不食
きっかけは、いつだっただろうか。
つい昨日のことかもしれないし、大昔のことかもしれない。
思い出すことはできないが、とにかく自分を司る根幹の部分に、深く刻まれることになった出来事がある。
それは、誰かに「太っている」と笑われたこと。
醜いと蔑まれたこと。
きっとその人は、何も考えていない。
何も気にしてなどいない。
でも僕は、僕自身は、その言葉が、その表情が、脳裏にこびりついて離れずに、その日、その週を過ごした。
その後、不思議な変化が訪れた。
ご飯を食べなくなった。
食べたとしても、原因不明の吐き気と気持ち悪さが襲った。
あんなにも食べるのが好きで、楽しかった行為が、いつしか「意地汚い」「最悪の行為」だと考えるようになった。
僕は給食にも、ほとんど手をつけずに残した。
先生からは叱られた。
どうでもよかった。
また笑われるのなら、蔑まれるのなら、怒鳴られる方が幾分かましだ。
そしてそのまま成長していき、一日に数回ほどしか咀嚼をしなくなった。
鏡を見た。
なぜか、まだ太っているように見える。
豚のように見える。
おかしい。
体重は平均の遥か下を指しているのに。
でも、そう見えてしまったら、まだやめるわけにはいかない。
ご飯を食べるに値しない。
苦しまなくてはいけない。
そう分かっているのに、身体は音を鳴らして食にありつこうとする。
苦しい。
ずっと苦しい。
空腹の苦しみ。
好きなことができない苦しみ。
ありのままの自分を愛せない苦しみ。
どうでもいい奴の馬鹿な言葉を受け流せない弱さへの苦しみ。
結局、ずっと蝕まれている。
僕の心を腐食が覆い、何もかもに影響を与えている。
ある日、夢を見た。
大きな食卓に載るご馳走。
僕は一心不乱に食べた。
なぜか身体のことなど、少しも考えなかった。
食卓を囲む人は、怒らない。
笑わない。
共にご飯を食べていた。
ただひたすらに、幸せだった。
何も気にせずに笑っていた。
ずっと、ずっと、このままがいいと、
心から思った。
後ろから声が聞こえた。
「お前はなぜ食べる。
また醜くなってもいいのか。
穢らわしく生きるていいのか」
僕は振り返らずに、即答した。
「いいよ」
目が覚めた。
何の夢を見ていたのだろう。
思い出せない。
でも、なぜか理由もなく、
僕は大粒の涙を流していた。




