5 閑話 霧の休日
エドガーはベッドの縁に腰をかけ、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
オルドンの街は今日も霧に包まれている。
王立裁定院のほど近く、下町寄りのブラクストン街にあるマッケンジー夫人の下宿。
二階の角部屋に長期滞在しているのは、法務官エドガー・レイブンズただ一人だった。
他の部屋は空室が多く、静寂そのものの建物。
一階の台所と書庫だけが、まだ“人の温もり”を残している。
広めの部屋には大きな窓と暖炉、一人がけソファがひとつ、本棚が二つ。
デスクとクローゼット、紅茶を淹れられる程度の小さなキッチンも備わっている。
ベッドは二つ――エドガー用と、最近雇った雑用係ピップ用のやや小ぶりなもの。
ピップは週の半分を官舎で、残りをここで過ごし、エドガーの世話や書類整理を担っていた。
だがこの休日は、珍しくエドガーひとりきりだった。
廊下の向こうからガラガラという音がして、すぐにノックの音が続く。
エドガーが返事をする前に扉が開き、銀のワゴンを押して入ってきたのは、この建物の管理人、マッケンジー夫人だった。
「あらあら、休日なのに早起きね、レイブンズさん」
「夫人。おはようございます」
夜着のまま、寝癖の残る髪を撫でながら微笑むその姿は、どこか抜けているのに、紳士然としている。
夫人は静かに部屋を見回し、眉をひそめた。
本棚は整っているが、文学書だけは乱雑に押し込まれ、マントルピースの上には新聞の切り抜き、未開封の葉巻箱、裁定院の封蝋。
開きっぱなしの文学書と手紙、そしてカップ。――だがソーサーはない。
デスクには食べかけのパン、切り抜きの新聞、畳みかけのシャツとクラヴァット。
こちらにはソーサーがある。散らかった文房具。
椅子の背にはフロックコートとウェストコートが重ねられている。
窓辺の細い棚には、夫人が置いた小さな観葉植物。
その隣にはなぜか文鎮。
床には脱ぎ散らかされたトラウザーと黒革のブーツ、そしてスリッパ。
どうやってベッドまでたどり着いたのか、謎である。
夫人が言葉を失っていると、後ろから下女が入ってきて、慣れた手つきで洗濯物をさっさと回収していった。
「レイブンズさん……」
「……はい」
「言いたいことは、山ほどありますけれどね」
「え? 何かありました?」
エドガーは寝癖を直しながらスリッパを探すが、見つからない。
夫人はため息をつき、スリッパを揃えて足元に置いた。
「あぁ、夫人。ありがとうございます」
「……貴方のその穏やかな笑みに、みんな絆されるのよね。
それにしても、紙とカップを一緒に置かないって何度も申し上げてるでしょう!?
ほら、封筒が濡れてるじゃないですか!
しかもこの手紙――かなり前にお渡ししたものですよ。ちゃんと開封なさいな。
ご家族とはちゃんと連絡を取っているんですか?
皺になるから、せめてコートだけはハンガーに掛けてくださいって、いつも申し上げてるじゃありませんか。
……どうしてできないのです」
「あぁ……はは……」
エドガー・レイブンズという男は、仕事や職務では完璧を極めるが、私生活となるとこの有様だった。
夫人にしこたま小言を言われたあと、彼は朝食を取り、読みかけの本を少し読み、またまどろみ、また本を開く――それを何度か繰り返す。
窓の外では霧が濃くなり、ガス灯が淡く滲んでいた。
静かな時間が流れる。
それは、法務官エドガー・レイブンズにとって、最も穏やかな休日の過ごし方だった。




