十章 老科学者と『機械』
占い師の言葉通り、その長屋は西側小路の突き当りに存在した。
普段、温泉街として有名な新見の中で1番寂しい一角である。
「ここでおじゃるな。確かに少々ボロい長屋でおじゃ」
建築されてから相当の年月が経っているのだろう、木造製の長屋には至る所に傷んでいたり壊れている場所が目立つ。
おまけに人の気配が感じられず、周囲の雰囲気も少し陰湿的な空気が漂っている。
おおよそ2人にとって似つかわしくない空間だ。
「人ぉ、住んでいるんでしょうかぁ?」
ボロ長屋をまじまじと見ながら首を傾げる白水。
「じゃが、あの占い師の話だと西側の長屋は、ここしかないはず。地図でも確認したでおじゃ。この長屋で1番大きな部屋を探すぞよ」
元昭は包帯男から聞かされた話を思い出し、それらしい部屋を探す。
そしてすぐに見つかった。
長屋から少し離れた距離で見ると、1つだけ大きな扉がある事に気付いたからだ。
表札には『藍沼敏明』と書かれた1枚の表札しか見当たらない。
「藍沼……もしかして、この長屋に住んでいる者の名でおじゃ?」
「それしかないですぅ。もしかしたらぁ、その人がぁ、私達の探してる人かもぉ、しれませんねぇ」
2人はその表札のある部屋の前まで足を進めると、
――カンッ、カンッ……カンカンッ……。
と不規則に何か硬い物を叩くような音が、僅かにだが引戸の奥から聞こえてきた。
「この部屋で間違いないおじゃ?」
「長屋の大きな部屋にぃ、人の気配と言えばぁ、ここしか見当たりません~」
「じゃな……確認するぞよ」
元昭は扉を軽く叩くも、どういうわけか返事はない。
聞こえるのは『カンッ、カカンッ』と再度、不規則な音だけ。
不審に思った元昭は、そっと引戸を開けると扉はアッサリと開いてしまった。
「開いてしもうた。つっかえ棒も無しに……不用心でおじゃるな」
「店主ぅ。どうしましょう~?」
「どうすると言われてもの……失礼、藍沼とやらはおるかの?」
元昭は薄暗い室内に呼び掛けたが、答える声はない。
不規則に発する音は、確かにこの部屋から聞こえてくるのだが、それらしい物は見当たらない。
「ど、どういう事でおじゃ? 音は鳴るも人はおらぬ……もしや幽霊かの!?」
「違うと思いますぅ。あれをぉ、見て下さいぃ」
白水が見つけたのは、部屋の中央にある鉄製の台だ。
その台からは、どういう仕掛けかは分からないが淡い光を放っており、何らかの文字を出している。
2人は恐る恐る中に入って台に近付くと、そこには淡く光る文字でこう書かれていた。
『乙くんは和菓子屋で御手洗団子を10本と饅頭を5個買いました。
そして持っていた1銀(5000円)で払うと、お釣りは幾らでしょう?
ただし団子は1本あたり1鉛(20)、饅頭は1個につき2鉛(40円)とする。
更に租税の割合は5分とする。
答えが分かれば、この台の中央に向かって答えを言え。
見事、正解できれば扉は開かれる』
どうやら訪問者へのメッセージらしい。
2人は、その文を見て一瞬、首を傾げたがすぐに顔を見合わせる。
「麻呂達って、舐められておるかの?」
「分かりませんけどぉ、これはぁ、算数の問題ですよねぇ?」
「この文を素直に受け止めたらの。だとしたら……答えは簡単でおじゃ」
元昭は商売上、稀に亡き母に命じられて売上の勘定をした事があるため計算は普通に出来る。
白水も博打で生計を立てる上で、お金を計算する事は日常茶飯事だから算数程度の問題を解く事は容易だった。
「団子の合計金額は200鉛、饅頭の合計金額も200鉛。足したら400鉛だけど租税の割合が5分だから、400に5を掛けて、更に400を足した数字……すなわち420鉛。それが買った値段でおじゃ」
「それに対してぇ、乙くんはぁ、5000鉛を出したからぁ、5000から420を引くのでぇ、答えはぁ……」
白水は軽く息を吸い込んでから、台の中央に向かって答えを出した。
「お釣りはぁ、4580鉛ですぅ!」
すると奥の床がギシギシと音を立てて、地下へ通じる梯子が現れた。
すると不規則に鳴る音が大きく室内に反響する。
どうやら音の源は、この地下からのようだ。
「店主ぅ。これってぇ、入れって事でしょうかぁ?」
「それしかないじゃろう。下りて行くおじゃ」
「分かりましたぁ」
白水が先頭を切って梯子を下りて行き、続いて元昭も地下へと続く梯子に足をかけて下りて行く。
地下に広がっていたのは実に奇妙な部屋だった。
鉄製の器具や工具が複雑に連結しており、人がいないのに勝手に動いている。
それも1つだけじゃなく、同じ形をしたものが何台もある部屋だ。
不規則な音が鳴っていたのは、この連結した器具から発せられるものだった。
「なんでおじゃるか、この部屋は……」
「変な道具ばかりありますぅ。こんな光景ぃ、見た事ないですぅ」
「確かに占い師の言うように、変な物としか言いようがないでおじゃるな」
2人は、そんな連結した器具で出来た道を進んでいくと、奥の扉が少しだけ開いており一筋の光が漏れていた。
「あそこに部屋があるおじゃ」
「行ってみましょ~」
2人は駆け足で光のある方向に向かい、その扉の取っ手に手をやる。
もしかしたら、この部屋の中に居るかもしれない。
そう思うだけで元昭は己の鼓動が昂る感覚を覚えるが、なんとか抑え付けて静かに扉を開ける。
すると部屋の中に、藍色の和服を着た1人の老人が居た。
やや肥満型で猫背気味、頭の前側が薄くなってきている白髪に眼鏡を掛けている。
いかにも何かの研究者みたいな老人こそが、この長屋に住んでいる藍沼敏明本人だろう。
彼は眼前に置かれている大型器具を相手に、両手に持っている金属製の道具を駆使して必死に弄っていた。
「あの爺さんが、そうかもしれぬの」
「何かぁ、作ってますよぉ?」
扉の隙間から覗き込むように中の様子を窺う2人。
敏明は作る事に夢中なのか、後ろにある扉の奥に居る元昭達の気配に気付いていない。
「ふんふふんふふ~ん、ふんふふんふふ~ん♪」
変な鼻歌を歌いながら大型器具を弄っている。
やがて器具の一部を締めた事で作業が終わったのか、彼は手にしていた道具を床に投げ捨てて偉そうな態度で腰に両手を当てると、
「ふひゃ~ひゃひゃひゃひゃひゃっ! ふひゃひゃひゃ、ふひゃ~っひゃっひゃっ♪」
いきなり背中を反らしながら、奇声にも似た高い声で狂ったように笑い出した。
「おじゃっ!」
老人の笑い声に驚いた元昭は思わず、声を出して扉を思い切り開けてしまった。
バタンと勢いよく扉が壁に当たる音がすると、高笑いしていた敏明の動きがピタッと止まる。
そして、ようやく2人の存在に気が付いた。
「ん~? 何ぢゃ、お主等は?」
眉を潜ませ、怪訝そうな顔をする敏明に元昭は両手を前に出して、
「ま、麻呂達は怪しい者じゃないでおじゃ! 中に入ったら誰もおらんかったでの」
「儂に何か用でもあるんかいな?」
「そ、そなたが藍沼とか申す者でおじゃ?」
元昭の質問に、目の前にいる研究者みたいな老人は再び高々と笑いながら自己紹介した。
「ふひゃひゃひゃひゃっ♪ いかにもっ! 儂が日野本1番の天才科学者・藍沼敏明ぢゃわいな~ひゃひゃっ♪ 儂の事は博士と呼ぶが良い、博士と!」
これまた随分と濃い人物のようだ。
ひとしきり笑い終えた後、敏明は何か思い出したような表情になって元昭を見た。
「ところで儂の研究所に何しに来たわいな?」
「実は、この辺りで変わった物を作っておると聞いての。もしかして、お主の事ではないかと」
「変わった物ではない! これは儂が作った自動的作業道具『機械』というものぢゃ! 儂の研究の集大成ぢゃっ!」
敏明は少し怒鳴りながら説明する。
「さ、左様でおじゃるか。何せ麻呂達は、その機械とやらを見た事がなくての」
元昭に同意するように白水も前に出て言う。
「そうなんですぅ。その機械とやらをぉ、見てみたくてぇ、此処に来たんですぅ。見学していってもぉ、良いですかぁ?」
彼女の言葉に、敏明は気を良くしたのか再び高笑いしながら上機嫌に頷く。
「ふひゃひゃひゃっ! とうとう儂の発明が世に認められる時が来たわいなっ! 良かろう、好きなだけ見て行くが良い♪ どれ、儂が片っ端から説明してやるわいな♪ この辺りに住む者達は儂の事を『変なガラクタ作りの変わり者』って言いおるからの」
どうやら自分が周囲から嫌われていたり、陰口を叩かれている事を自覚しているようだ。
しかし今は自分の作ったものに興味を持ってくれた者が目の前に居る、ただそれだけで敏明は嬉しそうな表情を浮かべていた。
一方の元昭も、そんな老科学者の作ったという機械とやらが、どんなものか興味を持った。
あの金属同士を連結させて自動的に動く道具を、あの老人1人で作ったとなれば、使い方によっては玉虫屋で役に立つかもしれない。
あとは彼が自分達の仲間に引き込む程の能力があるのか確かめるだけ。
「藍沼……博士とやら。早速じゃが、そなたの作った機械が、どんなものなのか見せてたも」
「よし、ならば儂の作った発明品を見せてやるわいな。そこのお嬢ちゃんも一緒に来るわいな」
「はいぃ。楽しみですぅ」
敏明は来訪者である元昭と白水についてくるよう促し、この部屋の奥に通じる扉を開けて入って行った。
☆
敏明の研究室は薄暗くて質素な空間だが、絶えまなく静かな振動と音を響かせる『機械』や見たこともない機材や部品、部屋の隅に置かれている棚には『危険』とラベルの貼られた薬品が、ぎっしりと並べられている。
老科学者は自分が発明した物を自慢気に説明していく。
それを2人は素直に驚いたり、関心しながら彼の話に耳を傾ける。
敏明の機械や道具を見るなり、2人は質問していく。
「薪を使わずに、お湯を沸かす機械があるでおじゃ?」
「そうぢゃ。この『瞬間湯沸かし器』があれば、薪や炭を使わずに水をお湯に変える事が出来るわいな♪」
「この道具はぁ、なんですかぁ?」
「どれだけ遠くに離れた相手とも、会話する事が出来るそうちぢゃ。儂はこれを『電話』と名付けておる」
「おぉ、この装置……麻呂達が映っておる! どうなっているおじゃ!?」
「それは『映写機』と言うて、この部屋に設置している小さな監視装置が儂等の姿を捉え、それをそのまま、この画面に映し出しておるんぢゃ。強盗などが入ってきても分かるんぢゃ」
などと敏明の作った発明品を見て2人は新しい玩具を見て喜ぶ子供のように、はしゃいでいた。
確かに変わった物ばかり作っているようだが、この老科学者の発明したものは元昭にとって物凄い感動を与えた。
一言で言えば『何がなんだか分からないけど凄い』というものであろう。
白水も元昭と同様、機械の概念や説明などを聞いても、ぴんとこないものはあるものの間近で機械の性能を見せつけられて、拍手をして喜んでいる。
2人から見て敏明の作ったものは、まさに好印象を与えていた。
だが、ここで元昭はふと疑問に思った。
(これだけ凄い物を作っておるのに、この藍沼とかいう博士は周囲から悪口を受けておるのかの……)
こんな便利な物があれば誰もが喜ぶはず。
それなのに周囲は敏明の作ったものを肯定するどころか否定している。
全くもっておかしな事だ。
すると元昭の脳裏に、あの包帯占い師の言葉がよぎる。
――この者がもたらすものは有益だけでなく不利も招く。
(何をもって不利だと見たんじゃろう。損害をもたらす様には見えぬが……じゃが、それでも博士は仲間になるだろう、と言ってくれたおじゃ)
占い師の言葉や、敏明の言う『悪口』の内容が引っ掛かったものの元昭にとって機械という存在は玉虫屋に、強いては日野本掌握に向けてなくてはならないものだと直感した。
仲間にしようか、と目で白水に問い掛けると彼女は満面な笑みを浮かべてコクッと頷く。
部下の断りを得た元昭は自分達と同じく、喜んで狂ったように笑う老科学者に近付く。
するとさっきまで笑っていた敏明の身体がピタッと止まった。
そのまま動かず、肩を震わせている姿に元昭は首を傾げる。
「あ、藍沼博士? どうしたおじゃ?」
「……儂の作ったものは便利なものなのに……なぜ世間は理解してくれんっ!」
さっきまで笑っていた表情とは一変し、自分の発明を認めない事に対して怒りを抱いたのか口を『へ』の字にしながら憤る。
「ど、どうしたでおじゃるか、いきなり!?」
突然怒り出した敏明に、元昭は思わず驚いて後ずさる。
「儂が、どれだけ作っても周りは儂の事を『ガラクタばかり作るジジィ』とか『頭のネジが数十本緩んでるジジィ』とか言いおって……この2人は儂の作った発明を見て驚いたり、喜んだりしてくれてるのに……」
両手を握り締め、怒りの表情を露わにする敏明。
「花洛の鹿倉家にも言って宣伝したのに……」
「鹿倉家に?」
老科学者から発せられた単語に元昭は引っ掛かりを覚えた。
「博士よ。今そなた鹿倉家と言うたか?」
「そうぢゃ。都で踏ん反り返っておる鹿倉家ぢゃ!」
「何か鹿倉家に恨みでもあるおじゃ?」
「大有りぢゃ! 実はの……」
事情を聞くと敏明は以前、自分の技術力を何とか世に認めて貰おうと鹿倉家に手紙を出した事があるという。
天下の将軍様に認めて貰えれば、自分の名が世に知れ渡り、日野本に機械という新しい分野が広がって自分は大金持ちになると踏んだからだ。
しかし向こう側は、それを拒否する内容が返ってきた。
それでも諦めきれない敏明は何度も書状を出して取り入ろうとしたが、結果は変わらなかった。
「なるほどの……機械を見ようとせず、使者すら出さずに断ったと?」
「そうなんぢゃ……」
敏明は自分用に椅子に深く腰掛け、深い溜息を漏らしてからこう言った。
「儂を認めなかった世間や鹿倉家に復讐してやりたいわいな」
「にゃんとっ? 鹿倉家に……復讐?」
その言葉を元昭は聞き逃さなかった。
目の前に居る老科学者は、自分の発明を認めてくれなかった鹿倉家に対して恨みを持っているようだ。
自分も敏明も打倒鹿倉家を抱いている。
それが分かった時点で、元昭は敏明を勧誘することを決めた。
「ならば、その科学力を麻呂の為に使ってはみぬか?」
「な……んぢゃと?」
元昭の言葉に敏明は目を丸くする。
「実は麻呂も訳があって鹿倉家を追い出そうと考えている所でおじゃ。そのために優秀な人材が必要なんじゃが……」
そう語り出して元昭は自分がかつて将軍家の血を引いていること、鹿倉家を追い払って日野本を乗っ取ろうとしていること、その為に表向きは玉虫屋という湯宿を経営して資金を調達すること等、自分達の目的を話した。
自分と同じ志は勿論だが相手は老人で、頼れる知人や身内もいなさそうだから悪巧みを勧誘したところで誰かに相談する事はおろか、奉行所に密告しないと踏んだ上で元昭は勧誘している。
「お主が儂を……?」
老科学者は、まじまじとした目で元昭を見る。
未だ信じられないとでも言いたげな顔だ。
その表情を読み取った白粉店主は言葉を続ける。
「博士の作った機械とやらは実に見事なものでおじゃ。その機械を作る技術を麻呂は欲しているおじゃ。どうかの? 麻呂の為に活かしてはくれぬか?」
その言葉を聞いた敏明は、自分の作った発明を初めて認めてくれた者が現れた事に喜んだ。
「ふ……ふふ、ふひゃ~っひゃひゃひゃひゃっ! ほ、本当に儂の作った機械が必要なんぢゃな?」
「うむ。そなたの技術力、麻呂は高く評価するおじゃ。協力してくれるかの?」
「任せるわいなっ! この天才科学者・藍沼敏明……お主の為ならば、どんな機械でも作ってみせるわいなっ!」
老科学者は椅子から立ち上がって手を差し出すと、それに応えるよう元昭も手を出して握手を交わす。
新たな同志が出来た瞬間だった。
敏明は年甲斐もなくウキウキした様子で、すぐに荷造りしながら2人に尋ねる。
「えっと……君達の名前は?」
「麻呂は足川元昭。今は訳あって苗字を下河にしておるが、麻呂の事は店主と呼んでたも。こちらの女子は水岸白水。麻呂の部下でおじゃ」
「博士ぇ。改めてぇ、宜しくお願いしますぅ」
ここで初めて元昭達は自分の名前を老科学者に言って自己紹介した。
「店主に水岸ぢゃな。それで確か玉虫屋とかいう湯宿をやっておるんぢゃったな? それは、何処にあるんかいな?」
敏明の問いに元昭は自分達の拠点を教えると、老科学者は『荷造りに少し時間が掛かるから、先に帰ってくれ。後から追いかけるわいな』と言ったため、元昭は白水に敏明の荷造りを手伝うよう指示して、自分は梯子を上って長屋を後にした。