第一話 災厄(バケモノ)と化した少女
見切り発車な上に完全に趣味に走った作品ですが、少しでも興味を持って下さったのなら読んで頂けると嬉しく思います。
これからの物語について、第一章(三部構成)の一部・死する運命の開始です。
子供のころはどんな願いでも叶うと思っていた。
家族がいて、楽しく笑って過ごす日々を。
彼女とは大人になっても、ずっと一緒にいる日々を。
そんな毎日を。そんな世界を。
それは当たり前だと思った。
本当に、当たり前だと思っていた。
空はほどよく晴れていた。真っ白な雲たちは、ふよふよと漂いながら時折無邪気に、太陽の存在を邪魔している。太陽はそんな雲たちのことなど気にもならないのか、じりじりと地表を照らし続けている。
だが、いつもの晴れ空とは裏腹にあまりにも非現実な光景が地上を襲っていた。
消し取られたかのように破壊された街並み。
隕石でも落ちてきたとしか思えない巨大なクレーター。
全てが偽りか夢だとしか思えない、壊れた世界。
そのクレーターに立っている少年は、こんな崩壊した世界を朧気にしか見ていなかった。
否、そんなものより優先すべきことが少年の前にあったからだ。
それは、とある人間。
奇妙な光輝く小学校指定である白のセーラー服を着た少女が一人、立っている。
「ぁ――――」
嘆息に、微かな声が混じって消える。
他のどんな要素も不純物に成り下がってしまうくらいに、その少女の存在は圧倒的だった。
見慣れた制服のようで、どこか違う。
不思議な色彩を放ち膝まである、白いセーラー服も確かに目を引いた。
そこから広がった黒のスカートも、脳へと記憶されるほどに綺麗だった。
しかし彼女自身の容姿は、それすらも脇役へと追いやられてしまう。
元々腰まである灰色の長髪は、逆巻く炎のような虹色のように変貌している。
いつも凛とした彼女の瞳は、焔光のごとく赤く光っていた。
しかし、もう人の眼球の色ではない。
眼球の中に浮かぶ、血のように真っ赤な異常の輝きだ。
(まずい…………ッ!)
それに少年が本能的な背筋の震えを感じ、守りの体勢に入る。
少女の両目が恐ろしいぐらい赤く濡れて、そして何かが爆発した。
そこに人間らしい光はなく、温もりは僅かしか存在しない。
ゴッ! という凄まじい衝撃と共に少年の体はそのまま地面へと叩きつけられ、無理矢理転がされる。
パラパラと大量の小石の耳に音が響き、全身の関節など簡単に砕けそうな激痛に襲われる。
でも、ガチガチと身体を震わしながら少年は、意識を集中しなければ崩れ落ちそうな両手足を使い、何とか起き上がる。
口の中に溜まった唾の中で、鉄臭い血の味が支配した。
「……ねが……げて」
かすかな少女の声に少年は、視線を向ける。
すでに少女の姿は、人間として理解できる領域を超えていた。
もし言葉で伝えるなら彼女の雰囲気は……。
あまりにも、
尋常ではなく、
残酷なまでに美しくて恐ろしい。その一言に尽きる。
女神にさえ嫉妬を覚えさせるような顔を苦痛に歪め、唇から伸びる白い牙とその両目に宿る真紅の異常が少年を射抜く。
それは眼であって、目ではない。
かつて、少年に少女が言ったいくつかの質問を、記憶からひとつずつ思い出す。
――『ねぇ、私たちって大人になっても、ずっと一緒にいられるかな……?』
――『二人でさぁ、普通じゃない体験が出来たらいいと思わない?』
――『この私たちの世界についてどう思ってる?』
「……、そういやぁ、一つだけ答えてなかったけか」
少年はボロボロになりながら右手を握り締めながら、口の中で小さく言った。
「……この世界なんて嫌いだよ。明日菜がこんなになるような世界なんて、大嫌いだ……」
その時、少女が何かを抑えるような呻きに似た言葉を発する。
「……おねが……い、逃げて……」
これで少女らしい声は、終わりを告げ、無機質な電子的な声で話し出す。
「――警告、第二章第四節。姫柊明日菜――アスナ・ヴァーミリオン・ティアシェ・ローゼンベルクの使い魔、第一から第三までの眷獣の召喚を実行。召喚準備……失敗。現段階では器が不完全なので、真祖の適合者である『清魂』保護のため、前方に位置する個体識別情報、ホモ・サピエンス・サピエンス(Homo sapiens sapiens)。分類、動物界 脊椎動物門 脊椎動物亜門 哺乳網 サル目(霊長目)真猿亜目 峡鼻下目 ヒト上科 ヒト属 ヒト種にあたる侵入者に対しての迎撃を『魔力粒子』によって展開を開始します」
のろのろと明日菜は、まるで骨も関節もない、袋の中にゼリーが詰まっているかのような不気味な動きで人間らしさを失い、
「――適合者外部にある魔力粒子を圧縮。迎撃魔術の組み込みに成功しました。これより『魔剣の裁き』を発動開始、侵入者を破壊します」
バキン! と凄まじい音を立てて、明日菜の両目にあった二つの異形が一気に拡大した。明日菜の顔のまえには、直径二メートル強の陣が二つ、重なるように配置してある。それは左右一つずつの眼球を中心に固定されているようで、明日菜が軽く首を動かすと空中に浮かぶ陣も同じように後を追った。
「( 。 、 、)」
明日菜は口を開きつつも、音もなく何か――もはや人の頭では理解できない『何か』を紡ぎ出す。
瞬間、明日菜の両目を中心としていた二つの陣がいきなり輝いて、爆発した。一つ一つ切り取ると空中の一点――明日菜の眉間の辺りで高圧電流の爆発が起き、四方八方へ雷が飛び散るような感覚。
青白い火花などではなく、真っ黒な雷のようなものだった。
雷は空間を直接引き裂いた亀裂のようなものに見えた。
バキン! と、二つの陣の接点を中心にガラスに弾丸を撃ち込んだように、空気に真っ黒な亀裂が四方八方へ、クレーターの隅々まで走り抜けていく。まるでそれ自体が如何なる存在たりとも明日菜に近づけまいとする、一つの防壁であるかのように。
メキッ……と。何かが脈動するかのように、亀裂が内側から膨らんでいく。
僅かに開いた漆黒の亀裂の隙間から流れ出るのは、おぞましい獣のような匂い。
「……あ」
暁斗は、唐突に知った。知ってしまった。
まるで理論や論理ではない、屁理屈や理性ですらない。もっと根源的な、本能に近い部分が叫び続ける。あの亀裂の中にあるものが『何か』は知らない。だが、それを見たら、それを真正面から直視したら、たったそれだけで灰崎暁斗という存在は崩壊してしまう、と。
だが暁斗は、見ている。
どんどんどんどん亀裂が広がっていき、その内側から『何か』が近づいている事を知っても、暁斗は動かない。ただ呆然と見ている、本当に見ているだけ。
何故なら。
「――、――」
一瞬の間、死の恐怖や呼吸する事すらも忘れ、明日菜の目に釘づけられる。
明日菜という名の、優しい少女を。
何の力もない僕にとっての太陽を。離れる気が起きないほどいて欲しいから。
それくらいに明日菜は、暁斗にとって――大切な存在だった。
同時、ベキリ――と、亀裂が一気に広がり、『開いた』。
ニュアンスとしては、身体を無理矢理力づくで引き裂いたような痛々しさ。続けて、大地の端から端まで達するほどの巨大な亀裂の奥から『何か』が覗き込んだ。
瞬間、世界が、啼いた。
周囲の景色がぐしゃりと歪み、空がギシギシ、ギシギシと軋む。
時間が進む度に災厄は形を成して、降臨し出す。
黒く輝く雷が一点に集中して、荘厳なる剣の形を顕現する。
「――『魔剣の裁き』発動」
明日菜が空間から現れたら異様な剣を掴むと、漆黒の雷が手に絡みついた。だが、明日菜は気にする様子もなく、一気に引き抜いた。
ゴッ! と。空間そのものに亀裂が走り、剣の周りがガラスを割るように砕け散った。
引き抜かれた異様な剣は、全長十メートルはあろうかという長大過ぎる剣。
だが、とてつもない大きさな剣の形状について気にしている時間はなくなった。
何故なら――。
突然、耳をつんざく爆音と、凄まじい衝撃波が暁斗を襲ったから。
暁斗は反射的に腕で顔を覆い、足に力を入れて抗うが――無意味だった。
大型台風もかくやというほどの風圧に煽られ、バランスを崩して右側に二十メートルほど転げてしまう。
「ってぇ……、一体何したんだよ……ッ!」
まだ少し揺れる目をこすり、ブルブルと震えながら身を起こす。
「…………え?」
と、暁斗は自分の視界に広がる光景を見て、自分の目を疑った。否、理解する事が出来なかった。
原因は明日菜の後ろの大地が丸ごと消失していたから。
それを災害の現象としての言葉を使うなら、地盤沈下と呼ぶのだろう。
しかし現状における規模が、圧倒的に、絶対的に、絶望的に人類が経験した自然災害を遥かに超えていた。
ただ剣を顕現しただけで広大な地形は削ぎ落とされ、明日菜のすぐ後ろは巨大な深淵となってしまった。
しかし、絶望的と考えるのはそこではない。
あくまでこれは剣を顕現した時に起きた、ただの副作用でしかないという事なのだ。
つまりは、この剣を振ることになれば、これ以上の事が確実に起きてしまう。
その瞬間、一拍遅れて巨大な深淵から、数十万トンから数百万トンの水が爆音と共に、一気に空へと飛び出した。
「ひ……ッ!?」
暁斗は理解の範囲を超えた戦慄に心臓を縮ませた。
(意味が、わからない)
ただ理解できたのは、あの領域に服が少しでも触れていれば、今頃自分も前方の水のように、空へと否応なしに飛ばされ死んでいた、ということだけだった。
そこで暁斗の意識は失っていく。
目で理解するより速く、莫大な水量が襲ったからだ。
消し取られたかのように破壊された街並み。
隕石でも落ちてきたとしか思えない巨大なクレーター。
それを簡単に飲み込んでいく水の味。
全てが偽りか夢だとしか思えない、壊れた世界。
僕はその中に巻き込まれながら、思う。
子供のころはどんな願いでも叶うと思っていた。
家族がいて、楽しく笑って過ごす日々を……。
彼女とは大人になっても、ずっと一緒にいる日々を……。
そんな毎日を。そんな世界を。
それは当たり前だと思った、のに。
本当に、当たり前だと思っていた、のに。
「……彼女の隣にいる為には、力が……」
と僕は流されながら、呟く。
拳を強く握り、
「……大切なものを護る為には、力が……足りない」
僕は空に向けて、手を伸ばした。
それは光に向けて、
優しい心に向けて、
明日菜に向けて、
この日、灰崎暁斗は自分がいかに無力な存在なのかを嫌になるほど教えられた。
だから、もう二度と大切なものを絶対に失わないためにはどうしたらいいかを。
何度も、何度も、考えた。
そして、僕は……。
ここから――世界の激動と天使、悪魔、邪神。……そして、人間と吸血鬼たちとの引き返す事の出来ない酷く悲しい争いが始まった。
これは一人の少年・灰崎暁斗が足掻いて、苦しみ、世界を知って幼なじみを護りに行く物語。