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十伍章 思わぬ転機

 その男は痩せ型で、目の釣り上がったやや彫りの深い顔立ち――俗に言う狐顔――で、艶やかな深緑色の素襖(日本の男性用の着物の一種)を着こんでいる。

 肩甲骨まである黒髪を後ろに1本に纏め、細く尖がった口髭と顎鬚が印象的だ。

 どこか高貴な武士みたいな雰囲気を醸し出しているが、どこか抜けていそうな……分かり易く言えば三枚目的な空気を纏っているようにも見えた。

 そんな、一見胡散臭そうな武士は2人に近付きながら両手を振り回し、大袈裟にも似たリアクションをする。


「君達のような芸達者が、摺河から出ようなど……勿体無い、実に勿体無いよ!」

「な、なんでおじゃるか? こやつは……?」

「なんなんでしょうねぇ、この人ぉ……」


 元昭と白水でなくとも、こういう反応になるだろう。

 いきなり見ず知らずの者に呼び止められ、自分達の会話を聞き、このような訳の分からない事を言われたら2人でなくとも怪訝そうな顔をしたくなる。

 そんな2人から冷ややかな視線を浴びている事に気付いた武士は両手を前に出して、小刻みに左右に振って大袈裟に言う。


「そんな目で見ないでくれたまえよ。別に怪しい人物じゃないんだからさ! 小生は、その辺りに居る一介の武士だよっ!」

「自分で『怪しい者じゃない』と申告する者の場合、大概は怪しい者というか悪者と相場が決まっているおじゃ」

「誤解だよ、それは」

「それに武士にしては、おかしな雰囲気を出しているようじゃが?」

「それを言うなら、貴公だって同じではないか。今の御時世、白粉をつける貴族みたいな者は花洛でも居ないよ?」

「これは麻呂のファッションというものでおじゃっ! 良く言えば個性的ではないか」

「まぁ確かにそうだね。着こなしてるというか、板についてるというか……中々、様になってるよ!」

「ほほっ♪ それならば御主も、その青緑色の素襖は良い素材を使っていそうよの」

「おや。この服の素材の良さが分かるのかね? さすがだね、お目が高いねっ! 雅な服が似合っているよ!」

「いやいや、御主こそ中々の良いセンスをしているでおじゃ♪」


 最初は得体のしれない武士に警戒していた元昭だが、お互い何処か性格が似ているものがあって次第に打ち解け始め、しまいには最近の流行となっている衣装や遊びの内容で談笑するくらい仲良くなっていた。

 話に花が咲いて男2人が盛り上がっていると、


「あのぉ、楽しい一時のぉ、邪魔して悪いんですけどぉ、私達にぃ、何か御用ですかぁ?」


 白水が2人の間に割って入り、改めて武士の方に身体の向きを変えて尋ねる。

 すっかり話に夢中になっていた武士も彼女の言葉を聞いて、思い出す。


「あ、そうだった。君達、この摺河から出て行く云々と話していたようだけど、本当かね?」

「そうしようかなぁ~、と思っただけですぅ。そしたらぁ、貴方がぁ、待ちたまえってぇ、止めたんじゃないですかぁ」

「そうだったね、そうだったね。いやね、小生は立ち聞きするつもりはなかったのだが、散歩している最中、君達の蹴鞠を見て惚れ惚れしたのだよ」

「私達のぉ、蹴鞠でですかぁ?」

「うんうんっ! 鞠を自由自在に操って、色んな体勢でも華麗に蹴る姿……正に芸術だよ。こんなに蹴鞠の上手い人達を見たのは小生、生まれて初めてだよ!」

「そう言って頂けてぇ、嬉しいですぅ」

「ほほっ、もっともっと褒めてたも♪」


 武士の賞賛に白水も元昭も素直に嬉しそうに喜ぶが、その武士は残念そうな顔を2人に向ける。


「あまりの上手さに声を掛けようとしたら、貴公達がこの摺河から出ようかという話が耳に入って来たものだから、ついね……差し支えが無ければ、小生に教えてくれないかね?」

「実はの……」


 元昭は武士に何故、自分達が摺河から出ようと相談しあってたのか語った。

 自分達の他に数名の従業員がおり、玉虫屋を改装させようとしていたこと。

 それが敏明によって店が壊され、近隣住民に迷惑を掛けたという事で奉行所から領内での商売を禁じられたこと。

 領内で仕事が出来ないのなら、今こうして蹴鞠をしながら外の世界に出て資金を稼ごうかな、と思ったこと。

 ただし元昭は自分が足川家という将軍家の血筋であること、日野本を掌握したいこと、その手始めとして、この摺河を乗っ取ろうと画策していた事は話さなかった。

 いくら気の合いそうな者でも、この事を話せばもしかしたら奉行所に突き出されるかもしれないと思ったからだ。

 事情を聞いた武士は「よよよ……」と、わざとらしく悲しげな表情をしながら同情する。


「なるほど……貴公達が、あの爆発事件で有名になった玉虫屋の人達なんだね? 貴公は、そこの店主というわけだね」

「そうなのでおじゃ……というても元店主になってしまうがの」

「あの爆発事故は小生の耳にも届いているよ。よく生きていたね」

「しかし生きていても商売が出来ぬとならば……残念じゃが、旅芸人にでもなって諸国を回って資金を稼ごうかとの」

「だったら小生が君達を雇うよ」

「おじゃっ?」


 唐突な申し出に思わず元昭は間の抜けた声を漏らした。

 それに対し、白粉店主の隣で立っている白水は驚く様子を見せず、静かに尋ねた。


「私達をですかぁ?」

「そうとも。小生は見ての通り武士だが、その辺りの武士とは少し違うのだよ。ちょっと高貴な家柄の生まれでね、働かなくても生きていける……所謂、好事家こうずかといった所なのだよ」

好事家こうずかでおじゃるか!?」


 その単語を聞いて元昭は目を輝かせた。

 好事家とは変わった物事に興味を抱く人や物好きな人、趣味に耽る人、また風流を好む人の事を差す。

 これは誰にでもなれるという訳ではなく、主に金や暇を持て余している人達だけがなれる……言うなれば金持ちの暇潰しのようなものだ。

 一般的に見て好事家は庶民と比べて遥かに苦労を知らず、その日その日を遊び過ごす毎日なのだから妬みの対象になりやすく、自分から明かす事は滅多にない。

 しかし目の前に居る武士は、自分の事を恥じらいもなく好事家だと名乗った。

 肝が据わっている大した度胸の持ち主か、はたまた単なる馬鹿なのか……それは本人しか分からない。

 それはともかく、元昭は自分を好事家と名乗る武士を尊敬の眼差しで見る。


「何の苦労もせず毎日を遊び呆ける……麻呂の憧れる者でおじゃるよ」

「あはははっ、羨ましいかね?」

「うむうむ♪ 麻呂も御主みたいに毎日を面白おかしく暮らしてみたいものじゃの~」

「暮らしたいかね?」

「暮らしたいおじゃ!」

「ならば尚更、小生が貴公達を雇おうではないか」

「本当でおじゃるか!?」

「うんうん! 是非とも我が邸へと招き入れたいものだよ。勿論、碌として給金も支払うよ」


 目を輝かせて羨む元昭に、武士は満足気に微笑んで彼を雇いたいと誘う。

 これに対し、白水が当然とも言える疑問を武士に投げかけた。


「どうしてぇ、私達をぉ、雇いたいんですかぁ? 何かぁ、企みでもぉ、考えているんじゃあ~、ないですかぁ?」


 白水の疑問に武士は肩を竦めながら、


「おやおや、これは心外だね? 人の善意は素直に受け取るものだよ」

「だってぇ、話が旨すぎますぅ。疑わない方がぁ、おかしいですぅ」

「まぁ確かに、普通の人でも怪しいと思うだろうね。よろしい、その疑問を晴らすべく小生が説明をしようではないか」


 武士は大仰な身振りを交えて2人に説明し始めた。


「先程も言ったように小生は好事家でね。毎日を楽しい事に費やしているのだが、1人で行動している事が多くてね。1人で物事を楽しむのは実に有意義なのだが、慣れてくると1人で没頭するのに飽きてきてね。ちょっとばかし退屈なのだよ。何か小生を楽しませてくれる人が居ないかどうか探していたところ、ちょうど良いところに貴公達が蹴鞠をしていたのだよ。あの綺麗な鞠捌きは見事なものだよ、もっと見たいと思って近付いたら貴公達が摺河から出て行くかどうかという話が聞こえたものでね」


 要するに、せっかく自分が退屈を紛らわすための人達を見つけたのに、むざむざ逃がしてなるものか、という理由で呼び止めたいうわけだ。

 その説明に白水は眉を顰める。


「私達はぁ、貴方の退屈をぉ、紛らわせるための道具じゃありません~。そういう事でしたらぁ……」


 お引き取りを、と言おうとした白水の口を元昭は手で押さえて封じた。


「ちょいとだけ時間をくれぬか? この子と話をしたいおじゃ」

「うんうん。いきなりの話で驚いているようだからね。戸惑うのも無理はないよ。考える時間を与えようではないか。良い返事を期待しているよ?」


 武士の言葉を聞いて元昭は彼女の口を押さえていた手を解放し、こそこそと内緒話をする。


(水岸は、あの武士の申し出には反対でおじゃ?)

(私達ぃ、蒐集品扱いされてるんですよぉ? あの人の退屈凌ぎのためにぃ、私達がぁ付き合う利点はぁ、何1つありません~)

(考えようによっては悪い話でもないでおじゃるよ、水岸よ)

(どういう意味ですかぁ?)

(この先の事を考えれば、あの武士の下で働けば良い事があるかもしれぬおじゃ。あやつも言うておったろ、自分は好事家だと。好事家というのは、よほど金持ちでなくばなれぬもの……相当な上級階級の武士かもしれぬ。という事は摺河を治めておる領主の目にも留まるやもしれぬ)

(と言う事はぁ、もしかしたらぁ、当初の目的をぉ、果たせるかもしれないという事ですねぇ?)


 元昭の狙いが何なのかを察知した白水が、自然とほくそ笑む。


(そうでおじゃ。仮に、あの武士が摺河の領主に仕えておらぬとしても、あの武士は自慢気に領主や他の上級武士に紹介するやもしれぬ。好事家とは自分の蒐集品を何かと自慢したい傾向があるからの。その辺りの金持ち仲間とも繋がりがあるやもしれぬ。それに給金も出すと言うておったではないか。資金を得ながら、あの武士の信頼を勝ち取る……そうなれば、いずれ、あの武士を追い出して麻呂達が乗っ取れば、摺河掌握までの道のりが、ぐーんと短くなるぞよ? 今は、この状況を好機と思わねばの)

(なるほど~)


 意地や体裁より実利、少しでも自分達に有益になりそうなものは利用する。

 元昭は、こういう事の計算が得意であり、白水も内心では彼のそういう所には感心した。


(一応、黒沢さん達にもぉ、話をつけないといけませんねぇ)

(そうでおじゃるな。麻呂としては賛成なんじゃが勝手に話を進めると、あやつが怒りそうじゃからの……1度、長屋に帰って相談してみるかの)


 取り敢えず自分達は賛成だという事を確認してから元昭は武士に近付き、


「麻呂達としては快く引き受けたいのじゃが、他の従業員にも話をせんといかんので返事は、それからでも良いかの?」

「ならば小生も一緒について行って良いかね? 勧誘しているのは小生なのだ。こういう時、小生から会いに行かねば失礼というものじゃないかね?」


 気取った仕草で言うものの、その言葉には一理ある。

 見掛けによらず、意外と礼節を弁える事が出来るようだ。


「ならば麻呂達が住んでいる場所に行く故、ついてきてたも」

「玉虫屋ではないのかね?」

「もう、その店は半壊してしまってる故、従業員の1人が住んでおる長屋に移住したのでおじゃ。さぁ、案内するおじゃ」


 元昭はそう言って武士を案内し、その武士の後ろを白水がついて3人は秀明達が居る長屋へと向かって足を進めた。

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