三章 計画始動
玉虫屋の先代店主――元昭の母――が鬼籍に入ってから1週間が経った。
時刻は朝酉の刻(午前10時)。
いつもなら新見にある店は開店しているはずなのに、玉虫屋はまだ開いていない。
それもそのはず、玄関には『改装工事のため、しばらく臨時休業いたします』と書かれた紙を貼っているため開けていないからだ。
そんな臨時休業の店内に元昭は居た。
彼は宣告通り、冠婚葬祭に従って亡き母の初七日を済ませた後、従業員である秀明と若菜を玉虫屋の地下1階にある従業員専用室に呼び寄せた。
使い古された木製の円卓を囲むように3人は胡坐をかいている。
若菜が淹れてくれたお茶を一口飲んでから元昭が口を開いた。
「さて、2人を呼んだのは他でもないおじゃ。母の初七日も無事に済んだ事じゃし……宣言通り足川家復興をしていく作戦を今日から始めていくおじゃ」
「あの、店主? 質問があるのですが……」
「違うでおじゃ! 麻呂は店主ではなく、嫡子と呼ぶようにと言うたであろう? 黒沢!」
挙手して質問をしようとした秀明の言葉を遮るように、元昭は抗議する。
だが黒衣を着た従業員は、負けじと言い返す。
「お言葉ですが、嫡子という肩書きはキチンと復興が出来てからの方が良いと思います。それと無暗に足川家と言わない方が良いかと思います」
「んっ? 何故でおじゃるか?」
「良いですか? 足川家は、かつて日野本を統治していたという家柄だとしたらですよ?今では滅亡……というか形上は無くなっている、と世間では認識されている可能性が極めて高いです。それなのに『実はこっそりと生きていました』なんていう事実が発覚したら、どうなると思います?」
「ん~っ……世間は大きく驚くでおじゃ?」
「そうです。驚いたり、騒いだりと要は世間をお騒がせしてしまう事になります。世間が騒ぐ範囲としては些か問題ありません。ですが、摺河を治める領主や、花洛に居る鹿倉家が知ったら騒ぐだけではすみませんよ」
「すまない、とは……どういう事でおじゃるか?」
事態を把握しきれない元昭に、秀明は生徒を諭すかのように説明する。
「つまり、下手をすれば『足川家を復興させて花洛を奪いに来るかもしれない』という余計な疑惑を与える事になります。店主の目的は本当に、それなのですが今は発覚される時ではありません。物事において序盤から躓いていたら後々、大変な事になったり面倒になる事が出てきます。まず、ここまでは分かりますか?」
「う、うむ……」
「よろしい。次に……仮に鹿倉家が、そういう疑惑を持っていなくとも近隣諸国の大名や豪族達は、変な勘繰りを生んで余計な戦いに発展する可能性もなくはありません。そうなったら私達……というより店主の計画が全て水の泡です。ましてや鹿倉家を追い出して日野本を乗っ取る、という行為は鹿倉政権による反逆行為でもありますからね。捕まって流罪、最悪の場合は打ち首になる可能性もあります」
秀明の説明に元昭は白粉を塗っているにも関わらず、顔面蒼白になって狼狽える。
「る、流罪や打ち首って……そんな大袈裟な……」
「大袈裟ではありません。『かつての将軍家』だという肩書きがある以上、足川家が実は生きていたという事実が発覚したら、余計な事まで手をつけないといけなくなる事が、まず発生するはず。そうなると本末転倒です。先程も言いましたが、店主のやろうとしている事は、傍から見れば鹿倉政権の転覆を狙う逆賊行為です。もし、その目論みが世間にバレてしまったら元も子もありません。復興に手をつけるどころか、つかずに終わってしまう可能性が充分にあります。いくら貴族かぶれの馬鹿店主でも、ここまでは分かりますか?」
「う、うむ……で、では麻呂は……どうすれば良い?」
「事を進めるにあたり、まずは『足川家を名乗らない』、『呼び方は、あくまで嫡子ではなく店主と呼ぶ』。この2つを守っていれば周囲に発覚する事は、まずありません。まだ『貴族ごっこをしている馬鹿店主』という風に見られるでしょう。少なくとも日野本を乗っ取ろうとしている行為には見えないはずです。何事も敵を欺くための隠れ蓑が必要ですからね」
「な、なるほど。つまり秘密を外部に漏らさぬ上で事を進める、というのじゃな? あくまで変な事態に発展せぬよう……」
「いつもの店主にしては頭が冴えていますね。その通りです。ですから、これまで通り私達は貴方の事を店主と呼びます。まずは、そこを御理解して下さい」
あまりにも極めて失礼な……それこそ極刑ものの物言いが入っているが、黒衣の助言は的確に的を射ている。
店主を助言・補佐して導く姿は、正に主君に仕える忠臣のようだ。
元昭は、そんな忠臣にも似た従業員である秀明の指示に、首をコクコクと縦に振って素直に従う。
「分かったおじゃ。何事も秘密に、隠密に行動するでおじゃ」
「結構です。では改めて質問を致しますが……店主は具体的に、どうやって鹿倉家から花洛を奪い返すのですか?」
「それなんじゃが、1週間前にも言うたように母が遺してくれた遺産を使って玉虫屋を改装工事して商売による資金確保を優先するおじゃ。日野本を統治するにあたり、まず手始めに、この摺河を乗っ取らねばならん。その為には、資金がなくては反乱を起こす事も出来ぬしの」
秀明の問いに対して答える元昭だが、若菜がポリポリと煎餅を食べながら質問をする。
「でも店主? 資金を得ただけじゃ摺河を乗っ取る事は出来ないわよ? 改装工事をして新装開店させたとしても私達3人じゃ、お店を回す事は難しいわ。もしかしたら、新装開店しても失敗するかもしれないし」
若菜の言葉に同意するかのように、秀明も続ける。
「それに摺河を乗っ取るとしたら、戦いになるのは必定です。そうなると資金以外に兵力も必要になります。その兵力となるであろう優秀な人材の確保も視野に入れないといけません。課題は山のようにあります。そうなると、どれから手をつけたら良いか……どうするおつもりですか?」
「そうよ。どうするつもり?」
心配と不安という感情を露骨に出しながら『ずいっ』と詰め寄る秀明と若菜。
一瞬、圧された元昭だが『コホン』と軽く咳払いをしてから答えた。
「生前、母が言うておったではないか。物事には順序があり、何を優先にするかを考えた上で、1つずつ解消していけば必ず、と。じゃから資金か人材、どちらかを優先的に集めるかで今後の行動は変わっていくおじゃ」
「それで店主の答えは?」
「どっちを取るのかしら?」
顔を近づけながら聞く両者に、元昭は従業員達の顔――頭巾で覆われているため見えない――を窺って、こう答えた。
「直接、領主と会って交渉してくるおじゃ。この国を譲ってはくれぬか、と」
「……はっ?」
「あら……」
あまりにも予想外過ぎる答えに、秀明と若菜は目を点にした。
そんな2人をよそに元昭は続ける。
「いやの、もしかしたら『麻呂は、かつて足川家の血を引いている者でおじゃ。いずれは日野本を統治する予定じゃから、この国を譲ってたも』と直談判すれば向こうの領主も快く譲り受……」
全て言い終える前に、元昭は自分の脳天と右頬に激しい痛みが走った。
視界が一瞬だが、お星様を見る感覚に襲われる。
「店主っ! あんたは、どんだけ馬鹿なんですかっ! 人の話を聞いてましたか!? この馬鹿店主っ!」
「ごめんなさい。オバサン、あまりにもふざけた答えに平手打ちしちゃった♪」
脳天を打った拳を震わせて怒る秀明に、笑っているにも関わらず猛獣を瞬く間に圧死させそうなくらいの殺気を放っている若菜。
秀明の拳と、若菜の掌には物凄い湯気がたっている……本気で怒っているのが分かる。
両者による顔面攻撃を受けた元昭は意識を朦朧とさせ、息も絶え絶えになりながら、
「に……二兎を得るものは一兎をも得ず、という諺があるであろ……それに資金と人材を得るには時間も、お金も掛かるから……いっその事、母の家臣にして現摺河の領主である翡翠家に直談判しようかとの……」
と、悲痛にも似たか細い声で訴えるも、その言葉が再び両者を刺激させる引き金となり、元昭の脳天と今度は左頬に衝撃が走って、そのまま昏倒した。
「さっき、私が言ったでしょう? 無暗に足川家と名乗れば、余計な争いを生むって! あんたは一体、私の話を聞いてなかったでしょう!?」
「それに現領主である亡き先代の家臣が、店主の存在を知らない事だってあるじゃない! 知っていたとしても店主の訴えで『はい、そうですか』と言って領主の座を明け渡すわけないじゃないのっ! オバサン、店主がここまで馬鹿だったなんて思いもしなかったわ!」
それから元昭は2人の従業員から小一時間ほどキツイ説教を受ける破目となってしまった。
結局、地道ながらも資金と人材を両方獲得していくよう方向性が決まった。