理解者について
別作品「ある歪な夫婦について」の序文として書いて、結局序文にはしなかったものです。そちらを読んでから、もしくはこちらを読んだ後もう一方を読むのをおすすめします。
また、かなり痛々しいものとなっておりますので、いつでもブラウザバックしてください。
最後に、数ある作品の中から拙作を選んで頂きありがとうございます。どうぞお楽しみください。
理解者が欲しかった。ただ、私を肯定してくれる存在が。ともに堕ちてくれる存在が。
それを得られるような、自分でありたかった。ともに堕ちても構わないと、堕ちていても美しいと、そう思われるような存在になりたかった。
しかし、この世にそんなものは存在しない。ただ肯定し、ともに堕ちてくれるものなど、滅多にあらわれはしない。そもそも、そういう存在を得られるような才能を持った人間が、めったにいないのだ。
私が思うに、人生を投げ出したってともにいてくれるような人間を得るには、この4つの才能が必要だ。
一つに、心の機微を察する才。察した後で何かをしてもしなくても、関係ない。ただ、その人が何を考えているのか或る程度理解する必要がある。
二つに、脆さ。一つ目の才によって、ちょうどいいところでこの脆さを見せれば、相手はこの人には自分が必要なのだと思わされる。自らがいなくてはと勘違いさせられる。
三つに、強さ。他人を己の業に巻き込んでもよいという、ある種の自分勝手さのことだ。二つ目と矛盾するようだが、違う。強さの中に脆さがあるほうが惹かれるというものだ。
これら三つを、私は魅力と呼ぶ。そして何より忘れてはならない四つ目は、理解者にとって理解者であること。つまり、その存在を他の誰より、何より欲するということ。その存在さえいれば、他のものなどなくても良いという、狂おしいまでの愛だ。
私はこの関係に、恋愛を見出しているわけではない。ただ、恋愛とはまた違うがどこか似ているもの、虚しいが何より楽しくて、人間の本能により近い場所にあるものであると思う。だから、狂っているのである。
たぶん、これらがなければ、理解者は現れない。真の理解者は現れない。しかしながら、このような才能を持つ人間は稀有だ。したがって、狂いきれない凡夫には、狂おしいほどの理解を示す存在は現れないのである。
だがしかし、それを理解できぬのが人間というもの。幻想を見るものは数多い。だが、その幻想に魅せられて、ただの他人にその夢を見たものから、破滅していく。
読んでわかるように、求められる三つの才は、理解者を得るには最適であろうが、しかし社会的に見れば随分と矛盾してしていて、規格外である。言ってしまえば不適合者だ。だから、理解者が現れるとはつまり、堕落か規格外になったことを意味する。
普通の人間は途中で耐えられなくなる。理解者と目していた人間から見捨てられ、己の行為が所詮遊戯に過ぎなかったことに気づくのである。
その上で述べよう。私は理解者が欲しい。理解者を得られるにたる人間になりたい。
なので、私はこういう関係を書きたいと思った。小説の中だけでなら、そういう人間を作り出せる。危うい関係を持つ男女、いや男女でなくともよいのだが、とにかくそういう関係を描ける。
これは、そういう思いのもとで書いたものである。
(「ある歪な夫婦について」に続く)
下の星などで評価、またはコメントなどいただけると嬉しいです。誤字脱字等、バスバス指摘してください。糧にします。
ありがとうございました。




