き飛ばし、続く第二陣の樹槍を前に、少女はそのまま大地を蹴る。

 その爪先が貼りつくようにして、樹槍の上を駆けた。


(軽功――!?)


 ある種の武術に、そうした技法が存在することは(スン)も心得ていた。跳躍力や走力を鍛え、縦横無尽に世界を疾駆するという技術の総称だ。彼自身、一定のレベルであればそうした技術を扱うこともできる。

 しかし、これほど見事な例は知らぬ。

 異常な速度でうねり突き出される樹槍の上で、なおも加速して迫る疾風の軽功術。まるで本当に体重を減らしたかのように、少女は即席の棍を片手にこちらへと滑り込む。

 戦慄する(スン)は、それでも正しく動いた。


穿(うが)て!」


 樹液を吸われた怪異に従い、樹槍の数々が巨大になり増加する。

 立て続けに放たれる四十八本の樹槍は、もはや点ではなく面で襲いかかる制圧射撃。速度や旋回性では向こうが上回ると考え、(スン)は物理的に回避できる場所を潰しにかかった。

 だが、それでもなお。

 白い少女は止まらなかった。

 宙返りざまに跳ねたワンピースが、片手の棍で樹槍の軌道をずらし、こじあけた隙間へと飛び込んでいく。空中で身体をねじくらせながら、トレードマークの帽子さえ落ちようとはしない。人間どころか仙人離れした軽業の極地にニコリと微笑み、ラユは怪鳥の懐へと入り込んだ。


「ごきげんよう」


 ラユの言葉は、むしろゆっくりと(スン)の耳に届いた。

 時間感覚を歪ませるほどに少女の動きは鮮やかだった。飛び込む勢いに、仙人の剛力と遠心力を乗せた棍の一端も緩やかに見え――るのに、防ぐことは叶わなかった。

 胸郭を打撃する攻撃力は、手榴弾の爆発にも匹敵した。

 文字通り、(スン)の身体が吹き飛ぶ。

 水面に石を投げつけて遊ぶ、水切り遊びのようだった。何度となく叩きつけられた身体は、樹槍の氾濫でひび割れていたアスファルトを砕き、倉庫の壁でようやく停止した。

 濛々(もうもう)と粉塵がたちこめたのは、少し遅れてのことだった。




「……す……すげぇ……」


 凄まじい景色に、暁斗は(つば)を飲み込んだ。

 今の攻防を、寸分違わず少年は見取っていた。あまりに高度すぎて通常の感覚を超えたような戦いであったが、少なくともラユの圧倒的な能力だけは身に染みた。

 最凶の兵器とかという大げさな異名に、初めて納得がいった。

 仙儀だとか不死状態だとか、まるで関係ない。ごくごく単純な戦闘能力において少女はあの怪鳥が上回っていたのだ。

 これなら何の心配もいらなかったのではないか。


「は、はは……」


 掠れた笑い声がこぼれる。

 ほんの一瞬、少年の緊張がほどけ、安堵が先に立ってしまった。深く深く息をついてから、少女に声をかけようと視線を向けた。


「キミ」


 と、ラユが言ったのだ。


「何も終わってないぞ、まだ」

「え……」


 少年が、瞬きをする。

 次の刹那、


「……まあ、その通りだな」


 と、影か起き上がったのだ。

 少年が喉をひきつらせたのは、その起き上がる最中に、怪鳥の砕けた胸がグジュグジュと泡を立てて再生していったからだ。


「幾多の封印がかかって、この程度か。これでは伝承の方が過小評価だったと先人の愚鈍な報告を非難しなければならん。とはいえ、今の内功の練り具合は、仙人として手に入れた力というより、元々の才能が開花した結果という方がしっくり来る。――いやいや、それともそういう才能があったから拷問道具の器として選ばれたというべきかの?」


 そんなことを言いながら、血染めな身体を月光に晒す。

 晒してから数秒で、怪鳥の傷は完全に塞がっていた。

 ラユが、眉を寄せる。


「前の夜のときも思ったが、キミの生命力は高すぎるだろう。そこまで来ると、治癒とか回復いうより再生だ。トガゲの尻尾の方が可愛いげがある」

「ふっ、まあ私の一族はそうした不死状態でして」

「陽光が苦手な分だけ、夜の力に特化したタイプか」

「お好きに考えればいい」


 悠然(ゆうぜん)と、(スン)はうなずいた。


「そういえば、貴様もずいぶんと決着をあせっているな。よほど(チー)の消費を控えておるようだ。せめて仙儀の一つぐらいは使えばよいのではないか?」


 さきほどの棍を構え直し、ラユの瞳が鋭い気迫を宿す。


「だったら滅びきれるまで滅ぼすぞ。生半可では滅べない、自分の不死状態を恨め」

「ああ、それならもういいのだ」


 (スン)が、かぶりを振った。


「そういうやりとりなら、さきほど打擲(ちょうちゃく)されたときに終わっている。さすがに、あれほどの功夫(クンフー)は想像しておらぬゆえ痛すぎたが」

「――――!?」


 少女の眉が寄った。

 次の瞬間、ラユの身体に突然朱色の蔦が巻き付いたのだ。

 ――いや。

 違う。

 巻き付いたのではない。

 少女の肌を破り、血飛沫をあげて、その蔦はラユの内側から芽吹いているのだった。


「ラユ!?」


 慄然(りつぜん)とした暁斗をおいて、(スン)は得意げに鼻を鳴らした。


「うちの一族で育てている冬虫夏草の一種での。その蔦は貴様の(チー)を食らって繁茂する。言っとくが下手に千切ったりすれば、残った根はますます強烈に(チー)を食らうようになるぞ。骨や臓腑まで根付いてしまうと、いくら仙人だろうと苦しくなるはずだ」

「――、てめぇ!」


 激情が、少年の恐怖を吹き飛ばした。

 大地を蹴る。

 呪力によってサポートされた跳躍は、ろくな助走もなしに数メートルを跳んだ。そして少年の意思によって両腕を左右に広げる。この人外相手にどのような攻撃なら有効かなど、まるで分からない。だが、分からないかといって何もせずにいることなど、暁斗にはもっと不可能だった。

 すると、別の影が遥か上を行く速度で少年に接近した。


「――そうだァ、その顔が見たかったんだ」


 囁きが耳朶(じだ)を打った。

 漆黒のスーツを纏った若い青年が、淡く笑っていた。

 亡刃(ワンレイ)、と名前を思い出すより先に、若い男は闘気溢れる拳を振りかぶった。


「なァ、もっと啼いてくれるかァ?」


 至極単純。

 何の技術も技法もなく、ただの拳は凄まじい速度で肉薄した。

 必死に回避した暁斗の制服を掠め、その拳が近くの電柱を打つ。ラユの一撃を手榴弾に例えるならば、これは迫撃砲にも勝る領域。青年の拳が触れた地点から電柱はいとも簡単にふたつに砕かれ、吹き飛んだ先端が倉庫を巻き込んで、ボウリングのように倉庫の原形を崩壊させた。

 同時に暁斗も無事ではなかった。

 掠めただけなのに、衝撃で身体を持っていかれプロペラみたいに回転しながら地面に叩きつけられる。咄嗟の判断で最善の角度とタイミングで全身を動かさなければ、間違いなく重傷であっただろう。


「……かっ、はぁ」


 血息の混じった呼吸が、気管からこぼれる。

 やはりこの男はラユとも(スン)とも違った。緻密さと大胆さを兼ね備えた武術でも、仙人ならではの技巧でもなく、ただひたすらに単純な暴力極まる破壊の権化。

 ぱん、とその拳を自分の掌で鳴らして、若い男は不満そうに唇を尖らせた。


「……ふんっ、この程度かよ。これならお前だけで十分だったなァ」

「脳髄スカスカの無能であるのも大概にせんか。まだ体調は六割戻ったか戻らないかのあたりと愚考するが。いや、もちろん主の神経がカバ並みのウスノロと知っておるが、せめて休息をとるだけの理性を期待したいものだ」

「誰が脳髄スカスカの無能だと言ってんだァ〜? その良く回る舌を奥から抜いてやっから、沈黙していろォ!」


 言って、若い男は怪鳥より三メートルほど歩いて手を翻した。

 朱色の――血の色の蔦に封じ込まれたラユへ、手のひらの品を見せる。

 ラユの表情が、大きく揺れた。


「分かるかァ? 分かるよなァ。お前にとって一番見たくない仙儀だもんなァ」


 亡刃(ワンレイ)が微笑する。

 その白い手には、小さな金属の像がのせられていた。黄金の獅子をかたどったその像に、動けぬラユの瞳は強く吸いつけられた。


「なにせ、これが……<五封勅璽>だからなァ」

(駄目……だ……っ!)


 暁斗が、呻く。

 さきほとの拳打で、全身の神経が麻痺してしまっていた。頼りの呪力でさえも纏わせている真っ最中だ。少年のあらゆる意思を無視して指の一本も自由にならない。立ち上がろうとする意思が、片端から虚空に呑み込まれてしまうかのよう。

 勝ちどきのごとく、亡刃(ワンレイ)は口を開いた。


「六道天仙の血をもって、亡刃(ワンレイ)が太極符印の五番目の観音に命ず」


 仙儀起動の、口訣。

 それが終わればラユは支配されるのだと、嫌でも分からされた。いつだって自由気ままに風か雲のように奔放な少女は、二度とその笑顔を見せないのだと直感させられた。

 なので。

 どうしても、許せなかった。

 普通に暮らそうとしている人は、守られるべきだ。

 普通の人――唐突に理不尽な存在によって自己を奪われた幼なじみの彼女のような人間は。――だから、戦い方を学ぶために自分から軍に入ろうと思ったのだ。


「あああ、ああああああああああ……っ!!!」


 無理矢理にでも立ち上がる。

 呪力にも頼らず、足をアスファルトに打ち付けるようにして、身体を持ち上げて疾駆する。一歩ずつが岩を地面から掘り起こす気分だった。自分の身体は残らず、鉛に変わったんじゃないかと思った。

 それでも、彼らは十分に予想していたはずだ。

 仙儀の起動のため、極度に集中しなければならない亡刃(ワンレイ)の代わりに、(スン)が立ちはだかったのだ。


暗冥(あんめい)、太極、盤古(ばんこ)の渦、負言(ふげん)をもちて未来を成す。まつろわ――」


 しかし。

 むしろ暁斗に反応したことが、彼らにとって致命的なミスだった。

 まったく別の方角から、影が跳んだのだった。

 それに反応した(スン)は、今度は逆に暁斗の手によって押さえられた。無論、現状を見れば怪鳥が振りほどくことなど一瞬ですむ。しかし、この場合はその一瞬こそが勝敗を分けた。

 (スン)が反応するには小さすぎるその影が、集中していた亡刃(ワンレイ)の手から、玉璽を奪い去ったのである。


「このっ……!」

「よし! 上手くいった……」


 暁斗が喝采する。

 <五封勅璽>が現れたとき、とにかく一瞬だけでもいいから気を惹き、街中に飛ばしている鳥型の式神を使い強奪するというのが、暁斗が考えた作戦だったのである。激戦ゆえに少年も半ば忘れていたその作戦は、この土壇場で活路となった。

 血相を変えた亡刃(ワンレイ)(スン)が、猛烈な勢いで踵を返す。

 玉璽を奪った式神は、旋回しながら暁斗の元へと戻ってきた。

 玉璽を奪われたことにより、亡刃(ワンレイ)が顔を豹変させ、身体を反転する。その動きだけでアスファルトにひび割れが起こり地面が盛り上がった。


「この糞ガキがァアアアアアア!」


 亡刃(ワンレイ)の顔は怒っていた。仙人より脆弱な人間が自分の想定を超えたことに、怒りを露にしているようだった。

 若い男が言い終わると同時、亡刃(ワンレイ)の姿が暁斗の視界から消えた。

 まるで野性動物が森に身を潜めるように擬態したのではないかと思えるほどの出来事だった。


「そこに突っ立てるしかできない人間の分際がァ、邪魔しようとしてんじゃねェッ!」


 亡刃(ワンレイ)が暁斗たちに向かってくる。

 その、刹那。



 ある者の身体がくり抜かれて、致死量になる血が吹き上がり、大地を赤く染めた。



 その瀕死の傷を負ったある者の名は、亡刃(ワンレイ)

 後方から(スン)が使う仙儀の蔦が亡刃(ワンレイ)の胴体めがけて一気に抉り抜き、深々と確実に貫いた結果である。

 時間にして暁斗の視界から亡刃(ワンレイ)が消えた、わずか二秒の間。


「がッ……ぐっ、キサマ……」


 壮絶な痛みがこみ上げ、声も出せない亡刃(ワンレイ)の様子を無視して、突き刺した蔦を横に薙ぎ払う。その蔦はあっという間に、亡刃(ワンレイ)の胴を真っ直ぐにまるで芸術だと錯覚するほどに美しく動いていく。抉った痕跡を景色に加えるように赤色の一本線を空に描き、血と臓腑が床へと散らばっていった。

 そのまま赤く染まった蔦は、暁斗の式神が持っていた玉璽を奪い去ると(スン)の体内に戻り、怪鳥は被害を受けていない倉庫の屋根に乗った後、動きを止めた。


「…………」

「何なんだ、一体……」


 少年は目の前で起こった事象に、つい言葉を漏らした。

 これでは意味がない。<五封勅璽>を奪ったのなら、すぐさま撤退する予定だった。だというのにこの事態に対処出来ず、怪鳥によって簡単に奪い返されてしまった。

 奪い取った当の本人はどこか恍惚と――何もかも忘却したように、夜空を見上げて立ち尽くしていた。


「……また……」


 ぶるり、と怪鳥が身を震わせた。

 禍々しい毛が月光を弾き、異様にギラギラと眼が輝いている。


「また……手に入れられたぞ……<五封勅璽>を……」

「――どういうことだ、(スン)!」


 若い男が、鮮血を流しながら呻く。

 こちらも、いつもの亡刃(ワンレイ)ではなかった。

 恐ろしいまでに強く、獸以上に凶暴だった若い男は血走った瞳を怪鳥へと向けて、喉も裂けよとばかりに叫んだのだ。


(スン)! キサマが今回の行動を取るなら、先に盗まれていた<五封勅璽>にも関与してるのか!」


(……………………………………)


 何か、ずれた気がした。

 今の言葉はどこかが決定的におかしいように思った。

 (スン)がすでに<五封勅璽>のひとつを盗んでいた?

 何のために?


「あの<五封勅璽>なら……それの封印を解いたときに壊れた。それもそうか。どこかの一族が封印を解いたあげけ、そのバケモノを私物化してはかなわんものな……」


 くつくつと、怪鳥はこちらを振り向いて笑う。

 嗤う。

 見たこともないような顔で、嗤う。


「おかげで……ずっとそれを探すことになった。……ずっとずっと……そんなバケモノを探さなければいけなかったんだ。……貴様らに……この感情が分かるか……」



 ――何を、言ってる?



 暁斗の思考は、完全に停止していた。

 (スン)の言っていることが、まったく理解できなかった。理解できないのに背筋をザクザクと悪寒が突き刺した。


「ラユ、貴様はァ!」


 (スン)が、吼えた。

 いままでのような――かすかな慇懃無礼(いんぎんぶれい)など消え去った声音だった。


「……まさか、キミは」


 ほんの一瞬。

 押し殺したようなラユの声が、夜風に紛れ。

 足元に、<五封勅璽>たる玉璽をおいて月に吼えるがごとく怪鳥は猛った。



 ――何をしている?



朱鎖(しゅさ)の血をもって、(スン)が太極符印の五番目の観音に命ず」


 口訣。

 もはや、暁斗にも亡刃(ワンレイ)にもそれは止められない。

 大地から膨大な量の気が吸われるのを暁斗は感じた。自分自身からも生命力がごっそりとられ、たちまち視界が暗くなっていった。


「暗冥、太極、盤古の渦、負言をもちて未来を成す。まつろわせよ、まつろわせよ、()を律令のこどく御してまつろわせよ、五封勅璽!」


 現象は、さして派手ではなかった。

 大地がめくれあがることも、炎が世界を蹂躙することもなかった。

 ただラユの身体がくの字に曲がり、その胸に一瞬光の図形が浮かび上がった。

 文字だったろうか。暁斗が見たこともない複雑精緻(せいち)で、楔のような文字だった。その文字が少女の身体に吸い込まれるや否や、ラユの身体から芽吹いていた朱色の蔦はたちまち茶色く干からび、片端から枯れていったのだ。


「仙、儀が――」

「ラ……ユ……」


 亡刃(ワンレイ)が呻き、脱力感に膝をついた暁斗はかろうじて顔をあげる。

 一瞬、助かったのかと思った。

 (スン)のやったことは、何かこの少女を助けるために必要な演技だったのではないかと、そういう風にも思った。そういう風に思いたかった。思わせてほしかった。

 一陣の風が吹き、少女の大事にしていた白い帽子がふわりと落ちる。

 そこに、ラユはいた。

 しかし、ラユではなかった。

 開いた瞳に、火眼金睛の色が浮かび上がっただけではない。あらゆる感情を喪失させた表情が、ゾッとするほど美しかったからでもない。

 透き通って見える横顔は、いつもの数倍も美しく見えたが、暁斗の知るラユはこんな冷たい表情をする少女ではなかった。姿も人間性(なかみ)も、そっくり入れ替わってしまったかのような――


「ラ、ユ……? おい(スン)! これは――」


 暁斗が、猛然と振り返る。

 怪鳥は。

 答えない。


「…………」


 ただ、醜く笑っていた。

 暁斗を、亡刃(ワンレイ)を、世界を、そして変貌したラユを――自分の不快とする一切の者を前に、たまらないというように嗤って、


「全て潰せ」


 怪鳥は、短く命ずる。



「分かりました」


 うなずいたラユの手が、どこからか金属の(リング)を持ち出した。


 仙儀。

 そして、口訣。


「……古き五氏族の血を使いては、汝の兵器、始解天仙与えたもう乾坤日月珠(けんこんにちげつじゅ)の五番目の娘に乞い願う」


「っ――!」


 亡刃(ワンレイ)も、けして茫然とはしてなかった。

 もぎとるように左耳のイヤリングを外し、呼びかける。


「六道天仙の血をもって、亡刃(ワンレイ)が畜生道の四番目の観音に命ず」


 焦燥にかられてか、口訣も速まっていた。

 周囲から(チー)を食らうのさえももどかしく、足りない分は自分の生気をもって代用し最大最速で仙儀を起動する。


「……黒曜集めて()り潰せ、霊彗能(れいすいのう)!」


 今度は口訣の完成とともに、少女は超重量の黒球を両手で振り回した。

 ハンマー投げの要領で思い切り旋回し、その遠心力をもって黒球を投擲する。拳ひとつで倉庫を砕く仙人がその腕力と不死状態を十全に活かしての一撃だ。控えめに見積もっても、ビルの一棟程度は跡形もなく破壊するに違いない。

 だが。


「陰陽、万刃、一切断絶せよ、坤離圏(こんりけん)


 ラユの手から放たれた巨大な金属輪は、凄まじい勢いで回転しながら、霊彗能と激突した。

 流れ星のように、火花が散る。

 拮抗する。

 いいや。

 亡刃(ワンレイ)の放った霊彗能を切り裂きながら、坤離圏と呼ばれた金属輪が徐々にこちらへと迫ってくる。

 ばかりか、振り返りもせずに少女が手を振ると、背後にある倉庫一つ残らず両断された。その危機を感知した自動迎撃用のドローンさえも破壊し、その手がこねるような動作をすると短い金属の槍が現れる。

 新たな仙儀が。


「――古き五氏族の血を使いては、汝の兵器、始解天仙に与えたもうたの如意剛金棒の四番目の娘に乞い願う」

「仙儀を、同時に使用かァ!?」


 亡刃(ワンレイ)の唇からこぼれた声は、悲鳴に近かった。


「真火もて灼き裂け、尖霊――」


 寸前、ラユの口訣は止まった。

 今にも坤離圏に断ち切られようとした亡刃(ワンレイ)の身体が、横合いから首元を捕まれ、紙一重の差で持ち去られたのだ。結果として坤離圏は虚空を断ち切るにとどまり、ぐるりと弧を描いて、ラユの手首へと帰還した。


「え……?」


 ぽすん、とアスファルトに亡刃(ワンレイ)は下ろされた。

 それでも、しばらく若い男は絶句していた。信じられぬと言うように目を見開いている。

 理由は簡単だ。

 若い男を助けた者は、ついさきほどまで殺し合っていたはずの少年――暁斗だったからだ。


「なんで、テメェがオレを助けてんだァ!?」

「そんなの、知るか!」


 半ばやけくそに叫んで、少年は顔をあげる。


(スン)! もういいだろ!」

「……もういい?」


 巨大な怪鳥は、つまらなげにこちらを見下ろしていた。

 友好的な意味合いなど、まったく感じられないその瞳に向かって、少年は訴える。


「ああ、もういいだろう! お前の主を傷つけてまで、その<五封勅璽>を手に入れる必要ないだろ。立場的にそっちの勝ちはほぼ確定してるんだから、ラユを戻してくれないか?」

「馬鹿だな」


 吐き捨てるように、怪鳥は告げた。


「言葉にしなければ分からないほどの愚かなのか? これはもう(ワシ)の武器だ。(ワシ)の兵器だ。(ワシ)の仙儀だ。解放するつもりなど毛頭ない。の念願が叶うまで、ずっと有効利用させてもらう」

(スン)……っ!」


 とりつくしまもない回答に、少年が言葉を失う。

 振り返って、ふたつの仙儀を携えたままの少女へと呼びかける。


「ラユ――っ! お前は、お前はこんなんでいいのか!」

「…………」


 こちらも期待したような返事はなかった。

 暁斗を映す瞳は、ただのガラス玉のようだった。感情どころか、一切の精神活動を禁じられた色に、少年は脊椎(せきつい)を引き抜かれるような衝撃と混乱を覚えた。

 その少女の身体が、かすかに(かし)いだ。


「――ラユっ!」

「少し、(チー)が足りないか。もとより、この街に来てからろくに吸ってなかっただろうからな」


 (スン)が、冷たく言う。

 単純に、自分の所持する携帯の具合を確かめたというだけの平坦な声だった。


「まだまだ無理も利きそうだが、今はそうする意味もない。ここは退散するとしょう。なんならもう少しお遊戯を続けても構わないが、そういう気力はもうないだろう?」


 確かめ、怪鳥が踵を返す。

 ラユも、それに(なら)った。

 全壊した倉庫の向こうへ去っていく一匹とひとりを、誰も止めることは出来なかった。

 ひび割れたアスファルトの上で、かつてラユのかぶっていた白い帽子だけが、寂しそうに風に揺れていた。


※補足情報

呪術で詠唱するのは威力を増加する為と本来の威力が出せない為があります。今回の場合は後者の意味になります。

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