【アマデウス】~その人物への興味のきっかけとなる自伝映画~
シリーズ「みんな欠けている」
【ピースが足りない】第八部 あえて目を背けた風景
「ピースが足りない」を完結させたので、その中で描かれていた作品について紹介したいと思います。
この映画、物語の中では鈴木賢治が一人でマンションで観て、何とも言えない不快な気持ちになり酒を煽るというシーンで使われています。
映画ネタの多い「短距離恋愛」シリーズよりも、「みんな欠けている」シリーズは直球に映画の内容と物語のシーンをぶつけてきているものが多くなっているのも、自分でも不思議に思っています。あえて、サリエリ=鈴木賢治、モーツアルト=鈴木薫、という図式をストレートに意識させています。
実在する著名人の人生を紐解き意外な面をドラマチックに見せていくというのは、結構増えてきていますよね。生誕、死後何年という区切りなどでジョン・レノン、ココ・シャネル、チェ・ゲバラ関係の作品がいっぱい出来ましたし、しまいにはソーシャルネットワークのようにまだ生きている方の自伝映画まで作られるようになっています。
いままでの自伝映画というのは、その人の偉業の陰にはこんな苦労があった、こんな人間的な部分で悩んでいたというものが多かったのですが、その中でマイナス面を全面にあえて押し出してきたのはこの作品以後増えてきたように感じます。
この映画で描かれているのは自伝というよりも、ある意味実在の人物を登場させてつくったサスペンスとも言えますが、それまで音楽は知っていても為人はあまり知らないアマデウス・モーツアルトという人物、そしてクラッシック音楽好きな人しか知らないような音楽家アントニオ・サリエリの存在を世に知らしめたキッカケになった映画ではないでしょうか?
そして実際どうだったのか? といった事まで知りたくなり二人の事を色々調べてみたくなるという意味で、自伝映画として成功しているといえると思います。
逆に映画を観て、分かった気になるものの、その人物に対して興味もわかなければ自伝映画としての価値はないともいえますので。
この映画が何故面白いのか? それは最高にハラハラドキドキさせるサスペンスとして良くできていること。しかも、ある信仰も深く善良でただ音楽だけを愛し続けた秀才タイプの男の前に、どうしようもなく下劣で幼稚だけど天才の男が現れる。その両極端な二人の人物が最高なんです。それが善と悪という割り切れるものではなく、深い愛情と激しい嫉妬、無邪気さと残酷さ、両方が人間らしい感情をもった人物として描かれているからこそ、観ている人の心に訴えかけてくるものがあるんですよね。
天才音楽家アマデウス・モーツアルトの才能に嫉妬し最終的には追い詰めて殺してしまうアントニオ・サリエリの物語というと、悪意の世界と思われそうですが、これが観てみるとどうしようもない歪みきっているようで真っ直ぐな愛の世界なんですよね。
アマデウス演じるトム・ハルスの演技が秀逸で、すごい観ていて苛つくのも分かるし、子供みたいに無邪気な部分もあり愛しくも感じてしまうですよね。サリエリがまず、誰よりもモーツアルトの音楽を愛していてそれ故に、その素晴らしい作品を作った人物に興味を覚えるという最初はプラスの感情を持っています。やっと出会ったら許せない程下品で子供っぽい人物でその落差に愕然とするという始まりではあるのですが、サリエリはモーツアルトという人物をただ憎んでいたのか? というとそうでもなかったりします。信仰心が深く真面目で、良き指導者であることからも、サリエリという人物は基本的には善良な人です。そして誰よりもアマデウス・モーツアルトの音楽を愛していて理解者であり、そしてモーツアルトという人物に対しても激しく嫌悪を抱きながらも愛しくも思っているからこその悲劇なんですよね。
恐らく、モーツアルトがただむかつくだけの駄目男で、サリエリが憎しみだけを抱いている状況だったら、ここまで面白い作品にはならなかったと思います。
最近は、クラッシックブームもあり、モーツアルトというのがかなり面白い人物だったというのは有名になっているし、このネタも様々な作品で使われたりしているので、この作品を観ても、あの当時のような衝撃はないかもしれませんが、名曲に彩られたこの映像は圧巻です。 芸術の秋ということで、音楽に触れてアートを楽しむという意味で良かったら観られて下さい。
自伝映画で、私が他にお薦めしたいのは、「敬愛なるベートーベン」「宮廷画家ゴヤはみた」の二作品。「アマデウス」のようにハードでダークな内容はチョットという方は「敬愛なるベートーベン」で音楽の世界を漂い、もう一本ガツンとしたのを観たいなという方は「宮廷画家ゴヤは見た」をどうぞ。




