8.雷の中からもっふもふ
「ほら見て。碧さん。ふふ、綺麗な文鳥でしょう?真白の綺麗な……」
「鳴き声も可愛いのです。…あっ、だめだめ、涎垂らしちゃ」
「この子の名前は千代と言うのですよ。千代々々と鳴くから」
「縁起のいい鳥さんですねえ…」
いいな、いいなあ。
綺麗なお屋敷。綺麗な服。あのキラキラした飾りが羨ましい。
いいなあ。その子は人の手から美味しい食べ物を貰えるんだ。
わたしは、毎日虐げられて、泥の中で。ゴミの中からしか得られないのに……。
「千代々々。千代々々……」
いいなあ。いいなあ…。
わたしもその子みたいに白くなって、可愛い声で啼ければ美味しいご飯は貰えるかな?
綺麗なお家で、キラキラの飾り。温かい寝場所を与えられるのかな?
あいして、くれるのかなあ……。
*
「場所を移そう」
そう言うや否や、黒鴉は羽を蝶に変える余裕すら見せずに世界を黒く染めた。
俺は惜しいと思う半分、黒鴉の余裕のない今が嬉しくてしょうがない。
(次はどんな世界だろう)
わくわくしていると、そっと、桜の香りが報せてくれた―――遅れるように「しゃん、しゃん」と鈴の音がして、優美な笛の音がする。時は夕暮れだった。
「此処は?」
「…僕の故郷であった。……」
「黒鴉の故郷!?」
俺は一気に頬を林檎色にして、黒鴉の手を引いて駆け出した。
黒漆喰で塗り固めた壁やら屋根の下で風に揺れる提灯と花飾り―――そして衰えを知らぬ桜の木が、どこまでもある。
花弁は朱塗りの格子へと風に運ばれ、牛車の鈴が耳に心地良い。笛を吹く色男もいれば歌を詠む風流な女もいる。平安と吉原遊郭を混ぜたような世界だ。
「黒鴉、黒鴉の実家は?」
「さあ……僕には両親などいないのでね」
「ご、ごめん」
「いや、気にしないでくれ。―――此処に連れて来たのは他でもない。君に僕のことを知ってもらいたかったからだ。僕は君のことを全部知るが、君は知らないだなんてフェアじゃないからね」
「黒鴉ぇぇ…!」
「おっと」
その言葉に嬉しくなって(テンションが高かったのもある)強く抱きしめると、黒鴉はいつもの通りポンポンと背を撫でる。
そうか……ここが黒鴉の始まり。どんな幼少期だったんだろう。どうして魔女になろうと……―――抱きつきながらもキョロキョロしていると、牛車が目の前で止まった。
護衛らしき男たちが俺たちを囲むもんだから、流石に焦った。
「く、くく黒鴉!不味いぞ、大名の通り道を塞いだら切腹だ!」
「霖。あれはだね、大名でも何でもないというかこの世界に大名はいない。あれは"宮"からのお迎えだ」
「みや…?」
「通称だがね。…この街を表向き統べる巫女様の御住まいをそう呼ぶ。―――まあ、今はこれに乗ろうじゃないか」
「お、おう……って、この服暑いな……雪山の時のまんまだ」
「我慢したまえ。向こうに着けば良いものが着れる」
じゃあ我慢するか。
俺はわくわくと牛車に乗り込むと、牛車の左右にある"物見"(外の様子を見る時の小窓みたいなもんだな)を覗いた。
黒鴉とぴったりくっついて歩き出す牛車の鈴の音に耳を澄ませながら、俺は子供のように指さした。
「なあ、この世界はずっとこのまま―――進化してないのか?」
「するとも。世界ならば。……」
「じゃあいつか、この綺麗な光景もビルとかに変わっちゃうのかな……なあ、この街の名前は?」
「ヨシノ。"常春の街・ヨシノ"と言う。美しい巫女の祈りの力で、この街はずっと春だ」
「おおー!」
ふぁ、ファンタジー!これこそファンタジー!
ああああメモしたい!今なんかすごい話が書けそうな気がする!
黒鴉が「美しい巫女」って言うほどだし、うん、主役は美しい彼女だ!彼女は巫女としての務めと、若く熱く燃える恋のままに美青年の剣士と駆け落ちする!だがそんな二人を引き裂く世界!暴かれる真実、そして恋した人はまさかの……まさかの……。
………駄目だ。ありきたりだな…。
「なあ黒鴉、」
「ん?」
「なんか―――確かに、この世界からお前は生まれたって感じがする」
「なんだい、それ?」
「お前の黒い髪に、桜の花弁も提灯の明かりも似合うから」
「……ふっ、ロマンチストめ」
「あんだよー」
「第一、僕は最下層の存在であったからお姫様のような優雅な暮らしはしていない。そら、そこの団子を盗った子供よりも下だ」
「……貧困層、なんてあるんだ」
「あるとも。栄えあれば当然―――目も当てられぬ」
黒鴉は外を見るのを止めてしまった。
だが拒絶する空気は無かったから、俺は夜に侵されつつある空の切れ端を見て口を開いた。
「じゃあ黒鴉、お前はとても強いんだな」
「?」
「一番下で、俺なんかには分からない暮らしをして、でも笑ってる。黒鴉の笑顔はそこの篝火よりも明るい」
「……」
「泥啜っても暗い中に在ってでも、お前の金色の目は宝石みたいに綺麗に光るんだろうなあ。琥珀よりも鋭く、雷鳴よりも艶やかに。……」
がたん。
牛車が止まる。――目的地に着いたのだろう。俺は物見から体を離した。
するりと護衛の男が簾を上げて、降りれるようにと待っている。俺は黒鴉を見下ろし、
「……卑怯じゃないか」
黒鴉は赤くなって頬を膨らませていた―――照れている。
何か異世界旅行に来てから黒鴉が照れやすくなった気がする。……可愛い。
「君は天性の女たらしだ。ああそうに違いない」
「馬鹿言え。あれはお前の瞳が誰よりも気に入っていたから賛美ただけだっ」
思い出すと恥ずかしくなって、俺も照れ照れとしてしまう。
黒鴉と強引に牛車から降りて、俺は広い屋敷――宮の門の前に立つ。ずずず、と扉が開いて、俺は黒鴉と繋いだ手を強く握った。
すると現れたのは―――白玉砂利の上に広がる鮮やかな衣を十二単のように重ね合わせ、黒蜜のような髪をそのままに、お歯黒も何もない、化粧っ気は無いがそれでも輝くような美少女だった。
瑠璃の瞳は美しく、誰かに「かぐや姫」なのだと言われたら信じただろう。だが贅沢な話、俺には美少女過ぎて引いた。がっつけなかった。
「現御神さま、ようこそ御出で下さいました。私はあなたの下僕。なんなりと御命じ下さいませ」
よく分からん、と黒鴉に縋るように見上げると、「それがこの世界での設定だ」と黒鴉は笑った。
*
「―――さて、お勤めに戻りましょう……あら?」
「こんにちは。そんな所に隠れていないで、どうぞこちらに。何か食べたい物はありませんか?」
「汚れてしまって辛いでしょう。今、湯でも持ってこさせましょうね」
「目が少し傷ついてますね……ほら、治りましたよ!」
恐る恐る、近寄ったら。
綺麗な人は優しくしてくれた。無償の愛だった。当然、それは誰にでも平等に与える愛なのだろうことは気づいていた。
でも嬉しかった。「綺麗な目ですねえ」と微笑みかけてくれるのが。とても。
「また来てくださいね!」
人恋しい、綺麗な人は手を振って見送ってくれた。
土産だと、果実と握り飯をくれた。この人は神様なんじゃないかと思った。
でも同時に悟った。こんなにも綺麗な人に、汚いのは傍に居れないのだと。綺麗な小鳥だけが可愛がってもらう資格がある。
わたしが傍にいたら、穢れがこの人に移ってしまうから、わたしはいっそとこの街を去った。
でも、隣街で、やっぱり石を投げられて、飢えてしまって。
「甘え」を知ってしまったわたしは、また綺麗な人間に近寄った。
でも、その綺麗な人は親切にしてくれたあの人じゃない。なのに、同じことを期待してた。
ご飯をくれて。(物乞いに恵んでいると優越感に浸っていただけなのに)
目が綺麗と言ってくれて。(馬鹿なわたし)
あの人と同じ行動。似た小奇麗な言葉。……与えられて、汚いわたしはもっとと欲張った。
そうさ―――ただ、あの日、手を振って見送る真心をもう一度欲しいなんて、そんな我儘を覚えたから。
「そら、生き埋めにしてやれ」
こんなにも、狂おしいほどに愛が欲しい。
*
飢えた子に、愛を中途半端に与えるというのも残酷で。
補足:
前回の世界と今の世界はもう読めない別作品をイメージしてますっていうかリサイクルしてますが、都合上「同じだけど違う」ことになってます。
その理由は後々……か、書けたら!いいなあ……。
なお、文鳥の「千代々々」は夏目先生より。夏目漱石の話は読み解くのめんどくてアレですが、ああいう当時の空気を感じられる動作や言動が好きなんです。