42 夏の帰路
《王都報知》 朝刊見出しより
『モートン家、国外人身売買に関与』
『実の娘までも金銭で売却を図る――衝撃の供述』
『ウィンダム侯爵家、少女を保護 “高潔な判断”と賞賛の声』
エドガーは馬車の中で新聞をたたみ、隣の座席に置いた。
窓の外では、長く続く草原が風に揺れている。
遠くの丘に雲の影が落ち、羊飼いの笛の音がかすかに響いた。
夏の風が頬を撫で、背で束ねた黒髪の一房がほどけて流れる。
陽を受けて淡く青く光るその髪は、まるで湖面のように静かだった。
やがて、丘の向こうに白い修道院の尖塔が見えてくる。
夏の陽をまとうセント・アシュウェル修道院――
その壁は陽光を反射し、庭のラベンダーが風にそよいでいた。
門前に立つ小さな影を見つけ、エドガーは目を細める。
馬車を降りると、ピップが駆け寄ってきた。
エドガーはそのくるくるした栗毛を撫でてやり、微笑む。
少し離れたところで、エルザが静かに立っていた。
彼女に手を差し伸べる。
「約束通り、片づけて迎えに来たよ。一緒にオルドンに帰ろう」
おずおずと近づく少女の頭に、彼はそっと手を置いた。
「寂しかった?」
「……少しだけ」
「俺はサーも兄貴もいなくて寂しかった!」
ピップの言葉に、三人は思わず笑った。
修道院長への挨拶を済ませ、三人は馬車に乗り込む。
サミュエル・ローク司祭は、見えなくなるまで手を振っていた。
ラベンダーの香りがいつまでも彼らを包み、丘を下る風に乗って遠ざかっていく。
◇◇◇
汽車が草原を駆け抜ける。
青空にはまだ夏の雲がゆっくりと流れ、車窓の外では、刈り取りを終えた麦畑が金に光っていた。
「あのね、アラン兄ちゃんが一緒に行かないかって言ってくれてるの」
エルザは窓の外を見つめたまま、ぽつりと呟く。
「え……アルストリア王国を出るってこと?」
「うん」
ピップが驚いてエドガーを見ると、彼は穏やかに微笑んだ。
「いい話だと思うよ」
低く柔らかな声。
エルザはちらりと彼を見て、小さく頷いた。
「でも、まだ悩んでるの」
ピップは拳を握りしめながら言う。
「エルザがいなくなるのは寂しいけど、俺も悪い話じゃないと思う」
「……ありがとう」
汽車の先に、オルドンの尖塔群が霞んで見えてきた。
夏の夕暮れの中、煙がゆるやかに街を包んでいく。
◇◇◇
汽笛が長く鳴り、白い蒸気がプラットフォームを満たす。
オルドン中央駅の天蓋の下では、人々の声と荷車の音が入り乱れ、夕陽がガラス越しに橙と灰の層を描いていた。
新聞を売る少年の声が遠くで響き、ガス灯がひとつ、またひとつ、街を縁取る。
「数日だったら、うちに来てもいい。どうする、エルザ」
エドガーの問いに、エルザは首を振る。
「うちに帰るよ」
「送ってこうか?」
ピップの申し出にも、彼女は首を横に振った。
「大丈夫。みんな心配性なんだから」
そう言って跳ねるように歩き出し、「バイバイ!」と手を振って駆け出した。
王都の霧がまた濃くなっていた。
石畳を叩く靴音、街灯の灯が揺れる。
少女の髪に一瞬だけ金の輪が生まれ、次の瞬間には白い靄の中に溶けた。
その背が見えなくなるまで、エドガーは黙って立ち尽くしていた。
「僕らも帰ろう、ピップ」
少年は地面を見て、それから勢いよくエドガーに抱きついた。
エドガーはよろけながらも抱き返し、その背を軽く叩く。
「ピップ、僕らの家に帰ろう」
ピップは彼のコートに顔を埋めたまま、大きく頷いた。
ガス灯がひとつ、またひとつ点る。
オルドンの夜が始まろうとしていた。




