五章 人材候補
そして夜午の刻(午後6時)。
「いやぁ~、すっかり遅くなってしまったおじゃ」
白水とお遊戯講習を交わした元昭は、上機嫌なまま来た道を戻って玉虫屋の前まで戻ってきた。
と言っても現在は『改装工事中』という張り紙が貼られているため、裏口に向かう。
「今日会った水岸とやらは、麻呂と同じくらい遊ぶ事が好きでおじゃるな。賽子とか花札とかいう遊び……あれは、もしかしたら資金を稼ぐ面で参考になるやもしれぬのっ!」
前途多難に見えたかと思われる資金&人材確保も、少しは光明が見えてきたかと思うと元昭の心は弾む一方だ。
そして、それ以上に初めて自分にも『お友達』が出来たという事が彼にとって何よりも嬉しい事だった。
遊びという共通の中で、ほんの数分ではあるものの確実に芽生えた友情。
自分を理解してくれる者が初めて見つかった瞬間、胸の内から何やら嬉しい気持ちが込みあがってきた感覚を今でも忘れていない。
辿り着いた裏口の扉に手をやりながら元昭は、
「このまま勧誘できたら良いんじゃがの~」
と呟きながら裏口の扉を開けた。
するとそこに、
「へぇ~っ。勧誘出来そうな子が見つかったのね?」
裏口を開けた瞬間、仁王立ちして右手に包丁、左手にフライパンを装備している若菜の姿が元昭の視界に入ってきた。
「き、黄山……」
元昭は自分の店である調理担当の従業員の姿を見て、何故か背筋に悪寒が走った。
目の前に居る若菜は、いつもの彼女らしく明るい笑顔を出している。
にも関わらず、彼女の身体から殺気にも似た禍々しい波動が漂っていた。
普段、空気を読めない元昭ですら、身の毛のよだつ様な気配を感じている程だ。
「た、た、ただいまでおじゃ……」
元昭は恐る恐る、目の前に居る女性調理人に挨拶をした。
すると、
「おかえりなさい♪ ず~いぶん遅かったじゃない♪ オバサン、心配しちゃったわ♪ うん、すっごく心配した♪」
いつものように明るい声なのだが、何故か死霊の招き声みたいで不気味に聞こえる。
仁王立ちしたまま底冷えすら感じる声から、元昭は目の前に居る若菜が実は人間ではなく夜叉か鬼神の類に思えてきた。
まるで蛇に睨まれた蛙の如く、元昭は恐怖心で身体が雁字搦めになっているのか、その場から動けず若干、ビクビクと震えていた。
「なに怯えているのかしら? オバサン、何か怖い事でも言ったかしら?」
「い、いや……なんにも……」
「じゃあ、なんでそんなに怖がっているの? 膝なんか震えちゃって♪ 別に怒ってるわけじゃないのよ?」
そう言う若菜だが元昭からしてみれば『なぜ自分が怒っているか分かってるわよね?』と明らかに遠回しに問い掛けているのは明白だ。
ここで下手にはぐらかしたら、まさしく明日の光を拝む事は出来ないだろうと判断した元昭は、その場で勢いよく土下座した。
「黄山よっ! 遅くなってしまって、すまぬおじゃ! ちょっと良さそうな人材が1人、見つかったでの……」
「へぇ~。その1人のためだけに何時間をも浪費したのよね?」
「う、うむ……話に夢中になっての……」
決して嘘ではないが、その『夢中』になってた話の内容が遊びに関する事というのは、さすがにマズイと判断した元昭は事実をオブラートに包んで話した。
「何時間も口説いたんだから、それ相応の結果が出せたのよね? でないと……」
そう言って若菜は右手に持っていた包丁を徐に振り下ろした。
切れ味の鋭い包丁の先端は、彼の右頬スレスレで床に突き刺してから、
「3枚下ろしじゃ、すまないわよ?」
と、あくまで明るい声のまま恐ろしい事を言ってのけた。
元昭の額は床についているものの、右頬の隣にある包丁の感覚を全身で感じ取った事が引き金となり、恐怖心が最高潮に達した。
「許してたもっ! 麻呂が悪かったおじゃ、皆を心配かけさせたことは本当に悪かったと思うておる……反省しておるから許してたもっ!」
仮にも店主である彼が、今にも溢れんばかりの涙を浮かべたまま、従業員である若菜に対して土下座してまで許しを請う姿は、実に情けない光景である。
だが彼女も彼から反省と謝罪の言葉を聞くと、床に刺さってる包丁を抜くと同時に身体から放っていた殺気を消した。
「まったく……自分が悪かったと思ってるなら、オバサンはもう怒らないわ。ほら、頭を上げて」
「う、うむ……」
白粉をつけてるのに顔を真っ青にしながら面をあげる元昭。
視界に映る若菜の姿は、さっきまで夜叉あるいは鬼神みたいな気配はなく、自分の知る明るくて朗らかな彼女に戻っていた。
「でも本当に心配したんだから、1回くらいはちゃんと店に戻ってほしいわ。黒沢くんも心配してたのよ? もう次にこんな事したら『めっ』だからね?」
「う、うむ……分かったおじゃ。今から黒沢に謝りに行ってくるおじゃ」
「素直でよろしい♪ さっ、店主が帰ってきたら夕餉にしましょ♪ そこで今日の成果を報告するわ。さっ、上がって♪」
「わ、分かったおじゃ」
若菜に促されるまま、元昭は裏口から店内に移動する。
そして1階にある食堂で秀明を見つけると、黒衣の従業員も元昭を見つけるなり「あっ、店主! 今まで何処に……」と説教を始めた。
しかし、若菜からも説教された事を聞かされると秀明は説教をするのをやめて『2度と心配かけさせないで下さい。もしかしたら計画がバレて捕まったのかもと思ったんですよ? 本当に心配したんですから』と注意を受けた。
秀明も若菜も、自分の為に心配して怒っているのだ。
そう思うだけで元昭は若菜の殺気がこもった風景を思い返して恐怖感を抱くも、どこかホッと表情になって食堂へと入って行った。
食堂に集まった3人は夕餉を食しながら、今日の成果を話す事となった。
資金面を担当していたのは秀明と若菜で、最初に彼が元昭に説明する。
「資金を得る方法ですが、改装工事中は私も黄山さんも副業をして資金を得ようかと思っています」
「なるほど。具体的には?」
「いつでも、お店が再開出来る事を考慮して、短期的で給金の良いものばかりを厳選してやっていくつもりです」
彼の説明に相槌を打つように、若菜が続ける。
「改装工事には、莫大なお金が必要なのは殿でも分かるわよね?」
「うむ。分かるぞよ」
「もしかしたら改装費用が、先代の遺してくれた遺産を超える可能性も無くはないわ。内装費用や温泉に必要な湯沸し機械の買い替え、身体を洗うのに必要な石鹸や手ぬぐいの洗濯費用、その他諸々とかも考慮するとね。そうなると、お店の開店時期が遅れてしまう分、店主の計画発動も遅れてしまう事になるわ。それを少しでも軽減するために副業して蓄えを残しておくのよ」
「全ては万一の事を考えてじゃな」
「そういうこと♪ だから明日からオバサン達は資金を得るために副業するわ♪」
「分かった。良きに計らえ」
2人の従業員の説明を聞き、元昭は夕餉を食べながら頷く。
秀明達の言うように改装費用は、もしかしたら亡き母が遺してくれた遺産よりも上回るかもしれない。
そうなると不足した費用を穴埋めするには、大なり小なり時間が掛かる。
肝心なのは、そこで焦りを出してしまっては却って失敗する恐れがあるため慎重にいかねばならないということにある。
早く穴埋めしようと躍起になると大概、余計な出費を出してしまう事が多い事を元昭は知っている。
(こういうのを転ばぬ先の杖、と言うんじゃろうの~)
などと彼は、心の中で思っていると、
「人材確保の方は、どうなの? 良さそうなのが1人いた、って店主が言ってたけど」
若菜がお茶を飲みながら質問してきた。
「えっ? 1人、見つかったんですか? だとしたら、どういう人なんですか?」
彼女の言葉に、秀明は身を乗り出して元昭に問い質す。
黒衣従業員に対して、白粉店主は一瞬「答えるべきか」と迷った。
(水岸の場合、人材というよりも遊びが上手い友達でおじゃるからな。友達と人材は違う次元の話でおじゃ。じゃが、資金調達の参考にはなったものの……う~む……)
言うか言うまいか、決断しあぐねる元昭。
そんな彼の様子に、秀明と若菜は首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「1人、見つかったのよね?」
2人の質問は元昭の耳に入る事はなかった。
白塗り店主は深刻な表情を浮かべたまま、腕を組んで考え続けている。
(資金を稼ぐ点では黒沢達の案より、場合によっては水岸のやり方が良いやもしれぬ。それ相応の危険度は伴うが……大金を手にするには、それしか方法がないおじゃ。あやつには麻呂と肩を並べるくらいの遊びの才能が……んっ? 待てよ、才能……遊び……)
ふと元昭の脳裏を、1つのキーワードと1つの記憶がよぎった。
それは水岸が見せた『遊びの才能』と、過去に自分がやった『人前での特技を披露して御捻りを貰った』という記憶。
それが合わさった時、元昭の頭の中で何かが閃いた。
頭の中で自分が今後どう動けば良いか整理してから、元昭は詰め寄る従業員に向かって、こう答えた。
「まだ仲間になるか分からぬ故、その者に関しては明日もう1度会ってみるおじゃ」
「そして、また今日みたいにならないで下さいね」
少し心配なのか、元昭に釘を刺す秀明。
「今回に関しては悪かったと思うておる。故に明日は、キチンと早目に帰ってくるおじゃ。約束するぞよ」
黒衣従業員の言葉に、白粉店主は軽く頷く。
「だったら良いんです」
「まぁまぁ、黒沢くん。店主も反省してる事だし、信じてあげましょう♪ 明日は私達、短期的高給の副業を片っ端から探してみるわ」
「私も黄山さんと共に行動します。あっ、ごちそうさまです」
「なら麻呂は、さっきも言うたように今日知り合った者と再度会うおじゃ。美味しかったぞよ、ごちそうさまでおじゃ」
「じゃ、明日も一生懸命頑張ろう♪ お粗末様でした♪」
男2人による食後の挨拶を聞いてから、若菜は皆の食器を台所にある流し台まで運んでいき片付け始める。
こうして3人の会議を兼ねた夕餉は終了して1日が終わった。