第十二話 生き方が変わった日
放課後までは、あっという間だった。
思う存分に振る舞い、肌まで艶々した穂波をなんとか説得し、屋上に戻ったラユのもとへ暁斗は新校舎の階段を上っていった。
扉を開くと、赤光が目を刺した。
ホームルームが長くかかったためだろう。
空はほんのりと赤く染まっていて、柵にもたれかかったラユの白い帽子も、ゆっくり同じ色に侵食されていった。
衣装は制服のままで、西の方角を見ていた。
「あ……」
と、暁斗が息を止めた。
その夕陽の向こう側から、少女は観光以外の目的があって来たのだろうと、とりとめなくおもったのだ。
ずっとずっと遠くの国からやってきて――もとの国へと去っていくかのような、そんな錯覚に襲われたのである。
声をかけるより先に、ラユの方が振り返った。
「ああ、キミか」
と、淡く微笑した。
「お、おう」
面食らいながらも、うなずく。
さっきの妙な感覚が起きないことに、少しだけ安心した。
多分、初めて見た制服姿にちょっと驚きすぎただけなのだろう。外見の年は自分と変わらないのに、どこか達観した性格をした少女は、暁斗の知っているものに違いなかった。
「いやあ、なかなか面白かったぞ。図書室、体育館、コンピュータルーム、トレーニングルームに各種部活まで一生懸命に回り、結局昼休みだけじゃ間に合わないみたいですねーとか言って、最終的にはあの子と二人で授業時間もこっそりいろいろと付き合ってもらったよ」
「付き合ってもらったよじゃなくて、羽浦に振り回されたの間違いだろう」
これは暁斗がラユに近づいてから、言った。
「まあ、羽浦のあのワガママな性格については多少我慢してくれ。そのかわり制服はしばらく貸してくれるそうなんだぞ?」
暁斗は少女の制服に、指を指しながら言葉を続ける。
と、ラユがプリーツスカートをつまむ。
それから少女は思いついたように訊いた。
「暁斗は、あの生徒会と親しいのか?」
「んーまあ、いいお客さんでもあるかな。……トラブル解決屋としては都合よく使われるんだけど、あの後輩たちなら別にいいやって思ってる節もある」
「……なるほど。そういえば聞いたことがなかったな」
「何のことだよ」
「キミ、どうしてトラブル解決にこだわるんだ」
少女の言葉に、暁斗が瞬きした。
ラユは夕陽を背にしたまま、静かに少年を見つめていた。
「……あいつらから、何か聞いたのか?」
「あの穂波というキミの後輩と、黒原という同級生から少しずつ、だな。細かいところまでは聞いてないと思うぞ」
「そっか」
暁斗が、小さくため息をつく。
「お節介焼きだからな、あいつら」
「稀な美徳じゃないか。そうした人間と交誼を得られるのは、人生の醍醐味だろう?」
「どうだろ」
ぼかして、暁斗は片目をつむる。
「……昔、ある賭けをしたんだ」
「昔?」
「ああ、もう七年ぐらい前だよ」
遠い、思い出が明滅した。
それは炎に焼けた場所だった。
瞼を閉じなくても、いつだって思い出せる。フラッシュバックする。あの場所の熱が、あの場所の音が、あの場所の臭いが、否が応でも少年の脳裏に浮かび上がる。
たとえば、それは――
「…………」
たとえば、それは――炎に巻かれた人間の絶叫であり。
たとえば、それは――人の肉が焦げた臭いであり。
たとえば、それは――
――『じゃあ、だったら暁斗の千円と私の全てを賭けよっか』
――『こんな事故で悪い事をしてない人が死んでいいわけない、死ぬべき人間は他にいるのに……』
「その頃さ。実家が火事に遭ったんだよ」
と、少年は告白した。
「たまたま翌日が幼なじみの誕生日で、誕生日用のプレゼントを買った俺は、すげぇニコニコして近所から豪邸やら屋敷と呼ばれてた実家に帰るときだった。まあ火事の原因自体は、ガス事故だかなんだからしいんだけど、困ったことに防火設備までオンボロでな。結構な数の人間がシャッターで閉じ込められてたんだわ。しかもシャッターがやたら頑丈らしくてな。自分が来たときになって、急に爆発するわ、ガラスの破片が飛んでくるわ、思い出してもあそこのつくりは最悪だったな」
なんとも曖昧な笑顔で、暁斗は肩をすくめた。
「でまあ、怖くて怖くてぎゅっと服を握りしめてた俺は、明日菜に言われてさ」
「明日菜?」
「翌日が誕生日だった幼なじみの名前だよ。――騒ぎを駆けつけた野次馬はさもう諦めて泣き叫んでるし、しまいには笑いながら携帯で写真撮ったりするやつもいるしさ。俺ももう駄目だ、絶対に助からないってそりゃ言うとも。なのに、その明日菜は絶対に助かるって言い張るんだ。暁斗の家族は絶対に助かるんだってさ。あとはもう平行線で、助かる・助からないと互いに言い張ったあげく、じゃあ賭けてみよっか、って明日菜に切り出されたんだよ」
暁斗の目が、遠いどこかを見つめるように細まった。
「今持ってる暁斗の財産と私の全てを賭けてしよって言うから、ちょうどあった千円札を賭けた。なんで千円にしたって言われたら、多分それだけだよ」
「それで……キミの家族はどうなったんだ?」
「実家に来てたお手伝いさんも含めて全員病院に搬送されてから、あっさり死んでいった」
あっけらかんと、少年が答えを口にする。
見も蓋もない簡素な現実。
当たり前の、結果。
――『だって、助かったのは君だけなんだから』
何度もリフレインする、その言葉。
「父さんが治療受ける前さ。破裂した金属片に刺されるわ、高温ガス吸うわの滅多打ちで、さすがの現代医学でもなんともならないよな。そんな事ぐらい明日菜は分かってるのにさ、こう言うんだよ。絶対に助かるって、助からないとおかしいって、そんなに叫んでるのを聞いてるとさ。俺が思ってる事を代わって言ってるんだなって理解しちまうんだよな」
「…………」
ラユは、沈黙するしかなかった。
「あーあー、気にすんなって! もうずっと昔のことなんだから」
慌てて、暁斗が両手を振る。
「つかお前は、どこまで聞いてたの?」
「私が聞かされたのは、お前が火事に遭ったことだけだ」
と、ラユが眉をひそめた。
少し考えてから、訊いた。
「だから……なのか?」
「何がだよ」
「そのときの家族を守ってくれるような人がいたらいいのに、と思った?」
「……どうだろ」
暁斗が首を傾げる。
「さっき、千円を賭けたのは偶然だって言ったよな。――でもまあ、当時の俺でも持ってたし、依頼時給千円ってバイトとして変じゃないだろ」
暁斗は、困ったように笑う。
「だから、そんなお金だけで一人じゃ対処できない危機を手伝えるなら、そりゃ楽しいことかもしれないって思うんだよ。世界に正義の味方なんて数えるしかいないだろうけど、千円で味方になってくれる誰かがいるなら、少しは生きやすくなってもらえるんじゃないかって」
少年の言葉は、夕暮れにしんと染まった。
結局は偽善者だよな、と暁斗は思う。自分にこんな過去があるからしようとしただけ、とりあえず『何かをやり遂げた』という慰めが欲しいだけ。欲にまみれてる人間がここにいるだけだ。
いつのまにか、空の端を薄く占めていただけの緋色が、世界全体を覆っていた。すぐに夜の闇に乗っ取られるにしても、今この時間だけはすべてが燃え上がってるようだった。
「だから、そんな深刻な顔すんなよ。それより、僵屍仙の対策の方が先だろ」
「あ、ああ」
うなずいたラユは、少し戸惑ったように自分の指を絡めた。
「……うん、そうだな。そうしよう」
大事なものを納めるように、胸に手を置いたのだ。
それから少女はついと視線を移す。
「んだよ、まだ何か言いたいのか?」
ラユは柵からこちらを見つめ、暁斗の言葉に被せるように口を開いた。
「――キミの幼なじみは、今どこにいるんだい?」
少女の言葉に、暁斗は一瞬目を見開いた。そのあと、視線をずらし数秒間だけ沈黙する。
だが、暁斗は意を決して柵にもたれているラユへと目を向け、言葉を紡ぐ。
「……今は、親戚の家にいるよ。それより俺個人の身体能力じゃ心許ないけど、呪術は使えるからな」
暁斗は軽く咳払いをする。
少しだけ、その声音から皺が取れるようにも思えた。
「だから今夜から仕掛ける。手伝ってくれ」
短く、少年は告げたのであった。
◆
――そして、また夜が来る。
暁斗たちは、商店街にいた。
平日の夜になると、この街の人通りはぐっと減る。慣習上多くの店が早めに閉じてしまうからだ。通りのあちこちに置かれた電光掲示板や、人間を模したマネキンたちもこの街の時間に従って、こつりこつりと微睡んでいるようだ。
ちなみに、一昨日暁斗たちが亡刃と戦った地点は工事中とかいう理由で通行止めになっていた。ネットを使って調べたように、何らかの圧力が事件に働いているのは確からしい。
夜目にも鮮やかな色の多い通りを歩いていると、途中で暁斗が何かを思い出したように離脱した。
が、すぐに戻って来た。
「どこかに電話してたのかい?」
制服からワンピースに戻ったラユが訊くと、少年は小さくうなずいた。
「ああ、夏希さんと生徒会の二人ところ」
「何か言われたか?」
「夏希さんからは何も。羽浦からは、最近物騒なんだから先輩もあんまり無茶しないでくださいね、って釘を刺された」
「そうか」
白い帽子の端をつまんで、ラユが苦笑した。
一昨日の事件が隠蔽されてる以上、最近物騒とか言われる発端は自分と暁斗が出会ったときの事件だろうと思い至ったからだ。生活で枯渇した気を、つい無意識に吸ってしまったことによるものなのだが、人の目を引いてしまったことは間違いない。今回の亡刃や喰を撃退しても、自分の追っ手はこの事件を手がかりとしてやってくることだろう。
どちらにせよ、希望市には長居できまい。
それでも――ほんのひとときでも、自分の理解者ができたことは嬉しかった。
だから、こそ理解者のことを記憶に残そうとラユは口を開いた。
「……そういえば、キミがよく言う来栖とかいう青年は事故に関わらなかったのかい?」
「その人とは知り合いどころか、まだ他人だったよ」
「?」
眉のあたりをひそめたラユに、暁斗は困ったように笑う。
「あの火事で早めに家族を亡くして孤児院に入れられた俺は、父さんに貰った小遣いの千円を握って泣いてばかりだった。――んで、孤児院生活の二年間に色々とあり軍に入隊することになった結果。見習い軍人教育施設『関東養成所』の所長である来栖さんに出会ったって感じ。というかそのへんは正紀あたりから聞かなかったのか?」
「……少し、聞いた」
少女が、視線を合わせてゆっくりと答えた。
学校を案内しながらあの羽浦と黒原は、自分と暁斗の関係についていろいろと興味深げに尋ねてきたのである。そのやりとりで、逆にラユが教えられたことも多く、暁斗の過去についてもそこに含まれていた。
――『あいつが人を拾うのは、呼吸するのと同義だけどね。過去の話までしてるのは珍しい』
授業合間の休み時間、羽浦穂波につかまった黒原正紀は、ラユを図書室などに案内しながらそんな風に言葉を継いだのだった。
――『来栖さんは、確か暁斗君の父方の知り合いらしいんですよ。本当ならそこから様々な支援を受けれるはずなんですが、暁斗君は断ったそうで。本来なら一緒の家に住んでてもおかしくないんですがね』
――『自分も見習い軍人をしているから、話すところを見ますが二人とも別に喧嘩してる関係じゃないですね。ただあいつの中で他人の財産を受けとる理屈が立ってないんじゃないでしょうが。スーパーのセールとかうるさいのも、そういう理由だと思います。あいつ、あれでも成績が良いんで奨学金も取ってるはずですし』
「来栖さんとは、一緒に住まないのか?」
訊くと、暁斗は首を傾げた。
「んー、あの人からもずっと勧められてんだけどさ。嫌ってわけじゃないんだけど、なんかしっくり来なくて」
「しっくり来ない?」
「俺は、俺の手の届くものだけで過ごしたいんだよ。でないと落ち着かないからさ」
「でもそうしたら、今みたいにセールのちらしだとか。目を皿みたいにして調べなくてもすむんだろう? バイトだって掛け持ちをしないで、楽にできるんじゃないのか?」
「まあ、それは間違いないだろうな」
暁斗がうなずく。
商店街の大通りを歩きながら、少年は遠い目になった。在りし日を思い浮かべるかのように、ほんのわずか歩みがゆっくりとなる。
夜道には、まだ屋台の匂いが残っている。
あるいは拉麺や焼鳥といった料理の香りであり、あるいは美味しそうなカレーの香りであった。鼻歌でも歌いそうな顔で、それらの匂いをのんきに楽しむラユを見ながら、少年はぽつりと呟いたのである。
「でも……なんか、それだと流されっぱなしじゃないか」
「火事のことか」
先ほどの表情とは変わって、ラユは神妙な顔つきになった。
「ああ。それも理由のひとつ」
あっけらかんと、少年は肯定した。
「いつもいつも、自分にはどうしようもないことばかりで引っかき回されてさ。奪われるものは片端から奪われて、そのくせ、向こうから頼みもしないものばかり押しつけてきて。――なんか、そういうのってたまんないだろ。自分でも決められることはあるんだって、そう言い張りたくもなるじゃねえか」
暁斗が言う。
「火事に遭ったのは仕方ない。隣にいようとしてくれる人がいるのも嬉しい。だけど、それ以上の物をもらうのは、何もかも他人に決めつけられてしまってるようで悔しい」
「……そうか」
ゆっくりと話す暁斗の横顔を見て、ラユの表情にさざ波が揺れた。
辛そうで、悲しそうで、少しだけ別の感情も交じっていた。
ああ、だからキミはそんなに強いんだねと、声にならない声で囁くようだった。
「つまんない意地だよ」
と、少年は微笑した。
「奪われたけれど、失ったけれど、それが全部しゃないって言い張りたいだけ。だから来栖さんには悪いけれど、今のところは自分の手の届くものだけで過ごしたいんだよ」
その少年の言葉に、くすくすとラユは笑った。
「……なるほど。時々、キミは不思議なところでロマンチストなんだな」
「は? ロマンチスト?」
聞き慣れない単語に、少年は瞼をパチパチする。
「だってそうだろう。別段他人の手を借りようが、自分の得た物だけで過ごそうが意味はないはずだ。だけど、キミは意味がないことを分かっていながら、それでも意味を見いだそうとしている。そういう感情に名前をつけるとしたら、ロマンチスト以外ありえないだろう。うん、私はそういうの嫌いじゃないぞ」
「…………っ」
暁斗の顔がみるみる真っ赤になる。少女の評価がよほど少年の意表をついたらしかった。
「お、おお……そうか。ありがとうな、ラユ」
暁斗優しい笑みを見せながら、ただそっと少女の頭に手をおいて礼を言う。
「――あ、暁斗。いつまで撫でるつもりだ」
「あ、さすがに嫌だったか?」
わたわたと手を振って、ラユは慌てた表情になる。対して少年はもう冷静な顔で謝罪する。
「別にキミになら嫌じゃない……。そ、それよりさっきから歩いてるが、彼らの居場所に向かうのか?」
「別に行ってないぞ」
「は!?」
顔をしかめたラユの前で、暁斗は軽い調子で喋りながら振り向いた。
ほかの通行人に聞かれぬように声を潜め、暁斗たちに語りかける。
「逆に、むこうから来させようと思ってる。今俺たち以外の気を呪術を使って消してる。そうなったら、変だと感じて出てこざる得ないだろう?」
真剣な様子で、口を開いていく。
「モノによるけど、気は少々時間や距離に隔たりがあっても感じられることが多い。――で、問題はあいつらと出会った後のことだ」
「あの二人だな」
「ああ、戦力ではこっちがわずかばかり劣っている。亡刃とかいう青年に関しては、真正面から小細工なしでなら勝てる相手だけど、でもそうじゃないだろう?」
一度は雷呪で倒せたと思った亡刃も、結局は足止め程度で、あっさり攻撃に移ってたのだ。暁斗の力など、人の上位にいる奴らの前では蟻と象ぐらいの差がある。
「向こうには<五封勅璽>がある。仙人にとって有利な力を持ったお前にとって、いや、お前だからこそ<五封勅璽>に支配されるんだろう?」
不愉快気味な、少年の声は夜気を流れた。
「……そうだね」
今まで聞いてきた少女の中で、一番か細い声で暁斗の質問に答えた。
一度あの亡刃を撃退したあの力が、ラユにとっての全力だったら危険視はしても<五封勅璽>なんて物品までわざわざ製造しないだろうと思う。それに、ラユ自身が言ってたではないか。許可がなくては全力を出せない、と。なのでこの少女は自分が理解した範疇以上の凄まじい力を有していると、否が応でも少年の胸をついた。
(でもだからこそ、俺は聞かなくてはならない。ラユが出せる今の限界を)
「なあ、ラユ。いまのお前はいくつまでならあの仙儀とやらを使えるんだ?」
「……ああ、確かそういうのは言ってなかったね。いまの私に仕組まれた五つの仙儀の内、自分の意思で使えるのは三つだけだ。しかも現状では、二つも使えば気は完全に枯渇する。だから今回の場合は仙儀と不死状態は一回ずつしか使えない」
言われて、暁斗が首を傾げる。
「そっか。仙儀はなんとなく分かるけど、不死状態って何だ?」
「……そこからか」
少年の今更感に大いに嘆息して、ラユが言葉を継ぐ。
「――簡単に言えば、一族がどうやって不死の仙人になったかってことだよ」
「どうやって不死の仙人になったかって……いちいち違うものなのか?」
「まあ、いろいろあるんだよ」
ラユが少しおかしそうな、難しそうな顔になった。
「水銀やら砒素やらを使った希少な薬を飲むとか、長い時間かけて自然と同調するとか、ちょっと公道では話しにくい閨房を使った方法とかね。それらの方法によって、特性も力もずいぶん変わってくる。これを大雑把に不死状態って呼んでるわけだ」
「ええっと、その……」
ラユの説明に暁斗の顔が絶妙に歪み、頭をがしがしと掻き始める。
しばらく思い悩んだあげく、
「つまりは、仙人ごとの特別な力だって、覚えればいいのか?」
「そうそう。あの亡刃とかいう青年も、異常なレベルの怪力はやっぱり不死状態によるものだろうな。意識しなくても使える常時型っぽいし、多分怪力だけじゃなくて、瞬発力や回復速度も全般的に強化されてるんだろう。相当厄介な部類だよ」
言いながら、ラユが白いワンピースの胸元に手を置いた。
「ちなみに、私の場合はあの風だ」
風。
圧倒的な戦力を誇っていた亡刃が、ただの一陣で膝をついた光景を暁斗は思い出す。
仙人を人間に戻すという――反則じみた不死状態。
でも相手は<五封勅璽>というラユを縛るモノがある。なので、タイミングを見極めないとこちらは敗北する。
ひどくピーキーな戦力差であった。
小細工がなければこちらが勝つ。しかし、現状をかんがみれば、敗北は必至。だというのに向こうもこちらも一撃で相手を仕留められる切り札を持っている。
生死の境だというのに、この少女が仙人だろうが対仙人の兵器であろうが、自分たちとの関係には変化が起こらないのだと、そんな当たり前のことをついつい思ってしまう。
だから。
少年はひとつ深呼吸して、頬を掻いた。
「秘密にしてること多すぎないか? まあいい。特別に許してやる。俺もいくつか言っておくことがあったしな」
「ほほう? キミも存外隠し事の多いヤツだな」
興味深そうにラユが片眉をあげた。
そのときだった。
「――いや、すまないが、その話は後にしてくれ」
言って、少女の瞳は商店街の奥まった路地へと向いたのだ。
この瞬間より僵屍仙との、熾烈なる戦いと次の事象への転換へと変化を遂げる。




