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第十一話 平穏(トラブル)な日常

 その日は朝からぽかぽかとした陽気だった。

 斜めにさす陽光からして、まるで色が違う。予定より長く終雪の名残が続いていたが、ようやく観念して居場所を春に譲り渡したかのような――そんな一日。

 とりわけ学舎は顕著だった。

 人生の春を謳歌(おうか)する者にこそ、今日の春の温かさはふさわしいと言うように。

 光の風が地表へと流れる学舎の屋上で、ひとりの少女が白い帽子を跳ね上げた。

 そして淡く微笑しながら、


「――ああ、いい天気だなあ」


 とてもとても嬉しそうに、呟いたのだ。

 同じく温かい陽光に晒された校門の金属板にはこう浮き彫られていた。

 つまり。

 市立命守(めいしゅ)中学校、と。

 この中学校は周りよりやや小高い丘の上に位置している。なので窓から外の景色を見れば常に活気立っているあの商店街や住宅地区、その先には高層ビルが建ち並ぶ商業地区が視認できる。開校からの歴史は浅いが、様々な経緯を経て廃虚と化したとある研究所を買収して設立されているので、ドームかと思わせるような広大な土地があり、初めて見た者なら凄まじい威厳を感じるだろう。



「――暁斗君」

「んあ?」


 聞き覚えのある声に振り返ると、冷たいメガネがこちらを見据えていた。

 教室。

 市立命守中学校・三年二組。

 うららかな空気が似合う昼休み直前の風景だった。

 三月も中旬。想い人へ告白するバレンタインが終わり、卒業する三年生のために在校生達が、学校生活最後の卒業式(イベント)の準備をし出す頃合いである。

 それぞれ弁当やら菓子パンやらを持ち寄っていつも通りガヤガヤと話している教室で、暁斗を見下ろすメガネ男子はぴっしりとした制服を着て、見事に直立していた。あたかも彼のいる場所だけが絶対不可侵の領域であるかのようだ。

 何度か目をこすってから、暁斗が口を開いた。


「な、何だ? また俺は爆睡でもしてたか?」

「逆だ(・・)。君にしては眠らなすぎる。いつものように理数の授業中に依頼をチェックして寝ているのかと思ったら、一日ボーッとしているばかりだ。何かあったのかと心配になったよ」


 どんな心配だ、と歯を剥きそうになったが発言は的を得ていた。

 このメガネ男子の名を、学級委員長・黒原正紀という。いろいろ残念な男ではあるのだが彼の直感だけは確かなのだ。

 しばらくこちらを見つめて、正紀は(おごそ)かに口を開いた。


「暁斗君……」

「お、おう」

「君、ひょっとして……」

「…………」


 遠慮した物言いにゴクリ、と唾を飲み込む。

 小学校時代から二つの意味(友人・見習い軍人)で付き合いがあるだけに、いろいろ筒抜けた間柄だ。とはいえ知られたくないことも当然あるわけで、そのあたりは互いの内心を隠しての駆け引きが行われることになる。

 ――正紀、さっきの間に、何かに気づいたのか?

 硬直した暁斗を見据え、正紀ははっきりとこう告げたのだ。


「……ひょっとして……僕の頼んだ大学ノートとシャーペンのセットを買い忘れるのか?」

「アホかあああああああああ! そんなの最初から受けてないわッ!」


 訂正。

 優秀ではあるが、やはり残念な男なのだ。

 騒々しくツッコミをした暁斗に周囲が鋭く状況を察して、野次馬が集まり出したその時、


「……まーた黒原先輩がやらかしてるんですか〜?」


 可愛いげある声を出しながら、うちひとりが教室の扉を開いて突進してきた。

 暁斗と対の学生服を来た下級生の少女がドカーン、という効果音が聞こえそうな速さで暁斗たちのところまで来ると、にこりと微笑んだ。

 暁斗は朝から元気いっぱいな彼女の明るさに押されながらも、自分にもその明るさ少し分けてくれないかな―と、漠然的にそう思っていたら。

 そのまま下級生の少女は暁斗の目の前まで走って来て、迷わず腹部へ向けて一気に正拳突きを放ってきた。

 ドンッ!

 少年が油断した時を狙った少女の拳であるが、腹部へと届く手前で、暁斗は簡単にその拳を正面から受け止める。


羽浦(はねうら)。――なんでこのタイミングで運動場から来れるんだ? 野球部のマネージャーの仕事してこいよ」

「残念でしたね、先輩。もうマネージャーの仕事は終わってるんですよ〜?」


 正拳突きを腹部に放ってきた下級生の少女は、人懐っこい雰囲気で何も悪びれずに顔を暁斗に向けながら、笑顔で質問に答える。

 羽浦穂波(はねうら ほなみ)というのが、この少女の名前だった。彼女は暁斗の後輩――二年生で、近所でも有名な財閥令嬢の顔と命守中学校生徒会の副会長兼野球部のマネージャーを務めている優等生の顔を持つ。

 亜麻色のセミロングと、くりっとした大きな瞳が特徴の美少女。制服を少し着崩しており、クリーム色のカーディガンの袖が少し余っている。よく口調や所作で、あからさまに可愛らしさをアピ−ルしてくる小悪魔。

 彼女は淡いピンク色のリップクリームを塗っている以外、化粧はしてないが昔から良くも悪くも人目を引く容姿をしていた。

 年頃の男子が十人いれば十人ともが美人だと頷くほどで、綺麗と言われるよりどちらかといえば可愛いと言われる類の美少女だ。


(二学期の頃と比べると、かなり出来るようになったな)


 と、いまだに騒ぎが終わらない教室の中で、静かに暁斗は思った。

 二学期の穂波は同級生の女子から推薦された生徒会選挙を拒んでいたし、面倒臭い話がある度に適当に頷いてやり過ごそうとしていた。

 そんな性格上のトラブルに対して暁斗は彼女自身から依頼され、裏方で協力する事なったが、最終的に穂波は自分の性格に妥協点を見つけ、今に至るという訳である。

 そんな副会長である穂波だが昼休みの時間になる度、毎日のように暁斗の教室に来ては話しかけるのが当たり前になっていた。

 しかし、華の女子中学生が腹部に正拳突きはいくらなんでもおかしくはないだろうか……?

 それとも俺が知らないうちにテレビの占いで、『今の流行の挨拶は正拳突き!』みたいなことが女子中学生の間でも広まっているのだろうか。

 暁斗は殴ってきた少女の拳から手を外しながら、彼女のそんな一連の出来事を思い返していた。

 自分について思われていることに気づいたのか、穂波は少し顔を上げて暁斗を見た。


「せんぱ〜い、どうかしましたか?」

「なあ羽浦、俺と話すために殴る必要なかったよね?」


 あはっ、と穂波は一瞬笑っただけでそれを誤魔化し出す。

 可愛いアピールしている後輩は、暁斗を殴っても軽く笑うだけで今のを虚構にしようとしていた。

 ちなみに昔と比べて現在の日本は、女性を狙った犯罪が年々高くなったため、普通の女の子でさえ護身術の基礎は徹底的に授業で習う。

 

「まーまー、そんなことはいいじゃないですか〜。そうそう、それより先輩に聞きたいことがあるんですけど」


(まーまーで流されちゃったよ、正拳突きの件。まぁ、俺も深く気にする内容じゃないけど……)


 その時。


「――私も、すぐ殴るのはどうかと思うけどなぁ」


 のんびりとした声が、背後から聞こえたのだ。

 羽浦とは対照的に楚々(そそ)とした上品な物腰の少女だった。腰まで伸びた長い髪はゆるくウェーブがかかっており、とろんと眠そうな垂れ目で教室全体を眺めてから、ゆっくりと暁斗の方に視線を向けた。


「会長」

「ああよかった。灰崎さん、見つからなかったらどうしようかと思いました」


 ほんわかとした調子で、少女が胸の前に手を合わせる。

 誰であろうがさん付けするのは、この少女の良さを表している。 だが、こうやって音もなく後ろに回られるのは勘弁して頂きたいところだ。いくら高名な忍者の遠い親戚だとはいえ驚いてしまう。


「ええとね灰崎さん……ついさっき……」


 続きを口にする前に、ことん、とその首が垂れたのである。


「会長?」

「……ふにゃ……」

「出た、<眠りの令嬢>」

「また会長、立ったまま寝てる……」

「なんで、あれで学校トップの成績を保てるんだろ」


 教室のあちこちで少女についての会話が始まるのは、彼女が学内でも屈指の有名人だからだ。

 生徒会長・桃宮寺紫都香(とうぐうじ しずか)

 灰崎暁斗を臨時生徒会役員として任命している、命守中学校生徒会の面々であった。


「あの……会長?」


 遠慮深げに暁斗が肩を揺さぶると、紫都香はうっすらと瞼を開いた。


「あ……すいません。今日はぽかぽかしてるから気持ちよくって」


 恥ずかしそうにふにゃりと笑う。

 それから、ちょっとだけ声を落として、


「灰崎さん」

「な、なんでしょうか」


 大きな目と強めの口調にどっきりして、二度もうなずいた暁斗に生徒会長はこう問いかけたのだ。


「灰崎上級生、屋上に忘れ物をしてなかったでしょうかぁ?」

「あ……」


 息を止める。

 心当たりが、あったからだ。

 こちらも息をひそめて、小さな声で訊く。


「……その、もしかして、発見しちゃったの?」

「そりゃ見つかるわよぉ? 灰崎さんの名前が出なかったら、教諭の方々に突き出してますわ」


 紫都香の言葉にみるみる肩をすぼませる。

 周囲の生徒たちは状況の変化についていけず、きょとんと顔を見合わせるばかりだ。


「えと……じゃあ」

「ええ。せっかくですし、黒原さんもご一緒に生徒会にいらっしゃって下さいね?」


 それは嬉しそうに唇をほころばせ、紫都香は偉大な指導者のように宣言したのであった。



 命守中学校の生徒会室は、四回建ての新校舎の、最上階に位置している。

 基本的に生徒たちの教室は渡り廊下でつながった旧校舎となっており、新校舎にはコンピュータ室や音楽室などちょっと贅沢な設備が用意されていた。その最上階にあるところからして、生徒会がいかに優遇されているかは分かるだろう。


「う……」


 暁斗はその部屋の前でまごついていた。

 スライド式の扉の前で未練がましく硬直している。かといって両腕に穂波と紫都香が一緒に楽しそうにガッチリと掴まえており、迂闊に逃げることも不可能だ。


「暁斗君、早く開けたら?」

「お、おお」


 正紀にまで促され観念してうなずいた。

 扉に手をかける。ガラリと開くと、少年の瞳は部屋の中央へ吸い寄せられた。


「……やっぱ、お前……っ」

「おお、来たか暁斗。元気そうで何よりだ」


 綺麗に清められた広い生徒会室の中央で、白い帽子を跳ね上げてひとりの少女がにっこりと太陽のように無邪気な表情を見せた。

 斜めに差す陽光もあいまって、ラユの笑顔は文字通りに輝くようだった。

 それを見ていた穂波が、


「あの子、先輩の一体何なんですか〜?」

「本当に何なんだろうな……」


 なかなか鋭い質問だなと思いながら、暁斗は曖昧に笑って誤魔化した。

 この白い少女がいったい何者なのか?

 それに関してならよく知っている。

 とてもよく知っている、と強調してもいい。

 彼女は人間以上の力を持ち、(疑問は残るが)観光でこの国に来た仙人でありながら、その仙人たちが恐れられる存在。

 ラユである。

 すると彼女は手を上げ、元気よく言った。


「暁斗! ここで待つことになったぞ!」

「……そうだな」


 灰崎暁斗とラユの関係はかなり説明しづらいものだった。

 十五歳と、年齢不詳。

 中学三年生と、仙人の女の子。

 バイトをする見習い軍人と、観光に来た渡航者。

 そんな要素をいくら並べても、二人の仲を分析するのは困難だろう。

 暁斗自身も実はよく分からなかった。自分にとって彼女がどういう存在なのか、言葉では上手く表現できないのだ。

 何度も考えたけれど、答えはまだ見つからない。

 ハッキリしているのは、灰崎暁斗がラユとの関係を気に入っているということだけだ。友人よりは近く、恋人というには遠い、そんな曖昧で不思議な関係を暁斗は本当に気に入っている。大切にしたい、と思う。

 奇妙な出会いから始まったこの絆は、ちょっとした(えん)なのだから。


「俺、屋上にいろって言ったよな――?」

「うむ。その通りだ。だからキミの言うとおり、屋上でぼんやり雲とか眺めていたぞ。そしたら、いきなりその娘が現れたものだから、いろいろ話さざるを得なくなってな」

「その娘」

「ほれ。そこのゆるふわ会長様だ」


 ラユが顎をしゃくって見せたのが、桃宮寺紫都香であった。


「最初に私が見つけましたと、言ってましたよね?」


 指名されたゆるふわ会長様は、不満げな様子で目を細めているのがよく分かった。


「というか会長、なんで屋上に? あそこ立ち入り禁止で鍵かかってるでしょ!?」

「それは簡単ですわ。生徒会長権限で合い鍵を作っておいたのです。いい天気の時に灰崎さんと穂波ちゃんの三人で一緒にお食事でもと思いまして」

「そこに僕はいないんだ……」


 正紀は物悲しそうに愚痴った。

 逆に紫都香の方は一転してニコニコの笑顔を振り撒きながら、中学生の平均以上の豊かな胸を押しつけてくる。

 制服の上からでも分かるスタイルもあいまって、なかなかセクシーな光景なのだが、まったくそう思えないのは自分と不釣り合いな少女の美貌によるものだろう。


「そもそも、その屋上に友達を引っ張り込んだのは灰崎さんではないでしょうか? まさか私の知らない間に合い鍵を作っていたとは驚きました」


「いやまあ……それはそうだけど」


 暁斗が、口ごもる。

 もっとも暁斗の場合、合い鍵を作っていたわけではない。

 どうせ待ってるならあそこがいいと言い出したラユが、ひょいひょいと窓の雨どいを伝って、あっという間に屋上へのぼってしまったからなのだ。

 そんな野生児な一面があるとは知らず、暁斗としては嘆息するしかなかったのだが。

 生徒会の面々と友人の真ん中で大いに思い悩んだ少年に、ラユが淡く眉をひそめる。


「ひょっとして、私はいない方が良かったか」

「い、いや、そういうわけじゃないんだが……」


 しどろもどろに答えると、


「そうか! 良かった!」


 少女もやや慌てた感じでぴょこぴょこと頷く。

 どこかしらぎこちないそうしたやりとりが、なぜか微笑ましい二人ではあった。


「……つか、帰ろうとすんなよ」


 両腕に手を絡ませた二人の少女を振りほどき、こそこそと少女に耳打ちする。


「むっ。両手に花だった男の口ぶりとは思えないな……英雄色を好むとも言うが」


 少女が、スッと生徒会の二人に視線をやる。


「違うって。昔、あの二人のトラブルに関わったのがきっかけで過剰に遊ばれてるんだよ」


 暁斗が、小さく呻く。

 もともとこのラユが隠れることになったのは、彼女からの発案だった。


 ――『は? 俺の学校に隠れる? なんでまた』

 ――『うむ。仙人というものは、基本的に世間の耳目(じもく)に触れるのを嫌がるんだよ。多くの人間がいる公的施設なら、襲われる可能性も極度に下がる。キミのいる学校に隠れておくというのは、そう悪い考えじゃないと思うんだが?』


 そんなことを言っていたのに、帰ろうとするのは問題がある。


(記憶力無いのか……この幼児体型めッ!)


 暁斗とラユの内緒話を現在進行形で目撃している三人はただならぬ雰囲気を察知。

 その内の女子二人はとっても笑顔なのに、息が詰まりそうな空気を醸し出していた。

 さすがの暁斗もこの空気を感じ取り一時的に生徒会室から逃げようと、ぐるんと回れ右。

 猛烈な勢いで窓に突進しかけたところに、


「……ええと」


 こほん、と可愛らしい咳払いがした。

 暁斗の足が、面白いようにピタリと止まる。

 油を差していないロボットみたいに振り返ると、紫都香が優しく首を傾げていたのである。


「灰崎上級生、敵前逃亡はよろしくないんじゃなくて?」

「……あ、はい。ごめんなさい」


 身体を縮ませてかくかくと、うなずく。

 キョトンとしたラユを横において、生徒会長はそっと手を合わせて訊いたのだ。


「そこの方は、また灰崎さんのお仕事関係ですのぉ?」


 なんともぽわぽわとした口調なのに、自分が責められているような気がするのは勘違いだろうか。

 綿飴(わたあめ)みたいに甘くて柔らかい。

 だから誤魔化しづらい。というか、優しく細められた瞳がまったく笑ってない。ひとつでも返答を間違えればたちまちその綿飴に首を絞められて、バットエンドを迎えそうな予感に満ちていた。


「えっと……はい、そうです。新たな依頼人でして」


 この生徒会長様に勘違いされたら、最悪は児童誘拐犯だと思われるので、仕方なく暁斗は素直にうなずく。


「……ふぅん」

「……まあ、先輩はそうでしょうね〜」


 疑問顔の紫都香に続いて、すぐ後ろで仕方なく納得しているのは穂波である。

 ほぼ正反対の性格なのに、表情の細かいところまでシンクロしているあたり、さすがは幼稚園以来の親友だった。


「灰崎さんのトラブル解決する仕事って、時々不思議なお客さんを連れてきますものねぇ?」

「犬猫拾ってきたのが八件、家出娘拾ってきたのが五件、不良グループたちの抗争を終わらせたのが三件、川に溺れた男の子を救出したのが一件、自殺しかけたダンサー志望を説得したのが一件、高校生と喧嘩しちゃった中学生を拾ってきたのが一件、アイドルより可愛い女子中学生を生徒会役員にしたのが一件。これだけいろいろ巡り会ってるともうどこぞの名探偵って感じですよね〜! 頭脳は子供! 身体は大人!」

「最後のそれはダメ人間じゃねぇか! というか、さらっと自分のを入れんな!」

「えー、せんぱ〜い。年上たるもの、後輩の戯れに堪え忍ぶのも仕事じゃないんですか〜」


 穂波は冗談半分に言いながら、楽しそうに笑った。


「したくねぇな、そんな疲れる仕事は」


 小さくぼやきながら暁斗は、そんな風に笑う穂波がどこか楽しそうで――不覚にも、心臓がドキリと跳ねた。

 その隣でゆるりと振り返った紫都香が、ラユへと訊く。


「あなたのお名前は?」

「ん? ああ、名前はラユというんだが」

「ふうん。ラユ。ラユさんね……」


 少しだけ考えてから、紫都香はこう口にしたのだ。


「うん! 面白そうだから生徒会でも保護をお手伝いしちゃいましょう♪」

「はい!?」


 思わず、暁斗が声をあげた。


「会長! ちょっと、何をいきなり言い出してんの!」

「別にいいでしょう? 灰崎さんだけこんな可愛い子を独占できるなんて、ずるいと思います。少しくらいは貸してください」


 あくまでふんわりと、生徒会長は柔らかく口にする。

 ただし、退くつもりが欠片もない。


「…………っ」


 それだけで、思い知らされる。

 というより無理矢理思い出さされた。

 外見とは裏腹に、この生徒会はほぼ会長の手腕によってのみ成り立っているのだった。


(というか、この人が好き勝手するためだけに生徒会の立場を借りているのが正解だよな……)


 目下、トラブル解決のバイト最大のお得意さんはこの生徒会なのだが、そのほとんどは事実上の雑用係として大変よく便利に使われてきた歴史だ。

 そして、もうひとり。


「おい、黒原! お前も何か言ってやれ!」

「…………」


 これは単独ではらちが明かないと、振り返って援軍を求めるが――返事がない。

 生徒会に入ってすぐの位置で、暁斗の友人はひどく難しい顔になっていた。

 妙に感情が固定され無表情にも見える状態だった。


「黒原?」

「……うん。そうだ。そうしよう。それしかない」


 うなずき、友人はおもむろに動いた。

 顔つきを硬直させたままコツコツと壁際に歩み寄って、窓を開く。

 垂直にサッと背筋を立てた穂波をよそに、混乱しまくった黒原正紀は大きく空に向かってさけんだのだ。


「暁斗君が女子児童を学校に連れ込んだだってええええええええええええええええええ!」



「このタイミングで、んなこと叫ぶなぁあああああああああああああああああああああっ!」


 つい、暁斗も吼えていた。

 そのまま黒原の背後から、延髄(えんずい)蹴りや(さそり)固めなどをかましてしまったのだった。



 黒原(友人)を倒した後、暁斗は紫都香と穂波の手によって廊下へ出されていた。

 これからラユちゃんを可愛がるのだということで、少女は生徒会室に閉じ込められたままである。

 新校舎の最上階にはあまり人通りもなく、ぐったり倒れた黒原を放置しながら、ふと掲示板に目をやる。部活動の報告や校内新聞。それに混じるようにあるのは、三年生を対象とした卒業式のお知らせ。暁斗はもう三年生だが、軍人としてみたら不良より少し強い程度。だからこそ、先のことについてちゃんと考えなくてはならない。

 これから、自分はどう行動すればいいのだろう?

 ラユの秘密を聞いてから何度も考えていることだ。見習い軍人としている以上、その道で一流を目指すのは当然。自分を救ってくれた霧生宗介のような強い軍人になれば最高。だがそれは今の自分にとってはあまりにも遠い目標だ。現実味の薄い、夢物語。

 自分は努力してきた、と思う。

 あの宗介と来栖さんに鍛えてもらった五年間は暁斗にとって誇りであるし、多少の自信にもなっている。

 しかしそれは、正規の軍人から見れば平均点にもならない。問題はこれから。もっと腕を磨く。経験を積む。そのためには、仕事をこなすしかない。それも出来る限り命がけの仕事をだ。不良グループたちの抗争を終わらせるとか、ヤクザの違法薬物施設の強襲とか、たまに出る悪霊を退治するとか、そんな仕事ではなく、もっと大きな、自分を磨けるような仕事をしなければならない。今のままでは確実にダメなのだろう。

 ぼんやり壁にもたれかかりながら、暁斗は思う。

 学校はそれなりに好きだし、色んな人から依頼される今の生活は悪くない。でも、今のままじゃあの幼なじみである彼女の意識を乗っ取った『あの機械音声』を倒すことは出来ない。そう考えると現段階の自分は無意味に生活をしているのと大差ない。ろくな考えもありはしないのに。そういうことを放棄していなかったのは、何故だろう。

 その理由らしきものに思い至り、暁斗は自分自身に胸糞悪くなった。

 ……俺は、漠然(ばくぜん)と彼女に会えるつもりだったのかもしれない。

 明日菜は自分より行動派だ。だから彼女から進んで会いに来てくれる、と願望を抱いたのだろう。

 でも、そんな考えは、絶対にダメだ。

 あまりにも愚かしい。

 今まで散々助けてくれたのに、まだ助けてもらおうというのか、灰崎暁斗は。

 自分は、変わらなければならない。成長しなければならない。だからラユの依頼はいい転換点だと感じれる。しかし、心のどこかで仙人という存在に勝てるのかと心配している自分がいる。臆病(おくびょう)風に吹かれ肝心な一歩が踏み出せない自分がいる。

 まるで幼稚園に初めて行った子供と一緒だ。幼稚園の前までは来たはいいが、仲良く遊ぶ園児たちを遠目に見て、いつまで経っても親の手を離せないでいるのと同じ。

 まるで今の自分は、精神的成長していない子供そのものだ。こうやって灰崎暁斗という人間の心理を考えていたら、穂波の『頭脳は子供! 身体は大人!』という言葉は的を得ているようだ。

 簡単に自分の内心を後輩に見透かされるのは、どうかと暁斗は思った。

 そんな情けない自分であるが、ラユのトラブルぐらいさっさと解決出来なくてはいけない。

 なのでまずは依頼人を隠すために、治外法権な場所で少々のことがあっても外部へと情報が漏れにくい。そうした性質を以前から利用し学校を選んでいたのだが、トラブル解決というよりは保護とか一時避難と分類した方が的確である。

 同時に早期解決のため授業時間を使って情報収集していたら相手には相当な支援者がいるということが分かった。

 なぜ分かったかというと理由は二つ。


 ・先週のラユのときは雑誌やテレビが大々的に取り上げていた。

 ・メディアに口利きできるだけの人物がいる(財力がなければ不可能)。


 初めてこれを知ったとき、背筋が冷えるのを暁斗は感じた。

 仙人だとか僵屍仙だとかの事柄は、少年の中で曖昧(あいまい)としたカタチのはっきりとしない存在だった。亡刃(ワンレイ)とかいった青年との遭遇(そうぐう)も驚きを肌身に感じても、少年はそれらを恐怖と考えられずどこか安心していた。

 だけどメディアの情報操作となってくると、途端(とたん)に話が現実味を増したような感覚に支配された。

 しかし、仙人と人間の間を仲立ちできる巨大な権益を得た人間が絡んでいるとしても、ラユの話から仙人と人間に明確な違いがある以上、無制限に支援しているとは思えない。なので今回の襲撃さえ対処できればそれなりに時間を稼げるはずだ。

 そう暁斗が現状の依頼について思案していると、


「……暁斗君。僕を無視しないで欲しいな」

「うおっ!?」


 突然、背後から話しかけられた。

 いつのまにか気絶していた黒原が、むっくりと起き上がっていたのである。


「あ、いや、その正紀。別に無視してるわけじゃなくて」

「いや、もういい。みなまで言ってくれるな!」


 目尻を拭き、黒原が制服の胸に手をあてる。


「命守中学校の学級委員長である自分、黒原正紀は友人の心の病に触れたりしない! だから安心してくれ! むしろこれからは親友を飛び越え、心の友――心友と呼んでくれ!」

「それ思いっきり触れてるから!」


 つい友人の悪ふざけに、暁斗が突っ込んだときだった。

 ガラッ、と生徒会室の扉が開いた。


「じゃららららん! じゃじゃーん! いえ〜い!」


 そこから飛び出した穂波が、謎の効果音みたいな声をあげながら現れたのだ。


「いやはや、お待たせしました。可愛すぎる後輩こと羽浦穂波の登場です! せんぱ〜い、私に会えなくて悲しかったですか〜?」

「……いや、お前なに言ってんの。というかラユはどうしたんだよ」

「相変わらず、せんぱいは攻略難度高すぎですね〜。……そんなせんぱいを一途に想う私、超ポイント高い!」


 穂波は右目の上にピースをしながら、そんなことを宣言した。


「……そんなこと言う暇あったらサッカー部に行け。お前の大好きな如月くーんがいるぞ」

「えー、こういうのは周囲に自分カワイイって言っといて、本人の前で言わないっていうのがギャップ萌えになるじゃないですか。ガチの感情を見せるとか普通に『重い』って思われますよ」


 穂波がさらっと自身の黒い部分を暁斗に明かす。


(本音を見せたくないとか殊勝なこと言っちゃうなんて、ちゃんと恋する乙女やってんだなあ。感心してしまう)


 ついつい穂波の本音を聞いて暁斗は、思春期の女の子だと思い納得していると、


「ていうか―。後輩が困ってるのに、せんぱいは助けてくれないんですかー? 一番扱いやす…、使いやすいというか頼りになるのに〜」

(相変わらずこんな腹立つ性格してんのに、逆にそれでもいいと思うのはなんでだろうな……)


 ちなみに如月という人物名が上がっているが、

 本名は如月翔馬(きさらぎ しょうま)

 冷静沈着で落ち着いた性格に義理・人情を重んじる正義感溢れ、クラス内外問わず人望の厚く、サッカー部のエースにして部長であり、成績も優秀で常に学年トップといういわゆる容姿端麗・文武両道の青年。家庭環境も悪くなく法律関係者が多数いる家のご子息でもある。

 その時。


「――はいはい、ラユちゃんこっちにおいで!」

「や、その、すまないが、もう少し、待ってもらえないか」

「大丈夫だから灰崎さんに見てもらいましょうね!」


 無理矢理に手を引っ張り、生徒会室の内側から、紫都香が白い帽子の少女を登場させたのだ。

 途端、少年は絶句した。


「……ラ、ユ?」


 疑問符と、かすれた声音。

 理由は極めて単純だった。

 少女はいつものワンピース姿ではなく――自分と同じ学校の制服を着ていたからだ。

 紺色のブレザーにチェックを基調としたプリーツスカート。顔を引き下げられた白い帽子こそそのままだったものの、胸元には小さいネクタイも結ばれていた。

 暁斗だけではない。


「…………っ」


 窓ガラスに寄りかかって、つまらなげに様子を見ていた正紀も、ほんの少し目を見開いた。


「……お、おかしくないか?」


 ますます帽子を引き下げて、その隙間から少女がおそるおそる尋ねる。

 そんなラユを見るのも初めてで、暁斗はショックを受けていた。

 ショックと、いうのかどうか。


「お、おかしくは、ない、と思うけど……」


 ただ、ひどく胸がざわついた。足場が妙に頼りなくて、でも温かい気持ちを感じている。

 そんな暁斗へ、会長の声がかかった。


「予備の制服を貸してあげましたの。穂波ちゃんより身長が低いので、微調整するのが大変でしたがなんとか可愛らしくできました」


 にっこりと笑って、紫都香はラユを見ながら言う。


「ん? でも制服の予備なんて普通――」

「あ、それなら私が答えますねー。常時生徒会に三着ほど私が置いてるからでーす」


 言葉を遮って、穂波が楽しげに暁斗のそばへ近寄って宣言する。


「は? いや、なんでそんなに置いてんだよ」

「だって、この学校の制服カワイイですけど、一日同じの着たくないタイプじゃないですか。なんで私には予備がいるんです〜」

「いやそりゃ、お前が何度も着替えるのは知ってるけど、制服はひとつで足りるだろうよ」

「えっ? もしかして今のって私の裸を想像したんですか? 独占したい本能は分かりますが、気持悪いのでごめんなさい無理です。」

「これで通算八回目だな、勝手な想像され拒絶されるの……」

「おふたりとも、私を差し置いて話すのはそのへんで」


 暁斗と穂波のやりとりに、くすくすと微笑半分で紫都香がラユの肩に触れる。


「灰崎さん、この格好なら怪しまれませんよね? 授業時間にうろつかれると困りますけれど、それ以外なら問題ないと思いますわ。全生徒を覚えている教師なんて、藤山先生くらいですし」

「確かに、そうだけど……」


 ぐ、と暁斗が口ごもる。

 そこに、


「あ、暁斗……」


 と、遠慮深げに声があがった。


「お、おう、どうした?」

「その……おかしかったら、ちゃんと言ってほしい。ほ、ほら、私の身体はほとんど汗とか掻かないし……汚れないようにいろいろと気を遣っていたが……やっぱりその、ずっと同じような格好ばかりしていたものだから……」


 ぼそぼそと、少女の言葉の最後あたりが掻き消える。


「ああ、そんなことか。とってもよく似合ってるぞ」

「……そ、そうか。なら良かった。キミがそう言ってくれるなら安心だ」


 ラユは、ぎこちなくうなずく。

 ひどく甘酸っぱく、頼りなくって、息苦しい気分を白い帽子の少女は感じていた。

 逆に少年の方は、次は何を言おうかと思案する。二度、三度と考えを張り巡らしてから、やっとのことで手を伸ばす。「じゃあ、せっかく学校に来てるんだし俺が案内してやるよ」


 が。

 対する少女の両手は、左右から穂波と紫都香にかっさらわれた。


「なら、先輩わたしと一緒に案内しませんか―?」

「灰崎さん。穂波ちゃんとじゃなく、私と一緒の方がいいですよね?」

「わ!」


 小柄な身体ごと略奪し、疾走する生徒会役員で後輩になる桃宮寺紫都香・羽浦穂波の二人の姿は、まさしくハリケーン。


「あ、暁斗! 助けてくれ!」

「OK、分かった。じゃあ、全員で案内するか!」

「……灰崎さん。それは素で言ってんですの? まあ、あなたの場合そうだと思いますけれど」

「今も入学時と変わらない性格だな〜、暁斗君は」


 紫都香と正紀が口を揃えて、そんなことをため息混じりで言う。


「なら、仕方ないですね。残りの昼休みを使って、ダメダメな先輩を調教して……私の奴隷にしましょう!」


 不穏な言葉をつぶやきながら、瞬く間に右手にラユ。左手に暁斗を抱き締めた。

 紫都香が焦って「ずるいですぅずるいですぅ本当にずるいと思いますぅ」と言ったが、いえーいと勝利の雄叫びをあげながら、生徒会副会長の少女は校舎の階段を駆け下りていったのである。


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