零章 運命の出産
第一条「誹謗中傷や悪意ある批判は受け入れません」
第二条「縦書きで書いていく予定ですので御了承下さい」
第三条「特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません」
第四条「特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)」
第五条「拙い文章で申し訳ありません」
【言葉】
嚆矢濫觴
【意味】
物事の始まり・起こり。
【由来】
嚆矢は鏑矢(昔、戦いを始める時、敵陣に射掛ける矢)の意……転じて、物事の始まり。
濫觴は川の源の意……転じて、物事の初め。
嚆矢や濫觴とも同じ意で、これを重ねて意味を強めた語。
◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇
草木も眠る丑三つ時。
寝殿造の主屋に、病気特有の臭いが漂っている。
部屋の四隅には灯火が付いている燈台が設置されており、その部屋の中央には2つの人影を映す。
片や、病の床に臥している男性。
片や、その男の様子を座って見守る女性。
部屋の外は大雨なのか強い雨の降る音、そして雨が屋敷にあたる音を発している。
そして室内はどうかと言うと、外の雨音よりかは遥かに劣るものの、愛すべき者の口から洩れる弱々しい呼吸……そして時折、発する激しい咳き込みが響いていた。
もう、かれこれ1ヶ月以上、男は主屋から出ていない。
診断した医師からも『回復の見込みはありません。誠に気の毒ですが』と宣言された。
それまで男が行ってきた執務は代理である彼女が行ってきたが、ある事が原因で目の前で寝込んでいる夫が倒れ、自分もその衝撃を受けて身体を崩してしまっている。
このままいけば、目の前に居る夫の二の舞になるのは目に見えていた。
しかし今、自分は倒れるわけにはいかない。
自分のお腹の中に宿っている小さな命を消さないためにも。
今、胎内で眠っている子供を産まなければ、先祖代々受け継いできたもの――家や血筋――を全て失う事になる。
小さな家系ではあるものの、自分は今の家に嫁ぎ、その家の一員である事を誇りに思っていた。
しかし、その誇りも今となっては完全にとは言えないが失いつつある。
それもこれも全て、あの事が原因だ。
だからと言って自分は悲観しない……したら虚しくなるだけだと分かっているし、悲観したくなかった。
今の家を潰すわけにはいかない。
それは1人の母としての決意であると同時に、もう1つ長男の嫁としての決意でもあった。
その決意を実行するには、彼女が持つ1つの案を夫に持ち掛けて承諾を得なければならない。
以前にも駄目元で夫に持ち掛けたが案の定、却下された。
だが今の状況を考えれば、それでもやらなければと判断した彼女は意を決して口を開けた。
「あなた」
「ゲホッ……なんだ?」
「やっぱり私は、あの方法しかないと思うわ。今の家を……家の血筋を守るには……」
妻の言葉を遮るように、男は咳き込みながら首を横に振る。
「お前の言いたい事は分かる。だが……」
「あなただって分かっているでしょう? 今の状況が危険だと。早いうちに手を打つべきだわ」
「だがな……そうなると……お前の体が……」
「厳しい事を言うけど、貴方も長男なら……何をすべきか分かっているはずよ。私の体は、どうなっても構わない。血を受け継ぐ者がいないと、全て終わりなのよ?」
妻による必死の説得に、夫は生気の無い青白い顔をしながら、何か思案する表情を浮かべた。
自分の命は、もう長くはないという事を自覚している。
体を崩したままでの執務をこなすのは難しく、また元々身体の弱い妻を代理に立てようとも、それは長続きしないであろう。
考えに考えた末、力を振り絞って上半身を起き上がらせ、か細く且つ力強く結論を出した。
「分かった……お前の、好きなように…………しろ……」
「あなた……」
「こうするしか……出来ないのが口惜しいが……お前に託すとしよう……これは1つの賭け……しかも大き過ぎる賭けだ……うっ! ゲホゴホッ……ゲボッ!」
そう言った後、男は激しく咳き込み始めた。
次第に咳き込む声が酷くなり、遂には白い床の上で赤い血を吐いた。
妻は、その様子を涙目で見たが最早、一刻の猶予も無い。
夫から承諾を得た妻は医師を呼んだあと自室に戻った。
そして机の引き出しから白い紙を数枚取り出し、自分の思いや願いが叶うよう心を込めながら筆を走らせる。
やがて書き終えると使用人を呼び出し、この手紙をある人達に渡すよう指示した。
慌てながらも夜中の回廊を走る使用人の後ろ姿を見送った女性は、
「賽は投げられたわ……これで家が、どうなるかは……この子次第ね」
と、か細い声で呟くと、急に腹部全体に熱い痛みが出てきた。
最初は小さな痛みだったが、徐々に腹部内の痛みが拡大していき、遂には今まで感じた事のない痛烈や激烈というような痛みが女性を襲った。
料理を作っている最中、包丁で指を切った時や指と爪の間にソゲが刺さった時よりも強い痛み――陣痛――だ。
この痛みが何を示すのか女性は直感で察知し、大声で使用人達を呼んだ。
女性は分娩室に運ばれる最中、痛みに耐えながらも慈しむような表情で、まもなく産まれてくる我が子が入っている腹部を見ていた。
雨雲に支配されている空も、出産という時を祝福しているかのように轟音と同時に稲妻を発する。
こうして、この一見不可解な物語は一旦、幕を下ろす。
19年という歳月を経て発覚する、その時まで……。