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未来への頼み-アパートの鍵を握りしめたまま、オレは旧日本海軍士官になった-  作者: 山口灯睦
第4章 1928年-1929年 呉、神通編

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知らせ

年が明け、1929年の朝が静かに巡ってきた。


呉の湾内では「神通」のデッキに初日の光が差し、乗組員たちは新しい年の気配をそれぞれの場所で感じていた。


昨年十二月一日付で第一艦隊第一水雷戦隊へと編入された「神通」は、再就役からわずか九か月で再び新しい任務体系に組み込まれ、艦内の空気にも緊張と昂揚が入り混じっている。


頼は、薄明かりの機密区画で年初の解析データに目を落とし、山崎中尉は、静かに艦の鼓動を聞いていた。


遠く名古屋では、母・静が神棚の前で息子の航海の無事を祈り、燈は、頼からの便りを待ちながら、新しい年が二人の運命を動かすことをどこかで感じていた。


そして山本五十六は、新編成となった水雷戦隊の戦力を思案しながら、この一年が海軍にとって転換点になることを予感していた。


春が近づくにつれ、頼の解析作業は山場を迎え、船体の限界を示すデータは「臨界点」に達しつつあった。


頼は、このままでは日本の造船技術とドクトリンが、間近に迫った歴史的な事故に耐えられないことを確信していた。


桜の蕾が膨らみ始めた頃、呉鎮守府から「神通」へと任務の指令が届いた。


「第一艦隊第一水雷戦隊は、関東方面で開催される春季聯合艦隊演習への参加準備のため、横須賀への回航を命じる」


山田艦長は、この指令が山本五十六の政治的な配慮であることを理解していた。


呉と横須賀を結ぶ回航ルートは、東海の静かな海域を通る。


演習命令が届いた翌朝、神通は補給と最終点検のために呉軍港へ戻った。


山田艦長は、頼と山崎を再び例の機密区画に呼び寄せた。


「吾妻大尉。お前の新型測距システムの最終ゼロ校正を、回航ルート上の三河湾付近で行う。これが表向きの理由だ」


「承知いたしました」


頼は、ただ静かに応じた。


「三河湾内の錨地は、艦の揺れが少なく、校正作業に最適だ。そして、作業終了までの間、貴官に上陸を許可する。またこの後の昼食後、技術部へ測距装置の件の書類を提出し、夕刻までに戻るように」


それは、頼の最も切実な誓いに対する、山田艦長からの最大の贈り物だった。


頼は、上陸許可が下りた瞬間、熱田の実家へ戻る時間を惜しむことを決断した。


頼は敬礼し、艦を降りる。


頼が託された書類を技術部に提出した後、彼が真っ先に、そして唯一向かった場所がそこだった。


山田艦長が与えた一時上陸の時間は、決して長くはない。


彼は、海軍から下達された連合艦隊の公式な航海日程表を脳裏で反芻する。


その数字は、頼が命を懸けて集めた測距データと同じく、冷徹にして、動かしがたい現実だった。


頼の文字は、一分の狂いも許さない軍の命令のように断定的ながら、その裏には、この日時が狂えば二人の未来が失われるかもしれないという、切実な祈りが隠されていた。


郵便局の白壁の建物の前まで来ると、胸の鼓動が自然と速くなる。


電報窓口の木枠越しに、頼は短く息を吸った。


電文は、手紙で伝えた希望が、この日時で現実になるという、最も重要な情報を伝える最終合図だった。


「ミカワワン シガツヨウカ ジュウゴジ カマゴオリエキ ニテ」


(三河湾 4月8日 15時 蒲郡駅 にて)


電文を確認し、局員が伝送の電鍵を叩く。


金属的な打鍵音が響いた瞬間、頼の胸の奥に、ほのかな安堵が広がった。


その頃、名古屋の燈の家。


午前の家事を終えた頃、玄関の呼鈴が鳴り、郵便配達夫の声が響く。


「電報です!」


燈は受け取った封筒を震える指で開き、

折り畳まれた電報用紙をそっと広げた。


そこには、頼の筆跡ではなく短い電文だけが、

しかし誰よりも誠実な想いを乗せて記されていた。


「ミカワワン シガツヨウカ ジュウゴジ カマゴオリエキ ニテ」


読み終えた瞬間、燈の胸に温かい光が灯った。


頼の「もし」が消え、「会える」という確かなものへと変わったことを悟ったのである。


しかし燈は頼が今、海軍の将来を担う重要な職務にあることは知っている。


この知らせと、蒲郡での時間は決して公にできない、彼にとって最も重要な、個人的な任務なのだと直感した。


燈は、電報をきつく握りしめた。


そして頼の、彼の真実の孤独を察した。


蒲郡で頼さんと会える。


彼女の心は迷いなく、ただ一つに定まった。


1929年4月5日


軽巡洋艦「神通」は、静かに呉湾を出港し、東へ針路を取った。


頼は、甲板の冷たい風に吹かれながら、遥か東海の約束の地を想う。


彼の胸元には、燈が編んだマフラーがしっかりと巻かれていた。


彼が命懸けで集めたデータは、海軍の今後のための武器となる。


しかし、その武器を振るう前に、彼はまず、一人の男として、燈との誓いを立てなければならなかった。


船は、穏やかな春の波を切り裂き、東へと進んでいる。


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