2.病的なる我らが恋
出会い―――は、多分、中学の長い入院生活に、ずっと俯いてた頃だ。
俺は毎日、次の瞬間には死ぬんじゃないかって、不安だった。思春期特有のあの揺れ幅が極端だったのかもしれない。
「大丈夫よ。すぐ退院できるわ」
母さんは何度も励ましてくれたが、昨夜運悪くもご臨終の声を聞いてしまった俺は苛々として答えもしない。
ちょうど季節の変わり目だったから、爺さん婆さんは特に呆気なく死んでしまう。しかも俺の入院を決定づけたのが「ソファに座ってただけなのに倒れこんで」そのまま入院コースだったから、他人事に思えない。怖い、どうなるんだろう、無理なんだろうか、駄目なんだろうか―――俺の暗さにつられて、どんどん母さんまで暗くなっていくのが辛かった。
「あと少しで退院できるわ」
いっそ、来ないで欲しかった。
まるで思い込むために「嘘」を口にして、「心配だわ」と言ってるけれど本当は一秒だって俺の傍に居たくないくせに。
もういい。もういいさ。どうせ俺は家族に笑顔一つも作らせることができないし、無駄に金を払わせてるだけで、弟の言う通り本当に害虫なんだ。
「霖君、あたしね、好きな人が出来たんだ!」
―――そんな俺が出来たのが、初恋の人の恋愛相談だ。
本当に良い子だった。特別美人というわけじゃないんだけど、その雰囲気が好きだった。
お相手の彼氏になれた俺の友人の恋愛相談だって乗った。
ちゃんと両想いを引き裂かなかったし、祝福の言葉も贈った。二人からは感謝された。―――そして、残ったのは、俺の女々しい感情一つだけ。
あの恋人たちは受験に合わせて会いに来る日が減り、高校の時点ではぱったり会いに来なくなった。同校に通う弟は「今でも長続きしてる」とウザったそうに教えてくれたのが、安心したのと同時に心を苛めてくる。
父さんは忙しく、俺のせいで帰りが遅い。……だけど、ほんのたまに、こっそりとやって来て。クリスマスの日なんて俺が薬のせいで寝ている間にプレゼントを置いて行ってくれた。……それが嬉しくて、とても申し訳ない。
俺をいつも支えてくれた母さんは鬱になって、次第に自分まで病院に通うようになってしまった。
一応勉強に本腰入れている頃には会いに来ても長居しなくなったし、逆に来ようとしなかった弟が少しずつ会いに来てくれたけど、
「さっさと死ぬか退院するかどっちか選べよな根暗!テメーのせいで家が滅茶苦茶なんだよ!!」
常に苛々している弟は見えないところを殴るか抓るかしてくる。ゴミ箱を蹴飛ばして脅すことも。
でも過剰な暴力に手を出さない辺り理性は残ってたんだけど、対抗できない俺は野生の獣を前にした気分だ。そのせいで、面会時間が怖くてしょうがない。
――――いっそ、落ちてみようか。
そこの窓からじゃあちゃんと死ねないかもしれない。屋上……頑張れば、行けるかな。
俺が死んで、葬式になったら。友達は来てくれるかな。彼女は?母さんは立ち直ってくれるかな。父さんは楽になれるかな。弟は、少しは荒れも治るだろうか。
窓を見る。ああ―――快晴。気持ち良いまでの。俺は手を伸ばし、
「へあ!御機嫌よう、人間!」
伸ばした手を掴み、開けっ放しの窓のへりに黒のブーツの爪先を置いて。
堕天使のように黒の羽を散らして、真っ黒な少女は笑った。久しぶりに見た、まったくの陰りもない笑顔。
何故か黒のセーラーだったけど、俺はそれよりも急な訪問者の目に囚われていた。
悪戯っ子の、猫のような金の目だ。長い黒髪にとても映える、綺麗な―――いや。
「だ、誰だ、お前……」
此処は三階。どう足掻いても「人間には」窓から入室できない仕組みになってる。……はず。
外壁は真っ平らで、窓に何かをひっかけて登るだなんて無理ゲーだし誰かに気付かれるかもしれない。何よりそんな野性児のような行動をすれば汗かくか呼吸が乱れてるはず。衣服の乱れすらないし、髪の毛はほんの数秒前に丁寧に整えたかのようだし。
―――つまり考えられるのは、この目の前の少女は……幽霊、とか?
それとも俺の妄想?……後者があり得そうで嫌だな。
だが、少女はニカッと八重歯を見せて、大変明るく自己紹介してくれた。
「僕こそは偉大なる魔女・ベリーパティエール!黒鴉という大変可憐なる名を持つ美少女だと説明しよう」
ちゅ、………厨二病だ――――!
心の中で叫ぶ俺。いや、もしくは頭おかしい子なのかもしれない。
アブナイ少女こと黒鴉は胸に手を当てスカートをちょんと摘み、「どうぞよろしくと申し上げる」なんて言ってのける。いや……え?
「よろ、しくって……」
「君に一目惚れした。だからよろしく眠り姫」
「あ、どう―――じゃないっ、え、え!?」
悲しいことに腕を払えない。
やけに上機嫌な黒鴉は「どうかした?」と分かっててか首を傾げる。
混乱した俺は唇をわなわなとふるわせた後、「変人!」と叫んだ。
「お褒めの言葉どうもありがとう」
「褒めてない!…な、何なんだよ、からかいに来たんなら帰れ!」
「からかってはいないのだけれども」
「嘘つき!お、俺みたいな死にかけならからかっても大丈夫とか思ったんだろう!?とっとと出てけ!」
何とか腕を払うと、黒鴉はきょとんとした顔で俺を見る。
……だって、そうだろ、俺みたいに根暗で迷惑かけて生きてるようなののどこが良いんだよ。
これならまだ「学校の奴らの手の込んだ嫌がらせ」の方が信憑性があるわ―――それくらい、当時の俺にとって「嘘」は身近にあった。
「困ったな、君が納得する証拠がない」
「…」
「だが"魔女"の件は納得させることが出来る。そうだな、まずは、」
芝居がかった黒鴉の行動に眉を寄せて見守っていると、あいつは一回、黒いヒールで床を叩いて高い音を出し、
「そら、君の書く"物語"を再現してやろう」
―――どうして、それを。
恥ずかしくて、ネットにもまだ上げてなかった頃の、拙い俺の描く物語。
書き損じごと隠していた作文用紙は勝手に部屋を舞い、艶やかな黒髪は風もないのに揺れた。
「―――ああ、君の中の"魔女"は黒揚羽蝶を下僕にしていたのだった」
パチン、と指を鳴らすと、辺りに落ちていた―――黒鴉と一緒に侵入してきた、闇の一部のような黒鳥の羽が羽ばたいて蝶になる。
蝶は旋風のように俺の視界を奪うと、無機質な病室は魔女のお茶会場に変化する。
足元が、頼りなく揺れて。
「さあ、乾杯しよう。この奇怪千万、変梃りんな君の世界に!」
渡されたカップの中身は、おしるこだった。
*
―――それ以来、俺はこいつが「魔女である」ということを疑っていない。
……いや、俺の頭の病気は疑ったけども。でも、看護婦さんも医者も売店の人だって認識してる。カメラにだって写る。
何より、誰もが距離を取るにも関わらず、こうしてぴったりくっついてくれる体温は、疑いようがなかった。
「遅筆なる君の作品の結果はどうだったかね?」
「…最優秀賞は逃した」
「むむ、このベリーパティエールが助力したというのに…しかし報酬は頂く!」
「お前ただ寝っころがってニ●ニ●動画の組曲歌ってただけだろ」
「ちゃんと字の間違いを指摘しただろうに」
未だにこいつの家が分からんどころか、こうして面会時間が終わっても俺の部屋に居ついている。
これは俺が退院して実家に戻った時もそうなんだが、"魔女"様はやろうとしたら姿を隠すことだって可能なんだそうだ。……心配して損したよ、本当。
黒鴉は日によって来る時間が異なるが、決まって一緒に朝を迎える。
顔を洗いに行くと羽だけを残して去っていき、たまにお土産を手に返ってくる。そして夏だろうが何だろうがあの制服の姿―――だけど、石鹸の良い匂いがする……。
「ご褒美はー?」
「…買ったけど、その、」
「食べたのか!」
「違う!!」
「じゃあ何だというのかね。簡潔にしてはっきりきっぱり答え給え」
「……踏まれて、捨てられた。諦めろ」
あえてパソコンしか見ないで教えると、黒鴉は気まぐれな猫の如く俺から離れるとベッドからゴミ箱を除く。
お目当ての物に「おお、これはまた全力で」というコメントを付けると、パチパチとキーボードを叩く俺を振り返り、
「君も学習しない子だな」
俺のベッドに散らばっていた羽が蝶に代わる。
いつまでも"あの"設定を引きずっているこいつと俺の視界を遮り、黒揚羽蝶は俺の両手に潰れたはずのケーキの箱を乗せてくれた。
「これはこれは…僕が食べたいといったネットでも評判の…!」
「……今更だけど、ニ●ニ●動画やらネットショッピング好きな魔女ってどうなんだろうな」
蝶がご丁寧に皿とフォークを出す傍で、黒鴉はニコニコと「僕はこのケーキを所望する!」と勝手にチョコケーキ持って行きやがった。……むう。
「じゃあ、俺ショートケーキ」
「ふふふ、悔しいかね霖くん。君は大のチョコ好きだものな」
「分かってて取っちゃうお前って本当に性格悪いわ」
「世の中早い者勝ちだ」
大変行儀悪く食べ始める黒鴉―――まあ、こいつのおかげでケーキも食えたし。
久しぶりに食べるショートケーキは甘いなーと、俺はそろそろ夜の訪れも早まった空を見る。
……昔は、この昼と夜が"変わる"時間を恐れたものだ。
それだけじゃない。昔はまったく弟にも言い返せなくて、母さんにも八つ当たりして。話しかけられても俯いていたけれど。
今は―――もう。大丈夫。
「夜は好きだ」
「ん?」
「怖いものも微笑ましいものも、全て。夜の貴婦人がそっとドレスの下に隠してくれる」
「微笑ましいものって――――っ、」
唇を食まれる。
そっと、上品に。そろそろと髪ごと背を抱き寄せると、柔らかい舌に触れた。チョコの味が、する。
いつの頃からこんなキスをするようになったのか、覚えていない。これをされると、夢見心地になるから。
そして俺の病で穢れた舌すら愛おしんでくれる黒鴉に申し訳ない半分、口に出せない汚い感情が胸を過る。
普段はアレでも、黒鴉はとてもよく考える人だと分かってる。無責任じゃない、ちゃんと全部分かっていて受け入れてくれる。汚すことを許してくれる。
(ああ、俺でも、)
―――そのまま手がタイツをゆっくりとなぞると、擽ったそうに笑う。でもそれでもキスをした。すでにチョコも生クリームの味もしない。
抱き寄せて名前を呼ぶと、黒鴉はとても嬉しそうだった。"俺が"黒鴉を喜ばせることが出来るということが、とても誇らしくて嬉しかった。
(死にかけの俺でも、黒鴉を笑わせることが出来る)
それが、俺の幸せ。それが――――
「―――ふふ、獣みたいな顔、してるよ」
*
黒揚羽蝶は、鍵をゆっくりと閉めた。
追記:
二話の時点でもうすいません……。
執筆中に「1.9.才」を聞いてたら余計なオプション付けちゃった……。でも大体のイメージがこの曲だったり。
関係ないですが「ホリ●ク」の映画見てビビッてポップコーンの中身が飛び散ったのは良い思い出です……だってビビりなんですもの。