十六章 武士の正体
「ただいまでおじゃ~」
ようやくボロ長屋に帰ってきた元昭は、皆が待機している部屋の扉を開けて入ると、
「おかえり♪」
と若菜が笑顔で迎えて彼を優しく抱擁した。
これは自分達が、まだ玉虫屋で働いていた時からのクセみたいなものだ。
「黄山さん~、私にもぉ」
彼の後ろに居た白水が、店主が抱擁されているのを見て自分にもと求める。
「はいはい♪ おかえりなさい、水岸ちゃん♪」
それに応えるように元昭から離れると、続けて白水をふんわりと抱き締めた。
続いて秀明が近付く。
「店主、おかえりなさい」
「うむ。頭は冷えたおじゃ?」
「1時間以上、休んでいたらイヤでも冷えますよ」
「じゃあ、落ち着いて話が出来ると言うわけでおじゃるな?」
「えぇ、勿論です。そうですよね、皆さん?」
秀明は後ろを振り返って他の仲間に聞くと、全員頷く。
「他の方も落ち着いたみたいなので、今から今後の事について話し合いをしましょう」
「あぁ、その事なんじゃがの。ちょいと麻呂から話があるのでおじゃ。聞いてくれぬかの?」
「話……ですか?」
「うむ。実はの……」
そう切り出して元昭は数分前に起こった出来事を話した。
自分が蹴鞠をしていた時、ある1人の武士と出会ったこと。
その武士は金持ちの好事家らしく、自分達の境遇を聞いて是非とも雇いたいと申し出ていること。
その人が今、ここに来ているということ。
「ほ、本当に居るんですか? 私達を雇いたいという……御奇特というか酔狂というか、いや……仁徳な方が」
「居たんじゃよ。麻呂も驚いたでおじゃるよ。そやつとは馬が合うというか、すぐに打ち解けての~」
「でしょうね。好事家は店主が憧れているものですから……共通ある趣味の話とかでも盛り上がりそうな感じですし」
随分失礼な物言いだが、遊び癖のある元昭と仲良くなれるのは大概、同じような人種だろうと秀明は知っている。
それに関して元昭も否定しないため、彼の発言に対して笑いながら肯定する。
「ほほほっ。まぁ現に盛り上がったしの。それで話を戻すが、この申し出に応じるべきか皆の意見を聞きたくての」
どうかの、と聞く元昭に対して若菜が白水を抱き締めたまま質問した。
「良い話ではあるけど、相手は何処の家門の出なのかしら? 好事家ともなると上級武士とか商人のケースが多いけど」
「家門? 家門とは、どういう……?」
若菜の問いに理解できない元昭が首を傾げて尋ねると、彼女は分かり易いように説明する。
「要は相手の名前を知りたいのよ」
「知って、どうするおじゃ? 名前次第で返答を決めるおじゃ?」
「違うわよ。一応、どのような御武家様なのか知りたいじゃない。欲を言えば、その家門に仕える事が出来れば近所の人にも自慢できるしね♪」
「動機の一部に不純なものを感じたが……名前でおじゃるか。そう言えば、名前聞いてなかったの~」
「聞いてないの? 店主、せめて名前くらいは聞こうよ」
「もう、そやつは長屋に連れてきておるんじゃ。直接、本人から自己紹介を受けるが良い」
若菜の非難に、元昭はむっとなりながら答えて、自分の後ろに目を移した。
それが合図だったのか、自分達を雇いたいと言う奇特な武士が長屋の中に入る。
こんな補強しまくりのボロ長屋に足を踏み入れる上級武士とは一体、誰なのかと従業員達の目が、その武士を捉える。
「あっ……!」
すると何故か秀明の表情が一変した。
頭巾で表情までは分からないものの、声に込められたトーンからして驚きと疑問にも似た感情が入っているようだ。
そんな黒衣従業員をよそに、元昭は武士の脇腹を肘で小突きながら、
「ほれほれ。そなた、早よう、こやつらに自己紹介をするおじゃ」
などと偉そうに急かす。
「て、店主っ! な、なんという事を……っ!」
そんな白粉店主の態度を見て、秀明は慌てた様子で自分の上司を無理矢理座らせる。
「な、何をするでおじゃるか? 手を離すおじゃ!」
「離しませんっ! 店主は……この御武家様、いや、この方に何という無礼なことを! それに、このようなお方を、こんなボロ長屋に連れて来るとは……無礼討ちされますよっ!」
そう言って秀明は元昭の後頭部を思い切り掴み、自分が土下座をすると同時に頭部を掴んでいる手を思い切り下ろす。
「おじゃ~~っ!」
それに連動して元明の額が何度も長屋の床に当たり、『ガンッ、ガンッ』と鈍い音が屋内に響き渡る。
「も、申し訳ありませんっ! 知らなかったとは言え、うちの馬鹿店主が、このような振る舞いをして……この通り、平に……平に御容赦をっ!」
「い、痛い! 痛いでおじゃ、黒沢よっ! 額が、額が割れるでおじゃっ!」
元明の悲痛な叫びを無視して、秀明は店主の額を何度も床に叩きつけながら謝罪の言葉を述べる。
そんな光景を見た白水が、秀明に質問する。
「黒沢さん~? その口振りですとぉ、あの人の事をぉ、知ってるみたいですけどぉ、知り合いですかぁ?」
わざわざ武士に向かって指差して『あの人』と言う白水に、秀明が声を荒げる。
「水岸さんっ! ぶ、無礼ですよ。あの方を指差して、あの人呼ばわりするなど……」
「そんなにぃ、偉いんですかぁ?」
「偉いも何も、こちらの方は……」
秀明は元昭を抑えながら1度、深呼吸をしてから言葉を継げる。
「この摺河を治めている領主様に他なりませんっ!」
『…………』
彼の言葉を発した後、しばらく長屋の中に長い沈黙が漂う。
秀明は元昭達が自分の言った言葉を理解していないのかと思い、言葉を続ける。
「この方は紛れもなく現摺河を統治している翡翠家の当主・翡翠義哲様ですっ!」
『…………』
またしても沈黙が長屋の中を漂う。
そして最初に口を開けたのは白水で、
「そうなんですかぁ」
と言うだけで、若菜や敏明や晴伸に至っては首を傾げる様子を見せている。
この光景に秀明は口をパクパクさせながら喚くように声を出す。
「『そうなんですかぁ』じゃありませんっ! 皆さん、領主様が来てるんですよっ! 図が高いですっ! 皆さん、早く土下座をして……」
「私ぃ、領主様を見るのはぁ、初めてですぅ」
白水は秀明の言葉を聞いていないのか、土下座をするどころかマジマジと目の前で立っている武士、もとい領主である義哲を見る。
それに続いて若菜も頷きながら、
「領主様って確か……遊び好きって聞いたけど、何処となく店主に似てるわね♪」
と打ち首されても仕方ないような発言を繰り出す。
その言葉に驚いたのは秀明だ。
「黄山さん!? 貴女、ずっと摺河に居るのに領主様の顔を知らないんですか? 顔は知らなくても名前とかは……」
「名前に反して、なんか軽そうな人だから……」
「っ!!」
これまた、かなり酷い事を言ってのける若菜に秀明は全身の血が物凄い勢いで引いていく感じがした。
目の前に自分達が所属する領地の長が居るのに、この物言いは明らかに極刑物だ。
なんとか挽回しようと秀明は次に敏明や晴伸に聞く。
「は、博士や導師は領主様の事は御存知ですよね?」
『いんにゃ、知らん』
2人とも、ほぼ同時に即答した。
「し、知らないって……ちょっと!?」
秀明の抗議より先に晴伸が弁解する。
「我輩は流れ者の占い師故、摺河の領主が誰なのかは全く知らぬ」
「しかし占いという商いをする上では、領主様に許可を求めないと……」
「確かにそうだが、許可を求める際は書類を送るだけ故……直接、本人に会って話し合った事がない。故に全く知らぬ」
何の悪びれも無く答える晴伸。
彼ではダメだと判断した秀明は、次に敏明に同じ事を聞く。
すると、
「儂は科学の研究で、ずっと長屋に籠もっておるからの。第一、領主の事は興味ないし知りたくもないわいな。知ってたとしても、すぐ忘れるわい」
「……………っ!」
信じられないとでも言いたげな表情をしながら、最後に元明にも聞こうとしたが、今までの反応からして恐らく知らない可能性が高い、というより明らかに知らないだろう。
秀明は言葉を失うしかなかった。
まさか、ここに居る自分以外のメンバーが領主の事を知らないとは思いもよらなかったからだ。
(ダメだ……この人達、まったくもってダメすぎるっ!)
もはや、こうなった時点で自分達の運命は決まったようなものだ。
領主に対する不敬罪として確実に極刑を言い渡されるであろう。
先代店主が亡くなり、元昭が足川家を復興させると宣言してから全てが崩れた。
玉虫屋を改装、従業員を増やそうとして変な人達ばかり仲間にして最終的には店を大破させて失敗、領内で仕事をする事を失った挙句、今こうして領主を前に仲間にした人達が次々と無礼千万な事を言う。
(もはや言い逃れは出来そうにない……かくなる上は……)
何かを決意した秀明は必死に懇願する。
「数々の無礼なる言葉、平に御容赦を! 罰を与えるなら、私だけにして下さい!」
お願いします、と何度も土下座をして謝る。
そんな彼に対して義哲は、
「小生の事を知らないのは無理もないよ。小生は、いつも邸の中で遊び呆けているからね。まぁ、君みたいに小生の事を知ってるだけでも、嬉しいものだよ。今回は、たまたまお忍びで外に出ようとしたんだけどね。門を出たところで、そこの2人と出会ったのだよ。あははははっ!」
と、元昭達の言葉に気分を害するどころか、カラカラと笑った。
怒るどころか笑って対応し、おまけにマジマジと見ている白水に対しても「高貴な小生の姿を脳裏に焼きつけたまえ」などと、ノリノリで答える。
そんな彼の姿に秀明は一瞬、茫然となったが気を取り直して掛け合う。
「どうか私達の罪を……」
「そんなこと気にしない、気にしない。むしろ尚更、気に入ったよ。今まで見てきた中でも1番面白いね。見ていて飽きないよ」
何がそんなに面白いのか上機嫌になっている義哲。
秀明は状況が状況なだけに、未だ把握しきれていないが1つだけ理解できたのは、今回の無礼な数々は許されたということ。
その事実に秀明は無意識に安堵した表情を浮かべていた。
すると不意に義哲が指を差して一言。
「ところで……いい加減、彼を解放してやっては、どうかね?」
「んっ? あっ!」
差している方向に目をやると、店主の頭を掴んでいる自分の手があり、その店主の額から血がダラダラと流れている光景が視界に入った。
「ひ、額が割れて……血が出ておる……」
元昭の特徴である白粉の顔は、左右の頬を残して真っ赤に染まっている状況である
「うわ~~っ、店主~~っ!」
「おじゃ~~? 死んだ母君の姿が……手招きしておるぞよ……」
「そっちの世界へ逝ったらダメですっ! しっかりして下さいっ!」
虚ろな目をしている元昭の意識をなんとかハッキリさせようと、襟首を掴んで上下に揺さ振る秀明。
「ほほ~っ……更にフワフワして良い気分よの~……」
それを見た若菜が慌てて止めに入る。
「そんな事したら余計に血が出て危ないわよっ!」
「母君……今すぐ、そっちに逝くぞよ……黄色い河が見えるおじゃ……」
「渡ったらダメ~~っ! 手当てするわよっ!」
若菜が秀明を押しのけ、白水や晴伸に対して元昭の手当てに必要な道具を揃えるよう指示を出した。