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未来への頼み-アパートの鍵を握りしめたまま、オレは旧日本海軍士官になった-  作者: 山口灯睦
第4章 1928年-1929年 呉、神通編

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司令と祈り

山本五十六 : 確信


東京、三宅坂


職務での多忙を極める中、つかの間の休養と海軍省での公務のため私邸に滞在中の山本五十六大佐の元へ、一通の無記名文書が届けられた。


それは、「神通」艦上での密談の折、吾妻頼が秘密裏に確認していた山本の私邸滞在期間に合わせ、正確に届くよう準備されたものだった。


頼のその報告書は、感情を排した冷徹な数字だけで構成されていた。


艦体の疲労度、復元性の限界値、そして「今後6年以内に発生する可能性90%以上」という、壊滅的な事故発生の蓋然性。


五十六は、畳の上に広げたデータシートを黙って見つめた。


頼の計算は、彼が抱いていた構造的欠陥への疑念を、動かしがたい「予言」へと変えていた。


彼の眼差しが、数字だけでなく艦と組織の行く末を映しているかのようだった。


五十六のその頭脳が、頼が命を賭したことが、「絶対に正しい」と確信した。


そして彼は、傍らの電信紙を手に取った。


すべきことは一つ。


この報告書で、海軍を動かすための「政治的な盾」となること、そして、その「実行者」である頼にわずかな「希望」を与えることだった。


五十六は、慎重に言葉を選び、呉鎮守府の山田艦長宛てに、『神通』の横須賀回航と春季演習への参加を命じる最重要の機密の指示を起案した。


母・静:安堵と不安


名古屋、熱田の実家。


静の元に、頼からの手紙が届いた。


静は手紙を開き、読み進めた。


「呉での勤務は順調です。最新の測距試験の責任者となり、今は海軍にとって大変重要な職務を担っております…」


頼の文字の端々のところどころに、急いだ跡があることに気づき、胸が締めつけられた。


「体調を崩す暇もないほどです」という一文も、静に、一人の母としての不安を込み上げさせる。


船の上では忙しいのだろう、寒くはないだろうか……と。


頼の綴ったその一文字一文字に、息子の姿と、艦上生活の冷たさを同時に思い描き、静はそっと目を閉じた。


しかし、最新の測距技術という言葉に、「息子が立派に務めている」というも想いも感じた。


その文面は、海軍士官としての誇りに満ちており、静は同時に安堵もした。


手紙を仏壇の前にそっと置くと、息子の無事と功績を静かに祈った。


燈:手紙への切なる想い


名古屋、熱田の斎藤家


燈は、届いた封書を丁寧に開けると、便箋の折り目に指を沿わせた。


海軍士官の几帳面さが滲む硬質な紙と、何度も見た頼の書いた文字。


「もし、回航中に、故郷の近くで上陸が許されるようなことがあれば、是非、君に改めてお話ししたいことがあります――」


彼女は、その文字の端々から、遠く離れた頼の想いを感じ取った。


燈は便箋を折りたたむと、そっと胸に当てた。


頼のいる呉の冬の海は冷たいだろうが、この紙一枚が、その冷たさから自分を隔てる暖かなもののように思えた。


頼が「海軍の将来を担う重要な任務」にあることを知るからこそ、それは「切なる願い」であると直感した。


それでも、頼がたった一つの希望を自分に託してくれたことに、燈の心は深く温められた。


彼女は、頼の孤独な戦いを支えるためにも、ただひたすらに、その「もし」が現実となることを静かに祈り続けた。


1928年の師走が訪れても、「神通」艦内を覆う極限的な緊張は、わずかな揺らぎすら見せなかった。


季節が移ろおうと、艦内の空気は研ぎ澄まされた刃のように張りつめ、乗員たちの呼吸すら硬くなる。


呉の冬の海は容赦なく冷え込み、甲板の金属は夜明けごとに白く曇る。


その厳寒の只中で、頼は砲術指揮所の機密区画に身を沈め、膨大な測距データと格闘していた。


表示された数列は、まるで人間の温度を拒むかのような冷めたさで、誤差を許さぬ無慈悲な整合性を突きつけてくる。


計算を重ねる指先は常に冷たく、彼は絶対の精度という名の重圧を、胸の奥深くに沈めていった。


一方、艦体の揺れを最大限に活かすための特異な訓練は、兵たちの肉体と精神を容赦なく削っていく。


波に合わせて重心を変え、機器を扱い、誤差を拾い、次の揺れに備える、その繰り返しは、休まる瞬間のない終わりなき戦いだった。


疲労は確実に蓄積し、水兵たちの眼差しには困惑と焦燥が滲む。


だが、吾妻大尉と山崎中尉は一切の迷いを見せなかった。


二人の姿勢は、ただ任務のみ、その一点を見据えていた。


問いも反論も、甘えも隙も許されない。


彼らの発する命令は、兵の意志を封じ、ただ結果だけを求める絶対の規律だった。


その背中を見れば、誰もが理解した。


この艦は今、訓練でありながら、誰もが実戦と変わらぬ緊迫を強いられていた。


彼の首元を暖める濃紺の毛糸のマフラーだけが、彼がまだ海軍の合理主義者ではなく、一人の人間であることを思い出させた。


その感触の裏側には、最も切実な想いが隠されていた。

次週、三河湾の潮風と共に、物語は大きな転換点を迎えます。

頼が守り抜こうとする『未来』の形が、一つの節目として描かれます。

月曜日の更新で「約束」へと向かい、そして水曜日は私にとっても非常に思い入れの深いエピソードとなりました。

頼の戦いはまだまだ続きます。この先の展開も、共に見守っていただければ嬉しいです。

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