十七章 捨てる神あれば拾う神あり
夕方特有の茜色に染まりつつある空の下、舗装された道を7つの人影が歩いている。
先頭に立っている義哲は後ろをついて歩く元昭に対して、何やら感心した様子を見せながら歩く。
「いやぁ、君の回復力には目を見張るものがあるね」
「麻呂でも何が何だか分からぬが、痛みも引いたし傷口も塞がったから良かったおじゃ」
「本当に驚いたよ。ますます面白いね、君は」
「にょほほ♪ 気に入って貰えて良かったぞよ、ほほっ」
何やら楽しげに話しているが、元昭の後ろを歩く秀明と若菜は何故か、げんなりした様子で前を歩く男2人に聞こえないよう小声で話す。
「黄山さん……あんな事って有り得るのでしょうか……」
「有り得ないわね……店主って昔から、たまに常識では計り知れない部分があるから……」
「それは私も分かっていますが、まさか……あんな事で……不自然すぎますよ」
それは今より数分前、秀明が領主である義哲に対して自分達が無礼な事を言ったことに対して元明の頭を掴んで何度も地面に叩きつけながら謝罪した事から始まる。
しかし領主本人は、まったく気にしていない様子で御咎めは無しになったものの、元昭の額は割れて出血していた。
その治療にあたるため、若菜が白水と晴伸に救急箱を取ってくるようにとか、血を拭くための布を用意するなど指示を出す。
だが玉虫屋は半壊しており救急箱が見つからず、布すらボロボロになっている有り様。
これでは手当てする事すら、ままならならず、その間にも白粉店主の顔は文字通り『血の気が引く』状態が続き、「痛い……痛いおじゃ」と喚くばかり。
せめて痛みを抑える事が出来ないかと白水に聞くと、壊れた救急箱の中から運よく爆発の被害から逃れて無事だった薬を発見したが、それは止血剤や消毒薬ではなく、頭痛薬だった。
若菜は、その状況に頭を抱えるも今はそれどころではないと判断し、まさしく気休め程度の感覚で元昭に頭痛薬を飲ませた。
あとはボロボロの布を拾って包帯みたいに額に巻きつけ、仮の止血処置をしてから秀明に元昭を医者の所へ行くよう指示しようとした時、
「んっ? だんだん、痛みが引いてきたおじゃ……」
と信じられない事を口にした。
さすがの若菜もまさかと思うも、さっきまで痛がっていた店主がケロッとしている。
念のため、さっき額に巻いた布をほどくと、薬が効いているのか割れていた額の創傷が、嘘みたいに綺麗に塞がっており、元昭は「完全に痛みがなくなったぞよ」と言う。
傷口が出来ているのに、頭痛薬を飲んで治る現象には長年一緒に居る秀明や若菜は目が点になったが本人が、さっきまでは打って変わってピンピンしているため何も言えなかった。
晴伸も敏明も白水も、まるで奇術的な現象に何が何だか分からなかったが『結果的に無事だったから良かった』と素直に受け止めた。
そして気を取り直して義哲と話し合って彼の提案を承諾、今こうして領主の館へと向かっているのだ。
「まさか頭痛薬で治るなんて……オバサン、ちょっとビックリしたわ」
「私もですよ、まったく……まるで漫画みたいな話ですよ……」
目の前を意気揚々と歩く元昭の後ろ姿を見て、秀明と若菜は気付かれないように深い溜息をつきながら歩いた。
しばらく歩くと義哲と元昭が初めて出会った大きな屋敷の前まで辿り着いた。
「ここはぁ……さっきぃ、私と店主がぁ、蹴鞠っていた場所ですぅ」
白水が辺りをキョロキョロと見回しながら呟くと、義哲が笑いながら答える。
「ふふふふ、この大きな屋敷が小生の住んでる処だよ」
「そうなんですかぁ。随分、大きいんですねぇ。さすがぁ、領主様ですぅ」
「これで驚いてたらダメだよ? なんと、この屋敷は前より規模が縮小しているのだよ」
縮小という割には、かなり大きな武家屋敷なため、これにはさすがの白水も驚いた。
「なんでぇ、縮小したんですかぁ?」
「ま、まぁ色々とあるのだよ。そんな事より、早く中に入ろうではないか。小生、お腹空いちゃったよ。黄山くんだったかな? 彼女は玉虫屋で厨房担当だったとか。君の味、期待しているよっ!」
白水の問いに義哲は一瞬、口籠ってから誤魔化すように元昭達に中に入るよう促す。
戸口から中に入ると、1人の壮年男性が立っていた。
オールバックのような短髪に、立派に整わせている蓄えた無精髭、がっしりした体格をしている。
そして何より、秀明や若菜みたいに作務衣のような装束を着ている事が印象的だ。
男は義哲を見るなり、
「領主、また執務をサボって街中をうろついていたのか?」
と些か怒ったような口調で問い掛ける。
それに対して義哲は悪びれた様子も見せず平然と答える。
「だって毎日、書類と睨めっこしていたら退屈だよ。何か刺激的で面白い事がないかと街中で探し回っているだけだよ」
「だからって、領主1人で外に出るものじゃないだろ。万が一の事があったら、どうすんだ?」
何か注意しようとした壮年男性に対し、摺河領主はコホンと軽く咳払いをしてから、
「灰野くん。小言は後にしてくれたまえ。客人達の前だよ?」
「まったく手前は何度も……ん、客人?」
義哲の言葉に灰野と呼ばれた男は、ようやく領主の後ろに居る人達の存在に気付く。
「こ、これは失礼致した。領主の客人ですか。ひとまず中へお入り下さい」
壮年男は、そう言って元昭達を邸内に入るよう促した。
☆
領主が住んでいる邸は外観も立派だが、内装も立派な構造である。
邸内に設けてある客間へと案内された元昭達は、用意された座布団に座り込む。
そんな彼等を上座の位置から翡翠は寛ぐように、その彼の脇に控える灰野という男は正座をして対峙する。
そして壮年男が1つ軽く咳払いをしてから、
「先程は、お見苦しい所をお見せして申し訳ない。改めて自己紹介を。手前は灰野直純と申します。一応、この領主に仕えている武士だ」
直純はそう切り出して「よろしければ、貴殿達の名を聞かせてくれないか」と言った。
「麻呂は下河元昭。元玉虫屋店主でおじゃ」
「私は黒沢秀明で元玉虫屋従業員です。主に経理から雑用まで幅広く担当していました」
「オバサンは黄山若菜といいます。元玉虫屋従業員で料理と掃除を担当していたわ」
「水岸白水ですぅ。ただの遊び人でぇ、玉虫屋の遊技場担当にぃ、雇われる予定でしたぁ」
「藍沼敏明ぢゃ。摺河一の天才科学者にして、玉虫屋の機械担当になるはずだったんぢゃ」
「木登晴伸……流浪の占術師だったが、玉虫屋の専属占い師として雇われる予定であった」
立て続けの自己紹介に直純は感心にも似た驚きの表情を浮かべる。
「なんと。貴殿達が領内を騒がせた玉虫屋という湯宿の者達だったのか。しかし、そちらの3名は何やら……過去形のようだが……?」
白水、敏明、晴伸の3人を見て直純は首を傾げる。
「それについては麻呂が説明するおじゃ」
元昭がバツ悪そうな顔で直純に説明した。
お店を新装開店させようと思い、従業員の数を増やそうとしたこと。
白水達は、その過程で雇う事にした従業員達だったこと。
そして全て準備が整い、開店を翌日に控えた矢先に敏明の作った機械が誤作動して爆発したこと。
「……そして今に至る訳でおじゃ」
「なるほど……他人事だと思われるかもしれないが、さぞ大変だったろうに」
「まぁ済んでしもうた事は仕方ないでおじゃ。この先、どうするか途方に暮れていたところを領主に拾われたおじゃ」
「拾われた? どういう事か?」
「そこからは小生が話すとしようか」
元昭の言葉に続くように、義哲は優雅に右手に持ってる湯呑を一口飲んでから部下に説明する。
「小生が邸を抜け出そうとした際、偶然にも下河くんと水岸くんが蹴鞠をしていてね。あまりにも上手だったから声を掛けようとしたのだよ。こういう人達を邸に置いておけば退屈しないですむかと思ってね」
「邸に置くって……ちょっと……」
直純の注意を遮るかのように義哲は続ける。
「いざ声を掛けようと思ったら、領から出て旅芸人にでもなろうかという会話を聞いたものだからね。退屈凌ぎになるかもしれない人達を、むざむざ領から出してなるものかと小生が引き止めたのだよ。話を聞けば下河くん達が不憫になってね」
そこで義哲は再度、湯呑に入っている煎茶を飲み干してから直純に言った。
「そこで小生は下河くん達を、邸に置こうと雇ったのだよ」
「何を勝手に決めているのだ、領主!」
直純は喚き出す。
「領主の好事家振りには毎回、呆れているが……今回は度を越してるぞ!」
「灰野くん。あまり怒ると血圧が上がるよ? 玄米茶でも飲んで血圧を下げたまえ」
「誰が怒らしているんだっ! しかも『雇った』って……」
「話を聞いてたら、何やら可哀想ではないか。それに下河くんとは色々と話が合いそうでね。小生はね、下河くん達を気に入ったのだよ。気に入ったものを手元に置いておきたいのは人間としての性ではないかね?」
「領主は下河殿達を物扱いしているのか! 黒沢殿とか申したな。貴殿は、このような扱いをされてイヤな気分にならないのか?」
思わず話をふられて一瞬、困惑した秀明だが苦笑を漏らしながら答える。
「まぁ……どんな形にせよ、領主様に拾って頂けるのは光栄だと思っていますので」
その答えに気を良くした義哲は、どや顔で直純を見る。
「灰野くん、聞いたかね? 黒沢くんも、こう言っているのだから」
「だからって……こういう大事な事は一言、手前に相談して頂かないと……」
「だって相談したら反対するに決まってるではないか。考えてもみたまえ、下河くんや水岸くんは芸達者そうだし、黄山くんは料理が出来るそうじゃないか。おまけに藍沼博士とやらは機械という不思議な物を作るし、木登導師にいたっては占いが出来るそうではないか。これほど面白い組み合わせはないよ?」
「面白そうだから雇うのか!?」
「そうだよ」
「全ては自分の退屈凌ぎの為だけに!?」
「そうだとも」
「ふざけるなっ! この馬鹿領主っ!」
「灰野くんっ! 仮にも領主に向かって馬鹿とは何かね、馬鹿とは」
「馬鹿に馬鹿と言って何が悪いのだ。この馬鹿領主っ!」
客人である元昭達を前にして不毛な言い争いを繰り返す義哲と直純。
その光景はまるで普段、自分達の日常生活のやりとりを目の前で見せつけられている気分だ。
その光景に秀明は、
(人は客観的に自分自身を見るのを嫌がると聞きますが……本当ですね)
と心の中で思いながら、痛感した表情を浮かべる。
しばらくの間、2人は言い争いを続けたが結局『領主命令として雇う』と義哲が主張したため、直純は渋々ながら承諾した。
こうして元昭達は紆余曲折を経て、意外な形で摺河領主である義哲に取り入る事に成功し、邸へと上がり込んだ。