25 広場の騒ぎ
銀灰妃を訪ねた帰り道、ガルシアは機嫌がよかった。
王城の回廊を抜け、外気に触れた瞬間、胸の奥に残っていた甘い余韻が、さらに膨らむ。
そのときだった。
ふと鼻をくすぐる、柔らかい、女の匂いがした。
振り向いた先に立っていたのは、あの時の女だった。派手さはないが、よく手入れされた髪と、清楚な身なりに、ねっとりとした視線が妙に男心をくすぐる。
「わたし、メアリーです」
名を名乗る声は低すぎず、高すぎず、心地よかった。
「いい名前だ」
ガルシアはそう言って笑った。
それだけで女の頬がわずかに赤くなる。
数言交わしただけで、次の約束は決まった。
休みの日に、広場で会おう。
それだけの約束だった。
その夜、メアリーは、雇い主へ連絡した。
ネルソン。
ガルシーナ公爵の長男であり、王位を密かに狙う男。
女は感情を消し、事実だけを伝える。
ガルシアと約束を取り付けたこと。
日時と場所。
そして、彼は、自分を信用している。油断していると。
返事は短かった。
進めろ。
約束の日、広場は賑わっていた。
市が立ち、子供が走り、貴族の子弟も護衛を連れて姿を見せている。
ガルシアは上機嫌だった。
メアリーを見つけると、自然と距離を詰める。
「こんなに綺麗な人だったとは」
「まぁ、ガルシア様はどんな女性でもお望み通りでしょうに」
「そうみえるのかい? 心外だ」
女は黙って笑うと、ガルシアの腕をとった。
その時だった。
誰かの悲鳴が上がった。
次いで、馬が暴れ、人の流れが乱れる。
狼だった。
一頭ではない。
複数の灰色の影が、広場の端からなだれ込んでくる。
逃げ惑う人々。叫び声。
転倒する者。
騎士団が現れ、剣を抜く。
だが混乱は一気に広がり、逃げ遅れた者が次々に噛まれ、引き倒された。
その中で、ガルシアは即座に判断した。
生き残ること。それだけだった。
彼はメアリーの腕を引いた。女は身を任せて来た。
狼がこちらに走って来た。ガルシアはためらわずに女を前に突き出した。
狼は真っすぐ女に飛びついた。
狼の牙が女に食い込んだのを確認し、ガルシアは背を向けて走った。
振り返らない。ためらわない。
背後で、短い悲鳴が途切れた。
その程度で、ガルシアの足は止まらなかった。
やがて騎士団が三頭の狼を討ち取る。
血と悲鳴が地面に残る。
残りの狼は、いつの間にか姿を消していた。
広場には死者と負傷者が溢れ、泣き声と怒号が交錯する。
その中に、息絶えたメアリーの姿があった。
ガルシアは、少し離れた場所で衣服の乱れを整え、何事もなかったように振る舞っていた。
「ひどい騒ぎだ」
それだけ言い、うなずく。
自分が助かったことに、安堵しかなかった。
この騒動は、貴族の子弟も被害に合った。
貴族社会は騒然となった。
国王は騎士団を呼び出し、厳しく注意した。
「見回りが甘い。被害が出すぎだ」
騎士団長は深くひざまずき、謝罪する。
その場に同席していた王子たちは、静かに視線を交わした。
「わたしたちも見回りに参加します」
アレクが申し出る。
「危険だ」
国王は即座に止めた。
「子供が出る場ではない」
王子たちは納得しきれない顔をしたが、それ以上は言わなかった。
狼は去った。
だが、何かが始まった気配だけが、王都に残っていた。
誰が狼を放ったのか。
なぜ、あの場所だったのか。
そして、ガルシアが生き残った理由を、問いただす者はまだいない。
ただ一つ確かなのは、血の匂いが、静かに次の波を呼んでいるということだった。
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