四章 似非貴族と女博徒
真昼間の空の下、新見にある商店街の中を元昭は貴族姿のまま歩き回っていた。
一見、場違い的な感じに見えるが商店街の住人は、彼が普段からあのような姿をしている事を知っているため、対して驚く気配はない。
驚くのは新見に初めて訪れる観光客達くらいだ。
そんな他方から訪れる旅行者達から、まるで珍しいものを見るかのような視線を受けながら彼は歩いているが、それを気にする気配がない。
元昭もまた周囲からの視線には慣れている、ということもあるが今回は違った。
「おにょれ、黒沢に黄山め……遠慮なく麻呂を殴りよってからに……」
どうやら周囲からの視線よりも、従業員達に攻撃された痛みの方に気がなっているようだ。
秀明により脳天を殴られた場所は2つほどタンコブが出来ているものの、それは烏帽子で隠せるから何とかなるものの、若菜から受けた左右の頬は白粉の上から叩かれているため、隠すに隠しようがない。
おまけに若菜から打たれた頬の痛みは、元昭が出かける30分前に受けたものである。
普通なら、どんなに強い平手打ちを受けても10分以上経てば、自然と痛みが引いてくるものである。
だが若菜の平手打ちは、いくら時間が経っても痛みが治まる気配がない。
というより、むしろ痛みが益々ひどくなる傾向にある。
だから両手に氷の入った小さな水枕を左右の頬に当てながら、商店街の中を歩き回っているため、傍から見れば別の意味で注目される的になるもの無理はない。
そんな視線を物ともせず、脳天よりも左右の頬の痛みを冷やしながら元昭はぼやく。
「黄山の平手打ち……ある意味、力士より強烈でおじゃ……と言うても麻呂自身、力士にぶたれた事がないから何とも言えぬが……まだ、ヒリヒリするぞよ……あやつ、絶対に力士にむいてるおじゃ」
若菜本人が聞けば、それこそ平手打ちものの発言だが彼女は今、秀明と共に足川家不幸に必要な資金を得るため、玉虫屋で金策を考えているので打たれる心配はない。
それはともかく。
鈍い痛みに耐えながら元昭は、商店街の中を歩き回っては何かを物色するかのように日行き交う人々を観察していた。
目的は足川家復興のため、資金の他に必要な人材を得るためだが元昭自身、無暗やたらに探し回ったり、知らない人に声を掛けて勧誘をしたりはしない。
と言うのも彼自身には1つの考えがある。
足川家復興の際には、その通過点として玉虫屋を新装開店させて資金を調達するというのは前から説明している。
だが、誰でも勧誘をするわけではない。
玉虫屋は御家復興への足掛かりとなる……言うなれば隠れ蓑みたいなものである。
そこで働く従業員となれば、賃金を与えるだけの労働者ではなく今後とも足川家、強いては元昭に忠誠を誓える者を勧誘しないといけない。
下手に商売を目的とした学生労働者や時間帯労働者を雇ってしまっては、自分達の今後の活動に影響が出てしまう。
というより、あとで労働者に『これこれこうで自分達は、これから日野本を乗っ取るための第一段階として摺河を乗っ取りますから、それに従って下さい』とカミングアウトをする予定なのだが承諾する者は、まずいないだろう。
と言うよりも最悪、その場で退職届を出すか、従っても良心の呵責に耐えきれず後日、花洛もしくは近くの奉行所へ密告して裏切る可能性は大いに有り得る。
従って、迂闊に真相を話すどころか雇った人にカミングアウトする事は、まず容易ではない。
まぁ、それ以前に、こんな似非貴族馬鹿のために忠誠を誓う者が居るかどうかが疑問である。
それはともかく。
元昭は、ひたすら街中を歩いて人間観察に勤しんでいた。
(人材を得る場合、やはりそれ相応の能力を持っておらんとの……かと言うて、事の真相を話すにも時期を考慮せんと……いきなり話したら混乱するじゃろうし、どうしたもんかの……)
考えても考えても良い方法が見つからず、途方に暮れる元昭。
こうしている間にも時間は刻々と過ぎていき、自分の野望もそれに比例して遠くなっていくような感じがする。
何か手を打たねば、と思えど打開策が見えないため彼の思考は袋小路へと入っていく。
そして『はぁ~っ』と深い溜息をついてから、
「行き詰まっただけに息詰まるでおじゃ……」
などと、あまりにも下らない駄洒落を呟いてから、元昭はどこか達観したような表情になる。
「こればかりは焦っても仕方ないでおじゃ。はぁっ、少し身体を動かして精神負担を発散させるでおじゃ」
そう言って彼は袖の下から雅な鞠を取り出しから、近くの新見公園へと駆けていった。
☆
平日の新見公園は遊んでいる人の数が少ない。
その園内のど真ん中で元昭はただ1人、一心不乱に鞠を蹴って戯れていた。
「よっ、ほっ……おっとっと……ほれっ……いよっと……」
最初に爪先で蹴ってから膝や反対側の足を使い、時には態勢を整えるために胸や腹部で鞠を軽くワンクッションさせてから再び蹴る。
力んだ拍子で鞠を高く蹴り上げてしまったら額で受け止めたり、背中を丸めて鞠の転がる方向を踵まで巧みに誘導してから反対側の踵で蹴り上げる。
そして再び足先や膝を駆使したり、両足でリズム良く交互に鞠を蹴るなど、とにかく蹴鞠に夢中になっていた。
彼が蹴っている間、鞠は1回も地に着いておらず流れるような足取りや身体の1部を使って鞠をお手玉みたいに操る姿は、1つの芸術とも言える。
「にょほほ、久々にやるから何だか今日は身体も心も弾むでおじゃ。この鞠のようにの♪」
さっきまでのモヤモヤ気分や、若菜や秀明から受けた痛みは何処へやら。
元昭は上機嫌で鞠を地に落とさず、蹴っている。
「こうして蹴鞠っていると、母が生きていた頃を思い出すおじゃ」
元昭は天高く雲を流れる青空を眺めながら、ポンポンと器用に鞠を捌き続ける。
自分の母が生きていた頃、彼は玉虫屋の手伝いをサボっては近くの書館で本を立ち読みしたり、川柳協会に入っては感性に身を任せるまま川柳を歌ったりなど、気ままな生活を送っていたが専らハマっていたのは、この蹴鞠である。
書館にある『花洛流行遊戯書』を読んでいた時、蹴鞠をやっている貴族の絵を見て風流だと感じ、自分も真似し始めたのだ。
最初は中々、鞠を捌く事が出来なんだが貴族の遊びというだけで、すぐにのめり込んでしまって練習を重ねるうちに今みたいに芸術的な鞠捌きをする事が出来るようになった。
蹴鞠は本来、数人でやるものだが秀明や若菜を誘っても玉虫屋の運営に忙しく、母もまた息子である自分に『遊んでばかりいないで手伝いなさい』と注意される始末。
だからお店をサボっては、自分1人だけで鞠を蹴っていた。
別に1人で遊ぶ事は寂しくないし、なにより自分を注意する者がいない中で遊ぶ事は最高に面白い。
だが、たまに秀明や若菜が蹴鞠に付き合ってくれる事もあって1人も良いが、やはり誰かと一緒だとより面白く感じる。
元昭の母は蹴鞠には付き合ってくれなかったが、自分と秀明が蹴鞠っている姿を見て『見るだけでも面白いわね』と笑ってくれた事がある。
今思えば、亡き母がサボっている自分を注意しなかった事が印象的な数少ない場面である。
「今の姿を母が見たら……さぞ呆れるか、怒るであろうの。じゃが、麻呂は決めた以上、必ずやり遂げるおじゃ!」
広大な青い空を眺めながら元昭は1度、自分の強い決意を鞠に込めて思い切り蹴り上げる。
高く蹴り飛ばされた鞠は、しばらくすると地球上の重力に従って地上に目掛けて徐々に落下していく。
元昭は落ちてくる鞠を、じっと見てから、
「ほっ!」
と強い声と同時に地面を力強く蹴って、自分も上空に舞う。
そして身体を空中で回転させ、地面に背を向けた状態で空中にある鞠を、頭より高い位置で足の甲を思い切り鞠に当てる。
バシッと綺麗な音を発すると同時に、足を当てられた鞠は慣性に従って近くにあった太い木の幹に当たって跳ね返る。
そして元昭が着地をしてから、すかさず跳ね返ってきた鞠を両手で受け取る。
「ほほ、良い運動になったでおじゃ。少し休んでから、また街中を歩こうかの」
鞠を袖の中に仕舞い込むと、何処からかパチパチと拍手をする音が聞こえてきた。
「んっ? 誰かおるかの?」
元昭は拍手のする方に顔をやると、
「うわぁ~。凄いですぅ。あんな華麗な球技ぃ、見た事ありません~」
と間延びした口調で、1人の女性が園内にあるベンチに座ったまま彼を見ていた。
その女の子の眉は悪戯っぽい子供のような感じがあり、目はクリクリと大きく、水晶のような透き通った目をしており、鼻筋は通っているが、少しふっくらしていて可愛らしい童顔が特徴的。
少し厚めの唇は瑞々しく桜色で艶々しており、肌は白く、髪は黒髪だが2本のおさげをしている。
そんな幼女を思わせるような女性の存在に、元昭は少し驚きながら尋ねる。
「そ、そなたは一体……」
「こんにちはぁ。私ぃ、水岸白水って言いますぅ」
年端のいかない女の子のような声を発する白水は、自己紹介しながらゆったりした動きでペコリと頭を下げた。
口調や行動そのものが間延びした感じが印象的である。
そんな彼女につられて、元昭も頭を下げて挨拶する。
「おぉ、これは御丁寧に。麻呂は下河元昭でおじゃ」
「下河くんだねぇ? 宜しくぅ、お願いしますぅ」
「こ、こちらこそ宜しく頼むぞよ」
「はいぃ」
まるで聞く者全てに妙な安心感を与える声を発して、白水は『ほわわ~ん』と微笑んだ。
そして2人は、公園の隅にある長椅子に座って談笑し始めた。
「ところでぇ、さっきの球技ですけどぉ……中々ぁ、お上手ですねぇ」
「いやいや、あんなの麻呂にしてみれば準備体操みたいなものでおじゃるよ」
「そうなんですかぁ? あれって確かぁ、蹴鞠っていう遊びですよねぇ?」
「ほう。水岸とやらも蹴鞠を知ってるでおじゃ?」
「はいぃ。この間ぁ、書館で見つけた『花洛流行遊戯書』を読んでた時にぃ、見ましたぁ」
「ほう、そなたもあの本を読んでいるおじゃ!?」
思わぬ言葉に長椅子に座っていた元昭は立ち上がり、白水の顔を見る。
「『も』ってぇ、下河くんもですかぁ?」
「そうでおじゃるよ! 麻呂は貴族の雅な遊びに凝っていての~。近頃じゃ、庶民でも出来る遊びばかりを掲載しておるからの。読めば読むほど、楽しいでおじゃ」
「分かりますぅ。私もぉ、どちらかと言うとぉ、遊ぶ事がぁ、大好きなのでぇ、とことん遊びを極めようと思ってぇ、色んな遊びが載ってる本をぉ、片っ端から見てはぁ、実際にぃ、遊んでいるんですぅ」
白水も、のほほんと嬉しそうな顔をしながら答えて続ける。
「花洛流行遊戯書の本はぁ、読み始めたばかりなのですがぁ、まさか今日ここでぇ、蹴鞠をしてる人が居たなんてぇ、驚きですぅ。しかも1人でぇ」
「蹴鞠は本来、数人でするものなんじゃがの。麻呂と蹴鞠ってくれる輩がおらぬから1人蹴鞠をしているおじゃ。おかげで、すっかり鞠捌きが上手になったでおじゃるよ♪ たまに相手に披露することもあるがの」
この言葉に嘘はない。
と言うのも、元昭は玉虫屋の手伝いを全部サボっているわけではないのだ。
厳密に言えば、サボる事が多いのだが、彼でもお店の運営に役立つ事が1つあった。
それは宴会場とは名ばかりの小さな食堂で、来客者を持て成すために彼が身に付けた1人蹴鞠を客人の前で披露することである。
キッカケは、先代が遊んでばかりいる元昭に対して『そんなに遊びの才能があるんだったら、客人の前で見せてやったら?』と皮肉を言われた事から始まる。
あくまでも皮肉であるため常人なら決して実行しないだろうが、彼は実際に食事中の客人達を前に、蹴鞠を披露してしまったのだ。
これはさすがの先代も驚いたのだが、それ以上に彼の鞠捌きは芸術的であるため、客人達から喝采を受け、少額ながらも御捻りを頂いてしまった。
それからと言うものの、客人が来た日には夕食時だけ余興のために元昭は先代から呼び出しを受け、食事中に蹴鞠を披露して場を盛り上げるのが彼の仕事になったというのだ。
それはともかく。
元昭と白水は出会って数分もしないうちに意気投合してしまった。
両者とも遊ぶ事が大好きという共通点があったため、遊ぶ事に関しての話題で話が盛り上がっていく。
「私ぃ、楽しい事がぁ、大好きなんですぅ。私にとってぇ、楽しい事はぁ、遊ぶ事とかぁ、物事を楽しむ事なんですぅ」
「物事を楽しむ事でおじゃるか……中々、奥が深いの~」
「私もぉ、下河くんと一緒でぇ、1人で遊ぶ事がぁ、多いですぅ」
「麻呂みたいに誰も構ってくれぬおじゃ?」
「いいえ~。最初はぁ、近所のお友達とかとぉ、遊んでたんですけどぉ……私がぁ、強過ぎたせいもあるみたいでぇ、次第にぃ、私とぉ、遊んでくれなくなりましたぁ」
そう言う白水の表情は、先程と変わらずのほほんとしているのだが、なんとなくだが雰囲気的に翳りが見えた。
だが、その翳りを消すように今度はクリクリした目を僅かに輝かせて元昭を見つめながら、こう言った。
「でもぉ、良かったですぅ。私とぉ、同じような人はぁ、居ないと思ってましたからぁ。実を言うとぉ、ちょっとぉ、寂しかったんですぅ」
「そなた……」
「今はぁ、平気ですぅ。こうしてぇ、下河くんとぉ、出会えましたからぁ。貴族の遊びをぉ、教えてくれませんかぁ?」
「うむうむ♪ 麻呂で良ければ蹴鞠とか、貝合わせとか教えてやるおじゃ。麻呂も1人で遊ぶのは楽しいでおじゃるが、やはり相手がおらぬと燃え上がらぬでの」
「ですよねぇ~。花札とかぁ、賽子はぁ、相手がいないとぉ」
白水の言葉に、ふと元昭は眉を潜ませた。
「どうしたんですかぁ? 眉間にぃ、皺が出来てますよぉ?」
彼女の問いに、元昭は首を傾げながら、こう聞いた。
「は、花札とか賽子って何でおじゃ? 遊ぶものでおじゃ?」
「えぇ~っ? 下河くん、知らないのぉ?」
「知らぬ、知らぬ! そういう単語がある事すら初耳でおじゃ!」
白水の問いに首をブンブン横に振って答える元昭。
実を言うと彼は、いつも雅な遊びばかりに気を取られていたため貴族の間で流行っている遊びは知っていても、白水みたいに平民や庶民の間で、古くから伝わる遊びを殆ど知らないのだ。
白水が繰り出す庶民の遊びの名前を聞いても、元昭にとっては知らないものばかりである。
「将棋や囲碁、歌留多、チャンバラごっこくらいなら知っておるが……花札とかは……」
「竹馬とかぁ、お手玉とかぁ、おはじきはぁ?」
「まったく知らぬ……なんでおじゃ、それって」
「う~ん……口で言うよりぃ、実際にやった方がぁ、分かると思いますぅ。今からぁ、教えましょうかぁ?」
「にゃぬっ!? 良いのか!?」
白水の言葉に元昭は目をランランと輝かせながら聞く。
そんな彼に彼女も嬉しそうに頷く。
「はいぃ。その代わりぃ、私に貴族の遊びをぉ、教えて下さい~」
「勿論でおじゃるよ、水岸っ!」
「下河く~んっ!」
こうして2人の間に『遊び』を通じて友情が芽生えた。
それから両者が交互で、遊びを教える講習は夕方遅くまで続いたという。