歯が痛い
「痛てててててててててててててえてえててててえて」
さすがに声には出さなかったものの心の中で連呼していた。昨日の夜中に奥歯がうずきだして、その痛みたるや強烈なものだった。今までの痛いと歴史をはるかに凌駕したそれは苦痛という苦痛だった。歯医者に行きたいけれど近所の歯医者が休みというタイミングの悪さ。せめて痛みが少しでもましになってくれれば。
「か、神さま、お願いします。この歯の痛みを鎮めてください。何でもしますから」
心の中で祈った。こんなに技術が進歩した世の中で神頼みかよ。でも祈った、祈った。
祈ったら返事が来た。
「わかった、痛みを鎮めてやろう。しかし、ただではダメだ。何でもしますと言ったな。代わりに何をする?」
神様がやってきた。姿は見えないが声だけ聴こえる。幻聴とかそんなことどうでも良い、とにかくすがりたい。歯が痛すぎる。でも何をすればいい。
「一万円払います、俺の財布から抜き取っていいです」
頭が回らなかった。お金を払う、それがぱっと思い浮かんだ。その間も歯の痛みは続いている。
「少ないな、相場は三万くらいだ」
何の相場だ。
「わかった、三万払う、だからこの痛みを」
「仕方ないな、ほらよ」
次の瞬間、歯の痛みがきれいに消えた。激痛から解放された喜びはあったが、それと同時に冷静を取り戻して財布を確認する。ほっとした、のもつかの間、そもそも財布には三万円、いや一万円すら入っていなかったではないか。不安になって近所のATMで残高を確認する。きっちり三万円減っている。
やられた。しかし三万戻ってあの痛みがぶり返すとしたらそれは恐ろしい。今度からは定期的に歯医者に通うことにしよう。にしても神様は三万を何に使うのだろう。
「痛てててててててててえてえてててえっててててててって」
あの歯の痛みから数か月後、通勤電車の中で強烈な腹痛に襲われた。確かに胃腸は弱い方だと思うがこんなに酷いのは久々だ。やばい、本当にやばい、額から脂汗が出る。最近体のトラブルが多い、なんてそんなこと考えるのも限界だ。
「か、神様」
「またお前か、結構忙しいんだからな」
「えっと、早く、この腹痛を何とか、してくれませんか」
「次は何を差し出す」
「三万、いや五万」
「金はもう要らんよ、今付き合ってる彼女がいるだろ、そいつと永遠に別れろ」
「え、それは」
思いもよらない言葉だった。そもそも痛みを解消するのに金銭が必要というわけではなく何か『代償』が必要ということなのだろう。しかし彼女とは別れたくない。でも痛い、痛すぎる。
「わ、わかりました、それでこの痛みが治まるなら」
「契約成立だ、ほらよ」
痛みは治まった。そして自分の体中、後悔が支配した。
「何それ、ウケるんだけど。てか何私と別れるとか言っちゃってんの。そんでそれを本気で信じてるあんたがウケるわ」
数日後、彼女に会うといつもと変わらない様子だったので冗談っぽくその話をしてみたら、笑いながらそう言った。
「歯と胃腸と、次は頭やられちゃったか」
「だよな、俺どうかしてたよな」
彼女の住むワンルームの一室で話しながら淹れてくれた珈琲を飲む。彼女と別れずに安堵したせいか眠くなってきた。




