十四章 頓挫そして挫折
「ふう……落ち着くおじゃ」
晴れた日の昼下がり、元昭は胡坐をかいで悠然と煎茶を啜っていた。
その左隣に座っている若菜も、美味しそうに湯呑みに入っている緑茶を飲み干して微笑む。
「ホントね♪ お茶を飲むと人間、落ち着くわよね♪」
「そなたの淹れ具合が、また絶妙でおじゃるからの」
「うふふ♪ オバサン、家の事しか取り柄がないから♪」
「そんなに自分を卑下するでない。そなたの作る御飯は美味しいし、掃除も綺麗にしてくれる。裁縫だってお手の物……何をするにも手際が良い。それが出来るだけでも立派な特技というか、誇れるものでおじゃるよ? 実に麻呂には過ぎた部下でおじゃ」
「お世辞でも嬉しいわ♪」
「麻呂は本当の事を言うでおるんじゃ」
謙遜する若菜に、またまたぁとでも言いたげな元昭。
そんな彼の右隣に座っている白水は、若菜が作ってくれたオハギを幸せそうな顔を浮かべ、ほうじ茶を一口飲んでから口を開く。
「そうですよぉ~。黄山さんはぁ、主婦というかぁ、母の鑑ですぅ」
「嬉しいわ♪ 離婚歴あるけど♪」
そんな若菜の言葉に3人の向かい側にいる敏明と晴伸が口を開く。
「俗に言うバツイチだわいなっ! 黄山ほどの人間が……信じられんわい」
「有り得ぬな。これほどの完璧な家事能力があるというに……いや、完璧過ぎたが故に旦那はプレッシャーを感じた、か……」
老科学者は驚いた様子で鳩麦茶を、それに同意するかのように包帯占い師も感慨深く呟きながら渋茶を啜る。
「ほう。母上からは何も聞いておらぬが、黄山は離婚しておったのか?」
「そうなの♪ でも、あまり言いたくないから……この話は、これでおしまいね♪」
「追及したら殺されそうじゃからの」
「よく分かってるじゃない♪」
さらっと恐ろしい事を言ってのける黄山だが、それで怯む元昭ではない。
ここに居るメンバーの周りには仄々とした雰囲気が出ている。
心が安らぐ、ほんの一時の時間。
しかし元昭達が茶菓子やお茶で飲食している様子を見て、拳をワナワナと震わせている者が居た。
「店主も皆さんも、なんでそんなに落ち着いていられるんですかっ!」
震わせた拳を『ダンっ!』と木製の食卓に叩きつけて叫ぶのは秀明だ。
自分を除き他の5人が、あまりにものほほんとしている状況に腹立っている。
そんな彼の態度に元昭達の視線が、一斉に黒衣従業員に集まる。
「黒沢よ。何をそんなに怒っておる」
「怒りたくなりますよっ! あなた達、この危機的状況を何とも思わないんですかっ!?」
「危機的状況? 何の事でおじゃ?」
「な、何の事って……本気でそう言っているんですか!?」
全身を怒りに身を任せて震わせる秀明に、今度は若菜と晴伸が宥める。
「ほら、そんなに怒ると血圧上がって不整脈起きたら大変よ? 新茶でも飲んで♪」
「私は高血圧持ちじゃありませんっ! 黄山さんっ! 悠長に、お茶なんか飲んでいられるわけないでしょう、黄山さんっ!」
「黒沢よ。分かった、分かった。まずは落ち着け」
「落ち着いていられないから、こうして怒っているんじゃないですかっ!」
続いて白水と敏明が『まぁまぁ』と秀明を宥めようとする。
「まぁ何が原因で怒っておるかは分からんが、感情的になった所で問題は解決せんわいな。困った時は、まず笑うもんぢゃて。ふひゃひゃひゃひゃっ!」
「そうですよぉ。人生と言うのはぁ、山有り谷有り。七転八倒ですぅ」
「博士……水岸さん……その原因となった2人に言われても全然、説得力ありませんっ!」
皆の宥めに対し、秀明の怒りのボルテージは徐々に急上昇していく。
そんな彼を馬鹿にするように周りにある鉄製の塊から『プシューッ』と音を発しながら、秀明の顔に目掛けて煙を吐き出す。
「っ……こいつ等まで私を……っ!」
秀明は恨みと憎しみを込めた目付きで、自分の顔に煙を掛けた鉄製の塊を睨み付けてから、こう言った。
「あの事故で私達は全てを失ったんですよっ! その状態で、よく皆さん平気でいられますねっ!」
☆
今、元昭達が居る部屋は元々、敏明が住んでいたボロ長屋だ。
数日前に玉虫屋が爆発した後、彼等は昨日まで奉行所の留置所に閉じ込められていた。
そして拘留されている間、役人による現場検証や元昭達の事情聴取が行った結果、爆発に巻き込まれた店や人は幸いにもおらず、被害は玉虫屋だけに留まった。
しかし役人達が捕えた者達の中には、ブラックリストにも載っていた敏明が居た事で事態に暗雲が立ち込める。
そのリストにも記されていた通り、老科学者は自分が行った実験で周囲に多大な被害をもたらした前科があり、数回に渡り役人から厳重注意を受けている。
ある意味では要人である彼を雇った元昭にも責任があると役人達は判断、お白洲での裁きにより元昭達は『罰金20金(200万円)支払』及び『摺河内での商売禁止令』を言い渡された。
流刑や重刑を言い渡されなかっただけ幸いだが、それとは引き換えに元昭達は2度と摺河の領内で商売が出来なくなる。
それは即ち、元昭達の計画が完全に頓挫した事を意味していた。
元昭の母にして玉虫屋の先代が遺してくれた遺産や今まで秀明・若菜・白水が稼いだお金も全て役所に支払う罰金へと消えてしまい、ほとんど資金が無い状態。
玉虫屋の再建する事すら認められないため、自分達の帰る場所を失ってしまった。
そこで敏明が前まで住んでいたボロ長屋を新たな拠点にする事を決める。
老科学者の居たボロ長屋には、彼1人しか住んでおらず、他の部屋は以前、彼が長屋で起こした事故の影響からか巻き添えを食らいたくないと思った住民達が逃げ出したため、今ではすっかり敏明の物置小屋に変わっている。
そのため機械によって埋め尽くされた他の部屋を、若菜を筆頭に白水や晴伸、敏明の手によって何とか自分達が住める家に作り替え、今に至るというわけだ。
現在6人は長屋でも最も大きい部屋に集まって今後、自分達はどう動くべきなのか対策を練る会議の時間のはず。
しかし、若菜と元昭が『その前にお茶の時間にしよう』と言いだし、秀明を除く5人も賛同……呑気に飲食をし、挙句の果てには会議そっちのけで談笑にまで発展している。
そんな明らかに楽観的な様子を見て、秀明は憤怒しているというわけだ。
☆
今にも殴り掛かりそうな勢いで怒鳴る彼に、晴伸は水晶玉を磨きながら静かに宥める。
「黒沢よ。我輩達は今、何をすべきかを考えている。されど、どんな気持ちで過ごしても同じ時間よ。焦ったところで、どうなるものでもあるまいに」
「だからって穏やかに過ごしている時でもないでしょう? だいたい導師は占い師ですよね? こんな事態になると読めなかったのですか?」
「我輩の占いは遠い未来だったり、今から数秒後に起こる未来とか……水晶に映るものは、てんでバラバラなのでな」
すまぬ、と申し訳ない気配を出して謝るも秀明は首を振る。
「いや、経歴を見たら十分に予測出来たはずです! それでも予測出来なかったとなれば……」
「このような展開になろうとは、よもや御釈迦様でも読めはすまい。済んでしまった事は仕方なかろう。嘆くより1度、頭を冷やしてから物事を考えた方が良い」
「頭を冷やしたところで、どうにかなる事でもないでしょう? お金がないし、隠れ蓑である玉虫屋も失った……となれば摺河を手にする以前に、足川家を復興する事は出来ない。最悪な場合、解散ですよ?」
秀明の嘆きに白水は首を横に振る。
「解散なんてぇ、イヤですぅ。せっかくぅ、皆とぉ、知り合えたのにぃ……」
「水岸さん……解散はイヤですよね? なら、そうならないためにも次の手を早く……」
必死に打開策を考えてと訴える黒衣従業員。
「とは言うても……対策でおじゃるか。皆、何かあるおじゃ?」
煎茶を飲み干した元昭が、全従業員の顔を見渡しながら尋ねるも誰も答えない。
「おらぬか……。黒沢よ、そなたには何かあるでおじゃ?」
「えっ……あ、それは……で、ですから皆で、それを考えようと……」
当の本人ですら答える事が出来ず、口ごもる有り様。
そんな秀明の様子に元昭は『ほれ、見てみ』と呆れた様子を見せながら言う。
「言いだしっぺの本人ですら答えられずして、どうするおじゃ。皆、無意識に頭の中が混乱しておる。それを落ち着かせるために、こうして小休止しておるんじゃ」
「………………」
何も言い返す事が出来ず、黙るしかない秀明。
そんな彼の肩にポンと手を置き、優しく諭すように元昭は続ける。
「じゃから黒沢も1度、頭の中を綺麗にしてはどうかの? これからどうするか、それは小休止が終わってから皆でじっくり考えようではないか。あまり金はないが、皆で落ち着いてから話し合っても遅くはなかろうに」
「店主……」
秀明の身体から怒りの感情が消えたのか、彼は脱力するように顔を俯き、近くにある椅子へと深く腰掛ける。
そして長くて深い溜息をついてから、自分も頭を冷やすために冷たい烏龍茶を若菜に頼んだ。
そんな彼の様子を見てから元昭は立ち上がり、
「しばし、その辺りを少し散歩してくるおじゃ」
と秀明達に言ってからボロ長屋を後にした。
彼が向かった先は、大きな屋敷の前にある広い通路。
そこで元昭は、1人で蹴鞠をしていた。
最初は近場という事で新見公園に向かい、園内で鞠を蹴っていたが、既に玉虫屋の爆発事故が周囲に知れ渡っているのか、園内に訪れている主婦達が元昭を見るなり2人を犯罪者扱いするような目をしながら、
――あんな事故があったのに、よく蹴鞠なんてしてられるわよね。
――ほんと。貴族みたいな格好をしてるし。馬鹿みたいね。
――しかも、あの藍沼っていう問題ある爺さんを雇っていたとか。
――それで、あんな爆発事故が起こったのね? あの白粉の人、藍沼がどんな人なのか知らないんじゃないの?
――そのうち玉虫屋そのものが潰れるんじゃない?
――そんなに大きくない店だし、潰れても何か周囲に影響を与えるわけじゃないからね。
――世も末だわね……。
などと、ヒソヒソと話をしている。
重罪を犯した訳じゃないのに主婦達から、悪意ある視線や内緒話を受けて我慢出来る元昭ではない。
そんな不敬(元昭から見て)を働く主婦達に、鞠を思い切り蹴って主婦達の頭に目掛けてぶつけてから、人気のない所に行こうと移動をした。
そして行き着いた先が此処なのだ。
「皆の視線が痛かったの~」
元昭は周囲から容赦なく浴びせられる冷ややかな視線を思い返しながら、鞠を地に着けないよう身体全体を器用に駆使して蹴る。
蹴り上げた鞠の落下地点を予測して足を伸ばすと、鞠は吸い込まれるように足の甲へと着地する。
見事、足の甲で受け止めた鞠を再度蹴り上げ、額で数回弾ませてから僅かに背筋を後ろに反らして腹部の曲線に沿って転がる。
そして膝で受け止めると同時に再度、鞠を宙に浮かせるよう蹴り上げる。
「たかが爆発事故だと言うに……まるで麻呂達、悪者扱いではないか!」
元昭は新見公園に居た主婦達のイヤな態度を思い出したのか若干、怒りを込めて再び地面へと目掛けて落ちてくる鞠を蹴る。
しかし心が平常になれない上、怒りで身体が力んだ所為で鞠の軌道は自分が思っていたコースから大きく外れて地に落ちる。
『テンテン……』と鞠が地を低くバウンドする音が虚しく響き渡る。
元昭は落ちた鞠を見て1度、深い溜息をついてから拾おうと鞠の元へと歩み寄ろうとする。
すると、それよりも先に1人の女が鞠を拾い上げた。
「んっ?」
持ち上げられた鞠を追うように顔をあげると、
「1番~、落ち着かないといけないのはぁ、店主ですねぇ」
「水岸、そなたが何故ここに?」
水色の作務衣を着ている白水の姿を見て、元昭は驚いた顔を見せて首を傾げる。
「店主の事がぁ、ちょっと気になってぇ、探し回ったんですぅ。色んな人にぃ、聞いて回ったらぁ、この辺りの路をぉ、うろついていたって言う証言がぁ、出ましたからぁ」
「何じゃ、麻呂の事が心配で探しておったのか?」
「はいぃ」
のほほんと微笑みながら頷く白水に、元昭は苦笑を浮かべる。
「心配せんでも良いのに……すまぬの」
「謝らないで下さいぃ。店主はぁ、何も悪くありません~」
「そう言うてくれるだけでも麻呂は嬉しいぞよ」
「店主ぅ。私もぉ、蹴鞠をしますぅ」
そう言って白水は拾い上げた鞠を軽く蹴って、元昭に送る。
しばらくの間、両者は互いに蹴りやすいよう鞠を器用に蹴り合うも無言状態が続いた。
やがて最初に口を開けて沈黙を破ったのは白水の方からだった。
「やっぱりぃ、ショックですかぁ?」
「何がでおじゃ?」
「お店がぁ、あんな事になってぇ……」
「自分の店、ましてや母が遺してくれた玉虫屋が……あんな風になったんじゃ、ショックを受けぬ者などおらぬじゃろう」
胸の内から込み上げてくる悔しい感情を抑えようと、元昭は蹴鞠に意識を集中しながら答える。
「店主ぅ。これからぁ、どうするんですかぁ?」
「どうしたもんかの……資金は底を尽きかけておるし、玉虫屋の再建はおろか商売すら出来ぬおじゃ。このままでは、黒沢の言うように麻呂達の目的は瞬く間に頓挫してしまうおじゃ」
元昭は深い溜息をつきながら鞠を蹴る。
「私達ぃ、やっぱりぃ、解散するんですかぁ?」
「解散はしたくないでおじゃるな。せっかく手に入れた仲間なんじゃし」
「でしたらぁ、早く心を落ち着かせてぇ、皆とぉ、話し合いましょう~」
そんな暗い影を見せる元昭を宥めるように、白水は慰めながら鞠を蹴り返す。
「黒沢の言いたい事は分かるおじゃ。しかし今は考えようにも、良い考えが出ぬ。考えれば考えるほど、頭の中が混乱するおじゃ」
元昭も皆と同じように、お店で起こった事件に少なからずショックを抱いている。
何とか打開したいとは思っているものの、どうすれば良いのか分からない。
お店の再建を禁じられ、領内での商売も認められず、貯めていた資金の8割が罰金となって消えてしまった。
このまま行けば秀明の言うように、摺河を乗っ取るどころか足川家復興すら頓挫してしまうだろう。
せっかく集めた仲間も出会って数日で解散する破目にもなる。
だから、そうならないように全員で対策を立てようと秀明は訴えていた。
その気持ちは痛いほどに理解しているのだが、元昭も具体的にどうすべきか考えがまとまらない。
だから焦る気持ちを抑えるために、皆で小休止しようと言いだしたのだ。
「あの時、麻呂は黒沢に頭を冷やすよう言うたが……本当は麻呂自身が、もっとも頭を冷やさねばならんのかもしれんの。今後の事を、どうすべきか……」
「それなんですけどぉ……領内を出てぇ、旅芸人団をぉ、作りませんかぁ?」
「旅芸人とな?」
「はいぃ。私達はぁ、色んな特技を持ってる人達ですぅ。それを芸として活かせればぁ、資金を稼げる事がぁ、出来ると思いますぅ。それにぃ……」
「それに? 何でおじゃるか?」
「皆がぁ、解散しませんしぃ、ずっとぉ、一緒にいれますからぁ」
白水としては折角、自分の居場所や仲間を見つけたから解散するのは辛いのだろう。
それは元昭も同じで、自分の手足となってくれる者がいてくれないと自分の野望が達成できない。
もちつもたれつつ、という関係上だが白水を筆頭に敏明や晴伸は、自分が持つ意思で元昭の下に集まっている。
それを今、ここで解散するのはよくないと元昭は判断した。
「なるほどの。領内で商売が出来ぬのなら、必然的に摺河から出て行かねばなるまい。旅芸人一座になるのは1つの手かもしれんの」
「それでぇ、機を見てぇ、地方からでも良いからぁ、国を乗っ取ってぇ、仲間を増やしぃ、ゆくゆくはぁ、日野本を征服しましょう~」
白水は力強く――口調では、そうなのだろうがのほほんとした雰囲気を纏っている――言って、自分の気持ちや決意を鞠に注ぎ込んで蹴る。
勢いよく蹴り飛ばされた鞠は、そのまま元昭に目掛けて突っ込んでいく。
彼は鞠を両手で受け取ると、衝撃が両手の平に伝わる。
この衝撃が白水に込められた思いの度合いだろう……僅かにだが手に痺れが走る。
元昭は白水の気持ちを汲んで、首を縦に振って頷く。
「確かに、このままではいかんからの。旅芸人になるか否かは皆と相談して決めようではないか」
「はいぃ。善は急げですぅ」
「よしっ! ただちに戻るおじゃっ!」
2人は蹴鞠に一区切りをつけると、秀明達の居る長屋へと向かおうとした時、
「待ちたまえっ!」
と、突然脇から声が掛かり2人は驚いて声のする方に振り返ると、そこには細身の男性が1人居た。