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十九章 情報収集

 その日の夜。

 時刻は午後申の刻(午後21時)、今日1日の『任務』を終えた秀明は、自分の上司が居る部屋へと入る。


「店主……ただいま戻りました」


 かなり疲労が溜まっているのか、足元がほんの僅かにだが覚束おぼつか無く、フラフラしており、こころなしか表情もどんよりとしている。


「おぉ、黒沢よ。大儀であったの」

「おかえり、黒沢くん! 疲れたでしょ? オバサン、今夜は腕によりをかけて御飯を作ったからね♪」


 室内には、この部屋の主である元昭と、黄色い頭巾と装束に身を包んでいる若菜が座って待っていた。

 その2人の間に挟まれるようにある小さな食卓には、土鍋が3つ置かれている。

 鍋の中には定番の野菜とも言える人参・キャベツ・春菊・玉葱の他、ツクネ(鶏肉や魚肉等のすり身につなぎを加え、擂り合せて団子状や棒状に成形した食べ物)が敷き詰められており、それらを浸けている出汁からは『コトコト』と、聞く者をどこかホッとさせる音を立てながら湯気を発している。

 煮えたぎる出汁の影響で、各野菜やツクネから栄養分が滲み出ているのか、実に美味しそうな匂いが秀明の鼻腔をくすぐる。


「おや……夕餉ゆうげは鍋ですか?」

「オバサン御手製の生姜鍋よ♪ 疲労回復には生姜はうってつけよ♪ さぁ、食べて食べて♪」

「いやぁ、嬉しいですね。やはり黄山さんの作った御飯が、1番落ち着きます」


 秀明は本当に嬉しかったのか、さっきまで死にそうだった顔から一変し、生気を帯びて心の底から安堵した表情になる。

 倦怠感に支配されていた身体も、いつの間にか気怠い感覚が薄れて土鍋に向かって自然と速足になる。

 そして彼が自分用に設けられた土鍋の前まで座ると、待っていたかのように3人は合掌して「いただきます!」と挨拶してから自分の鍋に箸をつけ始めた。


「ん~っ。やはり黄山の作る御飯は最高でおじゃるな」


 鶏肉のツクネを口の中に入れて、ハフハフしながら喋る元昭。


「そうですね……出汁も美味しいですし、ネギとか刻み生姜の味が何とも言えません。はぁ~っ、実に癒されます。頬が落ちそうなくらい美味しいです」


 秀明も野菜を頬張って、愛情こもった味を堪能しながら若菜の作った御飯を褒める。


「もうっ♪ 嬉しいこと言ってくれちゃって♪ オバサン、頑張った甲斐があるわ♪」


 若菜は照れながらも、嬉しそうに微笑んで2人を見ながら鍋に手を出す。

 しばらく食べてから秀明は、ある事に気付いて2人に聞く。


「あの、店主や黄山さんは……もしかして私を待っていてくれたんですか? こんな時間まで」

「そうでおじゃるよ。水岸や博士、導師は既に厨房で食べ終わったからの」

「いや、そうなら別に待たなくても……」


 秀明は嬉しく思いながらも、自分のために待っていてくれた2人に対して申し訳ない気持ちで言うも、若菜が首を振って答える。


「それでも良かったんだけど、黒沢くんだけ1人で御飯っていうのは、ちょっと気が引けちゃってね♪ それに……」

「それに……なんですか、黄山さん」

「オバサンも店主に報告しておきたい事があったからね♪ そしたら今日も黒沢くんは任務に言っちゃってるから、戻った時にでも報告しようかなって思ったのよ♪ 何か意見交換が出来るんじゃないかなってね♪」

「な、なるほど」


 それを聞いて秀明は納得した。

 元昭が自分達の味方を増やしたり、情報を提供してくれる人を探す際には秀明だけでなく、若菜にも声を掛けたということを。

 今日に至るまで報告は秀明だけしかしておらず、若菜は進展があるまで報告しない事を元昭に言っていた。

 その彼女が自分達の上司の部屋に来た、という事は何らかの動きがあったという事を意味する。

 秀明は、さっきまで幸せそうだった表情から政務をしている時みたいに、真剣な顔つきに変える。


「では黄山さんの方でも情報が入ったんですね?」

「えぇ。その前に御飯を食べましょ? 話すのは、それからでも遅くはないわ」

「そうでおじゃるよ、黒沢。せっかく黄山が丹精した鍋を作ってくれたんじゃ。暖かいうちに食べねば失礼でおじゃるよ」

「そ、そうですね。では先に……」


 若菜と元昭に促されて秀明は、そそくさと箸を進める。

 出汁が染み込んだ具をパクつきながら秀明は一瞬、懐かしい気持ちになった。


(こうして3人で御飯を食べるのは、久し振りですね……先代が生きていた頃から、私達は店主や黄山さんと一緒に……暖かいご飯を食べて、他愛ない話で盛り上がって、たまに店主が馬鹿をして先代や黄山さんから怒られたり……)


 かつて自分が玉虫屋で働いていた頃の記憶が脳裏に映し出される。

 稼ぎは少なかったものの、それ以上に楽しかった生活を自分は1ヶ月弱前までしていた。

 それが今では、元昭が足川家復興を決意してからというものの、白水を筆頭に仲間が増えて領主である義哲の邸へと入り込んでいる。

 今の状況が楽しくないと言えば嘘になるが、それでも前の生活は気持ち的に満たされる何かがあった。


(なんだか……暖かったですね)


 つい最近の出来事なのに、それが遥か昔の記憶みたいに思える秀明は懐かしむ顔をしながら鍋の具を口に入れる。

 しかし今ここで振り返るわけにはいかない。

 何はともあれ自分の上司や仲間達が、ここまで来た以上は引き返す事は出来ないし、引き返したら皆から、どやされるだろう。


(過去を思っても仕方ありませんよね。今は、ただ前に……行けるところまで行くのみです。先代、どうか見守っていて下さい)


 心の中でそう呟くと彼は気持ちを切り替えて、若菜の作った料理を堪能することにした。

 やがて20分くらい経った頃には、3人とも全て鍋の中身を平らげていた。


「はぁ~っ、食べた食べた♪」

「ごちそうさまでした」


 お腹を片手で太鼓みたいにポンポン叩く元昭と、合掌して挨拶する秀明の顔は満足気だ。


「はい。お粗末様でした♪」


 若菜は綺麗に食べてくれた2人に対して、微笑みながら3つの土鍋を1つに纏める。

 やがて食器を纏め終えると、若菜は秀明の方に顔を向ける。


「少しは癒されたかしら?」

「えぇ。物凄くホッとします。かなりお腹空いていましたし、疲れも溜まっていましたから」

「そんなに大変なの?」

「大変というか、些かハードなんですよ」


 そう言って秀明は説明しだした。

 朝6時には起床して7時に朝餉、それが済んだら12時まで直純と書類整理をしたり政務をする。

 それが終わったら情報を引き出すため、腰元達と逢瀬をしないといけない。

 1人あたり約3時間を要するため、1日に逢瀬できる女性は3人までと決めてるものの結局は夜の21時まで、ずっと違う女性と出掛けて話を聞き出すのだ。

 政務の時の疲れと、女性と一緒に遊ぶ時の疲れは全く違うものがある。

 簡単に言うと政務の際には頭を使う疲れ、女性と逢瀬をする時は相手を気遣うための気疲れ……どちらが辛いかと言うと後者の方だろう。

 それを1日3回、トータル9時間……それをほぼ毎日行うのだから疲れるのも無理はない。


「そう……楽そうに思えたんだけど大変なのね」


 改めて秀明の作業時間を聞いて、若菜は同情するように呟きながらお茶を啜る。


「まぁ、色々と大変なんです」

「でも、逢瀬の際は食事代も向こうが出してくれるんでしょ? お腹いっぱいにならない?」

「それが、そうでもないんです。あぁいう緊張下で御飯を食べると、余計にお腹が空くんです。それで太らないのも不思議でしょうけど……体質の問題でしょうか」

「羨ましいわ。オバサン、食べたらすぐ太るから」


 若い男性同僚の体格を見て、若菜は羨望の眼差しを頭巾の奥から発する。

 しかし、それを遮るように元昭が手をパンパンと叩いて2人に指示する。


「ほれほれ、苦労話は後にして各自報告をしてくれぬか?」

「あ、そうですね。では本題に入ります」


 白粉店主に促されて最初に秀明が、自分の集めた情報を殿に話し出した。


「結論から言いますと、味方を増やす事は出来ませんでした。ですが、色々と情報を教えて頂きました」

「なんでおじゃ?」

「この摺河を治めている翡翠様は、少し評判が良くないそうです。店主も知っているかと思いますが、翡翠様は領主という立場もあってか非常にお金持ちで好事家の顔を持っています。そのため領内運営には関わらず、専ら自分の趣味だけに予算を出しているらしいです。中には民から徴収した税金の一部も使われているとか」

「なんと……」

「領内の運営は全て灰野様に任せているみたいですが、時折、灰野様の運営に口出ししては口論になりかけた、という証言も出ています」

「自分の仕事もせずに遊び呆けておるとは、領主とは言え情けないでおじゃるな」


 自分を拾ってくれた恩人に対して嘆く元昭だが、


「それは目の前に居る店主にも言えますけどね」


 と秀明は即座に言い返した。


「い、今それを指摘せんでも良いではないか……」

「たまに言いたくなるんです。だいたい店主は、いつも……」

「分かった、分かった……小言は後日、聞くから今は続きを話してたも」


 自分にとって都合の悪い事を聞かされまいと、元昭は強引に話を進める。


「分かりました、話を戻します。それで、灰野様が代わって政務をしてくれている事で何とか国は傾いていません。ですが……」

「じゃが……何でおじゃ?」

「政策に予算を回さず、自分の趣味につぎ込んでる姿勢に家臣達は呆れて、私達が雇われる前日……家臣達は翡翠様に『遊ぶのをやめて政務に勤しんでほしい』と直訴したそうです」

「それで返事は?」

「当然、断ったようです。自分は領主という偉い立場なのだから、これくらいしても良いと言ったらしいです。その事で家臣達は翡翠様を追い出そうと計画してるとか……」

「オバサンも、その噂は聞いたわ」


 秀明の報告を聞いていた若菜が突如、口を開けて説明しだした。

 彼女の任務は食材を買いに行く際、その辺りの町民達に翡翠という男がどういうものなのか調査するというものである。

 その手っ取り早い方法が、おばちゃん達による井戸端会議だ。

 若菜は、その井戸端会議している女性達に市場で購入した大根や人参を彼女達に分け与えたり、または翡翠の悪口を言っている者を見掛けたら密かに盗み聞きするなど彼女は彼女で情報収集をしていた。


「領主は民達が徴収した税金を使って遊んでるとか、家臣達と仲はよくないから近いうち内乱が起こるんじゃないかともね」

「よく報告してくれたおじゃ」

「まだ続きがあるわ。実は私達の存在も家臣達の一部からは、快く思ってない人がいるみたい」


 若菜の説明に秀明も頷く。


「そのようですね。ある腰元から聞いた情報だと、私達が翡翠様に取り入った事で翡翠様の道楽振りに拍車が掛かった、と噂だって私達を追い払おうとした武士も居た、と」

「つまり麻呂達も領主も危うい立場にある、という事でおじゃるな」


 秀明と若菜の報告を聞いた元昭は、それを要約して言葉に出した。


「そういう事ですね。もし家臣達が反乱を起こしたら、いつ起こすか分かりません」

「麻呂達は、どう動けば良いか……」

「そうですね……」


 右手で金箔の大きな扇を仰ぎながら、元昭は考え込む。

 彼から見て翡翠は、まるで自分とよく似ている部分があるため人望は、さほど無いに近い。

 それで反乱が起こったら、まず間違いなく領主は負ける事は明白だ。。

 しかも自分達が雇われたせいで、領主の好事振りに拍車が掛かったと嘆く家臣もいるくらいだ。

 もし下手に行動すれば、自分達は領主の味方だと家臣達に思われて、襲撃してくる可能性は高い。

 かと言って、このまま何もせずにいても自分達は「領主を堕落に追い込んだ者達」として捕まるのは時間の問題だ。


(うぬぬ~っ……なんとか自分達に変な疑いが掛からないようにするには、どうすれば良いのか)


 考える仕草をしてから3分弱経過した時、元昭は1つの結論に達した。


「いずれ麻呂達は、あの領主を追い出すのでおじゃ。しかし、その前に家臣達が反乱を起こしたら本末転倒でおじゃ」

「では、どうするつもりで?」

「何もせぬ」

『えっ?』


 元昭の意外な答えに、秀明と若菜は目を丸くして首を傾げる。

 そんな部下2人の様子を見て、白粉店主は口元を歪めて説明する。


「麻呂達の状況は微妙なものでおじゃ。今ここで動けば、どちらに転んでも麻呂達が不利になる……そうであれば、それを逆手に取れば良いでおじゃ」

「逆手って……どういう?」


 未だ上司の真意を理解していない秀明の問いに、元昭は説明を続ける。


「もし家臣達が反乱を起こしたら、間違いなく狙いは領主と麻呂達であろう。じゃが、そこが麻呂達にとっては好機でおじゃ。争いが始まった直後、有利な方についたら良いのでおじゃ」


 つまり家臣達が義哲を襲うのであれば、それに便乗する……その逆も然りで義哲が家臣達の反乱を退く状況なら自分達も、それに乗ずる。

 もし前者であれば、自分達を保護してくれた者に対する裏切り行為だが『領主の悪評は聞いている。だから、今こそ足川家の血を引く自分が摺河を統治しようと思い、旗揚げをした』と言える。

 当然この言葉を信用しない者は大勢居るだろうが、足川家という家名を知らぬ武士は居ないはず。

 かつて摺河を統治し、途絶えたはずの将軍家の分家にあたる足川家が帰ってきたとなれば、もしかしたら従う者も出るかもしれない。

 それとは逆に後者である義哲側が有利なら『自分達を拾ってくれた領主に今こそ恩を返す時だと思い、旗揚げした』と言えば、あの義哲の事だから気を良くして信頼するだろう。

 そして機を見計らい、自分が足川家の血を引く嫡男だと言えば、摺河を乗っ取った罰として国外追放を命じる事が出来る。

 翡翠家はかつて亡き先代である母の側近だと聞いているものの、我が物顔で祖国を統治し、その領主である義哲は運営を部下任せにして遊んでいる。

 民からも人望が薄いため、自分達が領主を追い払ったという行為に出ても、悪者呼ばわりどころか、逆に英雄視し……しかも足川家が復活となれば、それこそ民達は驚いて主である元昭を迎えてくれるかもしれない、と元昭は考えていた。


「つまり、コウモリみたいになるって事ね」


 説明を聞いた若菜は、元昭の狙いを分かり易く答える。


「うむ。もし反乱の動きが本当ならば、どちらかが有利になるか真っ先に察知せねばならぬ。麻呂が摺河を手にする時は確実に近付いておる。皆、くれぐれも事は慎重にかつ迅速に動くようにの」


 あまりにも見事とも言える策略に、秀明は脱帽するしかなかった。

 些か卑劣な手ではあるものの、周囲の状況を読み取り、自分の思惑を誰にも気付かれないように流し込む……。


(店主は……本当に、こういう時は策士ですね)


 秀明はどこか脱帽した感じで元昭を見ており、若菜もまた感心した表情で自分の上司を見る。


「さすが店主……良い考えです」

「オバサン、見直しちゃった♪ まさか店主が、そこまで考えていたなんて♪」


 素直に褒める部下2人に、元昭は柄にもなく少々照れてるのか頭をポリポリ掻きながら言う。


「で、では明日から本格的に国盗りの準備に入るおじゃ。ここからが正念場でおじゃるよ。決して気を抜かないでたも」

『了解っ!』


 自分達(特に元昭)の野望が実現するかもしれない……そう思うだけで気分が高揚してきた秀明と若菜は、明日に備えて早目に寝ると元昭に言って部屋から出て行く。

 頼りになる部下達を見送った元昭も、明日からどう動こうかと考えながら布団につき、就寝した。

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