二章 遺言状と決起
『元昭、黒沢くん、黄山さんへ。
この手紙に目を通しているという事は、私はもう死んだ事になるわね。
皆を置いて逝く事を許して頂戴ね。
寂しい気持ちでいっぱいかもしれないけど、私は皆と一緒に入れて幸せだったわ。
売上は決して良くはなかったけど、皆と生活していけるくらいの稼ぎはあったから今まで楽しくやっていけたわ。
元昭へ。
お前は道楽に溺れた馬鹿息子だけど、いつも母さんの体調を気にしてくれて嬉しかったわ。
仕事の手伝いもせずに遊んでばかりいたけど、誰よりも明るくて優しい良い子。
私は、そんな馬鹿息子をもって誇りに思うわ。
これからも、そんな優しい気持ちを大事にしていってね?
黒沢くんへ。
いつも、うちの馬鹿息子の尻拭いばかりさせて悪かったと思っているわ。
その上、お店の切り盛りを積極的に取り仕切ってくれて嬉しかったわ。
貴方みたいな真面目で有能の従業員を持って、私はとても幸せです。
これからは3人で仲良く、切り盛りしていってね?
黄山さんへ。
思えば貴女とは長い付き合いだったわね。
馬鹿息子が産まれた時から、ずっと育児に関して相談していた記憶があるわ。
今も昔も、馬鹿息子の対応には手を焼くかもしれないけど優しく、時に厳しく接してあげてね?
貴女の作る料理は、とっても美味しくてお客様からの評判も良かったわ。
これからも、お客様の笑顔のために美味しい料理を提供してね?
それと……前から、これは言うべきかどうか悩んだけど、墓場まで持っていくのに自信がないから、この文で今からある事を告白するわ。
心して聞くように』
3人は読んでいた手紙の文面を見て首を傾げる。
「ある事を告白……でおじゃ?」
「なんでしょう」
「あ、封筒の中にもう1枚手紙があるわ。読んでみましょう」
若菜の言うように、封筒の中には別の手紙が入っており、元昭が手にとってそこに掛かれている告白文を黙読する。
読み始めて5秒もしないうちに、
「お、おじゃっ!?」
と意味不明な驚く声をあげた。
「ど、どうしたんですか?」
「なになに? 何て書いてあったの?」
店主の声に驚いた秀明と若菜も、その告白文を見る。
すると文の冒頭には、こう記されていた。
『私の先祖は、由緒正しい将軍家の血を引いているの』
その内容を見た秀明と若菜も、
「えっ……あの、これは一体……漠然とする内容ですが……」
「ど、どういう事かしら? 先代が将軍家の血を引いてるって……店主、貴方はこの事を知ってた?」
若菜の問いに、元昭は思い切り首を横に振る。
「は、初耳でおじゃ! しょ、将軍家の血って……何の事でおじゃるか!?」
彼の顔は驚きと混乱に満ちているも、なんとか平静を装って続きを見る。
『正確に言えば私、というより元昭の父方の姓が「足川」っていう苗字だったわ』
「あ、足川家とな!?」
それを読んだ元昭は再び驚いた。
なぜなら足川家とは、彼が店の近くにある大きな書館から借りてきた本に「かつて日野本を統治していた事がある将軍家の一門」だという文が記載されている事を知っているからだ。
自分が将軍家……しかも過去に日野本を支配していた事のある足川家の血を引いているという、まさかのカミングアウトに元昭は驚きを隠せなかった。
そんな彼の様子に秀明は首を傾げる。
「ですが店主? 仮に店主が、そのような将軍家の血を引いているとしたら……なぜ、先代は、こんな小さな湯宿の長になっているんですか?」
「そうね。それが疑問よね。もし将軍家の血を引いていたら、玉虫屋が経営難な状況であっても資金援助は出来たはずよ。むしろ大きな湯宿に改装できたはずよ。それなのに……」
「その理由も書いてあるおじゃ。ここを見よ」
従業員の疑問に対し、元昭は手紙に書かれている内容を見せた。
手紙にも書かれていたように足川家は元々、日野本全土を統治していた藤原将軍家一門の分家であり、今、自分達が居る摺河の統治を代々任命されてきた歴史がある。
その血筋から『藤原家が駄目なら足川家が継ぎ、それでも駄目なら鹿倉家が継ぐ』と言われており、藤原宗家の血脈が断絶した場合には藤原家に成り代わり、日野本を号令する権利を持った特別な家柄だった。
やがて日野本を支配していた藤原家が滅亡すると足川家が引き継ぎ、それ以降は代々、帝を排出して長い間、摺河国を中心として日野本全土を統治していた。
しかし元昭から見て曾祖父の者が当主になる頃には、長く平和が続いた所為か、世の中がすっかりだらしなくなり、曾祖父は日野本統治者として、足川家当主としての執務を放棄して、政より、遊びに現を抜かし始めた。
そうなると今まで足川家を補佐してきた各豪族が摺河を牛耳り始め、次第には『我こそが支配者』と将軍の地位欲しさの権力闘争を始め、摺河で内乱が勃発すると次第に落ちぶれ、足川家の力が衰え始めた。
やがて曾祖父が鬼籍入りした後にも統治権を巡り、足川家と豪族による争いで家中が完全に分裂する騒動が起こり、曾祖父の息子――茂晴(元昭から見て祖父)――が当主になる頃には、配下だった豪族の力は以前より更に増してきていた。
豪族達が力をつけ、発言力を増す傾向を茂晴は苦々しく思っていたようだが、国の財源は殆ど彼等が握っているため、無視出来ずにいる有り様だった。
その状況を打開すべく、茂晴は足川家と豪族による雁字搦めを解消するため、当主による統治権の強化に努める。
分国法である『足川法録』を制定して家中を統率、自身の死後の内輪揉めを防止するため、家督相続体制を予め整えていた。
それを整えるには時間が掛かったが豪族達は、茂晴の見事な政治手腕を恐れて、その決定に異議を唱える者はおらず、一時的に豪族達の力を抑える事が出来た。
そのため、雁字搦めもなくなり問題は解決したかのように思えた。
しかし祖父の跡を継いで、というより祖父の庇護で新しく当主に就任した元昭の父・晴宏は実に凡庸な男だった。
茂晴も、それを知っていて自分の息子なのに家督相続する時は、長男である晴宏を次期当主にさせず彼の弟にあたる昌久が継ぐはずだった。
だが自分の死期が近付いてくると、やはり我が子可愛さがあったに違いない。
茂晴は死の直前、昌久ではなく晴宏を当主にするよう遺言書を書き残した。
だが、それがいけなかった。
晴宏による消極政策で国力は低下、再び豪族が力をつけ始め、血で血を洗う内部抗争を引き起こしてしまい、晴宏の弟である昌久もその内乱に巻き込まれて亡くなってしまう。
事態の収束が出来ぬまま、力を盛り返した豪族達が足川家を無視して政を行う事になってしまった事が切欠となり、足川家は同じ藤原将軍家一門である鹿倉家の支配下に置かれ、将軍職も鹿倉家に取られる破目になってしまった。
よって一時、栄華を誇っていた足川家は支配権を日野本全土から摺河一国だけという中規模の弱小的存在に成り果てる。
やがて晴宏も病死すると、足川法録に則って従来通り彼の妻――元昭の母――が当主を引き継ぐ余生だったが、彼女もまた今までの権力闘争を見てきたため、国の運営に嫌気が差して領土を配下に譲って、自分は苗字を旧姓だった下河に戻し、残ったなけなしの財産を使って湯宿を始めたというのが真相だ。
「そんな事があったのですね。文から察するに、先代は足川家に嫁いだ身分だったんですね」
「足川家がなくなったから、資金援助どころじゃなかったのね。与太話かと思ったけど……先代は嘘を言う人じゃなかったし……仮に本当だとしたら、これは大変な事よ」
秀明と若菜は、文面を読みながら複雑な表情を浮かべている。
そして手紙には、こう記されていた。
『なぜ今、こうして話したのか……。
さっきも言ったように、こんな重大な事実を墓場まで持っていくには、今の私には重荷だから少しでも身軽にしておこうかな、という気持ちがあったからよ。
ただ、それだけ。
だから元昭、お前は自分が将軍家の血を引いていた、からと言って足川家を復興させようなんて思わない方が良いわ。
国の為政者っていうのは、実に堅苦しく重いもの……ましてや楽しい事が大好きな元昭にしてみれば、つまらない事ばかりよ。
あと私が生きていた頃、節約しながらコツコツ貯めてきたヘソクリが、仏壇の引き出しの中に入っているわ。
小さな遺産みたいなものだけど、それでお店を改装するなり何なり好きに使って良いわ。
だから、これからは黒沢くんと黄山さんとで3人、玉虫屋を切り盛りしていってほしいわ。
じゃあね……皆、大好きよ』
「先代……」
若菜は文章を読みながら、目に涙を溜めて啜り泣き、黒沢も先代の思いを噛み締めるかのように真剣な表情をしている。
元昭も目頭を熱くしながらも、遺言書に書かれている通り、仏壇を調べると引き出しから分厚い封筒が見つかった。
中を開けると大判やら小判が十数枚でてきた。
大規模な改築を最低でも5回は出来るくらいの金額だ。
「母……」
元昭は極楽に居るであろう、亡き先代にして母の顔を思い出しながら呟く。
瞼を閉じて、今まで自分が母と過ごした事を思い出す。
いつも優しく、稀に厳しく接してくれた母……その手は、いつも暖かく優しいものだった。
そういった記憶が走馬灯のように思い出る。
「店主」
そんな彼の肩をポンと優しく叩きながら、秀明が言う。
「先代の言うように、残してくれた遺産を使って玉虫屋を今まで以上に発展させていきましょう。それが先代の望みですから」
秀明に背中を向けたまま、元昭は動かない。
やはり改めて実母の死を噛み締めているのだろう、と黒装束の男は思っていた。
しかし目の前に居る店主は、こんなことを言い出した。
「秀明……そなたの言うように、この遺産は改築の為に使うおじゃ」
「そうしましょう」
「じゃが、それは玉虫屋発展の為に使うのではないおじゃ」
「えっ……ま、まさかと思いますが……」
何かイヤな予感を感じながらも、秀明は恐る恐る元昭に聞く。
「この遺言書にも書いてあったであろう? 麻呂は足川家という血を引いているのじゃと。そして1度は衰退したことも。ならば今一度、足川家を復活させるおじゃ」
「へっ!?」
「まぁっ」
彼の突然の言葉に、秀明はおろか若菜ですら目を丸くして驚いた。
元昭は小判の入った袋を握りしめたまま、続ける。
「そのためには玉虫屋を改築して更なる資金を得る。その資金で足川家を再興させ、その暁には花洛におるであろう鹿倉家とやらを追い払って再び、足川家の栄光を築かせるでおじゃ! この遺産は、そのための投資にするでおじゃ」
「で、ですが先代は店主に『復興をせず、3人で生きていけ』と……」
「何を言うておる。この世に生を授かった以上、大きな事をせんと意味がないでおじゃろ?よし、今日から麻呂の事を店主ではなく、嫡子と呼ぶおじゃ!」
既に御家復興させる気満々の元昭を居て、秀明は額に片手を当てて心底困った仕草をした。
(案の定こうなってしまいましたか……親の心子知らず……先代、やはり店主は馬鹿です……馬鹿過ぎますっ!)
心の中で亡き先代に誠意を込めた謝罪の言葉を述べる秀明をよそに、元昭は張り切った様子で秀明と若菜に呼び掛ける。
「黒沢、黄山! 初七日が過ぎたら、すぐに計画を立てるでおじゃるよっ!」
「本当にやるつもりなの?」
若菜は若干、不安気に聞く。
それに対し、目の前の貴族風の店主は「えっへん」背筋をそりかえしながら答える。
「うむ。前々から思っておったが、麻呂はその辺の輩とは少し違う存在かと思っておったおじゃ。よもや、本当だったとは思わなんだぞよ」
「まぁ、確かに別の意味で並の人間とは違う気がするけど。それはそうと、私達は別に大名に仕えてたわけじゃないから、いきなり復興させるって言っても……」
「まずはお店を今まで以上に繁盛させることが第一でおじゃ。そのために母上が残してくれた遺産を効率よく使用せねばなるまいて。麻呂は何がなんでも御家復興を目指すおじゃ!」
「ですが店主……」
「黄山さん。無駄ですって」
更に食い下がろうとする若菜に、秀明は彼女の肩に軽く触れて首を横に振る。
「今の店主には何を言っても聞きませんよ。見てみなさい、この顔」
そう言って秀明は元昭の顔を見せる。
そこには、希望に満ちた光で満ち溢れている瞳を輝かせている顔だった。
ここまでくると、さすがの若菜や秀明ですら元昭を止める事は出来ない事を知っている。
思い立ったら吉日、即行動に移すのは今の店主も先代も同じだ。
2人の考えは根本的に違うものはあるものの、言い方は悪いが腐っても親子……似るところは似るのである。
先代も思いついた事を若菜や秀明はおろか、息子である元昭にも相談せず独断で実行する傾向がある。
注意しても聞く耳持たないのは元昭と何ら変わらない。
もはや説得や注意する事を諦めた秀明達は、顔を俯かせて不安気まるだしの表情をしながら自分に言い聞かせるように宣言した。
「やれやれ……先代の遺志を無視するのは気が引けるけど、行けるところまで行ってみますか……」
「はぁっ…………分かりましたよ。この黒沢秀明……不承不承、やらせていただきます」
「そうと決まれば、初七日を済み次第、具体的な作戦を考えるでおじゃ。まずは玉虫屋の改装計画と商売繁盛計画を考えるおじゃ! 黒沢、黄山。そなた達の働きを期待しているぞよ。必ず、御家復興を果たして日野本を鹿倉家から奪い取るでおじゃ!」
そう言って元昭は、天を貫くかの如く右腕を思い切り挙げ、大きな声で宣誓した。
こうして3人による足川家復興計画の幕が上がったのであった。