13.王子様になって迎えに行くよ
ぽしゃん、と。俺は淀んだ海の中を落ちていく。
息は何故か出来た。ふと、上へと昇る泡に何となく手を伸ばし触れてみると、頭が角材で殴られたような、そんな痛みで仰け反った。
『だれか、あいしてよぉ………』
小さな黒い影。俺があの宴の夜、手を伸ばした黒い影。……石を投げられて、上手く飛べずに泣いている。涙がぽたぽたと土に落ちていた。
―――その映像の後、俺は「情報」として黒鴉の涙の訳を知った。
黒鴉の生まれ落ちた世界は、"黒いカラス"のいない世界だった。いるのは白だけ。もしくは灰。
黒鴉は邪悪な存在として街の、ううん、その世界から嫌われていた。漆黒の翼は死を予感させ、金の瞳は禍々しく人間たちの目には映ったのだ。
黒鴉こそは罪の代名詞だった。不幸が起きれば黒鴉のせい、災害が起きれば黒鴉のせい。
石を投げられ、棒で打たれ、水を投げられる。傷口に塩や酒をかけられ、邪気を払えとばかりに責め立てられた。
それでも黒鴉は誰かの温もりを、愛を求めた。仮初のものでも、気まぐれな物でもいいからと。
けれど黒鴉の願いを哂うように、人々は黒鴉に逆らえぬ死を視、ある意味で「畏れた」。ある意味では奉られたのだ。【崇められる存在】になってしまった黒鴉は、その姿を変化させる。
黒鴉は醜い己の姿を嘆いた。ゴミと泥に埋もれ残飯を齧り、惨めに温もりを求めた。暗がりから人を見つめては「寂しい」と震えていた。
でも外に出れば、理不尽な暴力ばかり―――。
『わたし、みんなに愛してもらえる?』
足がもう一つの泡に触れる。映像はブレて、今度は人の姿をとれつつある黒鴉に変わった。
髪はまだボサボサだし、羽が片方、痛々しい状態で剥き出しになっている。
それでも黒鴉は幸せそうだ。寝る間も惜しんでたくさん勉強して、俺の知る黒鴉の姿になる。
―――やがて魔女となった黒鴉は幾千の世界を巡り、そして傷心のあまりカラスの姿のまま、ぐすぐすと泣きながら俺の世界に辿り着く。
泣いていた黒鴉だが、自分と同じカラスの姿に安心を覚えたようだ。しばらくカラスの群れに付いて行くと、不意に微かな泣き声が聞こえて振り向く。群れから外れ、木の枝に止まった。
『―――ぐすっ、…学校に、行きたいよぉ……』
俺だ。幼い俺。友達が出来たのにまた病院に逆戻りで、母さんの冷たい言葉を聞いて。
男なのに、惨めに泣いていた。そんな俺を黒鴉は葉に隠れながら見ている。
黒鴉は孤独が痛いほど分かるから、どうにかしたくて、オドオドと俺の傍に近寄った。殴られても、それで孤独が癒せるならと、じっと俺を見つめていた。……たぶん、俺に自分を重ねていたんだと思う。
『……わっ!?…なんだ、お前―――ははっ、人懐っこいなあ』
『また来てくれたのか。…おいおい、そんなとこに居るなよ、気にしなくていいんだ。なあ、おはぎ食うか?カラスって、おはぎ好きかどうか分からないけど……』
『お前は大人しいなあ。……俺の話、黙って聞いてくれて、ありがとうな』
『ん?なんだよ。…ああこらっ、それは俺の黒歴史っ』
黒鴉は幸せだった。
自分の始まりの姿なのに、俺は追い払わない、暴力を振るわない。
自分に愚痴でも何でも話しかけ、そっと触れてくれる。食べ物を分け与えてくれる。感謝の言葉なんて、初めてだった。
だから―――黒鴉は、俺に賭けた。
頬に泡が触れる。黒鴉の感情がより鮮明に伝わってくる。
誰かと寄り添える幸せ。自分の魔法を、無邪気に褒め称え強請ってくれる嬉しさ。「ちゃんと帰ってこい」と別れを惜しんでくれる手。
初めて誰かと重ねた唇は、とても熱かった。女としての、愛される幸せ。
―――でも、長続きしない現実。
黒鴉の羽ばたきは俺の脆い蝋燭を、火を消すどころか倒しかねなかった。距離をとるにしても、まず生の長さが違う。何より黒鴉はこの世界に根を下ろせない。
しかも自分に惹かれて来る死神たちのせいで、俺は常に危うかった。世界も黒鴉が羽を休みに来る事を本格的に厭わんで、これ以上は短時間の逢瀬すら許されないと知る。
だから、最後に思い出を作りたくて。
でも、俺に会うためにと魔法を行使し続け、元々疲れの溜まっていた黒鴉は、死神を食しても力に変える機能が弱まっていて。
毒に苛まれたまま、黒鴉は俺と楽しい時間を過ごす―――
――――ばしゃん。
不意に綺麗な水面が頭上に現れる。外に出れた俺は、濡れていない体を床に叩きつけた。
辿り着いた先はあの歪な夜の病院。微かな騒音に、俺は眉を寄せた。
「御機嫌よう、ニンゲン」
全体的に白い、まだ二十歳前後(に見える)の女だ。
室内なのに日傘を差している―――ああ、そうだ、この人は。
「黒鴉の……師匠か」
「ええ。…あの子の水底に落ちたのね」
男嫌いな魔女。
俺を視界にも入れたくないらしい。魔女はすっと傘で廊下の向こうを差し――?
「ここを真っ直ぐ行けば、貴方は帰れるわ」
「……は?」
「今の貴方は、黒鴉の手で魂を抜かれた状態。辛うじて繋がってるだけの……黒鴉は、後始末を私に託していたのよ」
「後始末って…」
「貴方が旅していたのは異世界じゃない。あの子の『過去』。記録していた世界を再現しただけ。つまりは貴方はあの子に食べられていた状態だったのね」
「は?…ちょ、ちょっと待って、」
俺の異世界旅行は、全部、黒鴉の中の事?
ご飯の味だって、冷たい風だって、何だって、ちゃんと「実現」してたのに?
「……貴方は魔法使いでも見習いでもない。異世界に運ぶなら死者でなければ。だからあの子は貴方を仮死状態にして、異世界らしいものを見せたのよ。魔女の"世界再現"は完璧だから、分からなかったでしょうけど」
「じゃ、じゃあ、あの死神は……」
「ええ、異世界を開いたから付いて来たものじゃない。黒鴉が魔力に昇華出来なかった、黒鴉を苛む毒よ。アレはまず最も弱い対象として貴方を狙い、弱り切ったあの子の胎を食い破ろうとした。―――あのままなら貴方、輪廻の波に戻れず黒鴉の中で消えていたのよ」
いっそ、その方が良かった。
だって、黒鴉と一つになって消える。それって誰にも真似できないことだ。愛の究極の形。
…………でも、もう、叶わない。
「さあ、この彼岸を超え、此岸へお帰りなさい。貴方の家族が待っているわよ」
魔女は手の中の蛍のような光を弄ぶ。しかしその横顔は悲しみに染まっている。
俺の気持ちは決まっていた。…そこに、家族への感情は無かった。ただただ、黒鴉を救いたい。そのための代償が何でもいい。かまわない。
それが俺の、答え。
「黒鴉を助けてくれ」
「………」
「何でもする、どんな対価でも払う。死んでもかまわない。どうせ、黒鴉がいなければ自分で潰していた命だ。黒鴉の為に使えるのなら本望なんだ。だから、助けて、ください…!」
魔女の足もと、人生で初めて土下座した。
これが駄目なら足に縋りついて、気持ち悪がられても呪詛のように乞おう。だから、と。
―――魔女は沈黙の後、ふっと光を消した。もう一度、「たすけてください」と乞う。
すると魔女は、一拍のあと、俺に告げた。
「……汝の『愛したい』という感情を聞き届けた。その人生を自らの手で終える代わりに、一夜限りの魔法使いにしてくれる」
命を捧げるほどの愛から生まれる力。
若い人生を無理やり終わらせて与えられる力は、一時的に大魔女に匹敵する。
そこに、もう一人の大魔女が助力するから。
「わたしの、大事な娘を王子の如く救ってみせよ」
―――ぶつん、と視界は暗転する。そして瞼を開けると白い世界に足を下した。
この白さは黒鴉の本質の表れだと思う。……黒鴉は、未だ弱弱しく血を吐いて、ぐすぐすと泣いていた。
「黒鴉、迎えに来たよ」
*
彼に課される枷は、尽くすゆえの「犠牲」。




