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未来への頼み-アパートの鍵を握りしめたまま、オレは旧日本海軍士官になった-  作者: 山口灯睦
第4章 1928年-1929年 呉、神通編

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烙印

山本との密談の翌日。


「神通」が弾薬と物資の積み込みを急ぐ中、頼は艦体の最終点検と砲術部門の準備を指揮した。


彼の動きは一切の隙がなく、任務遂行に徹した軍人そのものだった。


しかし、その完璧さの裏には、海軍という組織の病巣と対峙するという、誰にも言えぬ密命の重さが隠されていた。


出航直前、艦長室での最終報告を終えた後、山田艦長は頼と山崎、そして主要な分隊長たちを前に、低い声で語りかけた。


「諸君、ご苦労だった。特に吾妻大尉の不在の間も山崎中尉以下、砲術科員全員が見事にゼロ校正を完遂してくれた。この労に深く感謝する」


山田艦長は、その言葉を区切ると、艦橋下の甲板を見下ろした。


そこでは、積み込み作業を終えた水兵たちが、埃まみれの顔で休息に入ろうとしていた。


「これより横須賀を出れば、またしばらくは過酷な洋上に身を置くことになる」


山田艦長は続けた。


「吾妻大尉、山崎中尉。乗員の休息を最優先させろ。いいか、乗員の疲労は、設計の欠陥と同じく艦隊を根底から滅ぼすに等しい。彼らに体を休める時間を与えることこそが、我々が艦を守る最初の戦いだ」


山田艦長の言葉は、頼の密命の対象である「組織の欠陥」と、乗員の命を同じ重さで見ていることを示していた。


頼と山崎は、その言葉に、自分たちの任務を理解する上官の深さを感じながら、深く頷いた。


横須賀での最後の公務を終えた頼の密命を乗せた「神通」は、第一水雷戦隊と共に、関東近海の演習海域へと出航した。


艦隊の主たる任務は、仮想敵艦隊を想定した砲撃訓練と夜間戦闘である。


頼は艦橋から、主砲発射の号令を下す瞬間を待っていた。


仮想敵艦隊との距離、針路、風速。


頼の頭脳は、未だ組織が持たない未来の計算装置そのものであり、その数字こそが、旧式なドクトリンを打ち破る武器だった。


艦橋の空気は、極限まで張りつめていた。


その緊迫の中、艦隊の射撃指揮所から、山崎中尉の声が響く。


「砲術長! 照準完了、いつでも撃てます!」


頼は一切の感情を排し、艦隊全体に響き渡る声で、静かに、しかし断定的に命じた。


「撃てェ!」


瞬間、轟音と衝撃波が艦橋を襲う。


甲板を突き上げるような激しい振動と、鼻を突く火薬の匂い。頼の指揮は、その喧騒の中でも一分の乱れもない冷徹さを保っていた。


頼は砲術長として最高の能力を発揮する。


主砲は、かつてない精密な弾道を描き、設定された目標を正確に捉える。


三河湾で得たゼロ校正の成果は遺憾なく発揮され、主砲から放たれた砲弾は正確無比な弾道を描き、他艦では計測すら困難な距離と速度で遠方の曳航標的を連続して打ち砕いた。


その異常なまでの命中精度は、演習に参加した全艦隊の中でも群を抜いており、頼の指揮は最高の評価を得るものだった。


しかし、頼の心の中では、すでに二重の生活が始まっていた。


彼の脳裏には、山本五十六に示した「今後6年以内に重大事故90%以上」という冷徹な数字が、押し当てられた烙印のように、その真実が深く刻みつけられている。


彼は、最高の精度と最高の練度で準備を整えながら、「この完璧な準備こそが、設計欠陥を持つ艦体を限界まで追い詰める」という矛盾を抱えていた。


頼は、この事実を誰にも悟らせないよう、非の打ちどころのない最高の軍人を演じ続けた。


彼の「最高の公務」は、組織の目を欺くための完璧な煙幕だった。


しかし、その煙幕の下に隠された密命の遂行は、艦隊の過酷な演習スケジュールが生み出すわずかな隙間に託されていた。


その短い休息こそが、頼の密命遂行の舞台となった。


山本五十六の指示に基づき、頼は公務の体裁を保ちながら、艦隊内部の「巨悪」に繋がる情報を探り始めた。


彼の視線は、艦体の異変と、人間の異変の二つに向けられた。


演習後の整備を装っては、主砲の復元にかかる時間、高圧がかかる部位の微細な変形、艦体に響く不自然な軋みなど、すべてを艦体の証拠としてメモに記録していった。


それと同時に、設計士官や補給担当の士官たちの予算配分に関する不自然な言動や、装備の欠陥に対する、見て見ぬふり、の噂を静かに聞き出し、組織の隠蔽に関する情報を集めた。


この情報収集は、艦隊の仲間を裏切るような行為であり、頼は常に、いつ誰に見咎められるか、という極度の緊張感に晒されていた。


孤独なスパイ活動であり、彼の秘密を共有するのは、山本五十六だけだった。


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