10.きれいなものがスキなの
「先生!先生みてみて!私、もうこんなことも出来るんだよ!」
「あらあら、あなたは覚えるのが早いわねえ」
「でもね、この本の中身は使えないの」
「ほほ、それはね、あなたに名前が無いからよ」
「あると違うの?」
「もちろん。名前は命と同価値。魔女の世界で言うなれば、今のあなたは幽霊以下」
「むぅ」
「けれどあなたは魔力量が膨大ね。ある種、畏れられた存在だからかもしれない」
「…?私、私はおそれられたの?」
「そう。疫病神と蔑まれようと―――ニンゲンはあなたに"恐ろしきもの"を見た。それは夕暮れの一人道だったり、閉じられた戸の向こうであったり。……」
「ふーん。でも、私は……」
この魔力なんていらなかった。
「いっしょに話そう」と。あの賑やかな場に、入れて欲しかった。
*
「―――ふわあ……くろえー…」
寝台の上、俺の足に足を乗っけている黒鴉に抱きつく。
黒鴉はむにゃむにゃ言いながら、気持ち良さげに眠っていた。
「くーろーえー。朝だぞー」
「んん……まだ寝る」
「じゃあ俺も寝るー」
「ふみゅ……」
「ふあ………」
そうして、惰眠を貪ろうとしたら。
「現御神さま―――!朝に御座いますっ!(`,,・ω・,,´)ノ」
華奢なくせに、俺と黒鴉を布団ごと寝台から引きずり落とす……だと!?
「やだー、寝るぅー」
「黒鴉と寝てるぅー」
「ダメですっ朝は規則正しく!さあさあさあ!」
「神様だぞー」
「偉いんだぞー」
「朝、一番偉いのは天照坐皇大御神さまにございます!」
「よく噛まなかったねー褒めて遣わすー」
「すげー」
「もうっ、起きてくださいませ!炊き立てのご飯が勿体ないのです!」
それでもぐだーっとしてると、不意に首根っこを掴まれた。
「えっ、えっ!?」と引きずられながら見上げると、セピアゴールドの髪の外人さんが引きずっていた。敬いのうの字もない連れ去り方に文句を言おうとしたが、目が合った時凄まれたので借りてきた猫状態になりました。ああ、でも、
「くろえーっ」
「―――僕、今日は軽い服がきたーい」
「了解いたしました」
「くろえー!」
また離された……そしてあの昨日着替えた部屋にポイ捨てされる俺。超可哀相。
拗ねそうな気持ちを隠さず、俺は服を手にした巫女さんに顔を上げたが、口にした言葉はとても弱気だった。
「きょ、今日は、動きやすい服でお願いします……」
そうお願いすると、巫女さんたちはこしょこしょと相談して―――引っ張り出したのは大正時代に来てそうな服だった。この世界の時代は平安なのか大正なのかはっきりして欲しい。
俺は立て襟のシャツに袷と袴。書生さんみたいな恰好で、こんな豪華な屋敷にこんなのあるんだなあと呑気に思った。
どうやらこの世界では滅多に外に出ないような箱入りとか、式典とか宴にドレスではなくああいう平安時代のような恰好をするようだ。なんというか、富裕層は時代がストップしてる感じだな…。
しかしまあ、お嬢さん、というか。小金持ちや一般市民は少しでも布を少なくしようとあれこれ試行(つまり時代が俺の世界と同じく進んでるんだろう)して、今は大正ファッションに至っている。
後に知るが、「上からの命令で」下民は布を多く使うな、みたいな命令が出てるらしい。
何ともわかりやすく上と下を分けた感じだな。
「―――今日は俺が一番乗りだな」
でも、俺は黒鴉と違って揃うまでは食べない派だからな!
じーっと待って十分。やっと大正時代の女学生みたいに袴姿の黒鴉が来た。
「へあ……」
「お、おぅ……そんな元気のない『へあ』初めて聞いたぞ…大丈夫か」
「聞いてくれるな、若人よ……」
まあ、大方巫女さん方にあれこれと遊ばれたんだろう。
綺麗に着付けてもらったのに、黒鴉のその元気の無さで半減してるのがまた悲しいな。
「……なあ、今日は何すんの?」
「ああ―――街でも歩くかい」
「おっ、いいな!」
黒鴉が住んでいた、この街。
……まあ、その裏の方で生きてたんだろうが。裏に行きたいと言ったら連れて行ってくれるかな?
「なあ、この街の…路地裏とか。行ったら駄目?」
「好きにするといい」
「よっしゃ」
「…しかし気を付けないと、身包み剥がされるぞ」
「マジか―――まあ、いいや。自分の身ぐらい守ってみせらあ」
「……?僕も行くが?」
「ばーか、好……お、お前にずっと守られっぱなしなんて恥ずかしいだろっ」
「なるほど、そういうストーリー展開をお望みか。…あい分かった、急いでどっきゅんばっきゅんぎゃーっな話を用意しよう」
「結構です」
味噌汁に一生懸命息を吹きかけながらの言葉である。
黒鴉は猫舌なのか、熱い物を前にすると怯える。本人曰く"慣れることができない"らしいが。
「黒鴉、米粒付いてる」
「むがー」
まったく。
世話のかかるヤツだなあ………。
*
「団子、うまいな」
「ふむ、」
暴食の限りを尽くす俺と黒鴉は、もちゃもちゃと串を引っ張って団子を飲み込んだ。
晴天に舞う桜の花弁は美しく、あちらこちらに女学生とか荷を運ぶおっさんとか、何というか健全な空気が漂っている。
黒鴉曰く、この街は夕暮れになると子供は外に出さないんだそうだ―――まあ、確かに出したくはないわな。
「こら!この泥棒猫―!」
「にゃっ」
日曜夕方のアレかと思ったが、買ったばかりの魚を咥えて逃げる猫と奥さんは本気である。
猫を叩こうと立てかけられた箒で打つが、土煙が立つだけで猫はまんまと逃げ切ってしまった。俺は「猫すげー」と呟いて黒鴉の方を見ると、黒鴉は奥さんを見たままピタッと食べるのを止めてしまう。
どうした、と聞こうとしたら、黒鴉の肩がびくりと跳ねた。慌てて肩を抱くと、角からドタドタと賑やかに、
「せいばいしてくれるー!」
「きゃーっおたすけー!」
木の枝を手に駆け回る子供。
あー、俺の親戚の子供(二回しか会ってない)もこんな感じだったなーと思い出していると、黒鴉はオロオロして離れたがっている。俺は代金(嘉夜から貰った)を店員に渡して、黒鴉の手を引いた。
「宮に戻るか」
「…………ううん」
黒鴉は呟く。「忘れてた」と。何がだと聞いていいのか分からなくて、俺はそわそわしてしまう。
やがて黒鴉は、ぽつりと、「朝は嫌いったということを、忘れていた」と言い直した。
「…黒鴉は朝が嫌いか?」
「嫌いだ。陽は僕の姿は曝け出すから。だから夕暮れと夜は好きだった。誰の目に留まることも無い。……」
そうか。
黒鴉は、裏路地でひっそり生きていた。ここまで華やかな街だから、うっかり表に出ると侮蔑の言葉や石を投げられるのかもしれない。
俺はただ黒鴉の過去が見たくて、「裏に行きたい」と言ったけど、アレはもしかして無神経極まりない提案だったのかも……。
「………」
「…黒鴉?」
やっぱこのまま帰ろうかと考えていると、黒鴉はじーっとある店を見つめている。
綺麗な身なりの奥さんが果物の盛られた籠を買う水菓子屋の隣。貧相な店だ―――飴屋。
(寄って、みれば。いいのかな……)
黒鴉の手を引いて近寄ると、手毬のような飴とか○○味の飴と札の置かれた数種類の飴がある。
中でも目を引いたのは林檎飴と鼈甲飴。他の飴と違って、薄らした光を浴びているからかもしれない。
「……昔、」
「ん?」
「昔、僕はこの飴を盗んだことがある」
幸いなことに店主は爺さん、うたた寝しそうである。
黒鴉は俺の反応をちらりと見ると、俯いて懺悔した。
「昼の陽に、飴がとても綺麗に見えた。太陽はこんな色をしてるのだろうかと思って、一か月ずっと見つめていた。子供が母親に買ってもらう姿が羨ましかった」
―――そして、黒鴉は盗む。店主が目を離した隙に。
路地裏で、それを味わった。これが「甘い」のかと知った。もっともっとと欲しかったのだけど、棒で罰せられる痛みが心に深く刻まれていて、出来なかった。
黒鴉の過去の一端の後、やがて俺に目を向ける。賑やかな黒鴉のみすぼらしい昔の思い出は、異様に浮いて見える。
たぶん、淡々と事実を述べるからだ。いっそこれが「ね?私可哀相でしょ?」みたいな思いを忍ばせていたらまた変わるのに。
まるで、俺に嫌われようとしているような、いや、俺がどこまで嫌わずに入れるのか探っているような―――。
「黒鴉、」
………面倒臭い女だ。
「お前って、父さんから貰った万年筆も綺麗だーって五月蠅かったもんな」
「……は?」
「思えば飴も好きだったなー。きらきらしてるのが好きなのか」
「……霖、僕の話を―――」
まあ待て、と俺は黒鴉の唇に指で封をした。
―――馬鹿な奴だ。俺は、お前に命をくれてやてもいいと思ってるんだよ。
そんな馬鹿が、お前の真っ黒な過去を知って、引くと思うなよ。
俺の目に何が写っているのか、黒鴉は理解できないものを見る目だった。それでいて俺の手を繋ぐ。行かないで、と。言わんばかりに。
「黒鴉、お前、かわいいな」
そうやってオドオドするところも、大好きだよ。
―――目を見開く黒鴉に微笑んで、俺は店主に「飴ください」と声をかけたら、振り向く店主の口から、ずるりと黒い死神が飛び出して。
無防備な黒鴉の胸に深々と槍のように形状を変えて、貫いた。
*
「先生、"僕"、もう行くね」
「ええ、元気でね。―――【クロエ】」
「うん!僕、世界を旅して、たくさんのニンゲンに愛されてくる!」
「運命の人が見つかるといいわね……ああでも、クロエ、簡単に気を許しては駄目よ」
「どーして?」
「ニンゲンは皆、男も女も肉欲の塊。魔女より遥か格下の惨めな生き物。優雅を気取ってるけどそれは張りぼてなのよ。もしも『この人なら』と思ったのなら、あなたの真実を見せてからになさい。そして怯え罵倒するようなメンタルミジンコ野郎は喰っておしまい」
「…………」
「………?」
「…せんせーって、ニンゲンの男が嫌いだけど、もしかしt」
「クロエ・ベリーパティエール!勝手な推測はおやめなさい!」
「むぅー」
「……こほん、いいわねクロエ?取り返しのつかなくなる前に、ヤられる前に殺りなさい」
「はぁーい」
「いつか大魔女となったあなたと、【観覧席】でお茶を飲みたいものだわ」
「ふふん!すぐに大魔女に至るとも!」
「自信家ねえ……まあ、怪我しないようにね。何かあれば頼りなさい」
「―――うん!じゃあね先生!三千世界のどこかで会おう!」




