表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未来への頼み-アパートの鍵を握りしめたまま、オレは旧日本海軍士官になった-  作者: 山口灯睦
第4章 1928年-1929年 呉、神通編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/30

山本五十六の審判

1928年秋、瀬戸内海の呉湾に停泊する「神通」に、一本の極秘連絡が入った。


「軽巡洋艦『五十鈴』艦長、山本五十六大佐が、非公式の練度視察を目的として、貴艦に乗艦を予定。極秘裏に準備をされたし」


山田艦長は、その連絡文を読み、青ざめた。


山本大佐は、海軍大学校の教官経験もあり、合理主義と航空主兵論を掲げる、海軍内で最も論理的で未来志向の士官として知られていた。


彼の視察は、吾妻頼の理論が「天才のまぐれ」で終わるか、あるいは「真の海軍の礎」となるかを、決定的に裁定する場となることを意味していた。


山田艦長は、静かに砲術長の吾妻頼を呼び出した。


「吾妻大尉。お前の理論の真偽を、海軍の頭脳が査察に来る。これは、組織の承認を得る最後の機会かもしれん。お前が信じる唯一の活路を、彼に示せるか?」


頼は、いつもの感情を見せない静かな瞳で、遠く海を見つめたまま答えた。


「艦長。私は既に、艦隊決戦での斉射ではなく、これからの戦闘で必要となる『一撃必中』を計算し終えています。山本大佐が求める『合理性』は、私が持っているデータそのものです」


「神通」艦長室で交わされた、吾妻頼の理論と山崎中尉の功績に関する報告書は、呉鎮守府の常識を超えた内容であったため、多くの士官の手で握りつぶされかけていた。


しかし、その報告は、ただ一人、過去数ヶ月にわたり「神通」の異様なまでの練度向上記録と、常識外れの射撃データを独自に分析していた山本五十六大佐の目に留まっていた。


彼は、真実を数字で語る吾妻頼の存在を、この時すでに、海軍を変える「鍵」として確信していたのだ。


秋の呉港は、澄んだ青空の下、静寂に包まれていた。


軽巡洋艦「神通」の甲板に、非公式の視察という名目で一人の士官が足を踏み入れた。


背丈は低いが、その立ち姿には歴戦の士官が持つ、独特の緊張感と威圧感が滲み出ている。


その士官こそ、軽巡洋艦「五十鈴」艦長、山本五十六大佐だった。


山本は、到着するや否や、儀礼的な挨拶もそこそこに、山田艦長に対し「直ちに砲術指揮所での実験データの詳細な報告を求める」と切り出した。


彼の目的が、吾妻頼という異端の頭脳の真贋を見定めること一点にあるのは明らかだった。


艦長室は、山本大佐の登場により、呉鎮守府の司令部のような張り詰めた空気に満たされていた。


山本は、デスクに広げられた射撃データと、頼が自筆で記した計算式、そして山崎中尉が整理した観測記録の全てに目を通すと、顎に手をやり、静かに口を開いた。


「吾妻大尉」


「は」


「貴官が導き出したというこの非線形方程式は、艦の動揺や気象条件を、従来の射表とは全く異なる形で処理している。

素人目には、ただの『数学的な遊び』にしか見えんが」


山本五十六の声は静かだったが、その言葉には、「実証責任は貴官にある」という、厳格な合理主義者としての詰問の意が込められていた。


頼は、一瞬も怯むことなく、直立したまま淡々と答えた。


「大佐。砲術とは、現象を解析し、放たれた砲弾の着弾点を予測する科学です。従来の射表は現象を線形で近似しており、予測精度に限界がありました。私は海軍兵学校で基礎的な教育は得ましたが、その先の応用数学の深部、非線形解析は独学です。この計算は、現実に起こる現象の非線形性を、計算によって支配下に置いたに過ぎません。お言葉を返すようですが、遊びでなどではありません。科学です」


山本の視線は、その言葉の背後にある頼の「揺るぎない確信」を探っていた。


「よかろう。では、この解析の優位性、つまり、海軍の既存のドクトリンを捨てるに足る根拠を述べよ。従来の斉射による命中率の向上と、貴官の一撃必中のどちらが、総合的な戦果を高めるのか」


それは、技術論ではなく、戦略論を問う質問だった。


頼は、呼吸一つ乱さずに回答した。


「大佐。艦隊決戦において、我々に第二射の機会は与えられません。特に劣勢となるであろうその戦場では、敵艦隊の射程外から、一撃で指揮系統を破壊し、敵の戦意を挫く『奇襲の優位』こそが全てです。斉射は、『敵に当たるまで撃ち続ける』という、我が海軍の資源の劣勢と相容れない発想です」


頼は、言葉を選ばずに、日本海軍の根本的な欠陥を指摘した。


「私の理論は、一発の弾薬に、最大の戦略的価値を与えるためのものです。これは、資源に乏しい我が日本が生き残るための、唯一の戦術的合理性です」


艦長室の空気が、さらに張り詰める。


山田艦長は、その危うい発言に冷や汗をかいたが、山本五十六は、小さく頷いた。


「面白い。では、その『非線形性の支配』を現場で運用するために、どれほどの練度と技術が必要か。この理論は、貴官の一人の才に依存するものではなく、海軍の恒久的な戦術として確立、維持できるものなのか」


その瞬間、頼ではなく、副砲術長代理の山崎中尉が前に出た。


「山本大佐。申し上げます」


山崎は直立不動の姿勢で、一切の私情を交えずに言った。


「私は、あの美保関の現場におりました。そして吾妻大尉の理論が実証される過程を、最も近くで観測してきました」


「ほう」


「この理論は、吾妻大尉にしか扱えないものではありません。必要なのは、データに対する厳格な規律と、既存の常識を捨てる勇気です。現在、『神通』の乗員は、吾妻理論に基づく新たな訓練体系で動いています。私は副砲術長代理として、この規律とデータの正しさを、職責をもって維持いたします」


山崎の証言は、頼の理論が「再現性を持つ、運用可能なドクトリン」であることを証明した。


山本は、頼の解析の「先進性」と、山崎の「現場での実務能力」の両方を見極めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ