僕ととめぽさんとミミズともぐら帝国 そのいち!
はい、リョータです。僕は只今、とめぽさんの研究を手伝っている。
僕がやることは、コッペパンを食べながら、実験動物をビーカーやケースに放り込むこと。それにとめぽさんが薬やら新種の魔法やらをかけるという、なんとも単純な作業。
僕がいなくても成り立つ作業。なぜ僕がいるのかというと。
「喉が渇いたな。茶を入れろ」
「はい」
このために僕はいる。研究室の隣は台所なので、お茶を煎れるのは時間がかからない。とめぽさんのお気に入りのお茶を煎れ、湯飲みを運ぶ。
「はい、どうぞ」
「うむ」
お茶を受け取りすするとめぽさん。僕はコッペパンを食べるのを再開した。
パンは、好きだ。唾液を持っていかれるけど、噛めば噛むほど、パン特有の風味や甘味が口の中に広がってくる。僕はきっと、パンとある程度の野菜があれば生きていける。サンドイッチも好きだし。
僕は幸福に満ちた顔でパンを噛み潰す。磨り潰す。
「そんなパサパサしてて味気がなく、なおかつ口内の水分を根こそぎ奪っていくものをよくも飽きずに食べていられるな」
とめぽさんはご飯派のようで。そういう人には、このパンの感触、噛み応え、唾液を奪われる感覚、それらを楽しむという概念がすでに存在しないんだろうな。
「僕は好きなんですよ」
そう言いつつ、新しいコッペパンを取り出す。
とは言ったものの、やっぱりなにも付いてないのをいつまでも食べ続けると、飽きてくる。おいしいのだが。
無駄かもしれないが、聞いてみよう。
「あのー、ジャムってありますか?」
「ああ、台所の戸棚の下に入ってるぞ」
あるんだ、意外だ。とめぽさんもたまにはパンを食べるのかな?
「少しもらってもいいですか?」
「なんだ、やっぱり飽きてたのか。あんな乾燥した炭水化物の塊、そのままでおいしいわけがあるまい」
……ムカつく。いや、おいしいよ。さすがに連続で食べ続けるのに限度を感じただけだよ。なのにそんな言い方しなくてもいいじゃないか。
漠然とした怒りを自分勝手にも感じつつ、再び台所へ。
戸棚戸棚、と。……あった、けど……これをジャムと呼んでいいのだろうか?
「あのー、とめぽさん、僕は『ジャム』の在処を聞いたんですけど?」
「おまえの手に持ってるそれが『じゃむ』だが?」
この、鮮やかな虹色に輝く流動体がジャムだなんて、僕は信じない。
「明らかに何らかの魔法薬じゃないですか?!」
断固反論。
「大丈夫。味を中心に調合したものだからの。副作用の疑いはあるが」
最後の言葉は聞き逃せない。いや、逃したら最後、ヤバい目にあうのは僕だ。
薬害断固根絶。
「普通のジャムはないんですか? たとえばイチゴとか」
「フッ、必要ない。そのじゃむは食す本人の思考に合わせ、本人の食べたい味に変化するのだ」
誇らしげに胸を張りますが、ジャムの発音が変でしたよとめぽさん。あんた、ジャムのことよく知らないうちにこれ作ったんだろ。
「……とめぽさん」
「なんだ?」
「僕にもしものことがあったら、あなたもこれを口にしてくださいね」
「……」
無言で眼逸らしやがった。十中八九、何かある。よし、やってやろうじゃないか。
……何故だろう。食べなくてもいいのに食べようとしちゃうのは。「これ臭いよ」と言われてるにもかかわらずに匂いを嗅いでしまう小学生の心理に近いのかもしれない。
「……」
生唾を飲み込み、ビンの蓋に手を掛ける。左回転。パクッと音がして、手応えがなくなった。回せば、開く。とめぽさんも緊張の面持ち。
あなたにそんな顔されると、恐怖倍増なんですが……。つまりはこれ、とめぽさんでもどうなるかわからないってことだろ。
まあ、そんなこと思いつつ、ついに蓋は取れた。
「……?」
あれ? なんか、気泡が浮いてきたんですけど……。
《パァン!》
軽い炸裂音に継ぎ、中身の半分があたりに飛び散る。眺めていた僕ととめぽさんは直撃。虹色にベタベタ。
「……ベルタールの量がすこし多かったか」
……失敗作かい!! あーあ、この服、まだ新しいの、に……?
「あ、あれ?」
世界が回ってるような……まーわーるーまーわーるー……。
途切れた意識を回復させると、なにやら研究室とは別の空間にいるようだ。とめぽさんに運ばれたのかな?
それにしても、無駄に広い空間だな。明らかに東京ドームの五倍以上ありそうだよ。確かにとめぽさんには、狭い空間を無理矢理広げる魔法があるよ(それで、外見的には普通の広さの庭に像みたいなデカイバッタが何匹も入っても大丈夫な広さを作り出してるわけだけど)。それにしたって広すぎだろ、これは。
ぐるっと見回して、足元に何かあるのに気が付いた。薄水色のワンピースに肩に届くかくらいの髪の毛。あ、とめぽさんだ。
「とめぽさん、起きてください」
でも、とめぽさんはなんでこんな近くで寝てたんだろう?
「う、ん……」
面倒くさそうなうめき声をあげ、軽くあくびをし、目を擦って僕をみる。
「……どこだここは?」
「……はい?」
それはこっちが聞きたかったセリフなのだけれども、それをとめぽさんが口にしたってことは、僕らは何らかの外部干渉によってここに運ばれたらしい。
困ったな。どうやって帰ろ……。
辺りを見回したら、見覚えのあるおいしそうな茶色い物体C。
「……コッペパン」
ありえないが、それしかない。それにしてもなんだ、この大きさは。
「……小さくなったのか、私たちが」
とめぽさんはいつも冷静。例えば僕の右手が通常の五倍近くに一瞬で膨らんでもまったく慌てない。当事者の僕は物凄く慌てたわけだが。
とにかく、とめぽさんの言ったことは正しいみたいだ。よくよく見れば、薬品をかけられて体が蒸発したバッタや、中に蜘蛛やカマキリ等の肉片をこびり付かせたビーカーなどがあった。
ああ、昆虫の視点ってこんなもんなのかな?
「とりあえず、どうします?」
「うむ」
困った時のとめぽさん頼み。なんだかんだ言ってもやっぱり一番頼りになるのはとめぽさん……。
「そのうち戻るだろうな」
なんてアバウトな!?
「そのうちって、どのくらいですか?」
「そうだな……三日間、くらいだな、おそらく」
三日間もこのままなのか……。それは困る!
「なんとかなりませんか?」
「まあ、解毒薬を調合して服用すればすぐに戻るだろうが、この大きさではな……」
確かに。小さじですらとめぽさんの首辺りまでの大きさだ。ビーカーは、水を張ったら溺れられるくらいだろう。
……レッツスモールライフ。
「……あの」
ん?
「とめぽさん、何か言いました?」
「? 私ではないぞ」
気になった僕ととめぽさんはあたりをキョロキョロ。
「あの、こっちです」
後ろか。振り返ると……。
「……」
「……」
目が合った。いや、正確には合ってない。だって、目が無いもん。
声をかけてきたのはミミズでした。土を良くする田んぼのお友達で、鳥などの餌になるミミズです。
そういや、家の庭にいたやつを連れてきたんだった。イソメにしなくてよかった……。
どうやらとめぽさんはミミズさんが怖い様子。僕の後ろに何気に隠れた。
「で、なんですか?」
ミミズさんは目的があって声をかけてきたはず。聞いてみた。
ミミズさんがしゃべっても驚かないのは、前にしゃべるエリマキトカゲやアオダイショウなどを目の当たりにしたから。とめぽさん、もっとまともなやつにしゃべらせましょうよ。犬とか猫とか。
「あの……わたしたちを助けてください」
……いきなりのヘルプコール。これは一体なんの王道ファンタジー漫画ですかね?
「あの、無理です、すみません」
そう、僕は別に特殊な力を持ってるわけでも、高位魔族の落とし子ってわけでもないから。
「そんな! あなた達しか頼る人がいないんです! お願いします!」
本当には全くその気は無いんだろうけど、まわりでとぐろをまかれると、ヘビに逃げ場を塞がれたような感じになってる。しかも、とめぽさんには効果覿面。一見平静そうですが、生半可に弟子をしていない僕にはわかる。とめぽさんは今、失神寸前だ。そこまで嫌いですか、ミミズさんが。
「おいリョータ、こいつの頼みを聞いてやれ。いや、聞いてやってくれ」
あー、仕方ないですねー。今回は角野月で手を打ちましょう。
「な、なに?! なぜそれを知っている!? それは……ダメだ、私の楽しみで……」
なら、いいんですよ。パタリとあなたが倒れるまでこの状況で。
「ぐぅ……わかった」
「よし。ミミズさん、助けて差し上げましょう」
「ほ、本当ですか?! ありがとうございます!!」
近寄って頭を下げるミミズさん。結局、とめぽさんは目を見開いたままぶっ倒れたのでした。でも、約束したんですから角野月はもらいますよ?
「私たちは、とても平和に暮らしていました」
寝息を立てるとめぽさんの頭を膝に乗せながら、ミミズさん(名前はシー・ログログ。ミミズ関係ねぇー!)の身の上話を聞く。
うなされているとめぽさんはきっと、巨大ミミズに追い掛けられてるんでしょう。手足が時々ビクンと動いて、当たって痛い。
「ところが、そんな平和な時は突如崩れ去ったのです!」
一時間ほど続いたミミズ族の歴史が終わり、本題に入った。途中とめぽさんは三度目覚めたけど、目の前でミミズ族の歴史を話しているシーさんの顔? を見て、再び巨大ミミズに追い掛けられる夢に突入したのでした。……シーさんには少し距離を置いてもらおう。
「しかし、その危機は勇者ライト・ライによって救われ、再び平和が訪れました。そして……」
本題じゃなかったんかい! 長ったらしい!
「……あのー、本題に入っていただけませんか? じゃないと、あなたにさっきのナメクジと同じ末路を辿らせますよ?」
しまった、普段の癖でドスの効いた鉛色の声になってしまった。
シーさんはあの目の前で数倍に膨張して、生きたまま臓器を吐き出しながら体のあちこちがブチブチ千切れていったナメクジを思い出し、ガタガタと震えながら「ごめんなさいごめんなさい」と何度も謝っている。
こっちこそごめんなさい。
「では、手短にお話しますね」
そうして、シーさんはやっと話し始めたのでした。
彙によると、シーさんの国――正確には僕ん家の庭――が、もぐら帝国とやらに襲撃をうけ、みみず国のみみずさん達は奴隷になったらしい。ようするに、僕にそのもぐら達を追い払ってほしい、と。
あ、僕は味方にしかさん付けないよ。
「うむ、そうか」
シーさんが距離を置いてくれたため、とめぽさんは冷や汗をかきつつも起き上がった。
「それではリョータ、行ってこい」
……はい?
「とめぽさん、あなたも行くんですよ?」
「な、なな、何?! 私は行かんぞ!? なぜこの気味の悪い表面に妙な光沢を帯びた生肉のような薄気味悪い色の軟体生物がうじゃうじゃ蠢いてる恐怖と混乱の坩堝へ自分から出向いてやらなきゃならんのだ!?」
そこまで言いますか。シーさんもショックを受けてるようで。まあ、ここまで一息で拒絶されれば誰でもショックか。
「いいですか? あなたがいなきゃ僕は、この机を降りることも、家からでることも、自分の家の庭に行くこともできないんですよ?」
悲しいけどこれ、現実なのよね……。あ、ちょっとパクりました。
「むぅ……しかし……。わかった、行こう。言い出しっぺは私だしな」
こういう時は潔く覚悟を決めるとめぽさん。こういう人だから、僕は弟子をやめなかった。とめぽさんの人徳ってやつか。変人ではあるけど。
こうして斯くして、僕ととめぽさんはみみず国を救いにいくことになりました。